ブラウン惑星人の日々 December 2015
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キャプテンハーロックの厳冬期
とうとう2015年も終わりを遂げ、新たな2016年が明けます。今年1年を振り返ると、はやぶさ2の打ち上げから地球スイングバイまでの1年と同期して、いろいろな面で初期スタートの段階であったと感じられます。小天体探査フォーラム(MEF)の活動を一つの土台として日本惑星協会(TPSJ)が再起動したのもその一つだと感じます。
日本では現在、自民党の安倍政権が日本の復興を着々と進めていますが、一時は不可能と思われていた安倍首相の再登板や、デフレからの脱却、雇用拡大、慰安婦問題の解決など、信じて努力すれば成せるのだと教えてもらいました。はやぶさ2も民主党政権の下での仕分けによって抹殺されるかと危ぶまれましたが、見事復活して日本と世界の希望として華々しく飛んでいます。本当に喜ばしいことです。2020年の東京オリンピックの開催と、はやぶさ2の帰還などに向けて、日本全体が盛り上がっていく機運を感じます。
例年のことですが、私が働くブラウン大学は、12月24日のクリスマスイブから1月1日の元日まで冬季休業になっていますが、今年は1月2-3日が週末に当たるので、1月3日までの何と11日間連続休日になりました。いつもこの期間は、3月にヒューストンで開催される月惑星科学会議(Lunar and Planetary Science Conference, LPSC)のアブストラクト書きに終われる時期になり、今年も一つは書き終えて共著者からの意見を待っているところですか、今年はもう一つ書く必要があって、今から書き始めるところです。
今年も5月と11月とで2回日本に帰国し、極地研の隕石の分光サーベイの最終段階である炭素質コンドライトを終え、南極隕石シンポと、宇宙研での地球圏外物質のシンポに参加しましたが、やはり今年もはやぶさ2の科学会議には十分に参加できず、自分の日程調整の限界と旅費の欠如に葛藤した年となってしまいました。といって苦情を呈してばかりもいられないので、今後はサーベイの結果の論文書きと発表と並行して、もう一つの重要な要素である、炭素質コンドライトのチップとペレット両方の宇宙風化作用の影響を調べるサーベイに移行しようと計画しています。
ご存知のように、はやぶさ2が現在向かっている小惑星リュウグウはC型であり、炭素質コンドライトでできていると考えられます。そして近地球軌道にありますから、太陽風や高速衝突してくる塵の影響で宇宙風化はきっと受けているはずです。その効果を全ての炭素質コンドライトで調べないと、2018年に始まるランデヴーの際のリモセン(遠隔探知)による観測データを正しく解釈できません。本当は太陽からの強い紫外線や、加熱だけでも変化しているとも予想されます。反射率が可視領域で5%程度しかないこのような天体は、ただでさえ難しいのに、宇宙風化によってリモセンによる物質同定は最高度に難しいです。その分、私や共同研究者たちの資質が発揮される、または無能さが暴露される:)機会でもあります。
一方で、私の本業であるブラウン大学の研究員の立場ですが、給料が全て NASA 研究費でまかなわれている事情ゆえに、いつも未来は不確実です。給料の 50 % を供給していた SSERVI という研究費はおそらく来年で終わり、その代わりとしては、15 % 程度の小さなプロジェクトが二つ通っているので、30 % 程度しか決まっておらず、上述のはやぶさ2参加科学者としての申請が通れば、合計で 50 % 程度まで行く可能性はありますが、NASA の共同利用機関であるはずの反射率実験室(Reflectance Experiment Laboratory, RELAB)への定常資金が復活しない限り難しい状況です。
まあそんなので過去20年以上もブラウン大学にいることが出来たことが奇跡的ですが、少なくとも、2020年まではここでがんばるか、日本の大学に就職できないとミッションを支えていくことは難しいでしょう。自慢では決してないですが、私は日本の大学に雇われたことは一度もなく、一番近かったのは、極地研で2010年の夏に特任教授として2ヵ月半だけ雇ってもらえたことだけです。それを考えると、はやぶさ・はやぶさ2への貢献は日本からの投資をお返しして余りあるものであるのではと思っています。まあ自分でやりがいがあるからやっているわけですが。。。
来年も、母国を追われてもその国と国民を外から愛し支援し続けるキャプテンハーロックの心情でがんばりますので、皆様も日本を内部から改善し続ける良心の声として励んでもらえたら幸いです。
はやぶさ 1、2 は、人工衛星ではなく小惑星探査機
日本への出張から戻って2週間たち、やっと平常に戻ったかのように思える日々ですが、既に至る所クリスマス用の飾りつけが見え、商店でも贈り物を的にしているのがわかります。また、この間、色々なことを考えさせられる出来事がありました。
まずは何といっても12月3日の、はやぶさ2による地球スイングバイですね。以下のリンクにある、はやぶさ2が見た地球と月の姿は素晴らしいです。
http://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20151127_02/
昨年の打ち上げからちょうど1年たったこのスイングバイですが、はやぶさ初号機の2004年のスイングバイと比べれば、一般の人々やマスコミの注目度が格段に高いですね。初号機は、当時、私が講演会をすると言っても数人しか来ないようなこともありましたし、小惑星への探査も、そしてもちろんのこと小惑星と隕石の科学自体も注目されていませんでした。
今回は2回目で、その熟練の技を日本が世界に示したと言えると思いますが、欧米では古くからスイングバイは、対象の惑星や衛星の軌道運動量を利用して加速する方法として使われてきていますね。WikipediaでもGravity assist(重力補助?)という項目で以下の説明があります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Gravity_assist
そこに説明があるように(英語版と日本語版とちょっと違います)、1974年にMariner 10が金星でスイングバイして水星に行ったのが最初らしく、私も覚えているものでは、1977年に打ち上げられたVoyager 1は木星と土星でスイングバイし、Voyger 2は更に天王星と海王星をも使って太陽系を脱出する推力を得ました。
はやぶさ2が小惑星リュウグウに向かう軌道に入った今、2年半後にランデヴーするということの実感が一層してきました。しかし、我々の到着後2か月くらいでOSIRIS-RexもBennuに到着してしまうというのが脅威です。なぜかと言えば、日米の実力の差があまりに大きいからです。これら日米のミッションにおける協力関係が樹立されつつありますが、気を付けないと、アメリカがよいところをさらっていってしまう可能性があります。特に若くて初な日本側の科学チームメンバーたちは気を付けてください。
日米のスタッフの数の違いについて、吉川先生は、軌道計算などは30倍くらい違うと以前おっしゃってましたが、私の可視・近赤外分光の分野ではもっと悲惨な状態だと思います。私を1と数えれば、30倍程度に収まるかもしれませんが、私は日本で働いているのでなくてアメリカのNASA研究費から給料をもらっているわけですし、日本にいてこの分野をやっている人たちは、私から見ると、まだまだ専門家とは言えないです。
この、はやぶさ2ミッションを通して、日本が隕石・小惑星分光の分野でも欧米に太刀打ちできるようになってほしいものです。それに必要なのは何かといえば、はっきり申し上げて、お金であり、お金を動かせる指導者です。JAXA からの交通費や給与の支給があれば、日本の学生への科学教育貢献ができるでしょう。研究費を支給して実験装置も作れるでしょう。優秀な学生や若き研究者にある程度の魅力を感じてもらえるような機会を提供できるでしょう。そういう単純なことが大部分です。優れた学生が来るかとかは次の話です。その点で、日本の指導者たちはまだまだだと言わざるを得ません。
皆さんの耳にタコができているような以上の話はこれくらいにして、もう1つの惑星探査の話題は何といっても「あかつき」の金星軌道投入ですね。はやぶさ初号機が帰還してカプセルが回収された2010年に、最初の軌道投入に失敗し、主力のものでなく姿勢制御用の補助スラスターで軌道調節して、あかつき衛星を、逆行自転をしている金星の周りに離心率が非常に大きな楕円軌道で回るように投入出来たわけですね。これは快挙と思います。のぞみ衛星の時に、やはり日本は欧米から遅れていると感じざるを得なかった、惑星を周る軌道への投入ですが、かろうじて成功したと言えるのでしょう。ただ、やはり太陽系を探るという点においては、はやぶさが世界レベルで成した、そしてはやぶさ2がこれから成すはずの成功には比べる対象がないくらいだと思います。
最後に、私が通う教会にもよく顔を出していた、私の長女とも仲が良かった日系二世の21歳の女の子の話を書きたいと思います。とても美人で勉強も運動も芸術もできた女の子でしたが、2年半前頃に脳腫瘍が発見され、当時既に決定していた大学への入学を延期せざるを得なくなり、化学療法や放射線治療をして、一端はは落ち着いたのですが、この夏ごろ急きょ再発悪化し、先週亡くなりました。先日はそのお葬式にスタッフおよび参加者として列席してきました。
この子の素晴らしいところは、病気を運命として受け入れ、それ故に一層、生と死の問題や霊界のことを学び、家族や自分より年下の者たちに希望を植え付けていくような晩年を過ごしたことです。親族や友人たちや教会の指導者たちが、300名を超えるとも思える参席者たちに涙ながらに語っていました。この子の背後にアメリカインディアンの例が見えると語った霊媒もいたそうですが、日本人の父親を持つ娘として、日本人に近いアメリカ原住民とヨーロッパからの移民たちとの間の確執を解くための犠牲になったのかもしれません。
現代の西洋医学ではまだまだ原因がわからない病気が多すぎます。というか、治療法が見つからない病気があるばかりでなく、原因はほとんどわからないと言えると思います。西洋医学では、病気の「現状」とか「過程」は分かっても、「原因」は分からないことが多いのではと思います。治療も、化学療法などは人体の免疫性を損なうし、二次的な癌を誘発しかねません。東洋医学による治療を取り入れて、また霊的な側面を解明していくことで、病気の本当の原因究明に取り組むのが本当の医学ではないでしょうか?
私も分野は違うものの、科学者として、そのような方向を目指していきたいと思っています。科学は知識を得るのが目的とはいえ、人々の教育だけでなく、究極的な幸福、特に現世だけでなく永遠の来世も含めた人生の幸福成就のために貢献すべきと信じています。そして、よく言われるように、「知識の始まりは汝の創造主を知ることである」ので、第一原因を知らなくてはいけません。
さて、LPSC 2016!
やっと2週間の日本出張から帰ってきて、11月も終わりました。時差ボケで1~2週間は苦しむと思いますが、測定すべき試料もあり、LPSCのアブストラクト書きもあり、今年中に書くと誓った月隕石論文も残っていて、大忙しになりそうです。
日本帰国中は、ボストンから来た私にとって暑いなあと感じる日々から始まり、最後はやっと急に寒くなった期間でした。基本的に今回も昨年の11-12月と同様なパターンで、最初の週は、恒例の極地研での南極隕石シンポと宇宙研でのはやぶさ試料シンポで、翌週は阪大での実験で、週末はいろんなところで講演をしました。
上画像:はやぶさ2015シンポの開始時の私の席の様子。
最初の写真は、はやぶさシンポの時の私の前においたいろんなもので、今回いただいた、イトカワ試料写真付きファイルフォルダーは優れものです。テロの影響か予算の問題なのか、何人かの海外参加者が来なくなり、ちょっと寂しかったですが、まあまあ第3回としては成功だと思います。やっとNASAが1970年にアポロ試料で始めたように、日本にしかないイトカワ試料を求めて世界から研究者がやってくる歴史が、43年遅れとは言え、2013年に始まったことは素晴らしいことです。
その中でも、今回全く新しいコネで実現したのは、中筋児童館による、宝塚市の中山寺での講演会で、宝塚市長さんや教育長さん以下の多くの方々にVIP扱いをしてもらえました。
http://en.blendboard.jp/kankoukyoukai/feed/78128/5107681
これは、私の講演会と囲碁教室の2本立てというユニークな企画で、本当は18歳までの中高生も含むはずでしたが、タイミング的なものもあり、ほとんど小学生とその父母たちで、ちょっと内容を高度にし過ぎた気がしました。でも、その後もFacebookでいろいろ良い反応をいただきました。
あと、今回は3回目となる、地球子ども村宇宙教育センターの講演を名古屋市立大学で行い、その前に、前回招待して聞きに来てもらった名市大准教授の三浦均君も45分程度の講演・実験をしてくれました。水を凍らせるというだけで潜熱の存在を立証できる面白いものでした。
上画像:名市大での講演会の後参加した、投扇興の様子。
その後は、前回同様に、会場をお世話いただいた犬山城主の成瀬朝香さんに誘われて、投扇興を三浦君と参加させてもらいました。話には聞いていましたが、投扇興は日本の伝統ゲームの1つです。次の写真は、私と三浦君との対戦で、私がちょうど扇を投げたところです。成瀬さんの易しい判定もあり、何と優勝してしまいました:)
上画像:百人一首の光景。
次の写真にあるように、その後、百人一首に移りましたが、これがなかなか達筆の変体仮名で書かれた札で、三浦君ほど多くは取れませんでしたね。昔は下の句をすべて覚えていたのですが、さぼっているとすぐに忘れてしまいます。
さてさて、今回のLPSCのための要旨の締め切りは1月12日で、まだしばらくありますが、それに油断せずに、今回の2つの発表の内容を組み合わせて、早めに提出したいと思っています。たまっている試料や書くべき論文やマニュアルがあり、いつも前進を続けないといけないです。何よりも、NASAなどの研究費などを取っていかないと、来年度で終わりになる科研費の代わりに日本への出張などの費用を払う元手が無くなってしまいます。
はやぶさ2の講演をする際に、2020年まで頑張りましょうと言っている当の本人が科学畑から消えてしまっては説得力ありませんので、何が何でもそれまでは頑張らねばと思っています。