ブラウン惑星人の日々 January 2015
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Carle が、第40回 COSPAR 受賞
毎日寒い日々ですが、ボストンでも冬至を過ぎて1ヶ月たったので、日がだんだん長くなっているのがわかります。LPSC がある3月下旬にはヒューストンに行くので、一足早く春を体験できますが、いつもボストンと対照的な気候を味わういい経験をしています。
上画像:Carle Pieters 教授の部屋のドア)
ところで、今日は、私の元ボスの Carle Pieters のことをまた書いてみたいと思います。最初の写真は Carle の居室のドアです。皆既日食を見にエジプトに行って像に載っている写真とか、月ミッション M3 のチーム員たちとの写真、そして、提案したけれど採用されなかった ALADDIN というフォボス・ダイモスのレゴリスを回収してくるミッションのポスターとかがありますが、左下には、JAXA のかぐや衛星のミッションの手ぬぐいのようなものがありますね。私ももらったものですが、Carle は SELENE(かぐや)の海外共同研究者として私といろんな議論をしたり会議に参加したりと助けてくれました。
本当は去年の4月14日にあったことなのですが、遅まきながら書いておきたいことがあります。その日に、Jim Head から、Carle がその年の第40回 COSPAR で、国際協力への貢献に対するメダルをもらえるという知らせがありました。それで私は、Carle の部屋におめでとうを言いに行きました。私は、「あなたはいろんな国際学会に参加してきたし、他の国の惑星探査ミッションに貢献してきたと思うけれど、一番助かったのは日本ではないだろうか」と言いました。
29歳で日本で職に溢れた私に山田科学振興財団と共に居場所を提供してくれ、NASA での3年間の研究員を終えた後にも職場を提供してくれ、その後20年間 RELAB の維持費の一部として私が科学者として生き延びることを可能にしてくれました。私が科学をやめていたら、はやぶさ・かぐや・はやぶさ2といった日本の惑星探査に貢献することも若き人々を教育・訓練することもできなかったでしょう。日本の固体惑星探査の発展に寄与した恩人だと思います。そういう意味では、Carleを紹介してくれた私の指導教官には、いろんな問題があったとはいえ、多大の感謝をすべきでしょう。
あとで、この話を日本で佐々木晶さんにしたら、何と晶さんがその推薦者だったのでした。長くその貢献を認められてこなかったから推薦したと言うことでした。やはりその出自背景から、Carle はプロの研究者として本当の意味で認められていなかった面もあったのかもしれません。特定の特殊技能を持っているとも思えず、他の研究者たちとの議論や学生の教育、そして上記の国際協力で活躍してきたと言えるかもしれません。Carle のこの受賞は、ブラウン大が8月に出した記事でも紹介しています。 ” 第40回 COSPAR ”
上画像:新装したプロビデンス下町の Kennedy Plaza のバス停に禁煙標識)
と、書いているうちに天気予報が出てきて、プロビデンスやボストンを含む米国北東地方は明日の午後か夜から大雪の予報です。仕事に行くことはできますが、帰りのバスが高速を走っている最中に雪がどんどん積もってきたらどうなるんだろうと思ってしまいます。次回には大雪がどうなったか報告できるかもしれません。
そして、前回、はやぶさ2の科学会議が日本で午後からなので、アメリカからではWebEx会議でも参加しにくいと言うことを書きましたが、火曜日は大雪で仕事にいけないので、月曜日の夜は徹夜しても良いので、参加できそうです。ということは、何と、私のために神様はこの大雪をもたらしたのではないだろうか、などと独りよがりの考えに浸っている自分でした。。。
極寒のボストンから
ちょっと間が開いてしまって、もう1月も下旬ですね。長女も明日からブラウン大学に戻ります。私と一緒に朝一番のバスで行きます。寮に入っているとはいえ、近くて自分の職場と同じ大学のキャンパスに居てくれるのは非常に安心です。
今日はまた MLK デーといって、Martin Ruther King, Jr. の誕生日でした。なので、私のアパートの前を州会議事堂に向かって行進していく群れがありました。きっと黒人人権運動のデモだと思います。私の仕事も子供の学校も休みで、連休を取れるように月曜日になっていますが、日本もしばらく前から連休になるように祝日をずらす習慣をアメリカに真似て作ったようですね。
アメリカでは白人警官による黒人の銃殺事件が問題となっていたときに、世界では、イスラム教過激派によるユダヤ教寺院やパリの風刺雑誌 Charlie Hebdo 編集部での殺人が起こりました。どちらも殺人をした側を責めるという当然の世論がありますが、一方で、何故そうなったのかと言う原因や、被害者側の落ち度に目をつぶりがちです。私は殺人やテロをもちろん認めませんが、犯罪者の動機を理解しない限り解決しないでしょうね。
殺された黒人たちには落ち度があったから警察が銃を使ったりしたわけですし、この週刊誌においては、イスラム教をはじめとする宗教一般を馬鹿にするような漫画などを載せているわけです。反応の仕方はまちまちながら、自分たちの信じている神聖な人物や思想を汚されてうれしい人はいないでしょう。
Wikipedia ” Charlie Hebdo ” によると、何度も問題のある漫画などを掲載して、法廷闘争になったり、攻撃されたりしてきた歴史があるようです。イスラム教に関しては、教祖のモハメッドの姿を描くこと自体が禁止されている宗教なので、それを破ってさらに侮辱的な内容したら、テロリストでなくとも怒るでしょうね。
上画像:ボストンマラソン爆破事件容疑者のの裁判のための陪審員の選考のための2回目の公判の様子を伝える無料新聞 Metro の記事
一方ボストンでは、写真の Metro の記事にあるように、ボストンマラソン爆破事件容疑者の1人である Dzhokhar Tsarnaev の裁判のための陪審員の選考が始まっており、公平に判断できる人々を探すのに大変な苦労をしているようです。人々の憎しみなどが癒えるまでかなり時間がかかるのではと思いますし、このボストンで偏見無しに罪状を判断できる人は多くないのではと思います。Tsarnaev は背広姿とかでなく、普段着で登場してきたようです。開き直っているのか。
上画像:極寒のボストンでスマホを使えるように、液晶画面に反応する部分のついた手袋
先日は、私の主治医のいる病院で血液検査をしてきた帰りに、その事件のあったコプリー広場を通って、次の写真にあるように、スマホ用の手袋を買いました。今年の冬はとても寒く、1月の最初の週には気温が0度Fで、体感気温は-22度F(-30度C)という、殺人的な寒さになりました。私はボストンの南駅までビルの谷間を歩いて通うので、風は一層強く、体感温度はおそらく南極の冬並ではないかと思い、その日は自主休業にしました。子供の学校も、スクールバスが走らないかもと言うことで休みになりました。こういう時には、地球温暖化をいつも宣伝している人たちは静かなのですよね。
私がアメリカに来た25年前ごろも激動の時で、イラク戦争があり、ロサンジェルスでは Rodney King という黒人が殴られたと言うことで人種差別に反対した暴動が起こりました。暴動が起こったり戦争をしている国に住むという初めての経験をしました。もちろん、私の住んでいた場所は直接の被害はなかったわけですが、実家の母はとても心配してくれていました。現在でもそのような国であるには違いないですが、倫理の堕落振りは目も当てられないくらいです。はやく、もっとまともな大統領と国会議員たち、そして州知事と州会議員たちがこの国を正しい方向に導いていかねばならないのですが、やはり宗教指導者たちに任せたほうが良いかもしれません。
はやぶさ2の方は、既に飛んでいていろいろなデータが来ているようですが、昨日も ONC の会議があり、来週は全体の科学会議があるようですが、時間帯の問題があり、ネットでも参加できないのが非常に残念です。午前中にやってくれれば助かるのですが。。。
創造的に生きる!
皆様、新年明けましておめでとうございます。本年も昨年以上に公私共に発展していく年となるようにがんばって生きたいと思います。昨年は、3回の日本帰国で合計26回ほど学会および一般の講演をし、少々でも、隕石の研究を通した固体惑星物質科学と、はやぶさ2計画への国民の理解を助けることが出来たのではと考えています。はやぶさ2が成功裏に打ちあがった今、科学観測としては正念場の3年半後までに懸案のいくつかの宿題を済ませないといけないです。今年はその本格開始の時です。
上画像:はやぶさプラモデルと着色用キット
この冬休みには、ずっと延期してきた歯の洗浄に行ったり、血糖値を継続監視するための血液検査をしたり、見たかった映画を家族で見に行ったりと、いろいろ効率的に済ますことが出来ました。一方で、二村君にいただいてから何年も置きっぱなしの、はやぶさプラモデルにはとうとう着手できませんでした。写真のように、ペンキもシンナーも筆も買い揃えてあるのですが。今年こそは何とかしたいものです。
上画像:私の研究論文出版数の推移. 青(主著)と緑が単発論文で、赤(主著)と紫が解説記事
もう一つの先延ばしにしてきた問題は研究論文の著述です。次のグラフは、以前もお見せしましたが、2014年末までのデータを加えた私の論文数の推移です。青色の主著論文が2011年を最後に出ていないのと、共著論文も、おそらくSELENE(かぐや)衛星科学成果のピークを過ぎてから下降の一途です。2010年から始めた私の極地研隕石の可視・近赤外分光サーベイの論文が、月とHEDという二種類の論文が出ていないので、本来2年に1つは出していたものが頓挫してしまったようです。今年はそれら2本の論文を出して、はやぶさ2に直結する炭素質コンドライトの論文を2016-2017年にわたって複数本出すのが目標です。
上画像:ボストンコモンでの元旦(First Nite)恒例の氷の彫刻
最後に、ボストンコモンで年末から元旦にかけて行われるFirst Niteに恒例の、氷の彫刻の写真をご紹介します。看板にあるように、Imagination(想像)と言うのが今年のモットーのようで、科学・技術においても想像から創造につながりますから、今年も想像をたくましくして創造的にやっていきたいと思います。よろしくお願いします。