母へ - May 30, 2016


皆様、初夏のようになってしまったボストンからお便りします。実は事情があって、先週書くはずだったブログが一週間遅れてしまい、明日はもうブラウン大学は卒業式です。何があったかというと、私の人生初めての経験でした。母が亡くなりました。

二週間前の05月13日の金曜日の夜、姉と妹から同時に電子メールがあり、母が老健で食事中に喉に食物が詰まって窒息死したという知らせでした。日本では14日土曜日の朝でしょうが、もう寝ようとしていた夜のことで、一体どうしたらよいのかわからず、とにかく Skype で各務原市の実家に電話しました。すると、父と同居している妹が出て、詳しい日程は追って連絡するということでした。既に2年間、寝床か車いすに縛られて口もきけない母でしたが、そんなに突然亡くなるとは、4月に姉と会いに行ったときには思いもしませんでした。

通夜と葬式がいつあるのかわからないので、色々航空会社を調べていたら、過去にあったような、家族の死亡などでの特別料金はなくなったようで、その代わりに、直前でも割安の航空券が取れるということでした。そうしているうちに連絡があり、通夜は15日の日曜日の夜七時から、葬式は16日の月曜日の午後1時からと決まったということでした。だったら、すぐに飛ばないと間に合わないじゃんかと思い、調べたら、何と、翌朝、14日の土曜日の朝九時にボストン発のデルタ航空でデトロイト経由で中部国際空港(セントレア)に飛べば、空港に15日の日曜日の午後 3:05 に到着し、そこから名鉄の特急で行けば、各務原市の実家の最寄りの三柿野駅に夕方5時頃着けることがわかりました。

その時点で既に、金曜日の夜の深夜を回り、土曜日に突入していましたから、空港に行く時間を考えると、朝六時前起きになり、デルタ航空に電話をして、座席や特別食のことなどを調節しているうちに、何と一時間半しか寝る時間が無くなりました。そして、通路側が開いていなかったので、$55 余計に払ったりで、合計が $1300 くらいになりました。まあそれでも、その日に取った航空券としては悪くないでしょうね。

4週間前に日本に往復して帰って来たばかりだったので、さすがにまた 17 時間の飛行機の度は疲れましたが、まあ日本の映画も多く見れたし、幸い翻訳のバイトは入っていなかったときなので、母を霊界に送ることに集中できたと思います。セントレアは非常にコンパクトで名鉄の駅も近くて便利です。列車の本数が少ないのが今一ですが。

そこで大きな間違いを犯してしまいました。こちらで、スマホを Sony の Experia Tipo から大きな Microsoft Lumia に買い換えたのですが(AT&T に縛られたのをたった $30 で Best Buy で買って、それを Unlock した超お買い得のもの)、何とデータ通信をオフにするのを忘れていたらしく、空港では無料 WiFi が使えていたのに、名鉄電車内では使えないことを知らず、そのまま何十メガバイトも携帯通信で使ってしまったようです。ところが、葬儀場に着いてから自宅に戻るまでのまる二日間、ネットには繋ぐことができず、その料金がいくらなのかわかりませんでした。それがわかったのは葬式の日の夜で、何と $550!慌てて、代理店の HanaCell に事情を話し、何とか情状酌量してもらえないものでしょうかと懇願しました。そうしたら、週末明けて返答があり、半額免除してもらえるとのこと、ホッとしました。

とにかく、通夜と葬儀は、実家近くの TEARS という会社の祭事場で行い、受付には折り鶴を作る場所や、親族からの贈る言葉の額があり、葬儀は父親の浄土真宗で行われました。母の宗教は違うのですが、仏壇で拝んでいたのは確かなので、宗教調和統一のためにもそれは良かったかもしれません。二度のお経の通読はかなりきついですが、八十三歳の母と同じくらいの年の親族も頑張ってついていっているので、へこたっては居られません。特に、母の妹さんは、とても力をなくしておられました。

私が通夜に間に合って帰るとは思っていなかった親族が大部分だったらしく、そして、もう 20 年以上あっていない叔父さん叔母さんも多く、喪主の長男という立場も利用させてもらって、人生の目的、死の意味などを語らせていただきました。こういう場面では誰も文句が言えないので、ある意味で、とっても都合のよい場所でした。基本的には、人生は、母の胎内という水中で四十週間、この世の空気中で 120 年程度以下、そして霊界で永遠に生きるもので、この世での死というものは新たな生命に生まれることなので、悲しむべき時ではなく、むしろ喜ぶべき時です。また会う日まで、さようならを言う時です。昔の歌にあったように、「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束」ですね。

喪主である父は片肩を負傷して治癒中なので、代わりに長男の私が母の遺影をもって、棺の前を歩いて霊柩車で市営の火葬場に送りました。皆が花を手向けてくださり、蓮の花が咲く池のほとりの火葬場で骨になりました。皆で夕食をした後、まだ墓がないので、実家の今の祭壇に置いてあります。法名は、釋美結で、シャクミユと読みます。

その夕方は、姉とお金の整理や支払いの段取りを立て、四十九日や一周忌の話をし、よく火曜日も姉はやってきて、墓地を観に行ったり、父を診療に連れて行きがてら老健にお礼のあいさつに行ったり、色々でした。そして、よく水曜日の午後には飛行場に向かったという、たった三日だけの日本滞在でした。本当はもっと長く居たかったのですが、今週、NASA の Emerging Worlds の科研費の締め切りがあり、どうしても実家ではとても書ける見込みはありませんでした。今思うと、夏に必要な蚊取り線香くらいは買って持ってくればよかったと後悔しています。以前に購入しておいた、「進撃の巨人」は十七巻まで持ち帰りましたが:)

50年も美容院を経営しながら息子を東大にやり、惑星科学の研究者に育てた母。しかしアメリカという、地球の反対側に行ってしまうとは想定外だったようです。2006年に K 大学の助教授に内定した時はとても喜んでくれていましたが、それが理学部の人事委員会において棄却になり、大学の教官になる道はそれ以前も以後も閉ざされたかのようになってしまいました。母は私以上に如何に悔しかったことでしょうか。しかしながら、はやぶさで Nature 論文まで出した私を蹴った K 大学は、その後、物質科学の研究はどうなったのでしょうか?宇宙風化をやっているとか、また鉱物分光学をしているとかあまり聞きません。残念なことですね。せっかく、炭素質コンドライトに関係した大きな研究計画を持っていたのに、本当に残念です。

後悔先立たずと言いますが、この 10 年間、私はアメリカにいて、もし日本に帰っていたら今頃どうなっていただろうかと考えることがあります。イトカワ試料を分析できていたかもしれないし、かぐや(SELENE)ミッションでは、もっともっと日本チーム員と密接に働いて論文を出せたかもしれないし、はやぶさ2ミッションはもっと早く実現したかもしれない。もちろん、すべて「かもしれない」の世界ですが、日本の大学界の一つの誤った決断が、ひょっとしたら、それくらい大きな波及効果を持つかもしれないことを忘れないでほしいです。
 



セミナーに出かけよう! - May 09, 2016


日本から帰ってきて二週間がたち、時差ボケも完全に治って、月隕石論文の査読への返事も書き、NASA 研究費の申請にこれから追われる毎日になりそうです。こちらは、暦の上では春の真っ只中ですが、まだまだ寒いニューイングランド地方です。一方、日本のニュースを見ると、サマービズの話とかが出てきて、夏の気分なのかもしれませんね。

さて、前回は二週間の日本出張中の報告をしましたが、今回は、その時に買っておいた本の紹介をします。実際は、アメリカからネットで Amazon.co.jp とかで注文して実家に送ってもらっておいたものを持ち帰ったわけですが、写真にあるように、愛読している井沢元彦の「逆説の日本史19」、麻生太郎氏の「とてつもない日本」、そしてヨーコ・カワシマ・ワトキンズの「竹林はるか遠く」とその続編です。

下画像:今回日本から持ち帰った書籍類。


 

「逆説の日本史」は、今回は幕末・明治維新のところで、水戸藩や薩長がどのような動きをしていて、特に島津斉彬の死が大きな影響を持つわけですが、それは毒殺だったのではという著者の洞察もありました。それで、八年前の NHK の大河ドラマ「篤姫」を見てみましたが、美化されている節はあるものの、あの時代の薩摩藩とそこから将軍家に嫁いだ篤姫、そして勝海舟の使命の大きさがよくわかります。明治・大正・昭和という 120 年間の日本の歴史は、東アジアに大きな影響力を持ち、第二次大戦後に欧米によるアジアの植民地を開放していく主力となるわけですが、そのきっかけを作ったのがこの幕末の時代であることを考えると、日本とアジアを救った偉大な人物たちであったと言えると思います。

麻生太郎氏の本も、日本人が知らない、日本の特殊性と素晴らしさを教えてくれる素晴らしいものです。そして、「竹林はるか遠く」は、戦後、朝鮮半島から引き揚げてくる著者の壮絶な体験を書いたもので、いろんな書評を見て、いつか読みたいと思っていた本ですが、まだこれから読むところです。日本人は、本当の歴史と、世界における本当の日本と日本人の立場を知り、現在と未来に対処していくべきと思います。

閑話休題、というか惑星科学のまじめな話を書きますと、この二週間は試料の測定が割と暇だったので、セミナーによく参加できました。最初の週の木曜日のお昼と夕方には、ローレンス・リバーモア国立研究所からの Lars Borg 氏がセミナーをされ、サマリウム、ネオジウム、鉛とかの同位体の精密測定から、月の形成年代をしっかり決めるという話をしていました。
Lars Borg, Lawrence Livermore National Laboratory “Constraints on the formation age of the Moon from isotopic investigations of lunar samples”

次の週のお昼の Lunch Bunch では、うちとも協力している MIT からロシア人の Anton Ermakov 氏が来て、Dawn 探査機によるケレスの重力場測定の話でした。その日の朝もいつもの様にPeter Panバスでボストンから通勤したのですが、乗るとすぐに、Professor Hiroi といって誰かが声をかけてくるので、誰かと思ったら、セミナーをしにブラウンに向かう Anton でした。
Anton Ermakov, MIT, “What do we learn about Ceres from the Dawn gravity and shape data?”

その日の夕方の Colloquium では、Hanna Nekvasil さんによる、斜長石の組成から月のマグマオーシャンが本当に高圧下にあったのかなどを探る話で、基本的には、月の斜長石の A n値(Ca 量)が極端に高いのは高圧下で生成したからだという結論だったと思います。
Hanna Nekvasil, Stony Brook University “Uncommon behavior of a common mineral: new insights into the lunar magma ocean”

やっぱり、セミナーは参加しておくと勉強になってよいですね。これからは、もっとまじめに参加することにしようと思います。

最後に、ボストンコモンで開かれた日本文化の祭りのような催しものと、ブラウン大キャンパスの春の光景の写真をお見せしておこうと思います。桜まつりはMITとかであったと思うので、今回のはちょっと違う趣向だったと思いますが、よく覚えていません。ステージが2つあり、アニメキャラのコスチュームで歌って踊ったりしていた出し物もありました。ブラウン大は平常通りで、学生たちは5月は最終試験とかで大忙しの時期です。次回お便りするときは、学年が終わって卒業式のシーズンになるかと思います。

下画像:ボストンコモンでの日本祭りとブラウン大の春の光景。


 

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