ブラウン惑星人の日々 July 2014
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帰国日程大詰め
地獄の暑さの数日があった先週も終わり、阪大への出張を終えて、今日は立川の極地研に戻ります。次回のための隕石試料を見せてもらって、配分請求を出すためです。体温をも超えるような極暑の数日が過ぎ、週末はやや過ごしやすく、いろんなところへ行って人と会ったり講演をしてきました。もう日本にはあと3日くらいですが、先週の回想を書いてみます。
上画像:友人たちに案内されて彦根城を見学
最初の写真は各務原市への帰省と犬山での「星に魅せられる会」から帰る途中に寄った彦根城観光の写真です。右側の写真のこの兜を被った猫みたいなのはこの城のマスコットキャラのようです。中学生くらいのころ、友人と一緒に当時の国鉄の鈍行列車でここに来たことを覚えています。こんなに大きい城だったのかと今驚いています。琵琶湖を見下ろせる城で、裏には庭園を持つ邸宅があり、琵琶湖畔には近畿大学(?)のキャンパスが見えます。左側の背後に見える鐘は、金が混ぜてあるとかで、その音が特徴的で有名で、今回ちょうど12時の鐘の音が聞こえました。確かに不思議な懐かしいような音がしました。
前回も書きましたように、佐々木晶さんの双方向紫外・可視・近赤外反射分光計が5月に天文台水沢から阪大豊中キャンパスに移り、反射率も波長測定値も特に変化なく、InGaAs-1 の感度が落ちてしまいましたが、InGaAs-2 の測定波長を短波長側に伸ばすことで以前と同様なデータが取得でき、極地研から今回借用した 10 個の全ての隕石の測定が第二週に完了しました。今回は分光器移転によるハプニングを予想して二週間弱という長めの日程を確保しておいて本当に良かったと思っています。
上画像:自作スマートヘリコプターを見せてくれる佐伯君
そのように機械と格闘している合間に、同じく宇宙地球の准教授で東大鉱物の後輩の佐伯君らとお昼に行ったりしました。部屋にはきっと趣味と実用をかねたヘリコプターがあり、MEF のブログに載せたいといったら、写真のようにうれしそうに披露してくれました。四つのプロペラを独立に制御してあらゆる方向に推進可能なようで、なかなかの優れものだと思いました。佐伯君にはセミナーも組んでもらい、5月にライトカーブ研究会で話した内容と同じ、炭素質コンドライトの分光サーベイと惑星探査への応用の話をしました。分光で共同している数人と、寺田さんや基礎工学の学生さんなどの少人数でしたが、その分いろんな議論ができてよかったです。
更に、連休明けの22日の夕方は、この MEF 会員の中根さんの呼びかけのおかげで、谷口さんと大島さんが来てくださり、大阪梅田の阪急3番街グルメ博物館という、南館地下二階のレストラン街で蕎麦屋とイタリアンレストランで歓談をしました。大島さんは東京への実験の出張で新幹線に乗る前によって下さり、若い学生のエネルギーをもらった気がして良かったです。谷口さんもお仕事が忙しい中途中で来てくださり、皆はビールで私だけコーヒーとケーキのセットで楽しく話しました。ここはあらゆるレストランがあり、完全禁煙の店もあってよいのですが、真ん中辺りにある Cafe Milano という店が 100 席くらいの半分が喫煙席で、分煙もしていず、ドアが表も裏も開けっ放しで、ちょっとはなれたところでもタバコの煙が漏れてきていました。店の店員に二度苦情を言い、レストラン街のインフォメーションおよび管理係に電話をして苦情を申しておきました。
上画像:伊丹空港へ行く途中に見えた懐かしい太陽の塔
今日は妻の実家の総持寺駅から伊丹空港へ行く途中、モノレールの万博公園駅近くで窓から、あの懐かしい太陽の塔が見えて、思わず写真を撮りました。小さいのを拡大したものなのでちょっと画質が悪いですが。100 円高いけれどもモノレールを南茨木駅から利用した小さな報酬でした。思えば1970年の夏、まだ九歳だった私は、家族で父が運転する車ではるばる各務原市からここまで来て、暑さと人の波にもまれながらも日本や世界のパビリオンを見て回り、スタンプをいっぱい集めた記憶があります。そのとき、1969年7月に初めて月に着陸した人類が収集した石を NASA がアメリカ館で展示していました。アメリカ館は白いシートを空圧で支えたようなドームで、長蛇の列ができていたので気後れして見に行きませんでした。まったく天文少年・月探査少年としては失格の少年時代で、将来、そのアポロ試料を分析したり、月や小惑星の探査にかかわるなど夢にも思っていませんでした。
と書いているうちに、先ほど羽田空港に着いて京急に乗りましたが、途中のエスカレーターの下に喫茶店があり、二週間近く前にここを発つときにインフォメーションのところで苦情を言っておきました。分煙もされていないし不可能な空港内の店で喫煙を許すなど、毒ガスによるテロ行為です。大阪の阪急の駅にもホームに喫煙室があったりするし、日本は受動喫煙がテロ行為の被害であり、屋内での分煙は不可能である事実を素直に認識し、利用者、そしてもっと重要なのは従業員たちから喫煙の悪癖を一掃する努力をすべきでしょう。先進国で男性では 40% の喫煙率という、アメリカの二倍以上の恥ずかしい国情らしいです。
さて、今日からは極地研と宇宙研で最後の仕事です。明日のはや2の水質変成・宇宙風化会議の後は 3:30 から相模原市立博物館で「Hayabusa 2 Back to the Universe」を見に行きます。今日、ローソンで受け取る「永遠の零」の DVD と共に、とっても楽しみです。
全国行脚中!
皆様、とうとう梅雨が明けましたね。やっと帰国して1週間が過ぎ、時差ぼけもほぼ直りましたが、いろいろ忙しく、毎日眠いです。成田に着いた翌日、極地研で隕石を受け取り、はやぶさ2科学会議にずっと Web meeting で参加し、大阪に移動しました。ところが何と、私が阪大の佐々木晶さんの双方向反射分光器を使い始めた途端にいろんな問題が生じました。まず、InGaAs 検出器の一つが波長 1.4 ミクロンあたりから信号が極度に低下し、回折格子をまわすごとに雑音がしました。いろいろ調べた結果、どうやらその検出器のチップかその容器内部に問題があるらしく、二つ目の InGaAs の波長範囲を短波長側にずらして使おうということになりました。しかし、ソフトで波長切り替え点を短波長にしても何も変化がありませんでした。
上画像:Labsphere 社の波長校正用試料の反射スペクトルを、分光器の移動前後で比較したもの
この分光器は5月に水沢の天文台から阪大の豊中キャンパスに移動されたのですが、Labsphere の波長校正用試料の吸収帯をその前後で測定して波長ずれなどを調べました。そうすると、図のように、吸収波長の位置も反射率もよく合っていることがわかりました。一方、上記の問題は、連休明けに分光計器の柴田さんと話したら、ソフトを立ち上げなおしたらということで解決しました。ということで、今日から本測定に入ることができました。検出器の根本的修理はできていませんが、今のところこれで乗り切るしかありません。
上画像:回転寿司で撮影した妻と娘たち、そして甥っ子たちの四年前と今回の写真の比較
連休中は私の実家がある各務原市に家族全員で帰省したのですが、いつもの定番とも言える回転寿司での食事会をしました。二つ目の写真は、4年前に帰省したときと今回とを比べたもので、妻は変わりありませんが、娘たちや甥っ子たちの顔はやはり変わっていますね。長女は一番変わっていないほうですが。今回は、姉と妹、そして父とで、施設に入っている母のこと、経済のこと、相続のことなどを話し合いました。重いトピックです。。。
一泊した翌日は、母にもう一度面会し、犬山に移動しました。以前の講演会で知り合った山田さんや日高さんの計らいで、「感謝!上前津会」という一風変わった(?)集団の企画する「星に魅せられる会」にゲストスピーカーとして招待されました。あいにく雲が多く、星はほとんど見えませんでしたが、はやぶさのビデオを見たり、いろんな質問に答えたりしながら、宇宙と地球、そして人類のことを語りました。家族が皆一緒に参加するというのはとっても不思議で異なる体験です。女性の会員の方々が私と一緒に写真をとらせてもらいに来られて、妻が見ている中で、ちょっと緊張してしまいました。。。
上画像:星に魅せられる会の参加者たち
全員を二階から撮影したものが次の写真で、2階はまた掘りごたつのように座れるスペースで、とても落ち着いて離れづらくなり、ついつい時間切れになるまで皆と話し込んでしまいました。この会を企画された日高さん(私から右に三人目)は高島屋に勤めながらもボランティアなどいろんな活動をし、数え切れないほどの会に所属し、人脈のある方で、ついつい、「いつ政界に出られるのですか」と尋ねてしまいました:)会社のサラリーマン、茶道の段位を持たれる若者、お墓を売る人、プロの写真家、アマのカメラウーマン、血液を採取して DNA 鑑定をしてくれる人、国際的企業家、宇宙教育の活動家、小型ロケット・衛星を推進する人、などなど、このような片田舎の木曽川河畔の一見変哲もない小屋に集まった秘密結社の一員になったような気分でした~。
その翌日は皆で大阪に帰る途中で下車し、彦根城を見学し、その近くで小さな講演会をし、家族は摂津富田で下車しましたが、私は大阪まで行って、梅田の地下のレストラン街で、松山から出てきたFB友である大学生と夕食をして話しました。私のような貧乏科学者でも尊敬して会いに来てくれる若者がいるのは光栄なことです。彼らの期待に答えたいし、刺激を受けて明るい未来を作る者たちになりたいと思いました。
今日からはまた阪大で毎日測定やセミナーです。
帰国!
上画像:ボストンコモンのフロッグ・ポンド(蛙池?)で暑い日中に楽しむ人々
どうやら日本はまだ梅雨が明けていないような天候のようですが、とうとう明日は帰国に旅立ちます。今日は土曜日で休みなので、電話通訳の依頼がたまにかかって来る以外は、全ての洗濯をし、食材を消費し、荷造りをし、夜になってこれを書いています。今週も蒸し暑い日はあったものの、昼間の暑さは晩になると涼しさに変わるまあまあの気候でした。最初の写真は、ボストンコモンの浅い人工池である Frog Pond で遊ぶ人たちです。夏はプールになり、冬はスケートリンクになるところです。
今週は出張前の最後の仕上げの試料測定や、足りないサプライを注文したり、帰国中の最終旅程確認もしていました。家族が使ったクレジットカードの記録を追うのも割りと面倒です。日本で使うと Pending の期間が長くて、円-ドルレートによって、Posted の最終と金額が変わるのが普通ですし。海外使用超過料金がかからないカードを持たせていますが、何と発行会社の Capital One がけちなのか、限度額が $1000 しかないので非常に不便をしています。
上画像:プロビデンスの下町のKennedy Plazaで見かけた若い旅行者たち
私が通勤に使っている Peter Pan バスはボストンとプロビデンスの下町をつなぐだけでなく、各々の空港まで伸びているので、いろんな旅行者がシーズンになると利用します。次の写真はプロビデンスの下町の Kennedy Plaza というバスターミナルでの光景ですが、私と同じバスでボストン方面に行く若者たちが大きな荷物を携えて待っています。夏というのは長い休みがあり、休暇をとったり、仕事をしたり、家族が合流したりと、いろんな人が移動する時期です。私は今回は家族が日本に帰省していますが、これは4年ぶりで、普通は出張以外は静かに自宅で通常の通勤をしながら過ごします。今年も、8月はずっと居るので、何年も書いていない月隕石論文を仕上げたりしないといけないのですが、どうなることやら。
そういえば、昨日小惑星仲間の Tom Burbine からメールがあり、現在 RELAB を取り仕切るRalph Millikenにちなんで小惑星の命名があり、フルネームで 9003 番 Ralphmilliken だということです。
http://www.minorplanetcenter.net/iau/ECS/MPCArchive/2014/MPC_20140712.pdf
の315ページに、(9003) Ralphmilliken = 1981 UW21 とありますね。私の小惑星は4887番 Takihiroi ですが、こうしてフルネームでもらえるとかなり特定の個人に絞られてうれしいですね。
さてさて、18日間の今回の帰国はどのようになるか楽しみですね。少なくとも台風には遭遇しなかったので、幸先はよいようです。
上画像:ボストンのローガン空港Eターミナルの外にある喫煙所
と、昨日の土曜日に書いた後、出発する日曜日にある発見をしたので続きを書きます。いつものローガン空港のEターミナルに行くと、何と、建物の外側も喫煙所を除いて禁煙になりました!写真はSmoking Shelterと呼ばれる喫煙所です。私も一度か二度苦情を言ったことはありましたが、他にも訴えた人たちが居たのでしょう。ボストンコモンが今年から禁煙になったように、人生には良いこともあるものです。大げさと思われる人も居るでしょうが、ここでバスを待ちながら、何度受動喫煙の害にあって寿命を縮めたか知れません。
上画像:日本航空のチェックイン窓口の風景
さらに、日本航空の搭乗手続き窓口の前には、次の写真のように日本語・英語・中国語・ハングルの順に標識がありました。日本語はちゃんと搭乗手続きと書いてありますが、中国語では机に乗ると書くのですね。何とハングルはCheck Inの音をそのまま書いているだけではないですか!これって、朝鮮・韓国には飛行機に搭乗手続きをするという言葉がないのだろうかと思ってしまいます。今回も5月と同じゲートE8Aですが、やはり若い日本人客が多いですね。日本で皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
会議、講演会と家族サービス
上画像:ボストンのローガン空港の E ターミナルの様子
皆様とうとう7月になりました。7月1日に家族を日本に送り出してしまったので、2週間は一人暮らしです。最初の写真は家族を空港に連れて行ったときのチェックインカウンターの風景ですが、このボストンのローガン空港の E ターミナルは、国際線専用なのでいつもすいていて良いです。奥のほうに見える人だかりは、主に日本航空直行便で成田に行く乗客たちです。八月になると飛行機が取りにくくなるので、かなり以前に家族三人の JAL 直行便のチケットは取っておきました。私は来週の日曜日に同じ便で追いかけますが、何んと $1800 以上もかかりました。帰りは一緒の飛行機に乗れるように手配しました。
こちらボストンを含むニューイングランド地方ではなんと7月4日の独立記念日にハリケーン Arthur が来てしまうという異例のことになりました。それで、ボストンでは花火と祝賀を1日早めて7月3日に行いました。いつもは家族でボストンコモンの芝生に座って花火を見るのが恒例行事なのですが、今年は私一人でしたし、行くのが遅れて、最後のちょっとだけ行って携帯電話のカメラでビデオ取りしました。貧弱な品質ですが、雰囲気はわかるかと思います。
上画像:祝日連休でがら空きになったアパートの前の道路
翌日の7月4日(金曜日)はもちろんブラウン大学も休みで、3連休になった週末でしたが、こういう国民の大きな祝日の良いのは、ボストンのような都会はがらすきになって、次の写真にあるように、路上にも車がほとんど見られなくなることです。いつもマナーが悪い運転手たちに悩まされている私としてはもっともっとこういう週末があってほしいと思うものです。花火のときも、今年からボストンコモンは禁煙になったので、遠くからタバコの煙が臭ってきたものの、喫煙者自体は目撃はされませんでした。かなり追求したのですが。。。:)
あと、やはり一人だと週末は時間があるので、電話通訳のアルバイトをずっと ON にしておいたら、レンタカーで事故ったとか、病気や怪我で病院に来ているとか、ディズニーリゾートでシャトルのことがわからないとか、いろんな場所と場面で日本人の英会話の手助けをできました。1 時間当たり $30 くらいもらえますが、この三連休中で $165 くらい稼ぎました。でも、やっぱり特許とかの翻訳の方が時間が自由になって効率よいですね。何で科学者の自分がこんなことやっているのだろうかと思うこともありますが、いろんな人生を垣間見ることが出来るのもまあ悪くないです。
さて、来週の日曜日に日本へ発つまで、日持ちしない食材を消費しつつ、仕事をしながらも準備して、万全の体調と備えで行かないと。直行便とはいえ、13 時間の空の旅と 3 時間程度の陸上移動は疲れるものです。それと時差ぼけがなんといってもきついです。今回は、はやぶさ2関係で二つの発表を含む四つの TV 会議と、四つの講演会と、家族サービスなどを含む出張なので、割と宿題も多くて忙しいです。まあ、いつものことですが。