ブラウン惑星人の日々 September 2013
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やはり日本を誇りに思う
上画像:水沢の天文台の重力棟で分光測定をする私と晶さんと三須君(岡崎さんによる撮影).
皆様、2週間の日本出張を終えてやっとボストンに帰る機中にいます。今回の帰国の後半は、いろんなことがあり、波乱万丈ともいえるものでした。9月21-22日の週末に帰省した後、23日早朝にいつものように水沢の天文台で隕石の可視・近赤外反射分光測定を始めましたが、阪大から来るはずの佐々木晶さんと4年生の学生の岡崎さんがなかなか来ないのです。やっと晶さんが来たら、何と、空港かどこかで財布を落として、免許証も入っていたからレンタカーも借りられずにタクシーで来たとのこと。岡崎さんも予定の飛行機に乗り遅れたとか。その上、今回初めておかしな測定データが出始めて、晶さんに訊くと、6月にも東北大の院生の三須君が同様な体験をしたとか。今回も三須君が来る予定なので、きっと彼が不運の男に違いないなどと冗談を言っていました。ところが、後でわかるのですが、今回は私に不運な境遇がまとわりついていたのでした。最初の写真は、来年三須君も就職していくので、記念に撮ったものです。
それでも今回も極地研からお借りした10個の炭素質隕石を何とか無難に測定し、次の目的地である東大柏キャンパスに木曜日に行きました。もう今年は科研費による交通費もきちきちなので、タクシー代もケチってJR在来線の水沢駅まで歩いて行き、一関・大宮・上野で3つの新幹線に乗り換え、上野から特急で柏駅まで行き、そこからバスに乗りました。よい運動になりました。バスの列に並んでいたどこかのおばちゃんが、「柏の葉キャンパスってあるけど大学があるの?」と訪ねてくるので、「東大の柏キャンパスがあるんですよ」と教えてあげたら、「へー、東大があるの、すごいわねえ」としきりに一緒にいた女性と話していました。未だにこの世では東大神話があるのだろうなあと思ったひと時でした。
今回は、はやぶさ2の多色カメラ(ONC)関連で杉田研に双方向反射分光器が作られたので、立教大から亀田さんも参加して、隕石を測定したデータの吟味と、どう改良できるかという議論、そして、はやぶさ初号機のデータを主成分解析で研究している大学院生の古賀さんとお話しをしてきました。まあなかなかここも活発になってきて希望だなあと思いましたが、やはり、世界の可視・近赤外分光のレベルに到達するにはもっともっと体力をつけなくてはと感じました。
そして翌日金曜日は、長く計画した上五島での講演会に出発しました。早朝JRと京急で羽田空港に移動し、ANAで長崎に飛び、そこからジャンボタクシーというシャトルで佐世保に移動し、そこから九州商船の高速船シークィーンで上五島の有川港にたどり着きました。朝6時に出て、着いたのは午後2時20分でした。講演会は2時半からの予定でしたが、実際はビデオ上映があったので、2時50分頃から登壇しました。近隣のいくつかの中学校から300人くらいの生徒と、後ろのほうに大人たちがいくらか参加されているという構成でした。やはり学校でケイ酸塩鉱物の結晶構造も分光も教えられていないと思うので、なかなか難しかったと思いますが、はやぶさ人気のこの機会にそういう内容と、隕石と小惑星の宇宙風化をめぐって40年間の死闘があったことを紹介するよい機会だったと思います。
時間切れになってID理論の紹介をできなかったのですが、終わった後で男子生徒たちが来て、「宇宙人はいるんでしょうか?」と尋ねてくるので、私は、地球を作るのも至難の業である上に、そこに人間という高度な知的生命体を作るというのはかなり小さな確率しかない非常にまれな事象だと思うという趣旨の説明をしておきました。あと、UFOは霊的存在だと言っている人もいるし、と。
上画像:上五島の世界遺産候補である頭ヶ島教会の前で川添さんと.
今回の講演は、新上五島町教育委員会教育長の道津さん、生涯学習課長の西川さん、総合政策課の川添さん、そして会場の鯨賓館ミュージアム・ホールの館長の近藤さんと事務長の森さんにお世話になって実現したものです。FB友の中山さんとともに大きな歓迎を受けて感謝です。特に川添さんは講演の後で、上五島で世界遺産に登録しようとされている頭ヶ島教会に案内してくださいました。2つ目の写真はその前で撮ったものですが、ちょうど小型ヘリのようなものにカメラをつけて上空から撮影している人たちがいて、次の写真はその様子です。
上画像:頭ヶ島教会を上空から撮影している人たちとその写真を撮る川添さん.
上画像:上五島にある、十字架を上に配した墓標群.
上五島は29もの教会があり、明治初期に隠れキリシタンが多く殉教した場所です。それで、次の写真にあるように、お墓のてっぺんに十字架を配したものが多いのです。本当に不思議な風景です。このような場所に来れた事は私にとって記念すべきことですが、はやぶさ・はやぶさ2・宇宙開発・人類の未来といった内容を語るときに、私は科学はどんどん宗教が目指していた境地に近づいていると感じます。上五島に眠る殉教されたカトリック教徒たちの慰霊に少しでもなっていたらよいですが。
上画像:上五島有川港の迎賓館の外に展示されている捕鯨砲.
翌朝は始発の高速船で上五島を発ちました。写真にあるのは、有川港ターミナルにある鯨賓館に飾られている捕鯨砲です。美しい夜明けの上五島を眺めながら、乗船を待ちました。この始発は、上五島を出てから、他の2つの島を巡ってから佐世保に行くのですが、土曜日なのに意外と多くの人々が利用しているのに驚きました。次の写真は途中に見えた島の風景です。佐世保に着くと、さすがに都会だなあという風景になり、次の写真のように軍艦らしきものが停泊していました。
上画像:五島列島北部の一風景.
上画像:佐世保港に停泊した軍艦(?)
佐世保からは2つのバスを乗り継いで大分の投資仲間の会合に向かいました。ところが、そこでとんでもないことが起こりました。水沢に来る途中で晶さんが財布を落としたと書きましたが、私も最初のバスでポケットから座席に財布を落として降りてしまったようなのです。2つ目のバスに乗っている最中に気づいて、あわてて運転手に相談すると、そのバスは福岡に行っているはずだから、営業所が見つけているかも知れないだろうということでした。今回は幸い携帯電話を持ってきたので、教えてもらった電話番号にかけると、別のを教えてくれて、そこで調べてもらったら、何と私の財布が18万円ちょっとの現金も含めてそのまま回収されているということでした。科研費で出た交通費の一部を持って帰るつもりだったのでそのような大金になったのですが、本当に日本を誇らしく思い、また天の守りかなあとも思いました。私が経済的に困窮したら、はやぶさ2にもあまり貢献できなくなりますし。
ということで、大分から飛ぶはずの飛行機をキャンセルし、翌朝高速バスで福岡に行って財布を受け取り、福岡空港からスカイマークの14800円のチケットで成田に飛んで、予定のアメリカンの便に乗れたというわけです。余計な出費はありましたが、最悪の場合を考えれば感謝です。これで、次に日本に帰国する11月10日までの6週間、時差ぼけと戦いながらの日々が始まります。
日本滞在中
日本に帰ってきて一週間経ちました。17日火曜日に帰国してすぐに立川にある極地研で一泊し、隕石ラボの今栄さんにお願いして次回のための 10 個の隕石の選定と申請をし、前回申請してあった隕石試料を受け取りました。すぐその足で相模原の宇宙研に移動してロッジにチェックインしました。はやぶさ 2 国際科学チーム会議(HJST)が、19 - 20 日にあったからです。ところが、いつもは持参する電源コード端子を 3 本ピンから 2 本ピンに変更するアダプターを持ってくるのを忘れたことに気づき、ISAS ロッジの部屋は 3 本ピンの電源コンセントがまったくなく、あわててユーザーサービスに行ったのですが使えるものは見つけてくれず、それで、5 階の岡田研(藤原先生のお部屋だったところ)に行くと、ちょうど帰宅しようとされている秘書の矢田(矢島)輝美さんを捕まえられたので、Help Desk に電話してくださり、一緒にアダプターを借りに行きました。ほっとしました。
ところが、部屋を良く探してみると、ベッドの下に伸びている延長コードの先が、良くある平たいものに 3 つ目のコンセントがある構造になっていて、そこに水平に 3 本ピンの私の電源コードの端子を差せば、3 本目の丸い断面の接地端子棒はクリアしてうまくさせることがわかりました。これを最初探していたのに、アダプターを借りてからやっと気づくのは私のあわてものの性格のせいですが、まあ、輝美さんが未だに私のこんなせっかちなお願いに親切に答えてくれるのを知ったことも良い経験でした。
それにしても、毎回受動喫煙の害を訴えてきたせいか、ロッジの 2 階は全て禁煙と言う禁煙フロアになりました。しかし、今回私は 3 階の禁煙ルームになったので、何故かと訊くと、2 階は全て埋まっていたと言うことでした。なら禁煙ルームに高い需要があるのだから、ロッジを完全禁煙化してくださいと強く訴えておきました。ついでに、2005年のはやぶさのイトカワへのランデブーのときに宇宙研にしばらくいて、当時、健康増進法破りで喫煙していた斉藤君とか教授たちや会議に来る業者の人たちなどの行動にたまりかね、事務に訴え、巡回してくる産業医とも面接し、禁煙化および喫煙所の変更と言う成果が上がったことを説明しました。今時の若い事務の人たちは知らないかと思いました。
と、前置きが長くなりましたが、無事 HJST に参加し、開発完了が秒読み段階に入っている各機器の状況とヨーロッパの MASCOT との連携について議論がありました。もちろんチーム会議なので内容についてはご紹介できませんが、McrOmega の Jean-Pierre Bibring はいつも同じことをくどくどと長く話すやつだなあと思ってしまいました。日本側はそんなに時間オーバーしてくどくど話す人は少なくて、杉田君くらいでしょうか。私がずっと実践してきたトーストマスターズの会のモットーは、時間厳守です。相手の貴重な時間を割いてもらって聞いてもらう以上、制限時間内に収めるのがマナーで、さもなくば、相手が本当に知りたい内容を質問させてあげる時間をも食いつぶしてしまいます。
私は前回ほど発言しませんでしたが、フランスにいるイタリア人研究者の Antonella Barucci が Marco Polo の目標天体の組成に関して、Vishnu Reddy の研究結果である CI コンドライト説を引用していたので、私が見る限り CV コンドライトやメタルである可能性がより大きいと言うことを言っておきました。もちろん、Marco Polo はまだ 5 つの候補の 1 つに過ぎなくて選択されていないミッションですから、なるべく魅力的な小惑星に行くのだと宣伝したいわけでしょう。ただ、科学は客観的な事実とその解釈に留めるべきです。あとで個人的に話してわかってもらえましたが。この人は有名で、私もはやぶさ 2 を通して知り合いになれたことは幸いです。向こうも私のことをよく知っていたようで光栄でしたが。
今回は私が共同研究をしている人たちも多く来ていたので、いろんな意味で有意義でした。東大後輩の小松さんとは東大の宮本先生が残された双方向可視・近赤外分光器を使った隕石の測定に関してアドバイスを上げ、中村智樹君とは一緒に NIRS3 による隕石測定に関して宇宙研の荒井さんらと設定に関する話し合いをしました。そして私は ONC チームにも入っているので、東大柏キャンパスの杉田君および立教大池袋キャンパスの亀田君らと隕石の反射分光測定に関する話をしています。今週の木曜日に現地を訪問する予定です。初日の最後は宇宙研の食堂で懇親会があり、私の自宅の近くの MIT から来ている Ben Weiss とも歓談できました。やっぱり日本の食べ物は世界に通用すると思いますね。
2 日目は、イオンエンジンを見せてもらいに行きました。実物を見ると、やはり良くこんな小さなもの 4 つで惑星間航行にも匹敵する距離を制覇したものだと感じますね。もちろん大半は重力運動のところをイオンエンジンで変更して往復したわけですが。会議終了後に NIRS3 の緊急 TV 会議があったので、北里君とともに安部さんや岩田さんが既に始められている部屋に行き、その後、会津に帰る北里君とともに途中まで歩きました。はやぶさミッションの初期の時代に大学院に入ってきた北里君。大阪市大での惑星科学会の直前に修正ガウス関数法(MGM)の計算の間違いを私が指摘したばかりに徹夜でひどい目にあったろうことを懐かしく話し、「あなたは日本での私の後継者になれると思っていた人間なんだよ」と話すと、「今は違うんですか?」と鋭い返事をくれました。今もそうかもしれないけれど、NIRS3 の PI として忙殺されている状態では基礎研究は難しいでしょうね。私より 20 年位若いので、もっともっと隕石とその分光性質を体で覚えてくれれば後継者になれるかもしれませんね。しかし、情熱の部分は未知数です。
北里君も私が愛し見込んでいる若き研究者ですが、天文観測ばかりに偏る傾向も感じられ、より実験室の測定・実験に重きを置く、より若い、20 歳台前半くらいの学生を私はまだ求めています。そのような人口の中に私が評価し思い入れをできる人材が見つかると良いのですが。
会議が終わった翌早朝に私は静岡に向かい、校長先生などの教師や生徒の集まる会で講演をし、大阪茨木市の義母の様子を見に行き、折り返して各務原市の実家に帰りました。義母は非常に元気で、Day-Care センターに行ったり、Helper に来てもらったりして毎日充実しているようでしたが、私の母は、老健に入ったきりで、歩くこともできず、言葉も「あかん、あかん」を繰り返すことが多く、でも熱心に話しかけると、こちらを見て、私や姪などの名前を話せることもありました。会いに行くのも非常につらいです。母の実家の兄弟や姪がその前日お見舞いに来て泣いていたそうです。地球の反対側にいる私は、せめてもの貢献と思って入居費用は負担していますが、いつまで続けられるかわかりません。
今朝は5時に実家を出て水沢に向かうところです。佐々木晶さんや学生さんたちと分光測定および宇宙風化実験です。水沢は少しは涼しいだろうと期待しています。次回はおそらくアメリカに帰るまたは帰った頃になると思います。
明日帰国する Dr. Hiroi
日本の皆様、イプシロンロケットの打ち上げ成功おめでとうございます。これで、「はやぶさ」を打ち上げた内之浦がまた復活しましたね。はやぶさ2が帰還する2020年には東京オリンピックの開催も決定し、日本は上昇機運に乗っていると感じます。日本が発展して強くなれば、最近いろいろうるさく言ってきている朝鮮や支那の態度も変わるといっている人たちもいるようですね。弱いものには舐めて掛かり、強いものには媚を売るという傾向があるとか。とにかく、宇宙航空技術は国の基幹の一つと思います。
私の方はと言えば、11月の南極隕石シンポと日本惑星科学秋季講演会のアブストラクトを昨日終えて、明日はついに日本に向けて発ちます。以下が大体の予定です。
9月17日(火):成田着
9月18日(水):極地研で隕石選び
9月19~20日(木、金):宇宙研ではやぶさ2国際科学チーム会議
9月21~22日(土、日):静岡で講演会.大阪を経て岐阜に帰省
9月23~25日(月、火、水):水沢で実験
9月26日(木):柏ではやぶさ2関連の研究打ち合わせ
9月27日(金):上五島で講演会
9月28~29日(土、日):大分に寄ってから成田発
今回は二週間弱の予定で短めですが、それでも週末は一般講演会もやれますし、施設に入っている母親にも会いに行けそうです。大阪には義母が一人暮らしで、様子を見にちょっと寄る程度ですね。
日本は何と言っても私の故郷ですが、結婚して子供ももうすぐ大学に行こうとしているこの時点までずっと23年もアメリカに居るので、アメリカは第二の故郷になりつつありますね。長女は最近、ハーバードやMITよりもブラウン大学の方がキャンパスの雰囲気が良いね、と言い出しています。
あるランキングではハーバードがプリンストンに抜かれて首位から二位に落ちたとか。
ブラウン大学は 14 位のようで、ハーバードや MIT よりずっと下位ですね。一方、世界ランキングを見ると、たとえばイギリスの Times Higher Education によると、
World University Rankings 2012-2013 - Times Higher Education
で、東京大学が 27 位に入っていて、ブラウン大学は 51 位で、さらに下位ですね。
こういうのって、当然どういう分野に重きを置くかでかなりランクが変わって来るでしょうが、東大もまあ捨てたものではないという気がしますね。学生の学力から言ったら、私が1990年ブラウン大学に来た当初感じたのは、東大の学生の方がブラウン大の学生よりもずっとできるなあということでした。でも、4 年間の学部を終えた時点では劣っていても、5 年間の大学院の教育でブラウン大学の学生の方が優秀になってしまっているようにも感じました。
東大の教育も変わってきているとは思いますが、東大学部及びその大学院で勉強した若者たちが世界の一流の人材にならないといけないですね。教鞭を執っていらっしゃる皆様、頑張ってください。
ということで、これからの二週間、場所と時間が合致する皆様、お会いできるのを楽しみにしております。
今年二度目の帰国直前の Dr. Hiroi
とうとう9月も1週間過ぎましたが、予想したとおりの残暑で、今週は 90度F の日もありそうです。とは言え、ちらほらと秋らしい涼しい日々があるので、確実に気温は下がってきています。私が1990年にプロビデンスに来た年は9月1日からセーターが必要なほど冷え込みましたから、その当時と比べると大きな違いですが。
上画像:コプリー広場へ行く途中のボイルストン通りにあるアーリントンストリート教会の前に締め付けられた祈祷を書いた布切れの集まり
昨日の土曜日は、来週日本に行くために JR パスを受け取りに旅行代理店である IACE トラベルに行きました。IACE トラベルは、ボストンマラソン爆弾事件が起こったすぐそばのコプリー広場の前にあり、しばらく行っていませんでした。行く途中のボイルストン通りを歩いていると、右に目だって見えたのが、最初の写真にある、アーリントンストリート教会の前に縛り付けられた祈祷の布切れの集まりでした。きっとボストンマラソン爆破事件の故もあるのでしょう。
上画像:コプリー広場を右にしながら、IACE トラベルのビルと地下鉄(T)の入り口を眺めたところ
次の写真はコプリー広場を右にしながら、IACE トラベルのあるビルとその向かいの教会を眺めたところです。T という看板は地下鉄の入り口ですが、そのボイルストン通りを左にちょっと行った所が爆弾事件の場所です。この写真を撮ったときは厳密な場所を知らなかったので、そこまでは行きませんでした。
上画像:IACEトラベルのボストン支店の入り口
IACEトラベルのボストン支店は、私たち家族が1994年ころから20年近く使っている旅行代理店で、以前は日本行きの割引航空券をよく購入していましたが、最近は航空会社が自分たちのウェブサイトで一番安く売っているので、もっぱらJRパスの購入のために IAC Eを使っています。この日は、前もってウェブサイトで購入手続きをしておいたので、写真にあるような6階の一室にある店に入ると、すぐに私を認識してくれて JR パスの引換券をくれました。これを成田空港で実際のパスと交換することになります。
上画像:YMCAに行く途中の歩行者用信号ボタン
今日もう1つ後紹介したいのは、アメリカの歩行者信号機です。いろんな種類がありますが、古い機種の例を YMCA に歩いていく途中に見つけました。写真にあるように、歩いている人の絵になったら注意して渡り、手の絵が点滅していたら渡り始めてはいけないが既に渡っているならばそのまま継続し、手の絵が留まってついていたら渡らないこと、という細かい指示があります。
これって、幼稚園児にしか必要ないのじゃあないの、と思ったりしますが、例えば「Rain Man」という映画を見ると、自閉症のレイモンドは、横断歩道を渡っている途中で信号が点滅に変わり、そこで立ち止まってしまって、やってくる車の運転手とかに文句を言われながらも身動きできずにいるのです。それは、その歩行者用信号機が「Walk」というサインから、「Do Not Walk」というサインに変わったので、文字通りに歩かなくなってしまったということなのです。それもあって、真ん中の「Continue if in crosswalk」という文面が意味があるなあと思ってしまいました。
科学者として、いちいち細かく説明しなくても当然と思うようなことでも、一般講演会やセミナーで話したり、学生を教えたりすると、この例のように逐一説明しないと解からないのだなあと気づかされることがあります。そういう時こそ、専門馬鹿にならないような自己教育の機会だなあと思わされます。あの経路積分で有名なリチャード・ファインマン博士も、カリフォルニア工科大学での一般教養の物理の授業の新たな試みとして「ファインマン物理学」の内容を教えたわけですが、学生にわかりやすく教えられないときには、「我々はまだそのテーマに関する本質を掴んでいないのだ」と謙遜に解釈していました。物事を根本からわかっている人は、確かに、素朴な質問にも的確に答えられるものです。
日本出張前のこれからの1週間は本当に忙しくなりそうです。
崇高なる孤高の研究者 (part 2)
とうとう8月も終わり、暦の上では夏が終わろうとしていますね。こちらでは8月が涼しかったせいか、まだまだ残暑という感じですが。大学に学生が戻ってくることもありますが、あと 2 週間で日本に出張する身の私としては、これからどんどん忙しくなります。11月に予定されている南極隕石シンポジウムと惑星科学会秋の学会の発表のための要旨の締め切りがあるのと、日本に行く前に測定しておくべき試料があるからです。
また、9月の帰国時には、一般講演会を静岡および上五島でする予定です。特に、上五島に行くのは初めてで、知らなかったのですが、非常に多くの隠れキリシタンが殉教した地なのですね。科学にしろ宗教にしろ、新しい真理を説こうとするとき、たとえそれが正しくても、ほぼ必ず迫害されます。私が 20 年近く前に S 型小惑星の宇宙風化を強力に主張し始めた時も同じでした。だからこそ、若い人々には新しい真理に対して常に開いた姿勢を教育していく必要があります。
ただ、私の直面する問題は、如何に私が築いて来た固体惑星物質分光の力を二十代の若者に継承・発展させるかです。これは切実な問題で、はやぶさ 2 以降のミッションを含む惑星探査において科学成果を最大限にできるためには、必ず隕石・鉱物を分光的に理解した研究者が必要です。
今回で最後ですが、以下は東大公募に出した、私の教育への抱負です。
大学院および学部における教育への抱負
私が主として取り組んできました固体惑星物質の分光学の研究は、惑星探査に必要な遠隔探知の手法で小惑星などの固体惑星表面物質を同定するのに最適なものです。様々な小惑星の物質同定によって、太陽系の初期から大きく変化していない物質の分布とその進化過程を調べることができ、我々の太陽系の起源と進化、更には人類が生存できる惑星系の条件や可能性まで見出すことが出来る分野です。その意義と価値を正しく理解して教育に携わり、学生が充実した勉学および研究に取り組めるよう尽力します。
日本の惑星科学は、近年の惑星探査、特に「はやぶさ」や「かぐや」の大成功によって、国内外から大きく脚光を浴びています。私がそれらのミッションに貢献しながら実感したことは、探査衛星を飛ばして成功裏にデータを取るとか試料回収をするだけでなく、その解析・解釈と発表を世界の場でするためには、基礎研究の積み上げをしてきた有能な人材が応用に取り組むことが不可欠で、そこが日本が欧米に劣る点です。
特に、固体惑星に一般的に存在する鉱物が遠隔探知、特に紫外-近赤外反射および赤外輻射スペクトルからどのように検出できるのかを、測定スペクトルが鉱物の結晶構造・化学組成・物理形状・混合比・宇宙風化度などの変数を持つ関数として求められる技能が必要です。そのような基礎研究を土台として、惑星探査における科学機器の設計やデータ解析・解釈に貢献し、探査ミッションに大きな科学的意義と成果を付与することが大切です。そういう人材が各世代に日本に 1 人でもいれば、日本の惑星探査の科学レベルは維持・発展していくでしょう。現状がそうでないのが問題ですが。
そのような人材を養成すべく、授業・実習・研究指導において学生の教育に最善を尽くしたいと思います。特に、学部生が学ぶべきこととして、数学・物理・化学・鉱物学の基礎やプログラミングを重視しないと将来性はありません。そして、学部および大学院を通して英語の論文を多く読むことによって言語および専門の内容に習熟し、海外の学会で積極的に発表することによって、発表能力の向上および盛んな交流を目指します。また、既存の分野の枠を超えた知識と経験をつみ、新たなアイディアを出していける人材が望まれます。それは私自身が模範を示すべきと考えます。
より具体的に、昔取った杵柄を多少復活させれば教えられる科目としては、学部としては、量子力学、結晶学、分光学、隕石学、天文学などの基礎と全般および固体惑星探査に関連するテーマ、そして大学院としては実際の固体惑星探査における機器設計とデータ解析手法、実際の隕石や鉱物試料を用いた分光測定およびモデル計算の実習等が考えられます。
ブラウン大学の Reflectance Experiment Laboratory(RELAB)で 19 年間にわたって 1 万近くのスペクトルデータを測定してきた私の技能と見識眼がきっと実験室および惑星探査の現場で活躍できる人材の発掘と教育に生かされるに違いないと信じてやみません。
私の年齢を考えると、採用された場合にそちらで活躍できる期間は 12 年間程と思われます。その間に、学部から始めて大学院で博士号をとる学生の中で、上記のような私の願う能力を備える二十歳代の後継者を育てることによって、私から見て 30 年を隔てて、日本の固体惑星探査の未来を背負える人材が生まれるに違いありません。
過去において、日本の大学の学生を一年間預かったりしましたが、日本に帰るや否や駄目になって行きました。それゆえ、私が東大教授として直接学部および大学院生を教育・訓練し、ともに研究を進めていくことを通して後継者を育てる以外に、日本の将来の固体惑星探査の科学を担える人材は生まれないと信じています。