ブラウン惑星人の日々 March 2015
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LPSC2015 その後
LPSC が終わった次の週は、いつもお世話になっている阪大の佐々木晶さんと学生の岡崎さんがボストンを経てブラウン大を訪問されました。もちろん、土曜日に移動したので、日曜日は1日ボストンで休息かつ観光です。午前中は私は教会の礼拝に参加する必要があるので、かの有名なボストン美術館(Boston Museum of Fine Arts)を見に行ってもらい、お昼過ぎからボストンの Freedom Trail(自由の道筋)を一緒に回りましょうということにしました。
上画像:ボストンのFreedom Trail(自由の道筋)を回る岡崎さん。ベンジャミン・フランクリンの墓、マサチューセッツ州会議事堂、クインシーマーケットで。
この日はとにかく寒くて風もあり、とても遠くのバンカーヒル古戦場までは行けそうもないので、近くをゆっくり回りました。ボストン・コモンから始まり、上の写真にあるように、黄金のドームを持つマサチューセッツ州会議事堂、雷の実験および避雷針の発明で有名かつ大統領にもなったベンジャミン・フランクリンの巨大なお墓がある共同墓地、そしてクインシーマーケットという歴史的な市場に行きました。途中には、旧市役所や旧州会議事堂もあります。
クインシーマーケットでは、中に入って、岡崎さんには暖かい食べ物、私はコーヒーを一杯飲んで、ちょっと休みました。晶さんも一緒に食事をしないかと思って電話をかける試みをしたのですが、携帯がつながらず、ホテルの電話番号もわからなかったのであきらめて、隣の建物にあるユニクロのポップアップショップを案内してあげて、いつ大きな店を出すのかとまた尋ねた後、歩いてチャイナタウンへ行こうと思いました。
水族館の近くの道を通り、大きなホテルのあたりで海岸沿いを見ながら歩いて、翌日ブラウン大に行くために乗車するピーターパンバスの乗り場を教えるついでに南駅まで歩き、そのままチャイナタウンを門から入って通りました。前日に次女の誕生日を祝った後に、長女がケーキを食べたりなかったと言っていたのを思い出したので、いつも行くベトナム系中国人の店で $1.50 のケーキを3つ、割引で $4 で買いました。そうしているうちに、まあ良い時間になったので、地下鉄オレンジ線のチャイナタウン駅を岡崎さんに教えて、ホテルのあるバックベイ駅まで乗って帰ってもらいました。
そして翌月曜日の朝は、やっと見つけた晶さんのホテルの電話番号にかけると、もう出ましたと言われたので安心してバス停にいつものように行くと、晶さん、そして岡崎さんがちゃんと8時のバスの15分前くらいに来てくれて、皆でブラウン大に出かけました。
初日は私とラルフ・ミリケンが実験室の紹介をして、晶さんにはお昼のセミナーで、宇宙風化などの話をしてもらいました。春休みの週にもかかわらず、大学院生や教官たちが多く来てくださいました。晶さんは、ホテルの部屋に良い机がなかったようで、準備が不十分だったようですが、何人かから質問も出て、特にカーリー・ピータースは30分くらい3人で会話をしていました。私は先に上に上がって、ラルフの学生のシュアイと小惑星ベスタの宇宙風化や混合計算の話を続けていました。
やっとそれらが終わって、近くの大学の食堂であるアイビールームに行って、3人で昼食をとりました。私はいつもの愛妻弁当なので、コーヒーだけを購入して、晶さんと岡崎さんと楽しく食事しました。
午後は、岡崎さんが持参した、橄欖石と硫化鉄の混合物のペレットにレーザー照射をした試料の測定を始めました。試料を RELAB の皿に固定して写真を撮り、試料皿を多重回転試料台に乗せて位置を調整して、4つの試料が各波長域では自動的に測定できるようにしました。光源と回折格子と検出器との組み合わせの関係で、紫外・可視・近赤外の3つに分けて測定する必要がありますが、翌日の午前中には終わるような見通しでした。私が25年前に感動的に目撃したように、岡崎さんにも新鮮な感動があったとしたら幸いです。
翌日は、その測定結果の生データをつないで、標準試料のヘイロンの反射率を使って校正し、阪大で晶さんがもっている分光計器の機械による測定と比較しました。すると RELAB の方が新鮮な試料に見えるので、風化層がはがれたのかなあ、という議論をしました。もう一度阪大で測定すればはっきりしますが。そのあとは、FT-IR 分光器の乾燥空気中にそれらペレット試料を一晩放置して乾燥させ、翌朝から赤外反射スペクトルをレーザー照射前後の場所について測定しました。それらデータを岡崎さんに渡してグラフなどを作ってもらいました。
上画像:ブラウン大学の研究者たちと記念写真を撮る岡崎さん。上の左から私、岡崎さん、カーリー・ピータース、下左端がラルフ・ミリケン、下右端がジャック・マスタード。
ということで、忙しくいろんな実験をしたのですが、気付いたら、上の写真にあるように、実験中でなく、いろんな研究者との記念写真ばかり撮ってしまっていました。写真中で、カーリーはジャックの元指導教官で、ジャックはラルフの元指導教官で、ジャックと同じ歳の私はラルフが大学院生のときに測定を助けてあげました。このように同じ分野で世界トップクラスの研究者が三代もつながっていくところがブラウン大で惑星物質リモセンが栄えていく秘訣だと思います。
上画像:MIT の生協で電磁波のマックスウェル方程式が書かれたTシャツを手にする岡崎さん。
そうして二泊三日のブラウン大滞在もあっという間に終わり、帰国前日の木曜日は、MIT のリック・ビンゼル(Richard Binzel)教授のおられる Earth, Atmospheric, and Planetary Sciences(EAPS)学科にお邪魔しました。あいにくリックは出張中だったのですが、あらかじめ大学院生にお願いしてくれて、昼食の接待も含む予定を立ててくれていました。岡崎さんと同じく大学院の一年生の子たちも交えて色々な興味深い話をできて非常に良かったです。教員になるのもよいけれど、博士課程に進んで MIT に来たらいいのでは?と思わせるような楽しさだったのではと思いました。写真は、そのあとに寄った MIT の生協での一コマで、神様が「光あれ!」と言われた行に、電磁波のマックスウェル方程式(四つで一組)が書かれているものです。
上画像:ハーバード大の生協書店で本を覗いている岡崎さん。
そのあと、ハーバード大にも寄って、雨の中でしたが、ジョン・ハーバードの銅像やいろんな建物を見て回り、生協の本屋に入ったのが次の写真です。らせん階段で上がる三階建ての本屋には本がぎっしり並び、スタバがあっていつも満員になっている場所です。その後は、地下鉄のレッド線で下町まで移動して、明日の朝の空港までの移動の仕方を確認してから、岡崎さんにはオレンジ線に乗ってもらって別れました。
LPSC から二週間ほど、非常にハードな日程と初めての体験で興奮と疲労の連続だったかもしれませんが、良い経験と刺激になったことを望むのみです。アメリカでしか経験できない内容がまだこの分野にはあり、時間とお金を投資した甲斐があったのではと思います。今後も、研究と英会話などに精進されて望みのキャリアに進んでもらいたいものです。
LPSC 2015 を振り返って
1週間の LPSC への出張を終えて、やっとボストンの実家に帰るところです。例年のごとく、今回も様々な人に会っていろんな話をしました。今年は、そのタイミング上、Dawn のケレスの観測がまだ不十分だったし、New Horizon はまだ到着してないし、はやぶさ2も打ち上げが成功して一段落したということで、際立ってホットな情報がなかったようにも思いますが、それはかなり私の主観のバイアスがかかっているかもしれません。毎日2-3回お送りしていた私の LPSC 速報を読んでおられた方々には、私のそういう気持ちがやや伝わったかもしれませんが、自分自身の発表の科学的成果にちょっと疑問を感じ始めてしまったという要素も影響していたかもしれません。
はやぶさ2のチームメンバーには多く会ったのですが、国際科学チーム会議は先月宇宙研ですでに2日間行っており、せっかくこんなに日本からチーム員が来ているのに、なぜ LPSC の前の週末に科学会議をしないのか不思議でたまりませんでした。今朝空港に行くシャトルで、千葉工大の千秋さんと一緒になりましたが、彼は、はやぶさ2では DLR 製の MASCOT を積んでいることもあり、科学は主にヨーロッパと一緒にやっているので、彼らはアメリカの学会にあまり来たくないのでは、という意見でした。確かに向こうにも EPSC というのがありますし、歴史的には科学の元祖はヨーロッパでしょうね。とにかく LPSC しか行けない程度の旅費しかない私としては、この機会を最大限活用してほしいものです。
今回はアメリカン航空のマイルを使って無料航空券を取ったので、費用は手数料の $10 だけで済みましたが、行きは2つ、帰りは3つの飛行機を乗り換えていかねばならず、さらに、日曜日でなく土曜日に出発することになりました。金曜日ならば Microsymposium にも最初から参加できますが、土曜日はとても中途半端です。LPSC の登録及びレセプションは日曜日の夕方からですから。しかし、日曜日には普段できない買い物をしたり、食料の確保をしたり、自分の発表のスライドを完成させたり、睡眠不足を治したりと、それなりに有効に時間を使えました。
上画像:ホテルから歩いて行ける H. E. B. というスーパーマーケットに並ぶギリシャヨーグルトの数々
最初の写真は、私のホテル Super 8 から歩いて10分くらいのところにある H. E. B. というスーパーマーケットの Greek Yogurt の棚の写真です。私は、何か月も前に 21 Day Tummy という本を読んでから、普通のヨーグルトでなく、ギリシャヨーグルトやチーズに切り替え、普通の牛乳やヨーグルトはやめましたが、おなかの調子がよく、体重も減ってきました。この店で、バナナ、ブルーベリー、ミニトマトを買い、たまに寿司や、一昨年買いそびれた全粒粉クロワッサンも買いました。
上画像:ホテルのベッドの上に置いた私の新しい ASUS のノートパソコン
それと今回変わったことは、最近私の HP のノートパソコンの調子が悪く、スリープしているうちにリスタートが必要になったり、タッチパッドが凍ってしまってスリープさせて起こすということを繰り返す必要があったり、キーボードの文字盤がかすれてきたり、以前ハードディスクの調子が悪くて新たに入れたソリッドステートドライブ(SSD)の空き容量が足りなくなってきたことです。さらに、3ポンドとはいえ、いつも持っていると重たく感じてきたので、今回、次の写真にあるように、ASUS の一番小さくて軽いノートパソコンに買い換えました。これは、長女がブラウン大に入った後で、以前の大き目の HP よりも小さいものがよいということで買ってあげたのと同じような機種です。たった 2.6 ポンドの重さです。まだ10日くらいしか使っていませんが、調子よいです。$299 で送料無料でした。Windows 7 から 8 に変わるので、ソフトの互換性や、慣れるかどうか心配でしたが、まあまあうまくいっています。
上画像:LPSC の講演会場入り口のわきにある掲示板とテーブル。第3回はやぶさシンポジウムのチラシも置いてある。
というわけで、日曜日の朝はゆっくり寝たのでリフレッシュして、シャワーを浴びてから夕方のシャトルバスに乗って学会会場に行きました。まず目に付くのが、写真にあるように掲示板とその前のテーブルにいろんなチラシが貼ってあったり置いてあったりしてあるのですが、はめ込み写真にあるように、はやぶさ2が回収した小惑星イトカワ試料の分析結果を中心に議論する Hayabusa Symposium 2015 のチラシがありました。今年で3回目ですね。宇宙研の人たちに尋ねたら、昨年のように、今年も極地研のシンポジウムと同じ週に来るよう配慮して11月ということになっているようです。それだったら私も参加できるのではと思います。ただ、5月に帰国して、11月も帰国するので、最近の航空運賃と極地研の外来研究員に対する扱いの悪化で、その間にある惑星科学会秋の学会には帰国できないのではと思います。
上画像:ポスターセッションと展示ブースの様子。
LPSC で一番ハードなのは、火曜日と木曜日のポスターセッションです。夕方6時から9時まで開かれ、660 枚くらいのポスターが各々貼られます。そして、中心部には、各ミッションや NASA の部局や研究所などからの展示ブースが常設されています。アルコール類を含む飲料やスナックなどが出ますが、やはり食事はその前後に済ます必要があり、口頭セッションが5時まで続くことを考えると、かなりのハードスケジュールです。私のように、速報を書くためにパソコンを携帯しているとカバンも重たく、かなり疲れます。あとは、参加者 1400~1700 人の声がこだましてすごいことになります。
上画像:阪大の修士課程の岡崎さんのポスターで議論されている京大の土山先生。
今回は、あらかじめ見たいポスターを選択し、昼休みとかにものぞいたので、かなり短時間で済みましたが。次の写真にあるのは、私も研究指導をしている阪大の修士課程の岡崎さんの FeS を含む物質の宇宙風化実験のポスターに来られて議論されている京大の土山先生です。土山さんは、はやぶさ試料の解析チームでもリーダーを務め、また阪大・京大・神大の惑星科学の共同セミナーを推進されています。岡崎さんは、今週ブラウン大に来る予定です。
最新の Rosetta/Philae によるチェリュモフ・ゲラシメンコ彗星着陸の結果や、Dawn による準惑星ケレスの初期観測の結果など、目新しいものがいくつも最初の2日くらいでありましたが、まだまだ観測が不十分で、今後の動向を見るべき部分も多いです。一方、同じくDawn による小惑星ベスタのデータはかなり解析され、ポスターセッションでは多くの詳しい結果が出ていました。そして、月が地球に火星くらいの惑星が巨大衝突をしてでできたという理論に関する問題点の指摘やそれに対する解決案が多くの発表のテーマでした。
上画像:ロビーで会話する中村良介さん、山口亮さん、平田成さん
次の写真は、セッション会場の外のコーヒーコーナーの前で、中村良介さん、山口亮君、平田成さんが会話している風景です。取りますよと声をかけたら反応されたので、手が震えてしまってボケてしまいました。このように、セッションの休憩のときとか、シャトルバスで何人もの研究者たちとざっくばらんなオフレコの会話をしましたが、そういう、論文や学会発表で出てこない情報が意外と重要なんですね。まだまだ人と人が面と向かって会話する必要性は多大にあります。
上画像:Which Wich というサンドイッチ屋さんのトマト・アボカドのレタス巻き
最後の写真は、今回私が発見して気に入ってしまった、トマト・アボカドのレタス巻きで、会場の隣の Which Wich というサンドイッチ屋さんで売っていて、これも含め、7 インチのものは $6 くらいです。これはパンも肉も入っていないので、健康ダイエットには最適です。これを今回は2回ほど食べました。
と書いているうちに、乗り換えて3つ目の飛行機がついて、やっとボストンの自宅からこれをお送りします。3月18日が誕生日の次女の誕生会を3日遅れでやります。17年前は、この子の出産予定だったので、その年の LPSC はスキップしました。なので、1991年から参加していますが、今年2015年で24回目の参加でした。あと4年しないと、はやぶさ2による 1999 JU3 とのランデブーの結果を発表できないと思うと、なかなか長い道のりですね。
春の気配に誘われて LPSC 2015
上画像:プロビデンスの下町を流れる川面の氷が融ける前と後
とうとう今週は LPSC の前の最後の週になりましたが、今朝から夏時間も始まり、1時間早くなりました。この東海岸と日本との時差はこれで13時間になりました。最初の写真にあるように、凍っていた川面も融け、雪も降らなくなり、日中は氷点を超す気温となって、地面に積もった雪と氷も徐々に融け始めました。
上画像:ボストンマラソン爆破事件の裁判の様子を伝えるMetroの記事
先週からのボストンの話題は、何と言ってもボストンマラソン爆破事件の裁判が始まったことでしょう。次の写真の左側では、証人として出廷する被害者や、警備の警官、デモをする人々などが写っていて、右側は被告Dzhokhar Tsarnaevの弁護士が、罪は認めているものの、主犯は兄のTamerlanであって、この弟は兄に強く引き込まれただけだといって、死刑を免れるように弁明しているようです。ボストンの州では死刑は判決として出せないことになっていますが、これは連邦政府の裁判なので、場所はボストンですが、死刑か終身刑になると予想されています。
私は、死刑にするのは一般に良くないのではと思いますが、このアメリカ社会で、死刑無しでは犯罪を抑圧する力が足りないのも現実かと思います。それに、被害者に代わって死刑は勘弁してやれと言う権利はないかもしれません。実際、生きて罪を償うほうがつらいような刑を与えることが出来れば、この問題は解決するかもしれませんが、囚人が割りと優雅な生活をしているという現実も聞いたことがあり、我々の税金を使ってけしからんと言う議論もあります。
上画像:日本人(近藤 麻理恵さん、上原投手)を扱ったMetroの記事
同じMetro誌でも、気楽に読める記事もあり、次の写真は、どちらも日本人に関するもので、近藤 麻理恵(KonMari)さんの、如何に小さいスペースにものを整理しておくかと言う話と、上原投手が以前の投球形に戻ったと言うような話です。どちらもあまり追っていないテーマですが、同じ日本人が活躍しているのは喜ばしいことです。
上画像:NASAジョンソン宇宙センターから届いた隕石を入れた小包
最後に、最近NASAジョンソン宇宙センター(JSC)から届いた炭素質コンドライト試料をが入っていた小包の写真をご紹介します。いつから始めたのか、赤いラベルで「CRITICAL SPACE ITEM」と書いてありますね。これだと、どうぞ盗んでくださいと言っているような気がしますが、まあきっと深い思慮があってそうしたのでしょうね。48個認可されたうち、30個を受け取りました。この隕石配分にしても、NASA JSCは日本の極地研より何十倍も量と速度で勝っていると思います。残念ながら。
さて、明日はイカルス誌の査読の締め切りだし、今週は最後の実験をせねばなりませんし、LPSCの発表もまだ作っていないので、大忙しの週になりそうです。
100回に亘って週末に筆を執ってくれた廣井さん
皆様、とうとう3月になりましたね。こちらボストンではまだ雪が降る日々ですが、確実に真冬は過ぎて春になりつつありますね。この時期は3月の中下旬に控えたLPSCの準備のために惑星科学者たちは超忙しくなっていく時期です。もちろん、1月始めの発表要旨の提出の時に大方の仕事を終えている人たちはきっと落ち着いたものでしょうが。私の場合、共同研究者から新たな情報が入ったりして複雑なのですが、まあ要旨に書いたとおりに無難に発表して措けばよいとも考えています。
ところで、このブログを始めたのは2013年1月なので、2年とちょっとですが、100回目になると言うことですね。愛読してくださった方々には感謝してやみません。私個人の独白のような文章ですが、それを通して在米惑星科学者のあり方の一部や、LPSCを含む国際学会、そして、はやぶさ・かぐや・はやぶさ2といった固体惑星探査ミッションの科学者の参加のあり方をいくらか知ってもらえているかと想像します。
また、頻繁に登場する私の家族や研究仲間たち、そして日本に帰国時に出会った人々を通して、科学者と言えども普通の家族人で、いろんな人々とも付き合っているのだと言う当たり前のことも知ってもらえているのではと思います。実際、私のグループでは普通の家庭を持っていない研究者たちも過去には多かったように思います。普通に結婚して子供をもっていた人たちの中にも、既に離婚してしまっていたりと、いろんな複雑な、現代の人類文明の危機を示すような観測もしています。
私が1995年にSELENE(かぐや)計画に誘われて、1999年にMUSES-C(はやぶさ)計画に滑り込んで、はやぶさ2へと続いてこれたのも、日本で拒絶されながらも山田科学振興財団のおかげもあって1990年の5月にアメリカに追い出されるように来て、私を信じて受け入れてくれた研究者たちに救われて生き延びることができたからだと思います。最初の5年間は、1年先の職の当てもないような期間を過ごしながら、ブラウン大学とNASAジョンソン宇宙センターと日本を行ったり来たりしていました。
振り返れば、その期間にS型小惑星の宇宙風化やC型小惑星と炭素質コンドライトの関係など、上記のような月・小惑星探査ミッションの時代が到来した時に必要な科学の基礎を私なりに培ってきた期間になったのでした。25年前に「5~6年頑張ってくれれば探査ミッションに呼んであげるからね」とか言われて計画的に研究してきたのだったら安心しきってしまって、そのようにハングリー精神で研究をして来れなかったかもしれません。
20年前の今頃に、やっと半永久職としてブラウン大学の技官になれたわけですが、それから3年して上級研究員になっても、その「半」と言うのが癖もので、すなわち私の雇用手紙に書いてあるように、「外部資金が続く限り」永久職ということで、NASA研究費というソフトマネーで雇うだけということです。ですから、ある意味では過去25年間、私の職の状況は変わっていなくて、毎年か数年毎に更新しなければ首ですよという職です。
上画像:通勤途中にいつも読んでいる無料新聞Metroの星占いの欄
上の写真にあるように、私が通勤のバスを待っているときにいつも読む、ボストンの無料新聞Metroの星占いによると、私のてんびん座(Libra)への助言は、
“ Don’t be too hard on yourself. You have the intelligence and intuition to succeed. Trust in your abilities is more important than the opinions of others. ”
「自分につらく当たりすぎてはいけない。あなたは成功するための知性と直感を持っています。自己の能力を信頼することが他人の意見よりも重要です。」
私にとってとても必要な言葉だと思いました。
上画像:夢発心さんから頂いた人生の応援歌
また、上のスキャンにある、前回帰国したときに講演をさせてもらった夢発心さんからいただいた人生の応援歌によると、
「追いかけているうちは手に入らず、時の流れに身を任せながら自分の役目を演じていることが現実になった。」
とあります。この意味は一様ではないかもしれませんが、私がとにかく職のあるところを転々としながら研究成果を挙げていくうちに、日本の固体惑星探査における鉱物リモセンに貢献できるようになったことに的中しているように感じます。
上画像:妻が作った夕食を自分でアレンジした玄米+ほうれん草+半熟卵+キムチ+魚フライのどんぶり
上画像:映画「リング」のさだこのポーズをする次女と、そのおいしい傑作のプリン
こんな私の人生をいつも支えてくれてきたのは、実家の両親はもちろんのこと、妻と子供たちです。上の写真は、妻が作った夕食を取り合わせたもので、玄米ご飯は毎日食べられますし、ほうれん草のような緑黄色野菜、卵、キムチ、納豆、海苔巻き寿司、魚類などをいつもおかずに出来ます。毎日の通勤を通した運動とともに、健康的な食事が私を支えています。その次の写真は、映画「リング」に出てくる「さだこ」のようなポーズをしている次女が作ってくれたプリンです。世界中の人々が私を罵ったとしても、この娘だけは私を尊敬してくれると信じれるような女の子です。
上画像:私が日本で買ってきた本の一部
そして最後の写真は、ちょっと品質が悪いですが、日本に帰るたびに購入してきた本の一部で、日本の歴史や日本人とその文化の特徴、そして身体障害をもった子供たちの実話など、私が通勤途中や週末に愛読してきたもので、井沢元彦の「逆説の日本史」は文庫版の17巻まで読みました。時代の趨勢もありますが、日本を離れて外国人の中でもまれながら、日本と日本人というものを多く考えさせられてきました。今日、日本と日本人を見直している書籍が多くでているのはうれしいことです。この写真で中ほどから左寄りにある、ヘレン・ミアーズ著の「アメリカの鏡・日本」は特に、大東亜戦争直後の時点で、日本およびアジア諸国が如何に欧米から不当に扱われてきたかをアメリカ人が自戒の念をこめて書いている本で、占領下の日本では翻訳禁止になっていましたが、それがこの様に広く読まれるようになったことはすばらしいことです。
はやぶさが惑星探査の分野で世界をあっと言わせたように、政治・経済・軍事力など他の分野でも日本という国が世界を驚かせて一流国家に復活するに違いないと私は信じますし、その日が来るのを楽しみにしています。
連載100回に際して
一昨年1月から始めた研究者の日常を綴る連載がついに100稿目を迎えました。ほとんど毎週欠かさずにロードアイランド州或いはマサチューセッツ州より届けてくださった廣井さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
公開ページの更新が滞るときでも週末には必ず「プロビデンス発ボストン経由日本着便」が届き、挫けかけた井本の心に希望と粘りをもたらしてくれ、また次の一週間もMEFのために自身が出来る事をこなして行こう、という気持ちになれましたね。まあ、正直「今週はお休みにしようよ」などと弱音が出るときもありましたが、廣井さんからの受信データを一日、二日とメイラーに放置していると、とてもひどい切迫感に襲われるのです。直ぐさまキーを打ち込み始め、その後立ち直っていくというような体でここまで来ました。
今後、いつまで続けることができるのかは全く予測できませんが、廣井さん、井本のどちらかが挫けるまでは続くのはもちろんで、先に挫けたくないという思いもお互いに抱いていることから、「こりゃあ、長くなるぞ」というのがこの100回目を迎えた今の僕の心境です。おそらくMEFが解散しても、ウェブのどこかで二人でこれを続けているのではないかとも思っているのです。元気で生きているかぎり☆
廣井さん、ありがとう。で、挫けるのは廣井さんが先でお願いしますね。。。