The Planetary Society of Japan

ブラウン惑星人の日々 November 2014

志を果たして、いつの日にか帰らん

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: November 28, 2014

今日はアメリカでは感謝祭と言う大きな祝日でした。1620年にここマサチューセッツ州のプリマスにメイフラワー号で上陸した清教徒たちは、多くが航海の途中や最初の冬に飢餓などで死んでいきながらも、翌春に植える種に手をつけることなく、インディアンから教わったタラの釣りなどで生き延びながら、最初の秋の収穫をインディアンたちと祝ったのが最初の感謝祭であると言われています。

ここニューイングランド地方の11月末は普通とても寒いです。今日もボストンは氷点ぐらいで雪がちの日ですし、プリマスはやや南の海岸沿いとはいえ、やはりとても寒かったはずです。その上陸を記念する1620と年数が書かれたプリマス・ロックという岩があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Plymouth_Rock

上画像:1991年5月5日に訪れたプリマスで、プリマス・ロックを背にし、ブラウン大のジャケットを着た私

実際はこの岩に足をかけたのではないという説もありますが、上陸から121年も経った年にこの岩を見つけたそうです。私も、渡米してちょうど1年経った日に、親しい友人と車でブラウン大からプリマスまで行き、この岩を背に写真を撮りました。最初の写真で、ちょっと見難いですが、後ろの下の方に岩があって1620と言う数字の終わりのほうが見えています。

上画像:清教徒たちが乗ってきたメイフラワー号を復元したメイフラワーⅡ号(右下)の前でポーズする私

清教徒たちは、英国を追われ、逃げていったオランダも追われて、メイフラワー号という船に乗って大西洋を渡ってきたわけですが、次の写真にある復元されたメイフラワーⅡ号を見る限り、大洋での嵐においてはとても厳しい目にあったのではと思われるような大きさですね。話によると、海水をかぶりながら堪えなければならないことも多かった船室があり、航海の途中でも既に半数が死んでしまったと言うことです。穀物の種や子供たちと言う未来に希望をつなげられるものを最優先して犠牲になっていく姿には、きっと神様も感動し、それ故にこの国を地上でもっとも強力な国として祝福したのだと思います。

上画像:プリマス植民地を集会所から見下ろした風景で、左下のはめ込み写真は住居内部の様子

しかし、そのような国も次の写真のような小さな集落から始まり、左下の埋め込みの写真にあるように、内部は床のない土間のつくりだったようです。これを見て、私は故郷の各務原市にある復元された炉畑遺跡の竪穴式住居を思い出してしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/...

ちょっと比較がまずかったかもしれませんが、そう感じたのは確かに記憶しています。今見ると、木造で作りはしっかりしていますし、中央道路を中心に区画整理もされていますね。向こうに美しい海が見えるのもすばらしいです。きっと、船で寝泊りしながら、だんだんと集落を形成していったのでしょう。

そのように信教の自由を求めて新大陸に上陸し、異教徒であるインディアンに救われた彼らでしたが、北上して私の住むボストンに定着したころには、自分たちの宗派にかなり固執してきたようで、それから袂を分かれて南下して行ったロジャー・ウィリアムスと言う人が、私が働くブラウン大学があるプロビデンス植民地およびロードアイランド州を開拓しました。
http://www.fieldtripper.com/c/oHorOxw0EP4/

基本的にインディアンを含む異教徒に対して差別しないということも含め、真に信教の自由の地を目指したようで、その地に後に出来たブラウン大学もアイビーリーグ大学の中では初めて異教徒でも入学できる大学になったようです。
http://www.brown.edu/about/history

やはり、開拓者の精神がその国や機関の方向性を大きく左右するものになると思います。日本の国もその一例かもしれません。かなり以前に、私は「新大陸で待っていた隕石」という随筆を日系サイエンスに書きましたが、その際に今回のプリマスに上陸した清教徒たちの話を書きました。私もアメリカに来るときは背水の陣で、自分の一生をかけた気持ちで異国の地を踏みました。「志を果たして、いつの日にか帰らん」という「ふるさと」の歌の気持ちで。まだ帰れていませんが、私の研究テーマを科学目標の大きな柱にした「はやぶさ」および「はやぶさ2」は、海外でまるでキャプテンハーロック的に生きている私にはラブコールのように思えるものです。

私の帰国を待つかのように打ち上げが11月30日より延期された「はやぶさ2」、どうか早期に無事打ち上げられますように。
 

Veteran’s Day(退役軍人の日)

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: November 17, 2014

皆様、ボストンは急に寒くなりましたが、日本ではどうでしょうか?あと二週間で日本にまた行けると思うと楽しみです。Rosetta の着陸機である Philae がとうとう彗星 Churyumov-Gerasimenko に降りましたね。固定装置が作動せず、意図した日向には降りれませんでしたが、電池の生きている間にかなりの測定は出来たようですね。結果が出るのが楽しみです。この彗星は大きさが 2~4km と言うことで、はやぶさが訪れたイトカワの八倍くらいありますが、密度が 0.4g/cc くらいなので、イトカワの 2g/cc の五分の一ですから、表面の重力は平均 1.3 倍程度ですね。これでは難しいはずです。

2018年にはやぶさ2が 1999 JU3 に訪れたら、その 900m の天体がどれほどの重力を持つのか、比重1としたら、イトカワと同じくらいですね。今回の Rosetta/Philae の経験は非常に役立ちますね。やはり、日本のように固定したりせずに表面に転がすと言うのが一番安全でしょうが、Minerva は着陸できなかったので、やはり母船の動作と Minerva の開放のタイミングをもっと制御できて居たらよかったと悔やまれますね。NASA もそういう理由で、はやぶさに先を越されてしまうまでは、OSIRIS-REx を真剣に取り上げなかったのでしょう。

上画像:隣接の車両の衝突で無数の細胞状の亀裂が走ったバスの窓ガラス

実は先週、ヒヤッとする事故がありました。私が毎朝通勤で乗るピーターパンバスで、右横に入ってきたトラックがぐんぐん近づいてきて、私の座っているすぐ後ろの席の窓ガラスに何かをぶち当ててしまったのです!最初の写真のように、無数の細胞が出来たようにガラスに亀裂が入り、誰も座っていない私の後ろでよかったわけですが、運転手は相手の運転手らと何やら言い合いをしていました。こちらはビデオカメラで四六時中記録されているはずなので、強い立場だと言っていましたが。この窓ガラスは外から見ると何事も起こっていないように見え、非常に強いものらしいです。でも、今回は、過去に何度かあった、事故の犠牲になりかけた経験の一つになりました。過去の経験と言うのは、小学生のときに自宅の前の県道に飛び出してトラックに轢かれかけたり、寝不足でプロビデンスの列車の駅から道に下りるときに車にぶつけられかけたとか、ヒューストンからプロビデンスに車で三日かけて移動したときに、アパラチア山脈の険しい高速道路で巨大なトレーラーに挟まれて恐怖に駆られながら運転したときとかです。本当に、「生きてて良かった」です。

上画像:退役軍人の日にブラウン大学で行われた記念式典

そして、生きるか死ぬかと言う話になれば、11月11日にあった Veteran’s Day(退役軍人の日)を忘れるわけにはいきません。ブラウン大学では、毎年、その記念式典が行われていて、次の写真にあるように、制服姿の軍人たちが来て、退役軍人たちの前で話をしている姿に出くわしました。ここは、私のオフィスのある建物の前の芝生で、Soldier’s Arch(戦士の門)のすぐそばです。もっと話を聞いていればよかったのですが、オフィスから実験室に移動する途中で急いでいたものですから。

上画像:第一次世界大戦で戦死したブラウン大学の学生や卒業生の名を刻んだ記念碑

次の写真にあるように、Soldier’s Archには、第一次世界大戦で戦死したブラウン大学の学生や卒業生たちの階級と名前が刻んであるようです。
http://www.brown.edu/...
戦争で祖国のために戦って死んだ英霊たちを忘れないアメリカの姿勢はすばらしいもので、日本も最近はそのような精神が復興していますが、もっともっと啓蒙していくべきと思います。

今から感謝祭までの約10日間は、トラぶっている機械を抱えた実験室での試料の測定と日本での学会発表などの準備とで追われると思います。そして、30日に日本へ旅立つ直前の感謝祭の休日は家族全員で憩いの場を満喫したいと希望しています。が、日本出張の準備が遅れて慌てることになるかもです。私の長女のように、Procrastination(先延ばしにすること)が得意なのは私の遺伝情報にあるようなので。

とにかく、この Rosetta が目標を達成しつつあるときに、はやぶさ2は目標に向かって発射されようとしている今月11月は特別な月になる気がしています。
 

11月30日、ボストンから発射!

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: November 11, 2014

とうとうボストンも暖房が必要な季節になりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?11月は月末に感謝祭もあり、休みを楽しみにし始める時期ですが、私は30日からの2週間の日本出張の準備がだんだん忙しくなる緊張するときになりました。そんなときに、前回述べたように Xperia LT21i の充電が出来なくなったり、機械の調子が悪くなってしまったりして一層慌てています。今回の旅程は大体以下のようです。

11月30日(日)ボストン発
12月1日(月)羽田着
12月2-3日(火-水)極地研で南極隕石シンポジウム
12月4-5日(木-金)宇宙研ではやぶさシンポジウム
12月6日(土)各務原に帰省、犬山あたりで講演会など
12月7日(日)近畿地方で私用
12月8日(月)岡山天文台訪問と理科大でのセミナー、岡山泊
12月9-11日(火-木)阪大で実験、水曜日は京大へも
12月12日(金)極地研で隕石撰び
12月13日(土)夕方に羽田発で帰米

今回は、エア・カナダでトロント経由の羽田便を利用します。いつもはアメリカンですが、高めだったのと羽田便は便利なのがなかったので。

機械の問題と言うのは、RELAB の主力である双方向反射スペクトル測定装置のアナログデータをデジタルに変換してコンピューターに入力する、A/D コンバーターが問題のようで、ちょっと深刻な事態かもしれません。パソコンも拡張ボードも古いものですし、C++ のプログラムも2008年に書かれたものです。もし、部品を違うものに交換するとなるとソフトを書き換えたり、古い C++ や Windows XP では使えなくなったり、いろいろ頭痛の種になり得ます。なので、とにかく修理か、中古でも良いので同等品の交換が理想ですね。Xperia は結局返品することになりました。ちゃんと $160 返ってくれば良いのですが、eBay および Paypal を使ったので、ほぼ大丈夫とは思いますが。悪いことは一番忙しいときに集中して起こる、という法則はありましたっけ?

上画像:FT-IR 装置に付けた拡散反射試料台に CM コンドライト試料を乗せているところ

とにかく何とかこれからの2週間をがんばって生き残って日本出張を享受したいものです。私がボストンを発つ直前に、はやぶさ2の打ち上げがある予定ですね。そういえば、先日中日新聞からSkypeを通して取材インタビューがあり、ここに示したような実験中の写真も送っておきました。FT-IR拡散反射スペクトルを取るためにCMコンドライトのチップ試料を回転台に乗せているところです。
 

その後の Sony Xperia LT29i Hayabusa

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: November 04, 2014

上画像:私のオフィスの前の芝生に広がる秋の風景

皆様、秋も深まってきたと書いているうちに、何と今日は雪がとうとう降ってしまいました。明朝は氷点下です。もちろん、今日から今夜にかけて寒いだけで、今週はその後は日中の最高気温が60度台まで暖かくなりそうですが。とにかく、先週は秋のちょうど良い気候で、最初の写真にあるように、私のオフィスがある Liconln Field Building の前の芝生の回りも様々な色の木々で彩られていました。

秋の景色を楽しみながら日本への出張の最終日程を決めようと思っていたところですが、とんだハプニングがありました。たった2週間ほど前に届いた Sony Xperia TX LT29i(Hayabusa)ですが、何と充電されなくなってしまったのです。それで、電池が問題かもと思い、新品の大容量を買って入れてみたのですが、やはりなかなか充電せず、いろいろつなぎ変えてやっと 43 % まで充電したと思ったら、それ以上は行かずにどんどん放電してしまいます。Android のバージョンアップをしたらよいかと思い、下ろしたまでは良いですが、電池の充電不足ということでインストールしてくれません。

いったい、Sony はなんて物を作ったんだ、と思って調べると、他にも同じ問題を抱えている人たちが居ました。
http://talk.sonymobile.com/...
本当にこれは困ったことです。特に、私が買った機種はアメリカの Sony ではサポートされていないようです。海外モデルなのかわかりませんが。どうも、電源を切っても、充電している間に液晶が明るくなって SONY の文字が浮き出る現象が繰り返されるので、せっかく充電した電力を消耗しているのではないかと思います。もうちょっと粘ってみますが、返品しないといけないかもしれません。

上画像:1994年から数年住んでいたアパートのある建物

一方、私の足の痛いのもまだ続いていて、実験室から10分くらい歩いた所にある理学療法士に見てもらっていますが、その Elite Physical Therapy の向かい側は、何と我々家族が1994年にブラウン大に戻ったときに最初に住んでいたアパートでした。写真の赤レンガの建物の2階の右側の窓のところがそれです。ここに住んでいた時に、1995年12月に長女が生まれ、その子が今年ブラウン大学に入学したことになります。実際に生まれたのは、ブラウン大から南に20分くらい行ったところにある Women & Infants Hospital にある Alternative Birthing Center (ABC)ルームと言うところでした。次女も同じ部屋で生まれましたが、その時はアパートを Cranston という南の方の都市に移っていました。映画 Love Story で、ハーバードの坊ちゃんである Oliver の恋人 Jennifer のお父さんのイタリア系ベーカリーがあるとされた都市です。

全て今では良い思い出です。
 

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