The Planetary Society of Japan

ブラウン惑星人の日々 January 2013

喫煙取締官

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: January 29, 2013

先週は-15度Cという極寒の日々が続きましたが、今朝は-5度Cくらいという普通の気温でした。大きい白人男性などは手袋や帽子なしでも歩いていましたが、私のようなアジア人はそれでも完全防寒の服装です。秋ごろに日本から研究できたばかりのカップルは、まだ氷点下も行っていないのにボストンは寒いといっていましたが、先週くらいはきっと死ぬほどの寒さを体験していたのではないかと思います。私もこういう寒さには慣れましたが、アパートの全館暖房がよく効いているおかげもあります。

上画像:全米を走るアムトラックの普通列車と特急列車アセラ

トーストマスターズクラブなどで遅くなってバスに乗れない時には、全米を走る日本ではJRのようなアムトラックで帰ることもあります。

上画像:マサチューセッツ州営の通勤用ディーゼル列車

MBTA は州営で、なんと車両は Kawasaki という日系らしい会社が製造したディーゼルカーで、黒い煙を出すエンジンです。私は高校生のときに当時の国鉄のディーゼルカーで故郷の各務原市から岐阜市の高校に通っていましたが、30年もたって異国の地でまた日本のディーゼルカーで通勤するとは思ってもいませんでした。MBTAはプロビデンスまで1時間ちょっとかかりますが、アムトラックは普通列車でも45分くらいです。しかし、特急列車のアセラでも、ニューヨークまで3時間半とかかかり、飛行機に完全に負けてますし、おそらく日本の新幹線の3分の1の速度だと思います。ボストンからニューヨークを経由してワシントンDCまで日本の新幹線を導入すればよいのにと思います。

上画像:ボストン南駅のピーターパンバス乗り場(この日は休日に写真だけ取りに行ったので、いつも2時過ぎに出勤しているわけではありません。念のため。。。)

貧乏科学者の私は迷わず安いバスを使いますが、実際列車を使う人はボストン付近の衛星都市から通ってくる人が多く、隣の州のプロビデンスまで直行するバスのほうが私に合っているわけです。そして、普通は家賃が安いプロビデンスに住んでボストンに働きに行く人が多いので、私のようにボストンに住んでプロビデンスに働きに行く人は少なく、乗車する人は10人もいないと思います。あと、ボストンのローガン空港とプロビデンスのグリーン空港が路線の両端で、その利用客にドル箱になってもらって経営が成り立っているのでしょう。

MBTA、アムトラック、ピーターパンのどれも、車内で無料の WiFi を使えて、アムトラックのエコノミーの最初の車両とピーターパンバス内では携帯電話の通話は制限されているので、静寂な環境で乗車できます。それでも、ルール無視で電話し続けて迷惑をかけている乗客がいるので、私は必ず、「You are not supposed to have such an extensive phone conversation on this bus.」といって注意します。バスの車内は狭く、運転手の目が届くのでわりと言うことを聞いてくれます。でも、駅のホームとかで喫煙している人に同様に注意しても、警官が近くにいないときなどは、「Do you work here?」とかいって自分が悔い改める前にあなたは誰様だと思っているんだと開き直る悪い態度の人たちもいます。妻は、「ここはアメリカで銃を持っている人も多いのだから、いい加減にしたほうがよいわよ」と言いますが、私は黙ってみていて心の中で裁いていることはできません。あと、そのおかげもあって、ボストン南駅での喫煙は過去10数年でかなり減ってきたように思います。本来禁煙なのだから厳しく取り締まるだけのことです。あと、車掌とかそこで働いている人々で喫煙している人がいるので、私は Web サイトや電話を通して会社の顧客窓口に連絡して苦情を申し立てるようにしています。私の考えでは、公衆で人々のそばで喫煙をするのはテロ行為と同じです。タイムスケールが秒と数十年とかの違いがあるだけです。

いろいろ書きすぎて、プロビデンスに着いてからの事を書けなくなったので、また今度にします。ところで、今日はちょうど私のボスのカーリーが日本の宇宙研で開かれた SELENE(かぐや)科学会議から帰ってきました。またお昼から NASA HQ に出張のようですが、よくそんなに出張ばかりしていられるものだと思います。研究はほとんど学生や共同研究者がしているのだろうか?いずれにせよ、私もかぐや衛星のおかげで小惑星だけでなく月の研究に関わる事ができて、カーリーとも時には熱い議論もできます。最近は宇宙研の大竹真紀子さんの純粋な斜長岩(PAN: Purest Anorthosite)や、環境研の山本聡君のカンラン石やスピネルの研究でカーリーも内心日本の実力に驚いていることと思いますが、カーリーを通して給料をもらいながらも日本のかぐやチームにいるという微妙な立場の私としては、楽しいような怖いような不思議な気持ちです。
 

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POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: January 22, 2013

上画像:マサチューセッツ州会議事堂をボストンコモンから見たところ

日本の皆さんは今日は月曜日で平日でしょうが、こちら米国では、マルチン・ルター・キング・ジュニア牧師のお誕生日ということで休日です。キング牧師やアブラハム・リンカーン大統領は、米国の黒人を奴隷から解放し、その権利を確立するために尽力した方々で、お二人とも暗殺されています。同様に、共産主義と確固として戦ったジョン・F・ケネディー大統領やロナルド・レーガン大統領も暗殺または暗殺されかけました。善なる人々はそのために立ち上がることで悪から攻撃され、そのために命を落とすこともしばしばあるというのがこれまでの歴史だったと思います。大それた言い方かもしれませんが、私もそれを実感することがあります。

上画像:ボストン南駅.歴史的な建物で、列車やバスのターミナルがある、交通の要所

実は、私はこの週末は金曜日に日本領事館にいく用事があり、そのために仕事を休んだので、4連休でした。私のアパートはボストンの中央公園とも言えるボストンコモンのまん前にあり、歩くと、イスラム教の寺院のような金色の丸ドームを持つマサチューセッツ州会議事堂が見え、列車やバスのターミナルがある交通の要所のボストン南駅まで歩いて10~15分ほどです。そこからいつもはブラウン大学まで通っています。普段はバスで、時々列車を使いますが、そのあたりのことはまた後の機会に書きたいと思います。

上画像:22階に日本国総領事館がある、ボストン南駅前の連邦ビル

用事というのは2つあり、1つは在外投票人登録の手続きで、もう1つは私が長年日本の大学から受けてきた憲法違反とも思える差別についてでした。特に2006年の末にXX大学の助教授職に学科で内定した後に起こった、事務からの推薦者への不思議な電話や、その翌日電子メールでその職自体がなくなったと知らされた事などは、日本国憲法で保障されているはずの、思想・信条の自由などの人権に反し、訴えてもよいのではないかと領事館の補佐の方に言われたくらいです。しかしながら、電話というのは証拠が残っていず、証言を覆されればおしまいだし、私の目的は大学を苦しめることではないと話しました。その他にも、某研究機関での人事の不透明性、および特定大学派閥への癒着や、某学会の会長だった人が今後は惑星探査に関係する研究をもっとしましょうと声をかけながらも、私のような探査に直結する研究をしてきた人間が日本の大学で採用されてこなかったことを問題視しない偽善性、などなど、私が経験し、感じてきた日本の大学の問題をすべて聞いてもらいました。 新たな安倍政権のもとで文部科学省は、私の場合のような海外への頭脳流出を食い止めるべく、頑張って欲しいとお願いしてきました。

昔、キャプテン・ハーロックというアニメがあり、地球を侵略してきたマゾーンという宇宙人がいて、地球政府も彼らと癒着していて、人民を苦しめていました。それに完全と立ち上がってマゾーンと戦っている一匹狼がハーロックで、地球のために戦っているのに、地球政府から指名手配されて追われる立場でした。その地球を日本に置き換え、宇宙を世界に置き換えると、私はハーロックのような立場の人間ではないかと思ってしまうことがあります。

おそらく、日本の学生は優秀なので、人事を司っている人々が大きな世界を見て目覚めていけば日本の科学にも明るい未来があると思います。自分が食べていくことや自分の職や立場を守るために仕事をしている大学人たちは何も生み出すことはできず、一方で、科学を愛し、それを通して国や世界に貢献し、次世代の若者たちの教育もしていく人々は、真の科学者・教育者・功労者となって後世の人々に覚えられていくでしょう。そういう人に私はなりたいです。
 

はじめまして!

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: January 15, 2013

上画像:ロードアイランド州の州会議事堂で、自重で支えているドームとしては世界第二の大きさだそうです。白く美しいです。

皆様、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。米国ロードアイランド州の州都プロビデンス市にあるブラウン大学の惑星地質のグループに属する日本人研究者として、皆さんが興味を持つのではないかと思われる話題をご報告していこうと思っています。もちろん、こんなことが聞きたいというようなご要望はいつでも歓迎です。まず、私がなぜここにいるかという背景について簡単に説明します。

1990年5月5日午後5時55分のアメリカン航空のダラス行きに片道切符で成田空港から乗った29歳の若手研究者、それが私でした。山田科学振興財団から200万円とアルバイト先から100万円もらって、1年間だけの長期派遣としてここブラウン大学に来ました。東京大学で博士号をとった後、学術振興会で2年研究員をしましたが、ここしか来る所がなかったからです。日本を離れるには大きな決意が必要でした。当時婚約中だった私の妻には、アメリカにいったらどうなるかわからないけれど、必ず1年で帰ってくるからと告げ、岐阜県の実家の母から送ってもらった15万円ほどで、当時発売したばかりの初めての東芝のノートパソコンであるDynabookを買って、あとは身の回りのものと、別送した研究資料のみで渡米しました。

上画像:Carle Pieters と私。

私の先生は、優しそうな女性のカーリー・ピータース助教授(以下、カーリー)で、本当は4月1日から来たかったのですが、5月に実験室が新装されるからそのときに来たらよいと言われたのでした。その実験室というのが世界的に有名なRELAB (Reflectance Experiment Laboratory、反射率実験室)で、それが約23年後の今月、新しい建物に引っ越すことになりました。名前の方も、今は熱放射(Thermal emission)も測るので、RELAB の E は Emission と解釈しようなどとも話しています。

上画像:インドからの学生と写した2007年当時の実験室の写真

この RELAB は、1969年にアポロ11号によって人類が初めて月の岩や砂を持ち帰ったときに、NASA ジョンソン宇宙センターでそれら試料の光の反射をいろんな角度と波長で測ろう(双方向反射スペクトル測定)という目的で、ロッキード社に頼んで作ってもらったものです。1980年代にカーリーがブラウン大学に移るとともに持参して改良を重ねた結果、現在では世界の反射スペクトルの黄金基準(Golden standard)としての高い評価を得るにいたっています。

上画像:LPSC のアブストラクト用画像

ちょっと専門的過ぎたかもしれませんが、私は東京大学ではドイツの Beckmann という会社から購入した非常に不便な機械しか知りませんでしたから、こんなすばらしい手作りの分光器があるのかと非常に驚き感動したのを覚えています。でも、そこで働いていた技官であるスティーブの試料を皿に乗せる仕方やいろいろ細かいことが気になり、カーリーとスティーブを説得して、試料調整から測定と校正まですべて自分でやることにしました。それが幸いして、その後3年間ジョンソン宇宙センターで研究員をやって職にあぶれたころ、再びブラウン大に戻ってきて RELAB の技官として働けることになり、現在では上級研究員(Senior Research Associate)になりました。

この23年間の間、多くの学生や研究者とともにいろんな研究をし、なんと実験でお世話した学生が Assistant Professor として最近戻ってきたくらいです。一方私個人の立場は、日本では教授になれるくらいの論文などはあり、実際特任教授もやったことがありますが、こちらでは研究員という肩書きながら実務は技官的な仕事が多く、いろんな研究者や学生の試料を測ってあげたりしています。毎年 400 個くらいは測ってきたおかげで、反射スペクトルを見ると大体どんな物質なのかぱっとわかるようにはなりました。いつか日本の学生たちの中で同様な能力を持つ人が出てきてほしいものですが(笑。

今はまさに引越しの真っ最中で、新しい実験室はまだまだ準備が整っていませんが、RELAB の1つの時代を経験し支えてきた自分としてはとっても大きな区切りのときであると感じています。次回はもっと日常的なことをお話したいと思っています。
 

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