The Planetary Society of Japan

The Planetary Report

Archive 1999

 

待望のルナ・ポーラー・オービター

アポロ計画が終わると、月は探査の表舞台から消え去っていった。本文は、月の極軌道からの探査が実現するまでの20年間に及ぶ苦闘物語である。筆者は、プラネタリー・レポートのテクニカル・エディターの任にある。[ 1999年01月/02月 ]

James D. Burke

 

左側に見える白っぽい何かが跳ね飛んだような部分は、ライナー・ガンマと呼ばれる謎がいっぱいの非常に大きな磁性異常が起こった地形である。右に見えるのが、直径30メートルのライナー・クレーターである。ライナー・ガンマや白い渦のような地形が何故出来たのかは不明である。1967年5月22日、月探査機ルナ・オービターが撮影した。
 

 

1996年、ワシントンDCの出張から戻ると、アポロ計画後の月探査計画における無人探査の策定作業の責任者としての仕事が私を待ち受けていた。NASAジョンソン・センターとマーシャル・センターのミッション・スタッフは、間もなく始まる有人月探査(アポロ計画)が月における人類の時代の展望が開くものと信じて、様々な探査計画を策定し始めていた。一方、JPL(NASAジェット推進研究所)には、有人探査後の無人探査の科学目標の策定作業が与えられた。

これまでの数年間、月探査を巡る壮大な米ソ間の競争が展開されていた。サーベイヤー計画とルナ・オービター計画により、アメリカはアポロ計画に必要な科学技術と情報を得た。ソ連では既にルナ・シリーズ計画が始められ、無人月探査機の軌道周回、月面着陸そして月面移動車による月面活動など、月探査における「一番乗り」を果たす歴史的な成果を挙げていた。同時に、有人飛行の先駆的計画として、ゾンド宇宙船の月軌道の周回と回収に成功していた。

そうこうする中に、米ソ双方は、月の有人着陸に必要な巨大ロケットと宇宙船の準備を整えた。両国の月計画には、切迫感と負けられぬとの思いがないまぜになっていた。アメリカはサターンVロケットの打ち上げに成功し、ソ連は打ち上げロケットの実験に4回失敗した。かくして、月の有人飛行はアポロ計画を成功させたアメリカが勝利を収めた。

しかし、有人探査による月への展望は、1972年のアポロ17号を以って立ち消えとなった。月探査の帰結は、JPLの無人探査機による一連のミッションが支持を得、我々が月の謎を解明するための科学探査計画を進めることになった。我々の研究は、先ず月の軌道から行なう遠隔測定による探査で始め、次に月面の長距離移動による探査移行するというミッションを実施する上での理論的合意の上で進められる事になった。オービターによる地球物理学的かつ地球化学的観点からの探査は、アポロ計画における低緯度地域の探査で実施済みであった。我々に必要だったのは、ポーラー・オービターにより探査の範囲を月の全域に拡大することであった。

この計画の説得工作は不首尾の連続で、結果的には長い年月が費やされた。技術開発とミッションの分析の資金は得たものの、実施となると政府の優先順位は低く、一般の支持も期待薄であった。この拙文を執筆するに当たり、葬り去られた1967年から1991年迄の月探査に関する研究論文および提案書をひもといてみた。これ等の論旨は、ポーラー・オービターの実施による月の科学探査の復活を主張するものであった。事実、我々(NASA)は様々な形でオービター・ミッションを試みようとした。 ヨーロッパでも、同じ試みに対する努力がなされた。 また政府の資金なしで、最低必要限のオービター・ミッションを実現しようとする動きさえあった。

全て水泡に帰した。しかし遂に、クレメンタイン・ミッションを引っさげた独創的かつ反逆心旺盛の小さなグループが国防総省の予算獲得に成功した。それは、このミッションを「スターウォーズ」として知られた戦略防衛構想(SDI)のために装備されるセンサーのテストの手段として利用する提案であった。クレメンタイン・ミッションにおいては、NASAの経験豊富な月科学者がスタッフとして採用された。1994年、このミッションは打上げられ、結果的にはセンサーのテストとして成功を収めたことに止まらず、新たな月のデータを発掘した素晴らしい科学実験となった。これで漸く、我々が意図した月の科学探査が表舞台に登場することになった。そして、直ぐ後にもう一つの月探査計画であるルナ・プロスペクター計画が、NASAの(より速く、より良く、より安くを理念とする)ディスカバリー計画の一環として承認されたのである。1998年初頭、プロスペクターは打上げられた。そして現在、月の両極近くの地域に、水素(おそらく水の氷として)が存在する可能性を示すデータを送って来つつある。

という訳で、遂にポーラー・オービターの使命は果たされようとしている。このミッションから、学ぶことがあるのだろうか。おそらくあるであろう。正道を歩めば、最後には報われる。しかし文脈をより深く辿って、人類が宇宙への進出する事と地球を住みやすい場所として維持していく事の関係は何か、問うてみる必要がある。

アポロ計画は、その定められた政治的な目的を達成したという意味においては喜ぶべき事であったが、母なる地球を超えた彼方の宇宙空間に印した人類の第一歩として考えてみると、最終的に失敗であった。何故かといえば、競争相手であるソ連の失敗により、その後の数十年間、月に関しては何等成果は得られなかったからである。そしてこの空白は、 僅かながら新しい科学探査により修復されてはいるが。しかし、人類があの月という古い天体に再び赴く新しい数十年が我々の前に待ち受けている。苦悩と恍惚に満ちた長き歳月を生き抜いて私には、月への長くて険しい道程を歩み続ける心の準備は出来ている。
 

Creating a better future by exploring other worlds and understanding our own.