ブラウン惑星人の日々 August 2013
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崇高なる孤高の研究者
皆様、日本でも残暑は厳しいかと思いますが、こちらもこの1週間はやや夏らしく、それでも涼しめの日々でした。子供たちはあと10日くらいの夏休みを堪能しようとし、昨日は家族で「The Butler」の映画を観てきました。黒人人権運動の最中、アメリカ大統領がアイゼンハワーからレーガンへと変わっていく中、ホワイトハウスで使えた召使頭の実話に基づいた話です。非常に感動的です。
さて、前回は私の東大教授の応募書類のうちの、過去の実績に関するものをご紹介しましたが、今回は未来についての内容です。今回の公募は、惑星探査または探査のデータに関する研究分野のための職なので、私が採用されなくても、採用された研究者の方は、私のこの願いを果たす責任を負っていると覚悟してください。直接、間接に私はその結果責任を追及するかもしれません。私はキャプテンハーロックのように命がけで生き、惑星科学の研究をし、この文章も書いています。この私と同じかそれ以上の決意を持った人にのみこの職に就いて欲しいです。
今後の研究計画および抱負
私が主として取り組んできました固体惑星物質の分光学の研究は、太陽系の初期から変化していない物質や大きく進化した物質の分布とその進化過程を調べることによって、我が太陽系の起源と進化、更には人類が生存できる惑星系の条件や可能性まで見出すことが出来る分野です。具体的なテーマとしては、別紙の研究業績の概要にあるように、固体惑星探査に応用できる反射分光を用いて隕石の起源を探ることで太陽系小天体の組成を見出すことが主ですが、以下にまとめなおしました。
隕石・惑星間塵から見た、小惑星・彗星の組成と進化の研究
彗星や小惑星は、太陽系の過去の歴史をとどめているだけでなく、地球に降り注ぐ隕石や塵の主たる供給源であり、巨大衝突によって地球生命への脅威ともなり、一方では人類が宇宙に進出する際の資源供給減ともなる有用なものです。日本の極地研究所や米国NASAおよび様々な博物館から提供される隕石や惑星間塵と天文観測の分光測定、そして下記の宇宙風化や冷却・加熱などの要素を組み合わせることによってそれらの組成を推定し、太陽系の物質分布を推定できます。特に、現在あまり活用されていない、顕微可視・近赤外分光によって小さいスケールで、試料中の鉱物粒子1つ1つの分光を行い、全体のスペクトルを解析していくことが必要です。
固体惑星表面の反射スペクトルに対する宇宙風化や温度効果の研究
太陽風や塵の衝突によって宇宙風化作用をうけた小惑星や惑星・月表土の反射スペクトルから、いかにその成熟度と鉱物組成を引き出すかという研究が、惑星探査の本格化に伴って、近年一層重要になってきています。また、高温の水星や、低温の小惑星などで温度効果によってどのような変化があるかも問題です。宇宙風化実験および冷却・加熱実験に基づいて、総合的でかつ定量的な研究をしたく思います。
固体惑星物質の分光データの解析手法の開発・改良
これまで、未知の天体表面の鉱物組み合わせ・鉱物の化学組成・粒子サイズなどを推定するために、鉱物混合モデルや修正ガウス関数などの解析手法の開発・改良を行なってきましたが、まだまだそれらは不十分です。今後の天体観測および探査衛星ミッションのデータを有効に活用するためには、今後も継続して研究に励む必要があるテーマです。
日本の固体惑星探査衛星ミッションへの貢献
これまで私が「はやぶさ」および「かぐや」という固体惑星探査ミッションに貢献してきましたように、それらの後継機である、「はやぶさ2」や「セレーネ2」といった、今後の日本の固体惑星探査ミッションのために、前述の研究成果を踏まえて、観測データの要求水準、そのための機器の設計、データ解析、そこからの研究成果発表などにおいて継続して貢献して行きたく思います。現在進行中の国立極地研究所隕石試料の可視・近赤外分光サーベイも多大にそれに貢献していると確信しています。
実際、私のように25年間も探査に役立つ仕方で隕石を研究してきた日本人研究者は皆無であり、この四半世紀にわたって、同僚や後輩たちに私のノウハウを伝え、彼らの学生たちを教育してきましたが、誰も私に匹敵する研究者に育っていません。アメリカという遠隔地において、NASA研究費で給料を払われる技官的仕事をしながら日本の探査に貢献するのは至難の業です。
今月は Martin Luther King, Jr 牧師の有名な「I have a dream」の演説から50周年の時です。その夢はキング牧師およびその死も貢献して実現してきましたが、半世紀というのは長い時間です。その黒人人権運動は、南アフリカやインドで活躍したマハトマー・ガンジーの非暴力不服従の精神を模範にしたものです。やはり、偉大な人物というのはたとえ死すとも世界に大きな影響を残すものです。私もそのような人物になって、あの世からこの世の行く末を見ていけるようになりたいです。
日本に戻って欲しい.しかし広い世界の舞台でも...
日本はお盆を過ぎてもまだ暑い日々と思いますが、ボストンは今週やっと夏らしい気温になろうかとしているところです。今回は、以前ご紹介した公募に出す書類の 1 つをご紹介したいと思います。これを読まれて、こんな書き方をしているから日本の大学に受からないのだ、と思われる方は、ぜひ、ご指導をお願いします。あと数日で郵送する予定なので、今回の東大教授の公募にはそのご指導は間に合わないかもしれませんが。
これまでの研究教育業績の概要
私が惑星科学分野へ入ったのは、東大基礎科学科の卒業研究でサフロノフの太陽系生成論を調べたのがきっかけでした。そこでわかったのは、結局太陽系初期における物質分布がわからないと先に進めないということであり、当時、東大地球物理を退官された竹内均先生も、今後は化学組成を入れた太陽系生成論が必要だとおっしゃっていました。
そして大学院では、隕石がどの小惑星から来たかを分光学的に導き出すことによって、初期太陽系のどこに存在した物質を我々が手にしているかを見出す研究を始めました。小惑星帯内側に多い S 型小惑星に豊富な輝石・カンラン石の可視・近赤外吸収帯を、X 線構造解析結果と結晶場理論で計算し、また鉱物粉末混合分光モデルを改良して S 型小惑星の一つの鉱物組成が原始的エコンドライトに似ていることを示唆しました。
博士号取得後の 2 年間の日本学術振興会研究員時代には、原始的エコンドライトの反射スペクトルを実際に測定して S 型小惑星と比べることにより、鉱物組成から見て原始的エコンドライトの系列上に S 型小惑星があることを示しました。それと同時に、TA として空間群の演習などで学生指導をしました。
1990年には、山田科学振興財団から長期海外派遣の支援を受けて、米国ブラウン大学に行きました。そこにある優れた分光光度計で私の反射スペクトルのモデルの有効性がはっきりし、モデルを改良して鉱物粒子の大きさのみでなく形の違いも考慮できるようにし、多くの鉱物混合物にモデルを適用しました。
1991年には、米国科学諮問委員会(NRC)の研究員として NASA ジョンソン宇宙センターに移りました。より多くの S 型小惑星と原始的エコンドライトの反射スペクトルを比較し、それら小惑星の 40 % しか石鉄隕石モデルでは説明できないことを示しました。また、小惑星帯外側に多い C / G / B / F 型小惑星には、通常の炭素質コンドライトよりもやや加熱変成したものの方がより近いことも示しました。
3 年後ブラウン大学に戻ってからは、本格的に宇宙風化に取り組み始めました。高度に宇宙風化した月表土の反射スペクトルの関数分解に成功し、V 型小惑星の反射スペクトルの宇宙風化作用の程度からその起源を調べ、佐々木晶博士と共同で、パルスレーザー照射による S 型小惑星の宇宙風化模擬実験を始めました。これらの研究成果は、私が参加した「かぐや」と「はやぶさ」計画に直接生かされることとなります。
また、2000年に落ちたタギシュレーク隕石の反射スペクトルをいち早く測定し、それが D 型小惑星から来た初めての隕石らしいという発見をし、すばる望遠鏡を使って D 型小惑星の 1 つに水か OH 基が存在することを初めて証明しました。そのような小惑星の研究を続ける一方で、ピータース教授らとの共同研究として、NASA 科研費による、月の宇宙風化および火星隕石の総合的研究に携わりました。また、自ら主研究者として NASA 科研費を 3 年間もらい、普通コンドライトの宇宙風化の研究を行いました。
2005年の秋には、「はやぶさ」の小惑星イトカワへのランデヴー中の観測およびデータ解析に従事し、実験室での機器の整備・改良から、実際の隕石測定、はやぶさの AMICA および NIRS データと隕石の宇宙風化度や組成との対応付け、学生の指導、学会発表の要旨および論文書きに至るまで、幅広く教育および研究に貢献出来たと思います。
その後は、私の月試料および宇宙風化の知識を「かぐや」の月データの解析・研究論文出版への貢献に生かしながら、炭素質コンドライトの熱変成と宇宙風化の研究成果を「はやぶさ2」計画の立案・機器設計・科学成果実現に役立てています。
穏やかな風景に包まれる
皆様、お盆前の真夏の日本は暑いのではないでしょうか?ボストンは未だに涼しめの毎日です。アメリカでもさすがにテキサスとかは100度Fの日もあるようですが。
この週末は、ブラウン大が月曜日休みなので、3連休です。8月12日月曜日は、Victory Day といって、ロードアイランド州だけが持っている祝日で、もともとは、Victory over Japan (VJ) Dayでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/...
どっかの国に勝った日なんて名前をつけておいて自分たちも恥ずかしく日本人からも非難されて名前を変えたのではと思います。でも、そんな日を Memorial Day とは別に持つ必要はまったくないはずです。大体、日本は民主党のルーズベルト大統領の陰謀でハル・ノートや ABCD 包囲陣などの圧力を受けて、戦争をするか国体を放棄するかしかないところまで追い詰められて、防衛のために攻撃したはずです。
以下の田母神さんの講演内容によると、ハル・ノートを書いたのはアメリカ政府に潜んだ共産スパイで、フィッシュ氏を含む共和党の反対を押し切って日本を戦争に追い込んだのは、共産スパイに操られた民主党だったということです。
https://sites.google.com/site/...
最近の、アメリカに立てられつつある従軍慰安婦像の問題もそうですが、韓国や共産国のスパイがアメリカにいて日本を攻撃しようとしています。朝鮮や支那のアメリカおよび世界における日本への攻撃を防御できるだけの情宣能力を日本は持たないといけないです。
上画像:プロビデンス市の裁判所の前にある退役軍人の記念碑
最初の写真は、私がプロビデンスでバスを降りて大学に歩いていく途中にある、退役軍人記念碑ですが、米国旗の隣に韓国旗がありますね。本当は、それは日本国旗であるべきだったのが、共産主義にやられて日本と戦争をしてしまったというアメリカの大失敗の結果として、このような記念碑や Victory Day があるのでしょう。未だに米国民は無知の真っ只中にあり、日本が南京で市民を虐殺したとか、慰安婦を強制連行したとか、人体実験をしたとか、半日国家や在日スパイが作り上げた嘘を信じていることが多いです。何とかしないといけません。
上画像:大学の正門に向かう College Street の急な坂道
ここから大学に向かう道は、College Street と呼ばれますが、次の写真にあるように、非常に急な坂道で、マラソンだったら心臓破りの坂と呼ばれるのは間違いありません。今は涼しいから良いですが、普通の真夏の日はきついし、冬は氷が張って、特に下るときにはいつ滑り落ちるかわからず恐怖に駆られながら何かにつかまって歩く場所です。日本だったらきっと手すりが作られていたことでしょうが、アメリカでは歩く人が少ないのと、最小限の公共投資しかしないのと、美的感覚が低いようで、何十年もこのままです。
8月は1週間とか休みを取っている職員も多いですが、先週書いたように私は非常に忙しく、来週は火曜日から、杉田君の炭素質隕石を測定します。はやぶさ2は、炭素質コンドライトとの母天体であるかもしれない 1999 JU3 というC型小惑星に行って試料を取ってくるので、実験室で炭素質コンドライトの種類・物理形状・熱変性度・水質変性度・宇宙風化度などがその反射分光データにどう影響するかを研究しておく必要があります。小惑星 1999 JU3 に2018年にランデヴーした時に、その表面の物質分布を調べ、どこから試料を取ってくるかという決定をするのに重要な情報になります。
はやぶさ初号機による2005年の小惑星イトカワへのランデヴーにおいては、それが S 型小惑星であって、普通コンドライトとの対応がある程度予想されていましたし、宇宙風化の現象もかなり理解されていたので、AMICA や NIRS のデータ解釈や、研究論文発表などは、簡単とはいえないまでも、割りと見通しがつくものでした。
はやぶさ2はそうは行きません。打ち上げ前の今も、2014年12月に打ち上げた後のランデヴーまでの3年間も、機器の性能評価試験・運用計画・データ校正法・データ解釈・科学面からの試料採取点決定優先順位などなど点で、この炭素質コンドライトの理解が非常に重要になってきます。
上画像:仕事帰りに移した夏のブラウン大キャンパスののどかな様子
実験室の外では、建物を改修している建設会社の作業員たちと共に、夏休みの子供たちやサマースクールに来ている高校生たちがキャンパスにちらほら見られます。3つ目の写真は、ブラウン大の中心の芝生で子供たちが遊び、数人の道行く人たちがいる光景です。右に見えるのが、University Hallといって、ブラウン大の初期の建物で学長室があり、左に見える白い建物が、大学のChaplain(司祭)たちがいる建物です。
上画像:仕事帰りのピーターパンバスから見た自然の景色
そして最後に、帰りのバスから見た景色の写真をご紹介します。プロビデンスからボストンまでは1時間ちょっとですが、高速道路が混んでいたり天候が悪い時は2時間くらいかかることもあります。途中は何も人工物がないような自然な風景が多いです。やっぱりアメリカは広大で2つの大洋にまたがった国土を持つのが強みだと思います。エネルギーと食料さえあれば、今の10倍の人口になっても問題ないような場所です。最近は測定も忙しく、バスの中でノートパソコンを広げて何かやりだしても、居眠りばかりです。この連休で回復して、残りの8月を乗り切らないといけないです。
ボストンは秋の気配(早過ぎ?)
日本でも7月は記録的に暑かったそうですが、ここアメリカ北東部でも100度Fの記録的暑さだったのが、最近は涼しめになって8月に突入し、来週はいっそう涼しい 70度F 台の日もあるという予報です。日本の東京はやはり 90度F くらいの予報のようですが、変化のパターンは似ていると思います。
夏は学生と違って大学職員に決まった休みはないですが、1週間くらい有給休暇をまとめてとる人が多いです。私も1週間くらい休もうと思っていたのですが、9月後半は日本に行くことと、先日多量の試料がジャニス・ビショップから届いたので、やっぱりべったり1週間休むのはやめて、時折休む程度にしようかと思っています。
ジャニスは SETI 研究所および NASA Ames センターで働く研究者で、ブラウン大学の化学科出身でありながらもここ惑星地質のカーリー・ピータース(当時助教授)にも指導を受けて火星物質のリモセンの研究者になった人です。
http://www.seti.org/bishop
私が1990年にブラウン大学に行った時には Janice はまだ大学院生で、元気にサッカーをやりながらも分光学者としての訓練を着々と積んでいる頃でした。ドイツ語がペラペラで、結婚相手もドイツ人の男性です。
上画像:1990年当時の(左から)ジェシカ・サンシャイン、私、ジャック・マスタード。
思い返せば、1990年5月から1991年7月までの1年2ヶ月間は、私がブラウン大学で将来世界的な研究者になる人たちと出会った期間でした。ジャニス以外にも、前回紹介したジャック・マスタード、MGM モデルで有名なジェシカ・サンシャインなどです。最初の写真は、これらジェシカとジャックの2人とリンカーン・フィールドビルの3階の世界地図の前で写したものです。みな若いですね。ジェシカは大学院生、ジャックと私はポスドクでした。正直言って、最初ジェシカは男性だと思っていました(ごめんなさい)。ジャックはかなり前から教授で、ジェスも2年前にメリーランド大学の教授になりましたね。私だけ取り残されてますが。。。
上画像:ブラウン大学のキャンパスに生息するリス。左上にはめ込んだ写真は、私のオフィスの窓に来たリス。
あの当時、まだ英語も達者でなかった私を慰めてくれたものの1つに、ブラウン大学キャンパスの自然と、そこにいるリスたちです。2つ目の写真は私が一番好きなショットです。日本では、私の実家に近い岐阜城がある金華山くらいでしかリスを身近では見たことがなかったので、そんなのがたくさんいる大学のキャンパスってすごいと思いました。青い空に緑の木々と芝生、そして茶色の土と赤レンガの建物の調和が美しかったです。ニューヨーク州のクイーンズも同様の風景だったのが印象的です。
上画像:YMCAの帰りにマクドナルドで食べたもの。
などと書いていると、いつの間にか希望に満ちていた23年前の思い出に浸ってしまっていて、現在の現実の自分に落ち込みかけてきたので、気分転換に今日の私の生活の一こまを書きます。妻が転倒して背骨を傷めて以来休んでいた YMCA の会員資格が8月から再開したので、いつもの水泳と船漕ぎ運動に行って来ました。帰りには、この前紹介したチャイナタウンのマクドナルドに寄って、次の写真にある、コーヒー・フレンチフライ・サイドサラダの組み合わせを$4.16で食べました。割と安くて健康的なのです。ボストンではトランスファットは禁止されていますし。でもやはり揚げ物はカロリー高いですよね。
上画像:ボストンで最初に出来た Paramount 映画館をエマーソン大学が復活・転用した建物。
次の写真は、帰る途中のワシントン通りにある、パラマウント映画館の外見を復活させたもの。中はエマーソン大学の教育用の施設などになっています。右向かいにある、ほぼ建設が完成した建物は、億単位の値段がする高級分譲マンションです。ミレニアム・プレースといいます。いつか金持ちになって、こんなマンションに住むこともあるかもしれない、いややはりそんな無駄遣いはしないだろう、でもそれぐらいは良いかな、などと取らぬ狸の皮算用みたいに考えています。