ブラウン惑星人の日々 October 2013
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秋の気配から冬の気配へ(秋は素通り?)
上画像:ボストンコモンの紅葉の風景。人々は日本では冬のような格好をしていますが、こちらの冬になれば、南極の夏よりも寒いような-15℃とかになるので、もっともっと重装備になります。
この1週間のうちにボストンはかなり寒くなりました。体感気温では朝は氷点下になりますね。今回も、ボストンコモンの一角の紅葉の景色をご披露します。日本の基準だとかなり真冬の服装をしている人も見られますが、まだまだこちらの基準では暖かいので、手袋や帽子をしていない人々が多いですね。公園や地下鉄のホームでギターなどの楽器を弾いている人はよく見られるのがアメリカらしいところですが、日本も私が去って以来かなり変わってきたのでしょうね。
このような紅葉を見ると、土や木の幹と枝の茶色と、芝生や夏の葉っぱの緑と、紅葉の黄色や赤と、空の青色の調和が美しく感じます。しかしながら、それらの色は、人間の視覚が感じることのできる可視光という狭い領域の中でも波長によって異なる吸収または散乱特性を示すからで、そういう万物の各々が自己の存在や成長などの理由で持っている性質の共存が人間にとって「美しい」という感覚になるというのは偶然でしょうか?そういう環境に住んでいるからそう感じるようになったというのは違っていて、どんな汚いスラム街の屋内で育っても、同じように美しいものを見たらそれとわかるわけです。
更に、この美しい空を見れる可視・近赤外領域の光は、大部分が地球の大気を通過でき、私の専門の固体惑星物質(特に鉱物)遠隔探査に最も適した波長領域となっています。なので、アポロ11号が月に行って試料を取ってくる前から優秀な学者たち、特にBruce Hapke先生は、月の表面が火成岩でできていて、屈折率がどのくらいで、太陽風によって反射率、反射・偏光スペクトル、そして測光関数が地球上の対応する岩石から大きく変化していることを既に予言していました。それは地球からの望遠鏡観測が実験室での同様な測定とうまく比較できるだけの波長範囲と精度を持っていたからです。そしてもちろん、そのような惑星地球に我々知的生命体がいたからです。
このような事実が実は多くあり、最近有名になってきたインテリジェント・デザイン(ID)説では、地球は生命を産むのに最適な環境であるだけでなく、知的生命体が科学をするのにも最適な環境にあるのは何故かという問いかけに対して、それは知的な第一原因があって、そこに意図した力が自然現象の一見偶然に思える各過程を導いて今日の我々と地球環境を作ったという主旨のことを言っています。もちろん、進化論と同様に証明できない説かもしれませんが、物理学(特に素粒子理論)、宇宙論、生物学、そして惑星科学における最新の科学的発見がID説をよりもっともらしくする方向に働いているように思えます。
たとえば、量子力学では、ミクロの世界のある物理量(運動量とかエネルギー)の実体を知るために観測や測定をすること自体がその系の物理現象を干渉してしまうので、測定しなかったらその物理量はいくらだったかということはわからないですし、そういう物理現象が存在することも測定してみないとわからないわけです。そうすると、人間という観測者がいれば物の存在は意味があっても、人間の存在に意味をつけるような究極の観測者はいるのだろうかという疑問を持つ人もいました。超ひも理論における縮退した次元の中に霊界が含まれているという人もいますが、それでもやはり第一原因にはなり得なくて、霊的な対象物を存在せしめたものが何かは素粒子理論だけからはわからないはずです。
話が紅葉からかなり飛躍しましたが、昔からそのように思考で飛躍していくのが科学者または自然哲学者の常であったように思います。最近の唯物論の罠にはまってそれを越えられない科学者たちは、本当の科学者ではないと私は思います。いつものことですが、これを読まれて気持ちを害された科学者の方々、皆様にもそれなりの役割があるのですから、私のような科学者を迫害されない限り、皆様なりに国や世界人類に貢献してください。
秋の気配
天気予報を見る限り、とうとうこちらも今週半ばから寒くなりそうです。朝晩は0℃に近づくような気温になるそうな。日本も、私が行く11月中旬までにはそうとう涼しくなっているでしょう。
上画像:9月に行った別府地獄谷のひょうたん温泉での昼食.
さて、9月に帰国した思い出をまたひとつ紹介します。佐世保からバスに乗り継いで大分に移動したときに財布を落としたりして大騒動したことを書きましたが、それによる旅程変更が一段落ついた後、温泉に招待されました。メル友の男性2人と女性1人とで4人で、大分の近くの別府の地獄谷にある、ひょうたん温泉というところで、まず昼食を摂りました。最初の写真にあるように、非常に健康的で、あらかじめお願いしておいたように、肉を除いてくれていました。やっぱり日本は温泉と、そこで出される食事が最高ですね。老後はやっぱり日本で暮らしたいですね:)
上画像:朝通勤途中に歩くボストンコモンの紅葉.
2つ目の写真は、ちょっとぼけていますが、家を出てボストン南駅に行く途中に通るボストンコモンでの紅葉の風景です。もっともっと紅葉が広がると思いますが、すぐに冬になるので、秋の紅葉の季節は短いです。そのあたりは日本のほうがずっとずっと秋を楽しめるのでうらやましいです。
上画像:ブラウン大学の中心の芝生(メイングリーン)から見た秋の風景.
ブラウン大学はボストンよりも少し南にあるせいか、まだ紅葉も未熟で、3つ目の写真は夕方私が帰る途中のメイングリーンで、黄色い葉っぱが見える景色です。今週あたり、もっと秋らしくなると思いますが、私もこれからの3週間はとても忙しくなりそうで、写真をお届けできるかはわかりません。
ところで、この2週間くらい、腰や背中が非常に痛いです。やっぱり9月の2週間の帰国のときに無理しすぎたか、翻訳のアルバイトや科研費の申請書書きのためにバスの中で不自然な姿勢でコンピューター仕事をしすぎたかのどちらかでしょう。先日53歳の誕生日を迎えたのですが、もう米国に来たときの二十代ではないので、あまり無理はできません。とは言え、120歳まで生きる予定の私としてはまだ半分も生きていないので、まだまだ減速するわけには行きません。虎視眈々と目標に向かって進むしかないでしょう。
先月の帰国の際は、5月の時と同様に、老健に入っている母を見舞いに行きましたが、前回よりさらに悪くなっているようでした。目を見たら私や他の家族を認識しているようではありますが、「あかんあかん」と口走るばかりで、その途中に相手の名前が出てくれば幸いといった感じでした。私と父と姉と姪が訪問する1日前には、母の実家の親戚の方々が来られていたそうで、施設の人に寄付を渡して帰るときに涙を流していたそうです。かつての面影もない母の変わり様にきっと驚かれたと思います。私はそういう風にはなりたくないので、健康で長生きしてからポックリ死にたいですね。あと、子供たちが死ぬときは見たくないので、1日でもよいから私よりも長生きするようにといつも娘たちには諭しています。親より早く死ぬのは親不孝だと。
11月の帰国は、おそらく7箇所くらいで講演をする、これまででもっとも忙しい出張になりそうです。帰国のたびに4度も飛行機に乗る必要がある私としては、いつ霊界に行くやもしれませんから、一期一会と思って、日本滞在中はできる限り私の研究と日本の惑星探査ミッションの話をします。老若男女すべて含めて、年間にたとえ数千人程度の人たちにしか話せなかったとしても、5年とか10年続ければ、それら数万人の中から、私のしていることの価値を理解して更に私以上の高いレベルと範囲に発展させていける人材が出るかもしれません。
そういう意味をも含めて、私は一般講演でも敢えて難しいスライドをはずしたりしません。それは選ばれし物がたった一人であっても、その人に強烈な消えない記憶として将来まで持っておいてほしいからです。人間は一度見たものを決して忘れないという説があります。単にどこにおいたか忘れて取り出せないだけで。それ故に、「思い出す」という言い回しがあるのでしょう。それを信じて私は継続していきます。
ノーベル賞よりも...
皆様日本は残暑が長かったようですが、こちら米国ニューイングランド地方もまれに見る暖かい秋となりました。さすがにそろそろ網戸を閉めたり、窓からクーラーを外さないと朝晩寒くなってきましたが。アメリカは今日月曜日はコロンブスデーで休日です。政府も、予算の折衝がつかずに閉鎖したままです。国立の機関は大方機能していませんね。長引くと、NASA研究費で食い繋いでいる我々もいずれ危ないかもしれませんが、どうせこの秋に発表されるはずの新しい研究所としての申請の結果が通らなければそれでおしまいです。
社会を人間にたとえれば、政府は頭脳のようなものかもしれません。ただ、アメリカは州の独立性・自治度が強く、各州が憲法も持っていますし、所得税や消費税の率も違います。こういう国は、実は連邦政府は小さいほうがよいと私は思います。大きい小さいというのは経済全体に占める政府関係の活動の率で測ることができますが、過去100年くらいに何倍にもなったようです。私がブラックルシファーとよぶオバマ大統領はその最たるもので、ほとんど社会主義かと思えるような政府出費をしています。高齢化社会に向けて、それでは政府は破綻してしまうでしょう。
大体、なぜオバマ氏がノーベル平和賞をとったのか理解できません。ゴアが取ったときも意味不明でした。地球温暖化が人類の活動によって起こっているという証明はされていませんし。一方で、女性の教育機会のために命がけで戦ってきた少女マララさんが落ちたり、平和賞ってとても信用できないです。ノーベル賞自体がダイナイマイトを戦争に使用して多くの人を殺した代価でできたお金ともいえるので、知名度は高いけれども、それを賞賛しすぎるのもどうかと思います。特に、オバマやゴアはもらうべきではなかったでしょう。一方で、杉原千畝をはじめとして日本人でもらうべきだった人たちは多くいたと思います。
私は科学者になる前は、ノーベル賞をとるという目標を持っていましたが、惑星科学に入ったことと、その賞自体への幻滅から、かなり興味を持たなくなりました。しかし、大学教官への道は投げていません。ノーベル賞委員会も腐敗しているのかもしれませんが、日本の大学の人事も腐敗していると私は以前に書きました。そうであるならば、大学に勤める人たちが内部から自浄していくか、外部から圧力をかけていくしかないでしょう。最近、「半沢直樹」のドラマを見ましたが、この人物の生き方は私に似ているなあと思いました。続きがどうなるか楽しみですが、きっと前途多難なんでしょう。
上画像:大学院修士1年生の時、徹夜で研究した翌朝、東大教養学部4号館の屋上で。
最初の写真は、私が研究生活を始めたころ1983年12月の徹夜明けに研究仲間に写してもらった写真です。東大駒場キャンパスの4号館の屋上から明け方の町並みが見えます。このころは研究や自分の将来に対してどのような展望を持っていたのかと今は思い巡らせますが、少なくとも、こんなに長くアメリカに行ってしまうとは想像だにしていなかったでしょう。この時から12年後の1995年に、次の写真にあるように、渡米後5年半・結婚後3年ちょっとして長女が生まれました。おそらく、この時ぐらいから今のように居ついてしまう予感を感じていたのかもしれません。しかしそれは別として、とっても幸せな人生の時でした。
上画像:渡米して5年半後に長女が生まれた時の写真。この子は来年は大学に行きます。
悪人達が悪を行うためには、ただ1つの条件が必要で、善人達が口を閉ざしていることである、という言葉があるように、善人がもっと強くなって、悪人達の悪行に対して、2倍返しするぞ、と脅すくらいでもよいと思っています。悪人達には、怒鳴られないとその悪なる背景を拭い切れない、目が覚めない人が多くいると思います。本当に仕返しをしなくとも、そうできる強さを善側が持たないと、始めからなめられて抑止力になりません。最近の日本の隣国たちがうるさく言っているのも日本がなめられているからで、安倍首相が活を入れて黙らせれば、きっとノーベル平和賞をもらうにふさわしくなると思います。実際私は、天皇陛下が下さる賞のほうが何倍も価値あると思いますが。
ところで、先週は日本の科研費の所内提出の締め切りで忙しかったです。本提出は11月1日ということですが、公正に審査してもらえるとよいのですが。最近、私のNASA研究費の申請はあまり通らないです。私の準備が不十分で内容が今一なのだと思いますが、学生もいず、研究の時間も限られた立場ではなかなか難しいです。来年3月のLPSCも行くのは難しいですが、その分、たまにはゆっくりと休暇をとるか、論文でも書いていればよいかもしれません。
日本の若き研究者の育成を考えている私としては、最近はLPSCよりも日本への出張、特に惑星科学会とかの方がより重要と思われるようになりました。科学においてもそしてひょっとしたら政治とかの分野でも、今後はもっともっと日本人が活躍すべき時代が来る予感がしています。世界中探しても、日本人のような人材は稀ですから。
11月石垣島上陸
日本から戻ってきてやっと1週間経ちました。まだ時差ぼけはありますが、一応普通に仕事には行けています。次の帰国まで5週間しかないので、大忙しの日々になりそうです。今日は、帰国中の出来事を振り返りながら、11月の予定をちょっと書きたいと思います。
まずは、前回、上五島で講演会をしたことを書きましたが、肝心の講演中の写真を載せなかったので、いっぱい写真をとってくださった中山さんのFBの投稿から借りてきてご紹介します。
上画像:上五島の鯨賓館における講演会のひとコマ.
最初の写真は、私がいつも終わりのほうで見せるスライドを用いて話している場面です。隕石が主に小惑星から来ているのだけれども、月や火星から来ているものもあり、それら母天体を観測や探査から見出してきた歴史があります。特に、40年以上前に米ソが月試料を回収してその組成を解明した後は、スターダストによる彗星の浮遊試料の回収以外は、日本の「はやぶさ」によるS型小惑星試料回収が初めてです。そして来年打ち上げられる「はやぶさ2」によって、小惑星の重要な2つのグループS型およびC型から試料を回収したことになり、それに追随する形で、アメリカのOSIRIS-RExが計画されていると言うものです。
300人くらいの聴衆を前にしてさすがにちょっと緊張して、また時間を超過して最後の方のID理論まで言及できなかったと反省しています。やはり1時間では終わらない内容になってしまっているので、それを削るか時間を長めにしないといけないですね。
上画像:立川の極地研究所のキュレーターである今栄さんと隕石試料選びをしているところ.
そして2つ目の写真は、いつものように立川の極地研究所で隕石試料を選んで申請するときの様子で、最近はいつもキュレーターの1人であられる今栄直也さんにお世話になっています。今回は、炭素質隕石の最後の10個を選んでいるところです。11月に帰国した際に、それらを配分してもらって水沢で測定させてもらえることを期待しています。極地研の隕石ラボのこういった柔軟な対応で非常に助かっており、はやぶさ2および将来の小惑星探査に大いに貢献していると思います。ここは隕石庫ですが、このような宝の山がある場所で働ける研究者の皆さんがうらやましいです。
なお、11月は極域科学シンポジウム、惑星科学秋の学会、そして水沢での実験があるので、何と19日間にわたる出張になりますが、既に6個ぐらいの講演日程が入っています。一般に公開される講演会としては、11月16日土曜日の午前中に浜松で、午後に岐阜羽島であります。まだ詳細は決まっていませんが、もっと近くなったらここやFBに投稿すると思います。
最近、いろんな人に本を書いたらどうかと勧められています。講演の内容をもっと掘り下げた本は確かに書いてみたいですが、出してくれる出版社や買ってくれる人が何人いるだろうか?MEF開祖矢野さんの最近の本を読んで、こんな風には私は書けないなあ、とも思ってしまいますが、やっぱり私なりの惑星科学の個人的理解と経験に興味を持ってくれる人もいるのではないか、特に、はやぶさミッションによって日本が出した科学成果を薄めようとする海外の圧力からそれを死守してNature論文を出した戦いは、私が語り残すべき内容と思っています。