ブラウン惑星人の日々 December 2013
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いろいろご用心
とうとうまたクリスマスがやってきました。クリスマスというのは、サンタクロースが贈り物を届けたりするというのはまったく商業的に利用される文化的要素になってしまっていて、その本当の意義は言うまでもなく、イエス・キリストの生誕です。イスラエルの無しの神様がアブラハムから2000年も選民を準備して送った救世主(メシア)でありながら、そうとは知らぬ者達に十字架にかけられてしまい、その後にできたキリスト教によって12月25日がイエス生誕の日として記念されているわけです。
しかし、その日付についてはいろいろ異説があるようで、羊飼いが屋外に出ていたので、真冬ではなかったとか、暦の解釈の違いであるとかです。あと、毎年、馬屋で飼葉桶の中で生まれた経緯を美化しているのも気になります。聖母マリアは夫ヨセフとともにヨセフの故郷に人口調査の為の登録に行くのですが、臨月の妻を泊めてくれる宿も見つけられなかったのです。つまり、ヨセフとマリアを暖かく迎える人は誰もいなかったのではないかと憶測してしまいます。マリアは夫のヨセフ以外を父に持つ子供を生むのですから、ヨセフは自分の子だと認めたとはいえ、世間の噂は消せなかったのではないかと思われます。
いずれにせよ、悲惨な状況で生まれ、当方の3博士から王が生まれたという知らせを聞いたヘロデ王が幼子を皆殺しにし始めたので、エジプトに逃げるしかなかった、イエスキリストとその両親の境遇は悲惨なものだったに違いありません。そして、子供時代のイエスも幸福ではなく、「狐には巣があるのに、人の子には枕する場所もない」という言葉も残しています。世間でも家庭でも安らぐことのできなかった人生であったに違いありません。更に、選民たちに信じてもらえずに死刑囚として十字架にかかったイエスの事情をわからずに、その十字架と復活によって我々は救われた、そのためにイエスはこられた、と単純に信じるキリスト教徒たちには、私は一抹の疑問を感じずに入られません。十字架につけるだけなら、2000年以上も待たずに、原始人達に送ればすぐに殺してくれたのでは???
上画像:ボストンコモンのフロッグポンドに作られたスケートリンクの周りのイルミネーション
まあそういう神学論議はこのくらいにして、我が家の近くのボストンコモンの夜景をご紹介しましょう。まず、フロッグポンドという浅い池があり、そこは夏には子供達が泳げるところなのですが、冬には氷を張ってスケートリンクになります。以前にもご紹介しましたよね。最初の写真にあるように、その周りの木々にいろんな色の明かりをともして道行く人たちを魅了しています。
上画像:ボストンコモンの一角に立てられたクリスマスツリー
そして、パークストリート駅と旅行者案内所の間くらいには、2つ目の写真にあるように、大きなクリスマスツリーが立てられています。その向こうにはマクドナルドがあるのがわかるかと思いますが、週末には観光客とかで繁盛していて、最近は以前は閉鎖していた2階席も開放したように思います。アメリカの街中では道を歩けばマックとスタバに当たるという感じですが、日本も似てきているのでは?
上画像:ボストンコモンからマサチューセッツ州会議事堂を眺めたところ
3つ目の写真は、マサチューセッツ州会議事堂を眺めたところで、ここにもクリスマスツリーが立ててありますね。この光景は非常に皮肉的で、クリスマスツリーはイエスキリストという神の子の生誕を記念するクリスマスにちなんだもののはずですが、この議事堂内では、アメリカを混乱に貶めた同性結婚を全米で初めて合法化してしまったり、ジェンダーフリーの教育へと子供達を洗脳したり、マリファナの規制を緩めたり、賭博場(カシノ)の建設を認めたりといった悪魔的な活動が行われてきたのです。
そういった傾向に反対する心ある団体もあり、Massachusetts Family Institute (MFI) (http://www.mafamily.org/) も私が応援したい1つですが、何しろ、Black Luciferが大統領でDevilが知事ではどうにもならない気がします。これらハーバードの狂った法学部出身者達がアメリカを狂わせているのです。東大出身者達が日本を狂わせてきたのと同様です。それで、来年大学進学の私の長女にはぜひそのような一流大学に行って、そこを清めてほしいと思っています。
上画像:極地研の隕石分光サーベイで見つかった異常な3ミクロン吸収帯をもつ隕石試料
最後に、あと2週間ほどでLPSCのアブストラクトの提出期限なのですが、今そこに含めようかと考えているデータのプロットを1つ後紹介します。最後の図は、私が2010年から行っている極地研究所の隕石の可視・近赤外分光サーベイで最近見つかった、3ミクロン吸収帯が以上に3つのこぶを持つ炭素質コンドライト試料の写真とスペクトルデータで、これが地球風化によるものでなければ、はやぶさ2を含む、小さな始原的小惑星の探査において重要なデータとなります。これの解析や原因の究明ができていないので、含めるべきかどうか迷いますが、とにかく最初に見つけたという証拠の為にもやっぱり入れるべきでしょうね。
私を毛嫌いするかのように拒絶し続ける東大および日本の他の大学の有力者達がいるようですが、私がはやぶさ2やそれに関連する研究に貢献しているがゆえに排斥できないでいるだけなのでしょう。クリスマスといえば、7年前の2006年の秋に内定していたK大学の助教授職をクリスマス直前にいきなり切られたことが忘れられません。次年度の授業などの打ち合わせまでしていた段階でです。石垣島での惑星科学会でも、そこから来ている研究者にそれを話しましたが、末端の人たちはその黒幕を知らないようですね。私は、人の罪を許してもそれを忘れることはできません。再びそのような不正が起こらない為にも、いつも語り続けます。命ある限り。
石垣島惑星科学会
ここボストンでは、1週間前とはうって変わって極寒と雪の日々です。昨日雪がだいぶ降りましたが、その前は20°Fくらいの寒さで、明日の朝も20°F、そして、あさっての朝は8°Fという予報です。これは、32°Fが0°Cに対応し、1.8°Fの間隔が1°Cの間隔になりますから、8°Fというのは、-13°Cくらいに相当します。寒いのも困りますが、雪や雨が降った後で路面が凍りついて滑りやすくなるのがとっても怖いです。特に、ボストンの下町のビルの間を吹き抜ける風で体感気温が0°Fくらいになり、そこを滑りそうになりながらゆっくり歩いていくときは、もう死ぬのではないかと思ってしまいます。雪がいったん降ると暖かくなりますが。
こんな寒い中で思い出すのは、石垣島での惑星科学会とその後の那覇への訪問で、とても暑かったところから、寒い水沢やボストンに来たので、その対照が強烈でした。あの時は盛りだくさんで写真も少なかったので、今回補足したく思います。
上画像:石垣島天文台の光学望遠鏡
最初の写真は、石垣島天文台に観望会に行った時の私の写真で、あいにく曇っていて天体観測はできませんでしたが、その光学望遠鏡の過去の観測映像を見ながら、特に南十字星が地平線よりも6度くらい上に見えるという、日本でも特別な場所であることを知りました。北極星と南十字星の両方が見えるのです。小さい天文台ですが、やはりその場所に意義があり、電波望遠鏡の方は、以前紹介したVLBIのネットワークでも、水沢と同じく一大拠点になっています。いずれにせよ、望遠鏡のドームに来ると、昔、テキサスのマクドナルド天文台へBeth Clarkを訪ねて夫婦で行ったときのことを思い出します。まだ子供もなくて、Bethが小惑星の反射スペクトルを測定するときに、ドームの内側の白いところをまずは標準として測っていたりしたのに驚きました。もちろん後でちゃんと標準星は測定したのでしょうが。その時に、Photometric nightってどういうことかとわかった気がしました。つまり、雲がない夜って言う意味のような。
上画像:惑星科学会の懇親会で踊る会員たち
あと、2日目の夜行われた懇親会での光景を2つ目の写真でご紹介します。地元の踊りの披露のあと、酒も入った惑星科学会の会員たちも舞台に出て行って踊っていますね。近くで晶さんと柳沢さんが鑑賞しているのが写っていますね。この時は、食べ物が少なくて、酒を飲まない私にとっては物足りなかったですね。千葉工大の荒井さんは、自分が食べに行く前に食事がなくなっていまい、私の4500円はどこに行ったの、と残念がっていました。確かに、ちょっとこの人数であれっきりの食事はおかしいですね。アルコールにお金をかけすぎたのでは?あと、部屋のすぐ近くの廊下に喫煙所があったり、石垣市はちょっと公衆衛生を尊重してホテルを取り締まってくれないと。これでは完全に健康増進法違反ですね。
上画像:石垣空港の入り口
最後、石垣島から那覇へ飛ぶ時に、3つ目の写真のように空港の入り口を写して見ました。小さい空港で、朝の最初の便の出発の30分前くらいからしか窓口が開かなかったりする、のどかなところでしたが、この入り口の雰囲気はとてもよいなあと思いました。ロビーでは無料のWiFiも使えましたし。周りを見ても、学会員らしい人たちは見えなくて、どうやら、土曜日の朝に那覇に移動するのは私だけかなあと思っていたら、那覇空港に着いてトイレから出たら、はやぶさで一緒だった道上君と出くわしました。福島高専に就職した後で、震災があり、それで近畿地方に異動したのですね。研究者としてがんばっていて立派だと思いました。
上画像:那覇の首里城の石垣
那覇では3つの講演を行い、いろんなことがありましたが、ここに書ききれないのと、あまり読者の興味を引くとは思えないので、見学してきた首里城の石垣の写真を1つ御紹介します。角がとがっているのが、やはり支那的だなあと思いました。あんなふうになっていたら、縄をかけてよじ登りやすいので、攻撃されやすくないのかなあと思いました。石垣の石の組み合わせ方は機械的で、やっぱり大阪城にはかなわないなあと思います。復元がどれだけ忠実かわかりませんが。中は、城というよりも宮殿という感じでした。
上画像:LAからボストンに飛ぶ飛行機から見た光景
次の写真は、アメリカに帰ってきてから、LAで乗り換えてボストンに向かう飛行機から日暮れの中北米部の山々の中に見えた、何か丸い構造物の写真です。何かの貯蔵地なのか、鉱物採取場なのかわかりませんが。こうしてクロスカントリーで4-5時間かけて飛ぶと、アメリカが如何に大きな国であるかを実感させられます。日本だったら横断するのにそんなに時間かかりませんから。でも、今は海の時代なので、領海も含めれば日本は世界で指折りの海洋および海底資源の豊かな国と言えますね。
上画像:年中変わらない私の昼食
最後は、何の脈略もないようですが、私の昼食の写真です。ご紹介してなかったかもしれませんが、私のお弁当は1年中同じで、全粒パンに野菜と卵焼きをはさんだサンドイッチとコーヒーです。今は居室と実験室が別の建物になってしまったので、測定の合間に30分間とか昼食を摂りに帰ってくるのみとなりました。特に冬の間は億劫になり、午後3時や4時まで食事をできないこともあります。今年は今週いっぱいで終わりで、LPSCのアブストラクトの締め切りのための試料の測定を終えれば、後は自分のを書き始めます。おそらく、はやぶさ2にも関連した、炭素質コンドライト隕石の分光サーベイについてになると思います。
来年も LPSC
あっという間に既に12月に入り、日米ともに冬になったのではないでしょうか?もちろん、まだまだボストンの本当の厳冬には程遠い暖かさ(といっても0℃より上という意味)ですが。日本はこの冬は寒いという予報だったと思いますが、こちらはどうなることやら。ボストン下町のビルの谷間を歩いて通う私としては、そこで真冬に吹く殺人的隙間風が怖いですね。
つい先日は私がアメリカに帰る前日に感謝祭があり、全米が四日半ほど休みになりましたが、今度はクリスマスと新年の休みで、ブラウン大学も12月24日から1月1日まで冬季閉業します。12月23日は月曜日なので、その日も休めば12日の連休になりますが、1月7日のLPSCのアブストラクトの締め切りがあるので、私のところにはいろんな試料が殺到しており、休めるかどうか。
その一方で、既に次回および次々回の帰国の航空券を買ってしまいました。何故かというと、便利な便の安い航空券はどんどんなくなっていきますし、来年の夏は家族が帰省したいということで、マイルを使っていち早く航空券をとる必要があったからです。次回は5月10-25日、次々回は7月13-31日になりました。それぞれの細かい日程は決まっていませんが、5月の帰国の2週目である17-24日には、以前から話が出ていて考えていた広島とかの中国地方での講演を引き受けてみたいと思っています。近畿・東海・神奈川での話もありますが、どれもまだ決まっていません。
今から1年後には、ついに、はやぶさ2の打ち上げになります。この計画が成功すれば、はやぶさに続いて日本が再びC型小惑星試料を世界で初めて回収することになり、惑星科学の最先端を切り開き、イトカワ試料とともに1999JU3からの試料は、世界中の研究者がその研究材料として欲し、今年の10月に宇宙研で開かれたように、その研究成果を世界中から持ち寄った国際会議が持たれていくことになるでしょう。はやぶさシリーズを継続して、日本がその独自の貢献をしていく道が今開かれています。
私の給料を50%だけですが支えるSSERVIというNASA科研費も通り、LPSCにも行かせてもらえるようになり、私も他人の試料を測っているだけでなく、自分のアブストラクトを書かないといけないです。おそらく冬休みに集中して書くことになるでしょう。私のLPSCアブストラクトを書く過程は、まさに、「締め切りがあるから科学が進歩する」のよい例になってしまっています。
皆さん、見習わないようにお願いします:)
無事に再々々々...渡米
やっとアメリカに帰ってきました。LAで乗り換え中で、アメリカン航空のラウンジで一休みです。今回の帰国は18日間という長きに渡り、9回の講演会と、2つの学会での発表と、実験および研究会を含みました。
前回までの2回で第1週および第2週のご報告はしましたが、仙台のホテルに泊まった日は非常に印象深かったです。楽天イーグルスが日本シリーズで優勝したということで、私が来た前日はホテルは超満員で、道には何時間も前から泊まり込みで優勝パレードを待つ人達がいたようです。そして、やはり日本または仙台のすごいのは、パレードの後でごみが一切道に落ちていなかったことです。ちょっと前のボストンでのRed Soxのパレードの後の写真をここでもご紹介しましたが、清掃車が来ないといけない程の汚なさでした。東日本大震災とフィリピンの台風との対照のように、今回も日本人のすばらしさを垣間見た気がしました。
翌日は割と寒い朝で、10時に智樹君が車で迎えに来る予定だったので、その前に海外送金できるように9時前に近くの郵貯銀行に行きました。すると、開店前から局員が前の歩道の所を掃除しているではありませんか。さらに、店が開くと、受付局員が全てカウンターの向こう側に立ち、深々と礼をしてお客に挨拶するのです。こんな郵便局は初めてです。日本ならではで、写真を撮っておけばよかったです。
と、気持ちよく始まったものの、当日入るはずの科研費の旅費が入っていない。それでとにかく、10時前までぎりぎり何とか粘るつもりで、海外送金用の申込用紙だけを記入し、その時点でATMに再び戻って記帳すると、何と極地研からは旅費がちゃんと入っていました(宇宙研からは後日)。というわけで、やったーと思い、無事手続きをして$2000をアメリカの自分の銀行口座に送金しておきました。本当はもっとあるのですが、ある程度は母の老健の毎月の支払いのために残しておかねばなりません。
今回、行くのが遅かったので、母は施設で既に眠りかけており、ほんのしばらくの間しか話しをできませんでした。話すといっても、「あかん、あかん」と同じことを繰り返しながら何かを伝えようとするだけなので、「無理にしゃべらわなくてもいいよ」と言ったら、こちらを見つめながら静かになったので、「こちらは皆元気だから、心配せずに、5月にまた来るまで元気で」と言って帰って来るしかありませんでした。暗い道を一人で自転車に乗りながら、長男なのに申し訳ないなあと悲しかったです。7月に家族を連れてくるまで、元気でいてくれるとよいけれど。。。
仙台の話に戻ると、郵便局を出るとその角にセブンイレブンがあり、ひょっとしたらと思ってはいると、レジの横にありました、あの有名なコーヒーマシンが。レジでたずねてレギュラーのホットのために100円払い、コップをもらって入れようとしたら、何か音がしていて使えない。そうしたら店員さんが来て、30杯作ったら自動的に中の手入れをするようになっていますとのこと。なるほど、そうして豆やフィルターなどの状態を常に新鮮にして味を保っているのかも。定員さんに、私はボストンから来ていますが、セブンイレブンのコーヒーがおいしいとネットでも好評で、それを飲むのを楽しみにしてきました、とコメントしました。飲んでみて、やっぱりコクがあっておいしかったです。
その後、無事ホテルをチェックアウトすると、ロビーに智樹君が既に来ていて、車で東北大の中村研究室に行きました。まずはM2で卒業間近の三須君の普通コンドライト宇宙風化の研究の最新の報告を聞き、松岡さんも同席で、今後の話をしました。石井さんと言う新しい秘書の方がみえて、今後は実験もやってもらうとか。沖縄でもらった紫芋のタルトを皆で食べました。甘さが繊細で非常においしいです。その後昼食に行き、午後二時間ができたので、生協で定規と本を買いました。やっぱり日本語の本は早く理解できるので便利ですね。ベイズ法とヒッグス粒子の本を衝動買いしてしまいました。
2時半過ぎに佐々木晶さんと、石垣でも宿が同じだった学生さんの岡崎由紀さんが来て、皆で新しく入ったドイツのBrukerのFT-IR装置を見に行きました。やはり高い機械だけあって優れもので、特に試料周りの双方向拡散反射装置は、自動で鏡の角度を変えられるので、測光測定には完璧ですよね、と晶さんとマニアックな話題に花が咲きました。あとは、試料と2つの標準板を載せた台を作って、外から自動で動かせるようにすることと、Beam splitterを自動で変えれれば分光機能としても完璧でしょう。紫外域はちょっと無理そうですが、可視までは大丈夫そうです。今度帰ってくるまでに動いているとよいですが。
上画像:晶さんと岡崎さんがゴーグルをして宇宙風化模擬のためのパルスレーザーを打とうとしているところ。
夕方は、私と三須君、晶さん、岡崎さん、そして学生の日比谷さんが新幹線と在来線で水沢の天文台に行き、2日目の夕方に智樹君が車で来て合流すると言う形になりました。今回は分光器は完璧と言えるほど調子よく働き、私が極地研で借りてきた炭素質隕石チップ10個の16点の反射スペクトルと、RELABから持ってきた3つの灰色標準試料(10%、20%、40%の平たいスペクトルを持つもの)の測定ができ、その間に、日比谷さん、三須君、岡崎さんの試料を測定し、晶さんと宇宙風化実験(写真)を行った岡崎さんは、残りの試料を私が去った後一人で測って終了と言うことになります。
こうして2人の大学教授の所にいろんな学生が集まったわけですが、博士課程で分光をやっていこうと決めているのは1人だけで、将来私の後を継ぎかつ更に発展していくことのできる人材はまだいないのでは、と感じています。惑星科学会でも目立った若者たちに声をかけましたが、やはり手応えが今一でした。
水沢は金曜日の朝経ったのですが、やはり平日の通勤時間のために、水沢から一関は込んでて座れませんでしたし、一関で1つ前の新幹線に乗れる時間だったのですが、満席で無理で、やはり予約しておいたのに乗りましたが、やはり相当混んでいました。私の隣に座っていたスーツ姿の男性は、肘掛を思い切り占領して、私の腕の圧力を感じているはずなのに、1ミリとも配慮して退く気配はありません。これでは東京に着くまでに私の左腕は疲れてしまいます。ボストンまでの長旅にそれはよくありません。
それで私は、半沢直樹流に「やられたらやり返す」ぞと思い、東京駅までの2時間20分ほどの半分の1時間10分待って、「済みませんが、肘をもっと引いてもらえますか?」と頼んで、私が肘掛に腕を乗せました。そうしたらその男性は、「自分で全部使うつもりか?」と切れそうな声で言うので、私は、「一関から東京までの前半の時間、あなたずっと占領していたでしょう?後半は私が使わせてもらいます。」というと、男は何か言っていましたが、それ以上口答えできないようで、私は引き続きアイマスクとウォークマンで今度は左腕に何のストレスも感じずに休めました。悪い奴等にはそれで他人が以下に迷惑をこうむっているかを思い知らせないといけないです。
何はともあれ、無事に長期の出張から帰って来れて感謝です。