The Planetary Society of Japan

ブラウン惑星人の日々 February 2013

RELAB の守護者

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: February 26, 2013

上画像:MIT の地球・大気・惑星科学科の建物にその案内板を貼り付けたもの。屋上に天文台のドームが見えます。

前回お話したように、今週は火曜日に MIT の地球・大気・惑星科学科の昼食セミナーで講演をしてきました。本当は大学院生でブラウン大から話しに来てくれないかという誘いがあったのですが、急すぎて誰も都合がつかなかったようで、近所に住んでいる私が行く事になりました。自宅から歩いて20分ほどですから、ブラウン大学を休んで気楽な気持ちで普段着で行きました。いつも話している内容そのままで良いと言うことだったので、以前にブラウン惑星地質のランチバンチでも話した「月と小惑星の宇宙風化」というタイトルで、アポロ11号以前・以降、望遠鏡観測、そしてガリレオ、NEAR シューメーカー、はやぶさ、かぐやといった探査機による発見などを交えて解説し、最後にはやぶさ2計画の紹介をしました。天文学から小惑星の組成や宇宙風化の研究に入ってきたリック・ビンゼルや、微惑星のカオス的軌道計算で有名なジャック・ウィズダムなど重鎮が混じる中で主に若いポスドクや大学院生を含む20人あまりの聴衆でした。LPSC アブストラクトが拒絶された話もして好評でした。

その12時半からのセミナーは、始めにリックが最近ロシアのチェラビンスクに落ちた大きな隕石と、同時に地球に接近した小惑星(2012 DA14)の解説をし、次にそこに出された昼食を皆が取りにいって、15分ほどしたら私が話し始めるという面白い構成でした。話し手である私はあまり十分に多く食べれませんでしたが。

小惑星イトカワの組成をリックたちが予言していたことは話しに入れましたが、宇宙風化も論文では考慮していたことを強調してなかったので、後で少しそのことを指摘されました。アメリカの研究者は一般に自分の研究成果を正しく引用してくれているかに非常に敏感です。測光モデルと宇宙風化の研究で超有名なブルース・ハプケ先生もそうでした。私が宇宙風化の研究を始めたときに、論文を引用したいのだけれど、1960年代とか古いのが多く、図書館でも入手が難しいとこぼしたら、すぐに郵便で別刷りをどっさりと送ってきてくれました。

上画像:はやぶさのレゴを見せている Richard (Rick) Binzel 教授。リックは、はやぶさ2と同じく C 型小惑星を目指す OSIRIS-Rex の共同研究者でもあります。

と、またまた話がずれましたが、リックは実ははやぶさの大ファンで、川口先生から戴いたとかいう、はやぶさのレゴのモデルを皆に自慢して見せています。自分が予言した LL コンドライトと宇宙風化というのを証明してくれたというのも大きくあるのでしょう。それは私も同じですが、望遠鏡観測と違い、はやぶさは空間的に見て1cmとかの隕石サイズの小ささで見ても均一に LL コンドライトと同じ輝石とカンラン石の混合比で見えるし、宇宙風化の違いの分布と表面の新しさに相関があるという重要な点と、観測と試料分析の両方から証明したことが重要です。

セミナーのあとは、リックの部屋で隕石試料や論文を見せてもらい、そんなに近くに住んでいるならば、月に一度とか定期的に来たらよい、オフィスも準備しておくから、と言われました。

実際、今年で切れる NSLI (NASA Lunar Science Institute) の科研費の継承として SSERVI (Solar System Exploration Research Virtual Insitute) の申請にはリックも共同研究者として入ってくれるよう要請しています。この科研費が通れば、カーリーの許可を得て定期的に MIT に来れるようになるかもしれません。一方で、もし通らなければ、PGG (Planetary Geology and Geophysics) の科研費を切られた後に NSLI でサポートしてきた RELAB の装置類の維持だけでなく、私の給料も無くなるわけですから、私はブラウン大から消え、学生たちが自力で何とか測定をし、装置の維持はその場その場で何とかするしかないでしょう。30年も続いた NASA の共同利用機関であり反射スペクトルの黄金基準として世界に知られた RELAB の最後となります。それは厳しい世界ですが、だからこそ一定の高い基準を持つ研究室だけが生き残ってアメリカの惑星科学の高水準を維持してきたともいえます。ちなみに、上記の LPSC のアブストラクトを査読して拒絶した人と、PGG のトップにいて RELAB を切り捨てた人とは同一人物です。これは私に対する私怨ではないかとカーリーに言いましたが、そうは思っていないようです。でも私はまったく納得できません。

上画像:家族で食べたみかん類のへそを取ったところ。白っぽい楕円体の数が内部の袋の数と一致する。娘たちはそれを初めて知って驚いていました。

ああ、何かまた暗い話になってしまいましたね。と言うことで、最悪の場合に影響を受けるであろう家族の写真を今回は特別に入れました。雪の後のボストン・コモンを歩いてAMCシアターに向かうところです。家族と言えば、なんと妻も娘たちも、みかんのへそを取って見れば中に袋がいくつ入っているか数えられることを知らなかったのです!私は小学生のときに既に知っていたのに。まあ、周りにどんな人がいるかという環境に依存するのでしょう。娘たちはアメリカで生まれた日米二重国籍ですが、日本には夏休みくらいしか住んだことないですから、やっぱりアメリカ人のようなものですね。

上画像:大雪の後、ボストンコモンを近くの映画館に歩いていく妻と娘たちの写真に、AMC シアターの写真を入れ込みました。

長女は既に17歳で、大学はどうせアメリカの方がよいので、もう遅いですが。ちなみに娘には、「大学には行ってもいいけど、パパにとって大学と言うのは3つしかなくて、ハーバード、MIT、ブラウンだからね」と涼しい顔でいつも言っています。1年後どうなるか楽しみですね。
 

Bohemian

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: February 19, 2013

今週は月曜日が Presidents' Day といってジョージ・ワシントンの誕生日を記念する祝日で、子供たちの学校も1週間丸まる休みで大喜びです。私の勤めるブラウン大学は休みにならないのですが、有給休暇をとって月・火と休むことにしました。月曜日は家族で映画に行き、火曜日は近くの MIT でセミナーをします。映画館は歩いて5分くらい、MITのセミナーをするビルも歩いて25分くらいです。地下鉄に乗ったら2駅ですが、天候がよければ歩いたほうが気持ちよいです。

上画像:クリーンルームで鉱物混合試料を扱っているリア。5月に博士号を何とか取得しようと研究に追い込みをかけているところです。

写真にあるのは、ボスのカーリー・ピータースの大学院生であるリア(Leah)・チークで、新しい RELAB のクリーンルームで鉱物混合試料を扱っているところです。リアは、カーリーが手がけたM3(Moon Mineralogy Mapper)という月の鉱物マップをつくるための機器のデータと実験室で合成した斜長石やスピネルに基づいて、月面で見つかったスピネルを含む岩石の起源を考える研究をしています。何年か前に、初めてリアが来たときに、スターウォーズのレイア姫にとっても似ていて、それに名前も似ているので、そのことを話したら、レイア姫のことを知らなかったです。やっぱり世代が違うのかなあ、と思ってしまいました。

リアが数年前に来たときは、この子はかわいいけれどとっても軽そうで、本当に博士号なんて取れるんだろうか、と正直思っていましたが、見る見る実力をつけ始めて、あと3ヶ月で卒業しようとしています。やはり惑星探査の現場での実践を通した教育の力は大きいです。過去にはそれは NASA や ESA の特権でしたが、JAXA と日本もそういう時代になりました。とにかくリアは、追い込みの時なのに、RELAB が引っ越したばかりで、その目玉である双方向反射スペクトル測定装置がまだ使えず、FT-IR で急場をしのいでいますが、私も含め、ちょっと焦り気味かもしれません。

スターウォーズは、1976年に封切られたとき大ヒットして、全米で3ヶ月間も、ず~っと上映されていたものです。高校1年生だった私も、母の美容院のお客さんにもらった株主招待券を持って、岐阜の柳ヶ瀬にある映画館へと見に行きました。学校帰りに初めて観た時は、自分がルーク・スカイウォーカーのようなヒーローになった気分で、映画館から国鉄岐阜駅までの道のりを闊歩していた記憶があります。当時のアメリカは、独立200年祭の年で、国威は最高潮に達しつつあったと思います。冷戦の終結のための決め手となったロナルド・レーガン大統領とミハイル・ゴルバチョフ書記長が先に控えている時でした。レーガン大統領がレーザー兵器で核ミサイルを宇宙で打ち落とすSDI計画を出した時に、「スターウォーズ計画」とマスコミは呼び始めたことを思い出します。アポロ11号の月着陸と同様に、あの頃から、自分も宇宙や惑星には無意識に惹かれていたのかもしれません。

上画像:アメリカの大手のドラッグストアCVSに並んだバレンタインチョコレートの箱の数々。

おっと、また話題が大きくそれてきましたが、まあ読者の皆様はそろそろこれにも慣れてきているでしょうね。そういえば、先日はバレンタインデーでしたが、私が大学の帰りによく寄るドラッグストアまたはコンビニとも言えるCVSでは、贈り物用のチョコレートが並んでましたね。アメリカでは伝統的には男性が女性に花を贈るのが多いと思っていましたが、日本と同様にチョコレートを贈る女性も男性もいるのでしょうね。いずれにせよ、私には無関係の世界です:)クリスマス同様に、商人たちが物を売るためにそういう伝統を利用したり変更したりしている傾向は大きいと思いますね。ハロウィーンもキャンディー類をいっぱい棚に並べていましたが、うちの娘たちには、ハロウィーンは悪魔的な習慣なので参加させないです。

上画像:私の自宅からMITに行く途中にあるチャールズ川。表面は凍っています。

土曜日には月例のボストン日本人研究者交流会(http://www.boston-researchers.jp/wp/)があり、2つの発表を聞きに行って来ました。途中でチャールズ川を渡りましたが、表面は凍りついていて、まるで卒業研究で学んだ太陽系生成論での太陽系星雲が重力不安定を起こして微惑星を形成し始める時のような渦巻き模様などの不思議なパターンを見ることができました。

今日の講演はMITメディアラボの荒井さんによる異種感覚相互作用による知覚の変化の説明と、ハーバード公衆衛生大学院の今村さんによるケンブリッジ大学での定職を獲得した証と栄養学研究の信頼度の話でした。どちらも興味深いものでした。この会はちょうど私がボストンに引っ越した後の2000年7月から続いていて、私も昨秋、はやぶさ探査衛星の話しをしたことがあります。

今村さんの、ポスドクが多すぎるという統計、特に25年以上もポスドクをしている人口の多さに、私もそういえば来月で25年になるなあとしんみり思ってしまいました。たまに、自分は日本人としては固体惑星物質分光のトップクラスの研究者であると自負しているにも拘らず、なぜ30年も若いアメリカの大学院生達のために試料を測るというような時間と能力の無駄をしているのだろうか、と思うことがあります。日本から、島流しならぬ大陸流しにされているのだと感じることもあります。しかし、固体惑星探査の場面で日本からもアメリカからも必要とされる能力があり位置にいるならば、統計に埋もれているどこか一介の大学教授でいるより良いのかもしれません。しかし、給料が少ない上にドル安というのは問題です。そういう経済問題をどう克服してきたかは、またいつかご説明したいと思っています。
 

人類の起源を求める

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: February 12, 2013

上画像:最近ブラウン大学に戻ってきたラルフ・ミリケンとその大学院生のシュアイ。ラルフはキュリオシティー火星ローバーのチームメンバーです。

皆さんもご存知のように、今火星上でNASAのローバーであるキュリオシティーが探査をしていますが、先日はプロビデンス市のTVの12チャンネルが取材に来ていました。そのチームの一員であるラルフ・ミリケン博士が最近ブラウン大学のAssistant Professorとして来たので、インタビューに来たようです。このアシスタント・プロフェッサーというのは非常に日本語に訳しにくくて、教授および准教授にあたるProfessorとAssociate Professorのように任期がなくて授業をしていれば給料がくるTenureを持っている立場とは違い、5年間とかのTenure track というお試し期間に実績を上げれば Tenure が取れるという立場で、日本では助教というのがありますが、それは任期がないものもあるのと授業をしないので違います。

とにかくラルフは、しばらく前まではここブラウン惑星地質の大学院生で、私のボスのカーリーの元学生だったジョン(ジャック)・マスタードという教授の下で博士号をとり、一旦はノートルダム大学で職を得た後、こちらに戻って来たという感じです。昨年の夏、こちらに赴任した直後にご両親もうれしそうにラルフのオフィスを訪れてきていましたが、それを見て、本来私も日本で順当に教授職などに就いていたら、田舎の母もそのように喜んでいてくれただろうなあとふと思いました。母はもう80歳で歩けないですが、私がアメリカに来てからは、いつ戻って来れるのか、日本のどこかの大学で職はないのかと、ずっと心待ちにしていました。もう認知症が始まっているようで、帰省して会う度に親不孝者として心が痛みます。妹夫婦が二世帯住居として住んでいますが、妹も自閉症の子供を抱えているので、どこまで両親の面倒を看れるか判りません。

しかし、そのような直接的に家族や国を愛する心は大切ですが、外国にいて肩書きがないような立場で活動をしていても、いつかこの世かあの世で両親が、そして日本の国民が評価してくれるような業績と日本および世界に対する貢献をできるはずだと信じてやってきました。名誉教授とかは別として、大学とかでの肩書きは退職してしまえば終わりですが、科学者というのは生きている限りどんな形でも活動していける立場です。

上画像:佐々木晶さんのグループがパルスレーザーで再現に成功した宇宙風化した試料の一例(Yamada et al. (1999)より)。これはカンラン石の粉をプレスして作ったペレットで、暗くなっているところがレーザー照射をした部分。

小惑星のスペクトル分類( S 型とか C 型)を初めてやったクラーク・チャップマン博士はもうかなり高齢ですが、ある時LPSCで、「科学者にとって重要なのは長生きすることだ」と言っていました。確かに、チャップマンはずっと昔は小惑星に月と同じような宇宙風化があると信じていたようですが、1999年に私と天文台の佐々木晶さんがS型小惑星の宇宙風化をパルスレーザーで再現した実験の成果をコーネル大学でのACM(Asteroids, Comets, Meteors)という学会で発表した時に来て、「私は昔は宇宙風化を信じていたが、いろんな人たちと話して、ある特定の鉱物の組み合わせで S 型小惑星のスペクトルは再現できてしまうと思うようになった」と言いました。

上画像:1999年にコーネル大学で開かれた学会ACMのレセプションでの私。この時の私の発表にクラーク・チャップマンが来て、自分はもう小惑星には宇宙風化は必要ないと思うと言ったのでした。

その当時は、ガリレオ探査衛星が小惑星としては初めてのガスプラにフライバイし、宇宙風化によるものと考えられる表面の古さに相関した赤み・青みの分布を見つけた後でした。そのとき私は、何でそんな単純にあきらめるのか、あなたともあろう人が、と思いましたが、いずれ小惑星に宇宙風化が存在することが証明されるだろうと確信していました。そして、2006年のLPSCで、はやぶさ衛星の小惑星イトカワへのランデブーの結果の特別セッションで、我々が宇宙風化の存在を示したとき、チャップマンは、「Iron-clad proof」(確固たる証拠)と言いのけ、2011年のイトカワ試料解析結果の特別セッションでは全ての人にS型小惑星での宇宙風化の存在を証明して見せたのでした。長生きすれば、自分の間違いを訂正する機会も訪れるし、アポロ11号以前に月の宇宙風化を最初に提唱しても信じてもらえなかった有名なブルース・ハプケ先生のように日の目を見ることもあります。

上画像は、1991年10月29日、木星探査機「ガリレオ」が1,600㎞以内にまで最接近したS型小惑星951ガスプラです。撮像は最接近の10分ほど前、5,300㎞付近から行われたもので、左のカラー画像は、探査機に搭載された電荷結合素子カメラ(偽色画像)によるものです。小惑星の近接画像が取られたのはこれが初めてで、古い表面ほど赤化している事がわかり、宇宙風化によるものではないかと示唆されました。
 

ブラウン惑星プロビデンス調査団

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: February 05, 2013

上画像:プロビデンス市の中心にあるケネディープラザ。ロードアイランド州営バスのターミナルになっており、回りに市役所、州会議事堂、政府の建物、銀行、ホテルなどが立ち並んでいます

今日は前回の続きで、私の通勤の話です。ボストンからピーターパンバスでプロビデンスの下町に着くと、写真のように、ケネディープラザというバスターミナルに着きます。ここは、RIPTA(Rhode Island Public Transportation Authority)という州営バスとピーターパンとグレイハウンドのバスが発着するところで、ジョン・F・ケネディーが演説をしたところからその名がついたようです。

ここでは、アブラハム・リンカーンも選挙演説をしています。アメリカで初めて出来たショッピングモール(センター)や電話もあるという由緒ある土地で、ボストンに住み着いた清教徒達と仲たがいして南下したロジャー・ウィリアムズという人が、「私は神様によってこの地に導かれた」と確信して、プロビデンス(神の摂理)という名前をその植民地につけたものです。

上画像:芸術大学 RISD(Rhode Island School of Design、リスディーと読みます)。視の中心とブラウン大学の間にあり、どんどん広がっています。

この市の中心とブラウン大学との間には、RISD(Rhode Island School of Design)という芸術大学のようなものがあり、日本や韓国からの学生も多いことが見かけや話している言葉からわかります。いろんなビルをどんどん買収していて、きっと儲かっているのでしょう。でも、ルール無視で建物の前で喫煙をしている学生が多く、まるでがん細胞が広がっているように感じます。芸術家は麻薬をやっていた人たちも多いと聞き、そのような超感覚の世界でインスピレーションを得ようとしているのかもしれませんが。

上画像:坂の上に見えるブラウン大学の正門(Van Wickle Gates)で、始業式と卒業式の日にしか開かれません。

川を渡り、College Street という通りの坂を上がっていくと、RISD の建物がブラウン大学の建物に変わっていき、坂の一番上の突き当りに正門が見えてきます。この門は、始業式と卒業式にしか開かれず、それらの特別な日を象徴して、始業式には内側に向けて、卒業式には外側に向けて開かれます。普段は両脇の小さいゲートから出入りします。これを見るたびに、私は母校の東大の正門や赤門を思い出します。

上画像:リンカーンフィールドビル。建てられてから110年もたつ歴史的ビルで、その3階に私のオフィスがあります。授業も始まって学生達が多く歩いています。

正門をくぐって大学の中心の芝生を抜けると、私のオフィスがある Lincoln Field Building(LFB)が見えてきます。これは昔は工学部のビルで、110年くらいの歴史があり、エレベーターもありません。それでいつもコンピューターや他の重いものを運ぶのに苦労していて、今回の RELAB の引越しも、100リットル程度の液体窒素を使う実験器具が導入されたために、エレベーターをつけるよりは、RELAB を移動させたほうが安上がりで実験室の面積も拡大できるという結論からでした。ブラウン大学の教官6名を含む惑星地質グループが宿るところです。

上画像:私のオフィスの一角のファイルキャビネットの上。いろんなもらい物と、自分で作ったミニ白鶴折り紙なども置いています。

最後の写真は LFB の3階にある私のオフィスの一角のファイルキャビネットの上にあるいろんなもらい物です。JAXA から毎年送ってもらっている年賀状やカレンダー、NASA の探査ミッション群のバッジやシール、日本の王立博物館シリーズのおまけだったアポロ11号ミッションのミニモデル、JPL のピーター・トーマス博士からいただいた小惑星エロスの形状モデル(大きい方)とクレオパトラのモデル(小さい方)、そして1年間お世話した学生の二村君からいただいた SELENE(かぐや)衛星のモデルです。

本当は、はやぶさのプラモデルもいただいたのですが、まだ作っていないのです。一番奥に見えるのは、長女が誕生日にくれたカードとバッジで、胸につけてくれと言われたのですが、それはあまりに恥ずかしいので、オフィスに飾っとくからということで折り合いをつけたものです。アメリカでは昔から、オフィスに家族の写真などを置くのが普通です。

2月はこちらでも一番寒い季節ですが、来月3月にヒューストンで行われる Lunar and Planetary Science Conference(月惑星科学会議、LPSC)の発表準備を控えた静かながらも、そのための研究や5月に卒業する博士課程の学生達の追い込みが始まった時期です。1月の始めにはその発表要旨の提出締め切りがあって、クリスマスや冬休みもそっちのけで忙しくし、先日はそのプログラムの発表があり、3月17日の日曜日の夕方の参加登録から1週間の学会が始まります。

今回は私も口頭講演を取ることが出来ましたが、年々参加者が増えて、ポスターに回される事の方が多いです。今回は、JAXAのはやぶさ2や NASA の OSIRIS-Rex の目標天体である C 型小惑星の宇宙風化に関係した結果を含んでいるので、それも功を奏したのかもしれません。

私がそのような暗い小惑星の研究に着手したのは1992年ころに NASA ジョンソン宇宙センターで、炭素質コンドライトの研究者マイク・ゾーレンスキーからいくつかの試料の測定を依頼されたのがきっかけですが、そのような組成を持つ天体に試料回収に行くミッションが日本によってなされるなど予想もしていませんでした。来年12月のはやぶさ2の打ち上げが近づくにつれて、C 型小惑星やその組成に近いと考えられる炭素質コンドライトの研究の重要度が一層強調されていくと思います。
 

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