The Planetary Society of Japan

ブラウン惑星人の日々 December 2014

クリスマスの似合うボストン

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: December 26, 2014

上画像:クリスマスでがらんとしたボストンの下町

12月13日に無事アメリカに戻ってきて時差ぼけと戦いながら、冬休みに入ってゆっくりしているうちにもう二週間近くたってしまい、今日は何と既にクリスマスです。今年もクリスマスには定番とも言える映画「It’s A Wonderful Life」を見ながら妻の手巻き寿司の夕食を摂り、コーヒーを飲みながらチャイナタウンで $20 で買ったケーキを食べ、今ゆっくりとこのブログを書いています。今年のボストンは暖かいクリスマスで、雨がちながら 50度F 台もあり、ホワイトクリスマスになるには 20度F 高すぎる気温です。今日はチャイナタウンは八百屋やマクドナルドまで閉店で、レストランなどだけが開いていて、写真のように下町は静かでした。

上画像:パキスタンでの児童生徒虐殺記事を載せた無料新聞 Boston Metro

この期間に何と言ってもショックだったのは、パキスタンのタリバンが132名の児童生徒を抹殺したことですね。次の写真は、バスの中で読んだボストンメトロという無料新聞の記事です。ローマ法王のクリスマス演説でも言及されたくらいの大事件でした。ノーベル平和賞を最年少で受賞したマララ・ユスフザイさんも胸が張り裂けるようだといっていました。きっとマララをはじめとする女性が教育を受ける権利など、テロリストに反対する活動に対して見せしめのつもりかもしれませんが、全く逆効果です。人間の自由や発展への願望は力では長く押さえつけることは出来ません。

ノーベル賞と言えば、今年の物理学賞は三人とも日本で青色ダイオードを研究・開発した人たちになりましたね!これは人類文明にとっての大きな進歩ですし、それに日本人が中心的役割を果たしたと言うことは、日本が世界を救うための外的な一つの貢献をしたことになると思います。
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/2014/
そういえば、私がまだ大学生の頃、トンネルダイオードを発明された江崎玲於奈先生の講演会で、「ノーベル賞を取るのってそれほど難しくはない」という言葉をそっと言われるのを聞いて、そうなのかなあと思ったことを思い起こします。今は確かにそう思います。なぜなら、宇宙風化の研究をしていて、はやぶさが Bruce Hapke や Lindsay Keller たちの過去の研究を集大成するのに役立っているので、本当ならばそれら三者がノーベル賞を共有しても良いくらいですが、惑星科学という分野と、人類の幸福・平和への貢献と言う点で弱いわけです。でも、ノーベル賞はダイナマイトを戦争に使った血生臭い金から来ていますし、過去の時代を引きずった賞です。きっといつか新たな別の賞がより有名になるでしょう。

上画像:屋内に出店が並ぶ Quincy Market を含むファニュイル・ホール市場の写真

日本の貢献と言えば、以前に書いたようにユニクロがボストンにも小規模ながら進出してきて、今回初めて Quincy Market にあるその Popup Store を訪問しました。写真のようにギリシャ・ローマ建築の古い長い建物の内部と、その両側の建物にいろんな店が出ています。ユニクロはその南側の一角にあり、非常に小さかったです。行った理由は、最近やせてアメリカの31インチとかの太いズボンではだめなので、日本を発つ1日前の12月12日に立川の高島屋にある都内最大のユニクロでコーデュロイの 73cm のズボンを買ったのですが、すそ上げをする必要があり、祭り縫いだと翌日までかかると言われ、アメリカの支店でもやってくれると言われたからです。ところが、ボストン店ではミシンが故障しているとかで、できないと言われてしまいました。それで結局、妻に妥協したやり方でやってもらうことになりました。長持ちすればいいけど。。。とにかく、ユニクロを見に行けたのは良かったです。あまりに小さいので、下町で今工事中の、Filenes デパートの跡地のビルに大きな店を出したらどうかと尋ねたら、きっとそうすると言っていました。

上画像:日本帰国中に撮った一番気に入った2つの写真(富士山と岡山天文博物館)の合成)

最後に、今回の日本帰国で写した写真のうちで最も気に入った二つの合成を載せます。一つは宇宙研での Hayabusa 2014 シンポの後で西に移動する途中で新幹線の社中から見た富士山で、もう一つは、岡山天文博物館の前で写したものです。後者は、その日の午後に一般公開もするセミナーを岡山理科大でする予定だったのでスーツ姿になっています。

あと、私も春に講演をさせてもらったライトカーブ研究会は、今年で10年となり、主催者の宮坂正大さんからの連絡で、定期会合としては終了と言うことになりました。宮坂さんには、2002年の D 型小惑星 Irmintraud の観測のときにお世話になり、アマチュアとプロとの連携、そして天文と隕石学を含む固体惑星科学との橋渡しと言うてんでライトカーブ研究会および ML は役立ってきたと思います。ここに再び感謝の意を表します。
 

帰国中!

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: December 12, 2014

皆様、今日は立川の極地研のゲストハウスで書いています。先週の月曜日に日本について、あれやこれやしているうちに、時差ぼけと過酷なスケジュールで今日まで筆を執る暇もありませんでした。もう明日の夕方にアメリカに帰らねばなりませんが、今回も盛り沢山だった帰国の体験をご紹介します。

上画像:南極隕石シンポジウムを含む極域科学シンポジウムの看板

まず12月1日に日本についたら、なんて暖かいのだろうと驚きましたね。ボストンで着るコートが暑くてたまりませんでした。夜このゲストハウスに到着して、翌朝はいきなり南極隕石シンポですから、特にシンポの2日目は時差ぼけと疲労で夕方はまいりました。このシンポジウムは、過去には6月に単独で行われていた長い歴史のあるものですが、このたて看板の写真にあるように、最近は南極の他の学会と一緒に11月に極域科学シンポの一部として組み込まれています。

今回はこの火-水の極地研での隕石シンポに続いて木-金に宇宙研でのはやぶさシンポがあるので、多くの外国人研究者が来ていました。特に、隕石中の有機物の分析で有名な Conel Alexander が招待講演をしていました。それにしても、小林先生以外は、日本の隕石有機物研究者は薮田さんや癸生川さんといった若い女性が多いなあと実感します。アメリカではそういうのは普通なのですが、男性が支配的な日本では珍しいです。ちなみに、私の弟子・後継者にするならやっぱり男性ですね。男女差別ですって?やはり女性には優秀な子供を多く産んで欲しいですし、私は男性の方が教えやすいと感じています。

とにかく、何時に寝ても2時半とかに目が覚める超時差ぼけになりながら、木曜日の早朝にモノレールと JR を乗り継いで、淵野辺駅にたどり着き、朝7時とかの早い時間だったので、一応駅前から宇宙研の守衛所に電話して、いつものおじさんの「ああブラウン大の廣井先生ですか」という言葉に安心しながら、7時からなら本館は開いていると言うことで安心して、てくてく駅から歩きました。それにしても、淵野辺駅から宇宙研までの歩道、特に東横インを超えてローソンの角に行くところの凸凹表面を何とかして欲しいです。私の重い旅行かばんのローラーの寿命が著しく縮んでしまいます。

はやぶさ初号機が2005年の秋に小惑星イトカワにランデブーしていたときは、何度も帰国してこの道を往復していました。その後、カプセルが帰ってきてからは、九大の岡崎君とかが試料回収・分析のために暗い夜道を歩いてくるのに出くわしたりしました。はやぶさや他のミッションに関わった人々にとって、この道はきっと忘れられない場所でしょうね。「はやぶさ、遥かなる帰還」の映画でも、渡辺謙ふんする川口先生が夜道を歩いて帰るシーンがありますね。といっても、宇宙研の門を出る前あたりですが。

途中のローソンで買った朝食を宇宙研のロビーで食べていると、出勤の人々が皆ある特定のコーヒーの自販機を使うことに気づきました。230円もするのだけれど、豆を引き立てのものを入れてくれるもので、おいしいそうです。80円の缶コーヒーを買う私とはグレードが違うようで、給料が良いのかなあ、セブンイレブンの100円コーヒーよりおいしいのかなあ、などと不思議に思っていました。でも、試しに飲むにはリスクが高いなあ、ファクター3だから迷わず却下です。などとくだらないことを考えているうちに、キュレーションの矢野君の奥さんである事務の輝美さんがそそくさと暖房の調節をしていたので、そのいつまでも若い声を懐かしく聞きながら、後ろから声をかけて雑談したりしてました。とにかく、その間、ロッジに泊まる為のインターネットの利用情報を持っていたので、時間が有効に使えてよかったです。あと、NASA ジョンソン宇宙センターの Roy Christoffersen がいつの間にか横のテーブルで仕事をしてました。夫婦で観光をするための旅館への行き方がわからないと言うので、日本語を英語に直してあげました。Roy はアポロの表土中のイルメナイトの宇宙風化生成物の研究で有名です。

上画像:はやぶさシンポの参加者に配られた、はやぶさ Goods

そうしているうちに、海外参加者たちのホテルからのバスが着き、受付が賑わい始めました。我々も受付に行くと、写真にあるように、LPSC を思わせる「はやぶさ Goods」がもらえました!まあ、紙の袋にしゃれたものが入っているだけですが、きっと欲しい人たちは多くいるのでしょうね。この袋は、実家の甥っ子に、中身は岡山天文博物館の二村君にお土産として贈呈してしまいました。

上画像:はやぶさシンポ2014のオープニングスライド

とにかく、はやぶさシンポ2014は、写真のオープニングスライドにあるような日程で始まり、2日間、みっちりといろんな発表がありました。惜しむらくは、私のような招待講演でも15分の時間しか与えられず、話せないことが多かったですが、それでも、これはすごいことです。NASA がアポロ11号計画で月試料を回収してきた1969年に、世界中の科学者にそれを配布し、その結果を1970年に持ち寄って始まったのが、現在の Lunar and Planetary Science Conference (LPSC)ですから、日本はそれよりも40年程遅れましたが、2010年に持ち帰った小惑星イトカワの試料を世界中の科学者たちに配布し、昨年2013年からこのシンポジウムを開いているわけです。やはり、日本でしか手に入らない宇宙試料があることは強みです。

私のすぐ斜め後ろには、Maria Barucci や Patrick Michel といったフランスなどの有力科学者たちがいて、やはり、JAXA が今回はやぶさ2で ESA と協力している色濃さが出ていますし、NASA とも今後は協力していくようですし、私は在米日本チーム員として再び微妙な立場ですが、親しい Tom BurbineやBeth Clark といった小惑星研究者たちと良き競争・協力をしていきたいと思っています。

上画像:犬山市立栗栖小学校での講演

そして、その週末は岐阜と大阪に帰省しましたが、土曜日は何と犬山で2つも会合を持ちました。1つ目は非常に生徒数の少ない、栗栖小学校で、松浦さんというご夫婦が企画された「地球子ども村 SEC 講演会」という、はやぶさ2の打ち上げを種子島まで見に行ったと言うレベルの高い集団とその父兄らに話を聞いてもらいました。私の宇宙風化の話など、決してやさしい内容ではないのですが、非常に関心を持って聴いてもらえたのはすばらしかったです。写真にあるように体育館なので、どうしても暖房が効きにくく、寒かったと思いますが、それでも集まった人々はまさしくエリートです。

上画像:アトリエ夢発心で私の話を聞いてくれた仲間たち

2つ目は、前回の帰国のときにも星に魅せられる会が開かれたアトリエ夢発心という場所で、20人程度の少人数のエリートを対象に、はやぶさ・はやぶさ2と ID 理論の話をしました。この写真の上の左端におられるのは、アトリエの主人である鈴木さん母娘で、他界されたご主人の理想をここで叶えておられます。右端は、いつも私の講演会をアレンジしてくださっている、山田さんです。下の写真で私の横に写っている超美人女性は、朝香さんという、犬山城主かつ名市大病院の医局員かつ弓道の達人かつ・・・と言うような方で、そのオーラの圧力を感じるくらいでした。妻がちょっと気にするかなあとも思いましたが、この写真が気に入っているので使いました:)右端は、羽島の書道家の小谷さんです。他にもいっぱい意識の高い人々にあふれていました。松浦さんのところのお嬢さんも大活躍していました。お座敷遊び(言葉だけは何かやばい雰囲気:)を次回は是非、と言われましたが、私は弓道にも興味しんしんです。でも弓道は一度や二度では足りないでしょう。私の修士時代の同僚が弓道をしていたので、とても身近に感じますが。

上画像:岡山天文台の1.8m望遠鏡を背に黒田君と二村君と共に

翌日曜日はいろいろ遠征した後で大阪の義母に会いに行き、月曜日は岡山行きでした。大分前から予定していた、岡山天文台を見学しました。その博物館の学芸員をしている二村君が、JR鴨方駅まで迎えに来てくれ、天文台では以前宇宙研にいた黒田君がいろいろ説明をしてくださいました。写真はその1.8m望遠鏡を背に取ったものです。これだけの大きさのものが Mauna Kea にあったら小惑星の近赤外分光もできるだろうなあ、と妄想を働かせていた私でした。

上画像:岡山理科大でのコロキューム講演

そして、お昼は岡山理科大でイトカワ試料の CL 分光から宇宙風化などを調べておられる西戸先生のお招きで昼食に行き、午後はコロキュームの講演を担当させていただきました。写真のように、何と極地研でも宇宙研でも合ったGucsik氏も来ているではないですか!そういえば、CL で Okayama University of Science と協力していると言っていたけど岡山理科大のことだったのだ。それにしても、日本語での私のセミナーを理解できているのかな?ハンガリー語は日本語と似ていると言うが韓国語ほど酷似しているわけでもないだろうし。

と言うことで、やっと前半1週間の学会と講演会の日々が終わり、阪大に移って、佐々木晶さんの可視・近赤外分光器で、極地研から借りた隕石チップの測定にかかりました。今回は、火・水・木の3日間の滞在予定ですが、水曜日には阪大・京大・神大合同セミナーがあり、何と24年ぶりに京大に行きました。それにしても不便なところにあるのが京大で、バスは遅くて込んでいると言ううわさがあったので、JR京都駅から見物がてら京阪の七条駅まで歩き、そばのマックで100円コーヒーを飲み、無料WiFiも使って、ゆっくりとすごしました。やはり、店員に「完全禁煙ですか?」と尋ねると、「申し訳ありません、おタバコはご遠慮願っています。」というので、「何を言ってるのですか。完全禁煙が良いのです。私はマックは完全禁煙の店しか入りませんよ。」と言っておきました。Mindset を転換しないとね。

とにかく、無事に京大でのセミナーに参加し、私も45分間受け持って、隕石の分光サーベイと惑星探査、特に「はやぶさ2」への応用の話をしてきました。何と岡山理科大学まで先日の私の講演を聴きに来た神戸大の学生がいて、何かセレブになったかのように気分が良かったです、というのはもちろん誇張ですが:)

その後、コンピューターがおかしくなりかつ実験室の鍵を忘れたために、1000円の安宿を求めて泊まっていた吹田キャンパスの国際交流会館と豊中キャンパスの宇宙地球の実験室を2往復すると言うハッスルをしたり、カンボジアにお嫁に言った旧友が帰国していたので来てもらったりして、非常に忙しい最終日を迎え、無事に極地研に戻ってきてこれを書いているところです。そういえば、立川には非常に薬が安いサン・ドラッグという店と、都内最大規模のユニクロがあり、今回も必要なものを買って行きました。やっぱり日本と日本人はすごいと思います。

ああ、今回は超長く書きすぎてもう11時近いではないですか!早く寝ないと、明日は埼玉に遠征してから羽田空港行きです。
 

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