The Planetary Society of Japan

ブラウン惑星人の日々 September 2014

40年の謎が解き明かされる今とは

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: September 29, 2014

皆様、秋を満喫しておられることかと思いますが、The Weather Channelで見ると、やはり東京はボストンより暖かめの秋ですね。こちらは朝晩はジャンパーと手袋がないと寒い日もありますから。

上画像:私の足底筋膜炎のために通勤靴に入れた中敷

今回の最初の写真は私の足のために買った、$25もする中敷です。8月に日本から戻った後で以前から痛んでいた右足が悪化して、医者にはPlanter Fasciitis(足底筋膜炎)と言われて、ネットで調べると、その名のとおり足の裏を構成している筋肉がつま先と踵の間で引っ張られすぎて痛みの原因となっているようです。40歳以上くらいで偏平足化によって起こると考えられているようですが、もちろんスポーツによる酷使によっても起こるようです。この中敷のように、土踏まずを支えてくれる部分があると、少なくともその痛みを和らげてくれます。もっと早くそうしていれば、このような伊丹に発展することはなかったかもしれません。5月と7月の日本への帰国でかなり重たいものを引きずって歩きましたし、特に7月に阪大へ通うのに、電車賃の節約のために、モノレールの柴原駅でなくて、ずっと遠い阪急の蛍池からの長い坂道を猛暑の中で歩いたりもしました。

とにかく、同じような中敷を実験室の靴にも入れましたので、あとは、どう直していくかです。風呂でもんだり、サロンパスを張ったり、医者に勧められた運動をしたり、どれもあまり効果覿面ではないようです。ところで、この文のように、ワープロで漢字は出せても、自分で書くどころか読めないような字が出てしまうのは困ってしまいます。「てきめん」とひらがなで書くのも体裁が悪いですし。

上画像:Rhode Island School of Design(RISD)の警察の車

阪大の豊中キャンパスのように、ブラウン大に行くには急な坂道を登らないといけません。考えてみると、神戸大学や東北大学も坂を上ったところにありましたね。2つ目の写真は、その坂の途中にある、Rhode Island School of Design(RISD)の警察の車です。なにか、サファリパークのメンテのための車のように見えますし、芸術大学のはずのRISDにありがちな、私から見て芸術性に乏しいデザインです。この学校は、学生も警察も州の法律を破って出入り口付近で喫煙をしてきた、私から見て悪の権化のような集団ですが、最近しばらくこの道を通っていなかったので、昔とは変わったのかもしれません。私自身も苦情を言いに何度か通いましたし。

上画像:RELAB のクリーンルームから見たブラウン大学生達

ブラウン大の ID で RIPTA バスに無料で乗れるので、そうしてもよいのですが、バスを待っている間に歩いていけてしまうことが多いので、足が極度に痛い時以外は歩いて職場に向かいます。RELAB のクリーンルームから科学図書館方向に見下ろすと、次の写真のように、紅葉が始まりつつある木々の下を秋学期が本格化して忙しくしている学生たちが行き来するのが見えます。後2ヶ月未満で感謝祭も来ますし、アメリカの大学は秋も春も学期は3ヵ月半くらいの短いもので、その間で集中して授業を取って試験を受けたりレポートを出すので、しっかり学んだ後に夏は3ヶ月間しっかり休むなり遊ぶなりバイトをするという生活をするものなのです。

そういえば、あと2ヶ月もすれば、とうとう、はやぶさ2の打ち上げですね。聞くところによると、はやぶさやはやぶさ2といった試料回収計画に対してお金の無駄遣いだとか反対する声があったとか。私も、学部時代は相対論と量子力学ばかり勉強していましたし、卒業研究ではサフロノフの解析的な太陽系生成論を学んでいましたから、隕石の鉱物学的研究や小惑星から石を持ってくることなどの価値は理解していなかったかもしれません。しかし、今では非常に単純な話に思える、隕石中に最も多い普通コンドライトと、小惑星帯内側に最も多いS型小惑星の大部分が同じ物質であり、見かけが違うのは宇宙風化があるからである、という結論に至るまで、アポロ11号の月試料回収からはやぶさのイトカワ試料回収まで40年もかかっているのです。

もちろん Bruce Hapke 先生のようにアポロ以前からすべての答えを知っていたかの大学者や、私の恩師 Carle Pieters のように純粋に月試料の解析から直感的にそう信じていた人たちも居られましたが、他の多くの影響力のある特に小惑星と隕石の研究者たちがそういう普通の研究方向を阻害していました。今はまるで懐かしい笑い話のように話せるからよいですが、宇宙風化信者として迫害を受けてきた私としては命がけの戦いでした。今こうして生き延びているからこそ、はやぶさ2にも貢献でき、MEFにも関与していられるわけです。NASA やアメリカの研究者たちが同じ失敗を繰り返さないためにも、生き証人として過去を忘れず、機会があるたびに人間の愚かさ故に真実が見えてこない可能性を指摘し続けます。ただし、これは日本と日本人科学者たちにも当てはまることです。残念ながら。
 

Wishes come true

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: September 22, 2014

皆さん、ボストンは今週はジャンパーが必要な日があったり、本格的に秋になるだろうと思いきや、80度Fを越す週末になりました。来週末も暑くなりそうです。このように日々の上下が激しいのがアメリカの気候の特徴で、私のような、古きよき日本のように季節がゆっくりと変わっていく世界に住みたい人間には合わないかもしれません。その国の人々の情もそのような気候に影響されて形成されてきていると思います。

今回は、7月にボストンに小規模ながら開店したユニクロのことをご紹介します。私は日本に帰国するたびに立川の極地研で隕石を見せてもらって試料の配分の請求をしますが、その立川の高島屋にはユニクロが都内最大の店舗面積を誇る店があります。私が好んで履いているズボンの1つも、2010年の夏に特任教授として滞在した時あたりにそこで買ったと記憶しています。やはり日本の店だけあって、日本人の好みや大きさに合うものを多くそろえているなあと感心した覚えがあります。

上画像:ボストン南駅のホームに出されたユニクロ出店予告の広告

最初の写真は、ユニクロが東京からボストンに来たぞという広告を、ボストン南駅のホームに大きく出したものです。私がバスターミナルに向かって1番線ホームを歩いていたある朝、ふと左を向くとこれが見えて驚きました。アメリカに続々と店舗を出しているそうで、その急進的展開に自信の程を感じさせます。ただ、上記の立川店で私が体験したような、日本人に合う寸法とデザインで、かつ私たち庶民に手が届く価格帯を維持してくれていればよいですが。一般のアメリカ人に売れることばかり考えて、その名のとおりのユニークさを失わないで欲しいです。ボストンには自分のサイズに合う気に入ったものが見つけられない日本人が多くいると思いますし。

上画像:ボストンのファヌィルホールに開いたユニクロのポップアップ店

今日は、ブラウン大から週末だけ帰って来た長女が、そのファヌィルホールに開いたユニクロに行って来て、写真を撮ってくれました。2つ目のがそれです。やっぱり小さいので品揃えは限られていたようですが。それで結局、服は下町のTJ Maxで買ったようです。しかしとにかく、話題性はとても高くて、一定の顧客層を獲得するかもしれませんし、来年春にはちゃんと大きな店を3つ出すとかで、それを楽しみにしています。

今年の1月からボストンコモンが禁煙になったときに、願いが叶うこともあるものだと書きましたが、振り返れば、長女がブラウン大学に合格して、かなり学費も安くしてもらえたのも願いの1つだったわけですし、私が雇われているRELABへのNASA科研費も、HQの方から実験室としての支援が再開されそうという朗報が来ました。さもなくば他の資金をつぎはぎして1年半がせいぜいだったところですが、これで2年半くらいは大丈夫でしょう。次女が大学に入る時くらいまでですね。

そして、もう1つ、私が通勤に使っているピーターパンバスのダイヤが1週間前から変更になり、ボストンを朝8時半に出ていた始発が8時になって30分早くなり、プロビデンスの下町のKennedy Plazaを夕方5時15分に出ていたバスが30分遅くなって5時45分になりました。これで、以前よりも合計1時間より多く仕事が出来るようになります。以前はブラウン大学の正式就労時間である7時間半に満たずにいろいろ調整する必要があったのが、これでそれ以上の時間は普通に働くことが出来ます。もちろん、バスは遅れたりしますが。このことも、小さなことですが、ずっと願ってきたことです。

皆さん、やっぱり、全うなことならば、ずっと願い続ければ叶うこともあるものでしょうね。何が「全うなこと」かは大きな問題でしょうが。少なくとも、はやぶさ2の成功は、日本国民全員が全うなこととして願ってよいものでしょう。何しろ小惑星探査の世界最先端ですから。
 

9. 11

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: September 16, 2014

秋も深まりつつあるボストンですが、先週は世界中が忘れもしない9.11の13周年記念日がありました。あの日、ボストンのローガン空港から飛び立ったAmerican航空とUnited航空の飛行機が世界貿易センターの2つの塔に衝突しました。その最中に、私もボストンからプロビデンスに向かう列車の中にいました。職場に着いたら、その大異変で話題が持ちきりでした。

上画像:9.11 テロの日の体験を綴った Boston Metro の記事

それら2つの飛行機は、「American United(アメリカ人が団結した)」という啓示的なメッセージのようにも思え、実際にその同時多発テロの結果、アメリカ人たちは何がもっとも大切なものであるかということに目覚めました。最初の写真にあるのは、毎朝ボストンで無料で配られているMetroという新聞の記事ですが、そこで語られているように、とぼとぼと帰宅する人々と静かに徐行して走る車だけがボストンの町並みに見られたという異常な日を迎えていました。私は、この週末にもボストン顧問でマリファナ自由化のためのデモとかが行われているのをみると、世俗的安楽な生活を追い求めるばかりで世界中で起こっている人々の苦しみを忘れたアメリカ人には、たまに9.11のようなショック療法が必要であったのではないかとさえ思います。

上画像:奴隷制へのブラウン大学の関与を認めた記念碑

もう1つアメリカ人が忘れてはならないことは、黒人奴隷のことです。2つ目の写真はブラウン大学のキャンパスにあるモニュメントで、前学長で、Ivy Leagueの大学としては初めて黒人女性学長であったRuth Simmonsが行った調査の結果を記念したもので、ロードアイランド州が奴隷貿易に活発に関与し、ブラウン大学もその恩恵を受けていたことを認めたものです。広島・長崎への原爆投下と東京大空襲に代表される大量虐殺を認めない、自国の恥を隠そうとするアメリカでも、政府の力に屈しない自由を謳歌する大学ならでは出来たことだと思います。

個人としても国としても、過去の過ちを忘れず素直に認め、決してそれを繰り返さず、よりよい未来を作る決意をすることが大切だと思います。
 

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POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: September 09, 2014

上画像:正門入場および入学式の光景

9月に入って1週間たちますが、最初の写真にあるように、前回紹介した娘の入学式は9月2日火曜日に無事終了し、参加できなかった妻のためにビデオも撮影しておきました。日本と大きく違うのは、入学生たちが正門から入る際に、父兄や先生たちが歓迎し、荘厳な雰囲気はまったくなく、楽しいだけの行進で、最後に芝生に並べられたいすに座って、学長が祈祷で始まる挨拶をし、Provost(学寮長?)の話を聞くことになります。伝統的には男性だけ、かつ科目も2つくらいしかないキリスト教系の大学でしたが、他宗教や女性や多くの科目を導入し、現在の総合大学になったという話を学長はしていました。この日はとっても蒸し暑く、涼しかった夏が終わったはずの9月になって地球がバランスを取ろうとしているようにも思えました。日曜日になってやっと70度F台の涼しさに戻りましたが。

入学式の翌日の水曜日は、最近足が痛いので昼間に医者による検診のアポがあり、それで仕事は休むことにして、ついでに MIT での David Jewitt のセミナーに参加してきました。Rick Binzel のグループとは本年度から SSERVI という NASA 科研費で共同研究をしていることもあり、机を用意しておくから早めに来れば良いよと言われていたので、2時半過ぎに着いて、訪問研究者である David Polishook と同じ部屋に通されました。David は、小さめの小惑星が表面の温度の違いによる輻射量の違いによってトルクを受けるという YORP 効果によって自転が加速して分裂し、それによって宇宙風化がリセットされるという論文を書いていて、その今年の論文を見せてもらいました。まだじっくり読んでませんが、はやぶさが行って来たイトカワとも関連しており、なかなか面白いです。あの 50 m のボルダーの由野台は、そのような力でラッコのお尻にどんどんずれて行ったのではとも思いました。

David Jewitt は UCLA から訪問している有名な彗星などを研究してきた科学者で、今回は Active Main-Belt Asteroids ということで、上述のように YORP 効果で質量損失をしつつある主ベルト帯の小惑星の発見の話でした。彗星のように揮発性物質もないのにダストをいくつも放出しつつあるというのは非常に異例なことで、YORP 効果が存在しているという直接の証拠のように思えます。

また昨日土曜日には、また東大同窓会ボストン支部の設立準備会があり、4人の卒業生が集まって Kendall Square のマリオットホテルで会合をしました。その後で、参加された医学系の先生と、最近の理研の問題とかに花が咲きました。お互いに在米経験20年以上とかソフトマネーで生き延びているとかで、共通するところがありましたし。

上画像:Shoe Gooで私の靴の底と旅行かばんのキャスターを直したところ

一方、私が自宅でこの1週間くらい凝ってやっていることは、2つ目の写真にあるように、Shoe Goo という製品で靴の底や旅行かばんのローラーキャスターを直すことです。私は毎日同じ靴を履くせいか、1年も持たずに底が磨り減ったり、かかとの裏地が破れたりします。旅行かばんも、ローラーのところだけ磨り減って、表面のゴムが破れて内部の金属の輪がむき出しになったりしています。この Shoe Goo は非常に定評の高い製品で、そのとおりに耐久性があるかどうか、明日から靴は履いてみて、旅行かばんは次回の12月の日本帰国に持って行くので、わかると思います。もちろん、靴用の製品なので旅行かばんの重荷に耐えろというのは要求しすぎかもしれません。

わたしは、この Shoe Goo のように物を直して長く大切に使わせてくれる製品は大好きです。私の一番古い服は26年位前に買ったものですが、他にも24年前に買った電卓とか、アメリカに来る前後のものが多いです。いつか自分の家を持って、本を含めて古い大切なものを保存しておきたいものです。どこに家を構えるか(日本、ボストン、プロビデンス、ハワイ、...)が問題ですが。
 

まもなく入学式

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: September 02, 2014

とうとう8月も終わり、月曜日の労働の日を過ぎるとブラウン大学は新学年で入学式があります。昨日土曜日には、娘を大学の寮に送っていきましたが、車を持っていないので、いつも通勤に使うピーターパンバスに2人で乗って、娘は大きな旅行かばんを引きずって、リュックと手提げも持ち、私はいつものショルダーバッグとチェロを持っていきました。前の晩にはお別れ会ということで、チャイナタウンで買ったケーキを家族で食べました。それらの様子が最初の写真にあります。写真の3つ目に写っている冷蔵庫と電子レンジは、長女と同室のやはり1年生の女の子が買ったもので、割り勘にするそうですが、そこをはさんで右半分が長女の空間です。勉強机、ベッド、押入れがあるだけで、シャワーは共同で、バスローブを着て廊下を通って行かないといけないようです。

上画像:長女のお別れ会・バス移動・ブラウン大学生寮の部屋

長女の寮はArchiboltという建物の1階にあり、その前では在校生が何人も案内係りをしてくれていたのですが、そこにはタバコの煙と悪臭が漂っていました。見ると、出入り口から数メートルのところで職員たちがタバコを吸っているではないですか。そばにいた女性のブラウン大警官に頼んだら、今は交通整理に忙しいといわれたので、私はいつものとおり自分でやつらに苦情を言いにいきました。するといつもどおりの反応で、ブラウン大の規則である35フィートという距離も知らないし、倫理基準も相手に対する敬意も感じられませんでした。その時はちょっと離れたところに移動したようですが、後で見たらまた元の位置に戻っていましたね。私はそれ以上かかわらず、実験室に帰ってから、ブラウンの警察署に電話して苦情を言いました。電話に出た人は自分の大学での喫煙ルールも知らなかったですね。私は、ルールを知らずにどうやって取り締まるのですか!と延々と説教をしました。学生のヘルパーたちにも、上に苦情を上げるべきだと激励しておきました。

とにかく、鍵ももらい、荷物も降ろしたので、娘と一緒にCVSに行って当面の消耗品などを買って、私のオフィスに持ってきてあった他の雑貨をもって部屋に戻ると、同室の女の子がいました。明るい子で、挨拶とちょっとしたおしゃべりをして、娘と食堂などの利用の仕方を調べに行き、私は実験室で別れました。土曜日とはいえ、せっかくなので、Ralphが昨日渡してくれた三宅島の斜長石の測定を紫外と可視だけ始めておいて、食べ損ねた昼食のために、帰りにSubwayでサンドイッチを買ってDowntown行きのRIPTAバスに乗り、Downtownに着いたらSeven Elevenでコーヒーを買ってからバスに乗りました。いやあ駆け足でしたが、無事に引越しは済みました。きっとこれから足りないものとかでお金が必要だろうなあと思っていたら、すでに今日までに、部屋の備品、バスローブ、ノートパソコンが入るリュックサックとかで$70くらいかかっています。一部はCoverdell教育ファンドで払えるとは期待していますが。。。

忙しくてついついキャンパスの様子の写真を撮るのを忘れたのですが、次にあるのは前日に私のオフィスのビルの前で設定されていた、大学院生の歓迎食事会の場所です。大学院生は人数も少なめですし、なかなかの歓迎振りです。火曜日の入学式の情報は以下のリンクにあります。
https://news.brown.edu/...

上画像:大学院生歓迎の食事所

このページの写真にあるように、入学式と卒業式にしか開かない正門を通って新入生たちが行進して入ってきます。また、説明にありますが、今回は251回目の学年で、30,431人が応募して、2,667人に合格通知を出し、その内の1,562人が入学したということです。11.5倍くらいの競争率ですね。入学しなかった人たちは、他のよりよい大学に行ったか、資金不足になったか、いろいろかもしれません。レベルを落とせば負担すべき費用が減ったりするので、両者の兼ね合いになるはずです。

さて、これから長い4年間の路程をあの子がどう乗り切るか、見所だと思います。近くで父親が見張っているようで、リラックスできないでしょうが:)
 

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