ブラウン惑星人の日々 November 2013
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日本国内でのいろいろ
上画像:極地研にある赤池ゲストハウスで玄米を炊いたところ。
帰国して2週間くらいたちましたが、今日はやっと石垣島での惑星科学会を終え、沖縄に一泊して講演会をし、今、仙台のホテルに泊まっています。明日は、東北大の中村研の新しい分光器を見に行きます。極地研のゲストハウスでは写真のように玄米を炊いて健康的な生活ができたのですが、石垣島や沖縄でもこのホテルでも玄米は炊けません。明日の夜水沢に移ってからは玄米食を再開できるでしょう。
上画像:石垣島での日本惑星科学会秋の講演会でのポスターセッションの光景。産休から復帰した宇宙研の上本さんがかわいい赤ちゃんを連れてきました。
石垣島での秋の講演会は史上最大の参加数だったそうで、私も含め、石垣島でやることの魅力が人々の足を運ばせたのでしょう。月曜日に極地研で慌しく隕石を選んで、翌日の火曜には羽田空港に向かいました。すると、搭乗手続きをする前で、赤ちゃんを抱いた若い女性が声をかけてくるではないですか。「誰でしたっけ」と尋ねたら、「上本です」と言われてびっくりしました。宇宙研の上本季更さんが産休を終えて、赤ちゃんを連れて私と同じ便で石垣島に行くところだったのです。2つ目の写真にあるように、ポスター会場でも人気をさらっていました:)
考えてみれば、まわりに見たような顔の若者が多々見られて、東京から行く人はこの便に乗るのが最適なのです。いやあ、この便に何かあったら、日本の将来の惑星科学に大きな打撃になるなあ、と思いました。こういう危機管理なしの状態が、LPSC でも見られますね。
石垣に着くと、最初はやや寒かったですが、雨が降って暖かくなり、毎日9時過ぎから7時とかまでセッションが続き、天文台の観望と懇親会で、とても忙しく、LPSC のようでした。最初の1日半は、主に太陽系生成論関係が続き、次に衝突関係、そして、3日目に、はやぶさ、はやぶさ2、かぐや、コンドリュール形成、惑星大気などでした。私は近くの公民館で講演会があったので、3日目は夕方6時ころで引き上げました。
翌朝は沖縄本島の那覇に行き、昭和薬科大付属中学・高校で自由参加の特別授業をしました。父兄も参加されていましたが、なかなかレベルの高い質問が出ましたね。沖縄一の進学校らしくて、毎年東大に3-4人行くそうです。あとは、県立博物館で一般講演をし、夜と翌日曜日の午前中は地元の教会に行きました。昼食後は飛行場に駆けつけて、羽田まで飛び、あとは新幹線で仙台まで移動しました。石垣島と沖縄でのハードスケジュールでさすがに睡眠不足で、飛行機と新幹線の中ではほとんど居眠りをしていました。週末のせいか、人が多くて大変でした。
さて、明日月曜日は私の郵貯銀行に科研費の旅費が振り込まれるはずですが、朝一番にアメリカに送金したいので、ちょっとタイミングがきわどいかもしれません。次回は5月まで帰国しないと思うのと、大金を持ち歩いたら9月の帰国時にあったようにバスや列車内で落とすのが怖いので、送金できるとよいのですが。
国内巡回中
日本に来てほぼ1週間が経ちました。時差ぼけはほとんど抜けましたが、講演会続きで寝不足のため、列車内ではすぐ居眠りできますね。
今回は羽田便だったので到着が夜遅く、ずいぶん前に予約しておいた蒲田のミヤビインで一泊し、翌朝、東京駅で JR パスを受け取り、その足で群馬県にある明星電気に行きました。JR高崎線で本庄駅まで行き、重い旅行かばんを駅前のホテルに預け、バスで利根川の向こうに橋を渡ったところで降りて、そこから7分ほど歩きます。利根川を挟んで埼玉県から群馬県に移動したことになります。
上画像:火-水とNIRS3の隕石測定を明星電気でしているところ。
既に NIRS3 チームのうち、宇宙研から岩田さん、安部さん、荒井さん、そして東北大学から中村智樹君と、M1 になった松岡さんは来ていて、明星電気側と打ち合わせをしている最中でした。今回は、真空低音チェンバー内の NIRS3 によって実際の隕石試料の黒体光源による反射スペクトルを撮ることです。拡散金を標準試料として割り算した結果は非常に良好なものでした。NIRS3 隕石測定のファーストライトでした。
火・水の一泊二日の日程を私は終え、東北大チームと共に明星を去り、私は本庄駅から立川の極地研に移動しました。幸い、大宮から快速むさしの号に乗れたので、本庄から極地研磨では大宮と立川での合計2回の乗換えで済みました。日本の JR のダイヤの組み方はよく考えていますね。ボストンとは違い、各乗客がいつどこからどこへ乗ったかのデータがあることは強みですね。
翌木・金曜日は南極隕石シンポでした。久しぶりに甘利さんが来ていましたが、相変わらずボーイッシュないでたちでした。2日目の午前中のセッションでは、東大後輩の千葉工大の荒井さんが来るまで事故って、予定の司会役も自分の発表もできなくなり、司会役だけは私が埋めました。発表はキャンセルでした。その日の夜は、三鷹にいる私の後輩の伝で話にいくことになり、帰ってきたら12時過ぎていて、寝たのは2時頃でした。その上、翌朝はモノレールの始発5:40に乗るために4時半おきでしたから、たったの2時間半の睡眠時間でした。
昨日土曜日は浜松で10時から講演会なので、始発のモノレールに乗って、立川からは成田エクスプレス(NEX)で新宿まで行き、そこから品川まで山手線で行って新幹線に乗り換える予定でしたが、私が改札に行ったとたんに、三鷹駅で人身事故が起き、。。。というアナウンスがありました。NEX は普通列車とは別の線路だから大丈夫でしょうという触れ込みでしたが、やはり心配したように、快速線路に振り替えられた普通列車もはいって、何本も中央線上でたまってきて、新宿に着いたときは25分とか遅れて、全員が別の車両に移されました。
私は、もう間に合わないだろうなあとわかりながらも、とにかく品川まで行って改札で駅員さんに説明すると、次のこだまが一番早く、何とか講演会開始の30分前には到着するとのこと。それで、ぎりぎりセーフでしたが、ひやひやしましたね。JR パスではのぞみは乗れないし、どうせ浜松には停車しませんし。
その後は、岐阜羽島で岐阜北高の同窓生が組織してくれた講演会で話して、夕食を一緒にして、実家の各務原市に帰省しました。今朝はまた豊川まで出かけ、帰ってきてから老健に入っている母を訪問して、夜遅くまで甥っ子と話をして、今これを書いています。甥は私の母校でもある蘇原中学校に通っていて、どうやら私に講演に来てもらいたいようです。
故郷は永遠に故郷ではありますが、町は変わり、住む人たちは変わり、家族も一人ひとりいなくなって、いずれは私が懐かしく思えるものはなくなってしまうかもしれません。悲しいことですが、それが人生の常ならばしょうがないことです。明日も朝早く、4時に起きないといけないです。
今日帰国
とうとう明日日曜日の午後ボストンを発って2週間半ほど日本に帰国します。恒例の南極隕石シンポジウムと今回は久しぶりに日本惑星科学会の秋期講演会に参加します。その後いつものように水沢で隕石測定や宇宙風化実験をして、主に週末には講演会をします。特に、今回初めて沖縄(石垣・那覇)に行きます。
11日(月)羽田着
12日(火)-13日(水)明星電気ではやぶさ2の NIRS3 試験
14日(木)-15日(金)立川の極地研で南極隕石シンポジウム
16日(土)10時から浜松市地域情報センター、3時半から羽島市竹鼻中学校で講演会
18日(月)極地研で隕石選定
19日(火)石垣島へ移動
20日(水)-22日(金)日本惑星科学会秋の講演会
23日(土)那覇に移動、私立高校で講演会
24日(日)羽田を経て仙台に移動
25日(月)東北大学で新しい分光器の吟味、水沢に移動
26日(火)-28日(木)水沢天文台で隕石分光と宇宙風化実験
29日(金)成田発
今年の惑星科学会秋の講演会は参加者が多いそうで、夕方も遅くまで続きますね。やっぱり場所がよいからでしょうか。私も石垣島と聞いて、参加しようかなあと思いましたから。ただ基本的には、南極隕石シンポの次の週だったので一回の帰国で済むのがよかったからです。いろんな人々に久しぶりに再会できそうで楽しみです。
水沢には何度も行っているのですが、その近辺で講演会をしてもらいたいという方はいないでしょうか。平日ばかりなので夕方以降しかないでしょうが。そういえば、近くの平泉もまだ見物に行ってないです。測定とかで忙しくて、まじめに研究しすぎでしょうか。
帰りは実は28日にしておいたのが、アメリカン航空からメールがあり、28日は感謝祭のため、ロスまで行けてもボストンへの乗継が飛びません、とのこと。そんな~、と思いましたが、しょうがないので、1日滞在を伸ばすことにしました。感謝祭の連休中なので、飛行機は問題なく取れました。でも、子供達も連休でブラウン大も休みなのに、どうして私だけ仕事をしなくてはいけないのだろう。ということで、やっぱり、28日は平泉に行ってもよい気がしますが、科研費で旅費が出ているので、夕方5時以降しかだめかもです。。。
レッド・ソックス優勝!
上画像:Red Sox の優勝を祝う横断幕と、パレードの後でまだ歩行者天国になっている道路を歩く人々。
今日は、皆さんもご存知かと思いますが、ボストンの野球団であるRed SoxがWorld Seriesで優勝したために、市内をパレードしました。私はそれを見るのに間に合いませんでしたが、その直後に花吹雪やごみが残る中を人々が歩くところに行き当たりました。最初の写真は、私がIACEトラベルへJRパスを受け取りに行く途中のボイルストン通りの商店街に横断幕がかかっている風景です。
上画像:コプリー広場の近くの爆弾事件のあったところ。
2つ目の写真は、コプリー広場の近くの図書館の横で、この辺りでボストンマラソン爆弾事件があったわけですが、今日はパレードの後のごみでいっぱいでした。フェンスは観客とパレードを分けるために使われたもので、パレード中はもっと道路の内部にありました。片付ける人たちにも大変な作業です。このあたりは、公共道徳の低さを感じてしまいます。
上画像:Public Garden の銅像にかけられたRed Soxのユニホーム。
コプリーでの用を終えて、また歩いて Public Garden を通って帰る途中、何とそこにある銅像にまで Red Sox のユニフォームが着せてありました。次の写真を見ると、ボストンの市外局番である 617 の背番号を付けたユニフォームが、騎馬上の銅像に着せてありました。いったい誰がどうやって着せたのか興味あるところですが。
行きも帰りも、何故か私の方を見て、あれも日本人だとか、コージという感じのささやきが何度か聞こえて来ていましたが、おそらく、それは上原浩治投手が最後守りきって優勝したからでしょう。
http://jp.wsj.com/article/...
上画像:Public Garden の橋を中心とした紅葉の美しい風景。
次の写真には、Pubic Garden の橋とその周りの秋の風景画見えていますが、この橋を渡ってボストンコモンに抜ける途中、2人の若いアメリカの男性が握手を求めてきて、私はやはり上原選手のせいだろうなあと思って、握手を返しました。日本の歴史に対する誤解があっても、こういう時は、ヒーローが好きなアメリカ人は手放しで賞賛するのでしょうね。この後は、来週日本に発つのに備えて、新しい靴下・シャツ・ズボンを買いに下町の安売りショップに行きました。
上画像:Sun Roomと呼ばれるコンピューター端末室で微笑むDan。
今日は最後に、Carle Pietersの学生として唯一残ったDan Moriartyを紹介いたします。ちょっと写真がうまく撮れていませんが、DanはCarleと同じくアイルランド系の移民家族から出ていて、2010年にブラウン大に来て、再来年の春に博士号をとることを目指してがんばっています。主にCarleがPIをしたミッションであるMoon Mineralogy Mapper(M3)のデータを使って月の地質学を研究しています。M3のデータセットには非常に習熟していて、各地域、特にSouth Pole - Aitken(SPA)盆地の多様な地質・鉱物分布に興味があるようです。私が過去に研究してきた、月のソイルの風化度と反射スペクトルの傾きの問題や、吸収帯の抽出の仕方などにだんだん習熟して来ているようです。私もいろいろセミナーでアドバイスしていますが、何れは私などのレベルまで達するかもしれないと期待しています。他の学生の中にはもっと高度な解析方法をしている人たちもいますが、Danは多くのデータを扱える方法と少ないデータを厳密に解析する方法の中間的なものを追求しているようです。
さて、今回はこのくらいで、来週末は日本への出張準備で大慌てをしているでしょう。きっと最終日程をお知らせすることになると思います。