ブラウン惑星人の日々 May 2013
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皆様、ボストンでも日本と同じく暑かったり寒かったりというシーソーのような気候の続く春ですが、お元気でしょうか?
昨日はアメリカの大きな祝日の1つである Memorial Day でした。この日は日本ではお盆に当たるのかもしれませんが、主に戦争で亡くなった戦士たちを想い称える日です。メモリアルデイといえば、1984年にレーガン大統領が無名戦士を称えた演説が有名で、以下のサイトにその動画や文章があります。
上画像:ボストンコモンではメモリアルデー恒例の9.11や戦争で亡くなった人々を想って立てられた国旗の列
メモリアルデイにボストンで恒例なのは、最初の写真にあるように無数の国旗をボストンコモンに植えることです。これらは、退役軍人や9.11の犠牲者の家族などのボランティアによって供えられたということで、今年は前年よりも面積が広がっています。この写真は、まだ人が少ない雨の週末に撮られたものですが、メモリアルデイ当日である昨日は日和も良く、多くの観光客が来て記念写真を撮っていました。アメリカは自国と世界の平和の為に戦って犠牲になっていった人々を、たとえ誰の遺体であるかわからなくても大統領自らが敬意を持って葬るという良き習慣があります。
日本は今、安倍晋三首相が立たれて、硫黄島の遺骨回収や靖国参拝を始め、国のために犠牲になった先人たちを敬うという当たり前の習慣が定着しつつあるのは喜ばしい限りです。支那や朝鮮が自己中心的利益のために日本を悪者扱いして内政干渉してくる間違いをはっきり指摘し、独立国として断固とした姿勢をとるのは首相として当然のことと思います。
さて、今月は、はやぶさ打ち上げ10周年とともに、MEF13周年という記念すべき月でしたね。私がMEFに初めて投稿させてもらった1998年執筆の「惑星科学のすすめ(TPSJ 次世代太陽系探査 ” 太陽系惑星科学の勧め ” 収録)」では、その第4章である「隕石と小惑星の謎」に、
「以上の2つの考えは、最終的にはS型小惑星から試料を取ってくることによって解決されるかもしれないが,残念ながら今のところそのような探査衛星によるミッションは予定されていない。」
と書いてあります。今やそれが過去の話になっているという日本の固体惑星探査の飛躍的進歩に拍手喝采したい気持ちです。
また、第6章で書かせてもらった日本育英会の奨学金制度(実際は学生ローン)およびその返還免除制度の問題点は、それが現在では改革されたようで、良しも悪しくも変化はあったわけです。しかしながら、最後に書かせてもらった、
「そのような日本政府の矛盾した態度と日本の大学の閉鎖的人事を改善しなければ、惑星科学はおろか学問全体がいずれは困難を迎え、つけを払わされる時が来るであろう。」
という点は残念ながら現在も明らかに存在すると思います。文部科学省は学問の自由な発展と開かれた人材雇用に積極的であるとは言えず、むしろ偽善的な大学・研究所人事を許容していると思われ、惑星科学を一つの分野として科学研究費申請の際の細目に入れていません。
「偽善的な人事」と言い切る私に反対の意を表する方々は多いと思いますが、そういう方々は、ここには書けないような、私の過去四半世紀に渡る大学教官への公募応募における経験をすべて聞かれた上で、またご意見ください。次回は9月17-29日と11月11-28日にまた帰国しますし、9月は極地研での南極隕石シンポに、11月は石垣島での日本惑星科学会秋の学会に参加しますので、いつでも私を捕まえてください。ただ一つ理解してもらいたいのは、私が苦言を呈するのは、現在および未来の若き有能な研究者たちがそれで拒絶されたり悪に染まってしまうのを恐れるからです。私個人のためだけではありません。念のため。
良い日再び旅立ち
日本から戻って3週間ほど経ちましたが、ここニューイングランド地方はまた涼しくなって、長袖シャツにカーディガンでも良いような気候です。1年中こんな気候なら楽なのにと思ってしまうくらいの気温ですが、ちょっと日本の梅雨のように雨が多いのが日常生活にも実験にも困ったものです。
皆さん、2週間の日本への帰国を終えて、今、成田からロサンジェルス経由でボストンに向かう飛行機の中でこれを書いています。今回は、時差ぼけが2週間ずっと治らず、朝の4時とかには自然に目が覚めてしまう状態で、非常に寝不足の日々を送り、講演会の時は夜遅くなって、かなりきついスケジュールでした。
行きは羽田便だったので、5月6日の夜遅く着いて、近くの蒲田で手ごろな価格のホテルで一泊し、翌朝7日にいつものように立川の極地研究所に行って隕石の配分を受けました。今回は極地研の隕石ラボの人たちにちょっと脚光を当ててみたいと思います。
上画像:極地研の地圏研究グループ事務室で働く有能な女性たち。左から安藤とも枝さん、高見輝美さん、そして新井君代さん(新井さん写真がボケちゃって御免なさい)。
最初の写真は隕石ラボが属する地圏研究グループの事務室で働く有能で美しい(?)女性たちの写真です。右端の新井さんはまるで重石のように安定していつも事務室に君臨されている感じで、その美声は声優になれるほどで、左端の安藤さんは言葉の端々に研究者タイプの博識を感じさせられ、真ん中の高見さんは私の複雑な科研費や出張の手続きを一見面倒がりもせず超スピードで処理してくださる天使のような方です。
上画像:私に配分される試料を含む隕石の処理をしている若き研究者志望(?)の富村さんと共に
2つ目の写真は、隕石を割ったり切ったりという処理と配分とそれらの記録をする場所で働かれている富村さんと写した写真です。富村さんは以前は科学未来館で働かれていて、現在配分される隕石の大部分は富村さんの手で処理されていると思います。確か学位をとるために勉強中だったと思います。若い人妻です、念のため。
上画像:隕石ラボのキュレーターである今栄さん(右)と山口君(中央)、そして博士号を取ったばかりの日高君(左)。
3つ目の写真は、女の人ばかり撮ってるなあと言われないためにも男性たちの登場です。本当は、隕石ラボでトップの教授は小島先生なのですが、その話はまた改めてご紹介するということで。右から、今栄さん、山口君、そして日高君で、今栄さんと山口君は小島先生の元で働いている2人のキュレーターで、山口君は東大の武田研究室の後輩で、HED 隕石とその母天体での生成過程の研究をしています。今栄さんは炭素質コンドライトを含む隕石に幅広く通じて、いつも試料の選定でお世話になっています。そして日高君は首都大学東京で海老原先生の下で博士号を取ったばかりの研究者です。
帰国して毎回このような人たちの手を経て隕石試料を借りて、水沢の天文台にある佐々木晶さんの研究室の可視・近赤外反射分光器で測定をし、ついでに宇宙風化実験もしてくるのですが、今回、4月1日から晶さんが大阪大学に異動されたことで、水沢に行くのも今年度限りになるかもしれません。それで、今回5月8-10日の水沢訪問の際の写真を2つお見せしておきたいと思います。
上画像:水沢天文台の初代の電波望遠鏡(左)と最新の20メートル電波望遠鏡(右)
最初の写真は、今回初めてその存在を知った初代の電波望遠鏡と最新の20メートル電波望遠鏡の写真です。この日は非常に天気のよい日で、測定・実験の合間に借りた自転車で国立天文台水沢キャンパスの中を今一度見て回りました。実はこのあたりは夜景や冬の雪深い時の風景も良いものです。
上画像:20メートル電波望遠鏡の前に設置されたパネルの1つで、高精度干渉電波望遠鏡列である VERA の仕組みを説明している。
次の写真は、この20メートル電波望遠鏡が他の3つの望遠鏡(石垣島、小笠原、入来)と共に大型の高精度干渉電波望遠鏡列であるVERAを構成していて、その測定精度は月面に置いた1円玉を判別できる程だということを説明するパネルです。これも不勉強の私はわかっていませんでした。それもあって、石垣島で開かれる今年の日本惑星科学会の秋の学会には行きたいと思っています。現在行っている炭素質コンドライトの反射分光サーベイと、はやぶさ2の目標天体である1999 JU3との関係の考察を発表しようかと思います。
水沢での測定・実験の後の週末は、各務原の実家に帰省して、最近介護施設に入居した母を見舞い、姉と妹を交えた3人で、その費用をどう支払っていくか、そして母の忘れられた貯金通帳などの管理をどうするかなどという話し合いをいました。もちろん、まだ父が元気なので、管理人は父でよいのですが、なかなか面倒なことをしたがらないようです。基本的に入居費用は私が払うと申し出て、まずは5か月分の40万円を入れたキャッシュカードを置いておきました。きっとウクライナの投資で払っていけるでしょう。その前後も名古屋と犬山で講演会やその準備会議をしてきました。
翌月曜日、5月13日は、実家を朝5時に出てJR高山線の始発に乗り、一人暮らしをしておられる茨木市の義母を訪ね、午後1時過ぎから、大阪大学の晶さんの研究室を訪ね、宇宙風化を研究している松本君の話を聞いて議論を重ねました。それが終わって、3時からのセミナーに備えるために寺田さんの研究室に行ってちょっとご挨拶とお礼をし、準備に行きましょうというところで東大の後輩だった佐伯君が来てくれたので、皆でセミナー室に行こうとエレベータに行くと、井本さん一行とばったり遭遇してしまいました。何と一階で待っていてくれたようで、申し訳ないことをしました。井本さんは宇宙研訪問のときの写真と同様な手ぬぐい(注:バンダナです;)を頭に巻いたようないでたちで、ぜひぜひ佐々木晶さんのところに連れて行って紹介して欲しいと言われるので、超スピードで晶さんの所に寄ってからセミナー室に行きました。
行ってみると超巨大な部屋で、これって必要なスペースの2倍くらいあるんじゃないかと思いましたが、多く人が来るかもしれないということで、そうかなあと懐疑的になりながらも準備しました。確かに研究室セミナーレベル以上の多くの人々、特に井本さんを始めとするMEF絡みの方々に来ていただき、なかなか難しいであろう私の宇宙風化の話を辛抱強く聞いてもらえました。マイクを使わなかったので、後ろの方の方々には私の声が聞きづらかったのではと危惧しています。私としては、はやぶさの科学業績は、アポロ11号の時代から40年以上も決着がつかなかったS型小惑星と普通コンドライト隕石の関係および小惑星における宇宙風化の存在を、微塵の疑いもない形で証明したことです。その内容を、私が博士課程1年生だった1985年に「小惑星サンプルリターン小研究会」に参加した頃からの人生路程を交えながらお話しました。プラネタリウムで上映された、Hayabusa Back to the Earthの中で私の研究成果が使われている部分もお見せしました。
上画像:大阪大学宇宙地球でのセミナーの後で、建物の前で記念写真。左から、中根さん、私、佐伯君、井本さんです
セミナーの後で、いろんな人とお会いできたのも良かったです。MEFのMLでもお話していた森永さんは私の想像よりもずっと若い女性で、私が有名人であるかの如くに接してくださり、ちょっと恐縮し、また、照れてしまいました。。。そういえば、森永さんにいただいた名刺を見て、芦屋に居られるということで、私は芦屋で2度も講演会をしたことがあるので、それも不思議な縁だなあと思いました。最後の写真は、セミナーの後で、夕食に行く前に宇宙地球専攻の建物の前で、MEFグループの方に写してもらった写真です。左から、中根さん、私、佐伯君、そして井本さんです。
夕食では、おそらくここでは書けない話をいっぱいしましたが、矢野さんと森本さんがどうやって結婚されるに至ったかという話もあったようななかったような。私はちょっと時差ぼけとタバコの煙できつかったです。が、ここでお世話になった井本さんのために我慢しました:)(注:井本は懇親会の間はずっと我慢しておりましたが、全席喫煙可のお店なので廣井さんには気の毒なことをしました。井本は吸ってません!(キッパリ))会社にお勤めされながらもアマチュア衛星通信の経験を長く積まれておられる中根さんも来てくださり、その興味の広範さと頭脳の鋭さには感心しました。夕食の場で非常に興味深い話を多くできて楽しかったです。佐伯君と井本さんはMEFと惑星探査ミッションのこととか、宇宙研や大学の研究者との関係のこととか、いろいろ話していたようですが、詳細は井本さんにお尋ねください、と振っておきます。井本さんは新たなMEFサポーターを獲得しましたかね?
その日の夜は新大阪駅から一駅行った東淀川駅のすぐそばの私の好みのホテルで一泊し、翌朝立川の極地研に戻り、次回の隕石を選んで申請を出しました。次回は、9月19-20日に開かれる、はやぶさ2合同科学チーム(HJST)会議を含む、9月17-29日に帰国予定です。アメリカに帰る前にも、調布・新宿・千葉で会員制の限られた場で講演をしてきました。新宿では、駅の東南口に近い安い一泊4500円のビジネスホテルに泊まりましたが、ひどい所でビックリしました。エレベーターがないし、タバコの匂いが他の部屋から漏れてくるし、風呂は共同で2人入ったらいっぱいだし、ランドリーは連泊の客しか使えないし、お湯を沸かすポットもないし、ベッドでなくて畳の上に布団を敷いただけだし、駅に近いのと冷水気があったこと以外は最悪でした。もう二度とあそこは利用しないでしょう。最初の計画通り3100円のカプセルホテルを使った方がましだったに違いないです。
とにかく、今回は盛りだくさんの日本出張でした。
羽田にタッチダウンした Dr. Hiroi
とうとう今日は5月5日、日本に帰国する日です。今アメリカン航空のJFKから羽田への飛行機の中で書いています。既に日本では日付が変わっていますが、5月5日は、忘れもしない23年前、まだ独身(婚約中)だった私は、午後5時55分のアメリカン航空のダラス・フォートワース行きの便に乗って渡米し、ボストン行きに乗り換えてブラウン大学に来ました。
上画像:ハリウッドのスターたちの名前が星(スター)型に描かれている歩道。左上のインセットは、日本のゴジラです。
さて、先週のロサンジェルスへの出張ですが、土曜日に行ったハリウッドの写真を今回はいくつかお見せしましょう。最初の写真はスターストリートとも呼ばれる歩道で、芸能界のスターたちの名前が星型の中に記されています。我々の研究分野でも小惑星に名前をつけますが、ここでは全ての星は同じ大きさと色ですから、やっぱり小惑星の研究の方がずっと面白いですね。ニコラス・ケイジ、ブルース・リー、グレン・ミラーとか私が知っている人たちのほかに、写真の左上に挿入したように、ゴジラもあるんです。
上画像:ハリウッドのChinese Theaterの前にある名物のスターたちの手形と足型で、これは、ハリーポッターの映画に出てくる、主役3人組の役をやった俳優たちのものです。
そして、Chinese Theaterと呼ばれる映画館の前にはいろんなスターの手形・足型が土間に数多く作られています。写真にあるのは、ヒット映画のハリーポッターで、ハリーと親友2人の役をやった俳優たちのものです。何歳の時のものか知りませんが。
上画像:ロサンジェルス郊外で日本人などを対象に行った講演会の様子。スライドは日本語ですが、英語で話しました。
翌日の日曜日は、隣のアルハンブラという市の映画館で日曜礼拝に参加して、その教会の約40人が午後に私の講演を聴いてくれました。やっぱりカリフォルニアはアジアおよびメキシコ系の人が多いですね。写真は、私の宇宙風化の講演で普通始めに見せる月の宇宙風化の研究の歴史です。スライドは日本語ですが、講演は英語でしました。日本人も多かったので。日本で今回2週間のうちに5つの講演と1つの研究セミナーをしますが、基本的に似たような内容です。はやぶさの科学成果と、惑星科学におけるインテリジェントデザインの話です。
上画像:Crowdfunding のパイオニアである Uinvest の CEO である Eugene と法律家である Vladimir と共に。
翌月曜日は、UCLA でランチセミナーをして、John Wasson、Paul Warren、Alan Rubin といった隕石学者たちと議論および昼食で楽しい時を過ごし、火曜日は今回の主目的である、Uinvest Conference に参加しました。昔TVで放送していた「じゃじゃ馬億万長者」の舞台にもなった、ビバリーヒルズにある、Crowne Plaza Hotel で行われました。写真は、Uinvest の若い(32歳)の CEO である Eugene と、法律家である Vladimir と一緒に撮った写真です。投資を始めて2年2ヶ月余りして、初めてその背後の人々と見まえる事ができたわけです。Uinvest は Crowdfunding と呼ばれる、個人投資家が大銀行とかしか利用できなかった高利回りの私的投資をできるようにした、画期的な仕組みの開拓者です。
さて、次回は日本から報告を書けると思います。お楽しみに。