寄稿集
アンデスの砂漠にある宇宙の目
Author : Tomohiko Sekiguchi
日経サイエンス2001年06月号「世界の研究室から」から転載
画像:開所式翌日のアルマ望遠鏡山頂施設で撮影した星空です。 アルマ望遠鏡山頂施設は標高5000mのアタカマ高地にあり、その透明度の高さから世界一美しい星空とも言われています。 日本ではなじみの薄い南天の星空であることに加え、6等星もはっきり見えるその圧倒的な星の数は、星座の形を結ぶ事が困難なほどです。 写真の右上には、天の川に埋もれる様に光る南十字星を見る事が出来ます - 国立天文台 天文情報センター
欧州南天天文台(ESO)は,南半球の空を観測するためにヨーロッパ諸国がつくった国際共同研究組織だ。ドイツ,フランス,イタリア,スウェーデン,デンマーク,ベルギー,オランダ,スイスの八ヶ国が資金負担していて,職員の間では「イーソー」とか「イーゾ」などと発音される。現地のチリ人なら「エソ」だ。本部はドイツのミュンヘンにあるが,実質の機関はその名が示す通り南米チリの天文台で,アンデス山脈の山の上にラシーヤとパラナルという観測所を持つ。また 5000 m の高地に電波干渉計を建設する ALMA 計画が,米国との協力で進められており,日本もこれに参加することが最近正式に決まった。
観測所に行くには,まず首都サンチアゴから飛行機で二時間の都市アントファガスタに向かう。アントファガスタはチリの経済を支える銅などの鉱山資源の積み出し港だ。海岸の都市であってもここは砂漠だ。一年を通して雨はめったに降らない。
チリといえばチュキカマタ銅鉱山を思い浮かべる人も多いだろう。チリ北部のアタカマ高地にあるこの鉱山は,19世紀の戦争でチリがボリビアから得た地だ。この戦争でボリビアは大鉱山地帯と海を失い,貧しい内陸国となった。これ以降,太平洋を活躍の場としていたボリビア海軍はチチカカ湖に配備されている。これに対し戦勝国チリは世界の銅資源の供給地であるアタカマ砂漠の大部分を手に入れた。
ここは世界で有数の雨の少ない地域の一つで,かつアンデス山脈に通じている。晴天続きで標高が高いのは,天文観測にはうってつけで,世界各国の施設がある。アタカマ高地は,ハワイ島マウナケアと並んで,観測天文学の最先端を担う場となっている。
アントファガスタの空港では,ESO 指定のタクシー運転手がサンチアゴからの便の到着を待ち構えている。彼らにとって初対面の客を出迎えるのはそれほど難しくはない。たいていはキャスター付きの大きなスーツケースを引きずる白人たちだからだ。ヨーロッパ人の顔つきは,チリ人とは結構違う。私の場合はアジア人であるうえ,荷物がいつも少ないので置いてけぼりにされたことが2度ほどある。
市内の事務所で観測所への入所手続きをすませると,大きな四輪駆動車のおでましとなる。海岸の都市からアンデス山中を目指して,舗装のされていない岩だらけの山道を二時間以上も走る。草木はなく,地平線まで岩砂漠が続く。初めて訪れた人はみな「ここはまるで火星だな」などと口にする。「火星に行ったことがあるのかい」とやり返したくなるが,当たっている。
そうこうしてやっとの思いで着く場所が ESO パラナル山(Cerro Paranal)観測所だ。現在も居住区の建設整備が続いており,いまだにコンテナがホテルになっている。そして銀色に輝く巨大望遠鏡ドーム群。外界から閉ざされた地にある荒涼とした砂漠で,突然目の当たりにする巨大な人工物は,さながら火星の前線基地といったところか。その銀色に光る多角形と曲面からなる建物が世界最大級かつ最高性能を誇る大望遠鏡,その名も VLT(Very Large Telescope)だ。
VLT は 4 基で構成され,それぞれが日本がハワイに持つすばる望遠鏡と同径の 8.2 m の一枚鏡をもつ。4 基はアントゥ,クエユェン,メリパル,イェプンの名が与えられている。チリの先住民族マプチェの言葉で太陽,月,南十字,宵の明星を意味する。ヨーロッパにとって南米の歴史はスペインによる侵略から始まる。すでに子孫の絶えた先住民族もあるそうだ。マプチェは現在も土地所有問題でチリ政府から虐げられていると耳にする。外来文化の象徴ともいうべき最先端科学の産物を,先住民族の言葉で呼ぶのは,彼らに畏敬の念を捧げるためのささやかな表現といえるだろう。
この巨大な「四つの目」を通して宇宙の深淵をのぞく。そこに現れるのは,人類が初めて目にする新たな天文学だ。しかしそれらは画面上に描かれた縞模様にすぎない。それをグラフに図示した“ギザギザ”の幅,深さ,鋭さを眺めて,私は興奮の時を過ごす。
関口朋彦 - 北海道教育大学 (現)
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Modified : March 23, 2017