The Planetary Society of Japan

The Planetary Report

Archive 1998

 

宇宙の塵はコメット・シャワーの素

地球化学者である筆者は、地球に降り注ぐ宇宙塵の量を探求することで、地球の衝突の歴史について何かわかるのではないか、という予感を持った。筆者はジーン・シューメーカー博士や同僚に話し、同僚と研究を重ねた結果、3500万年前にコメット・シャワーが地球を襲った証拠を発見した。アメリカ、メリーランド州チェサピーク湾で発見されたクレーターは、このコメット・シャワーの名残であることをつきとめた。筆者は、カリフォルニア工科大学地球化学部の助教授である。[ 1998年09月/10月 ]

Kenneth A. Furry

 

彗星に埋め尽くされた空の眺めは美しいことだろう。しかし、すべて生命体にとっては荒廃に至る不幸な前触れとなる可能性がある。コメット・シャワーが、始新世後期の大量絶滅を起こしていたのかもしれないということを証明しつつある。スペース・アーティストのマイケル・キャロルが描いたものである。
 

 

1994年以前は宇宙塵のことなど、私は考えたこともなかった。それまでの科学の研究は、ほとんど地球内部の化学の研究に限られていた。ところが、ある事情から古い堆積層に含まれるヘリウムを分析していたところ、驚いたことに、この堆積層は同位元素ヘリウム3を大量に含んでいること、つまり、この堆積層は地球以外でできた塵を含有していることがわかったのである。ヘリウム3は宇宙塵の成分で、地球が太陽系の旅を続けている間に拾い集めた極く細かい屑であることは、科学者間ではずっと以前から知られている。私が驚いたのは、ヘリウム3が堆積層の中でこんなに長い間生き続けてきたことである。

ヘリウムは大抵の鉱物から急速に発散するので、地質学的には、宇宙塵を形成している微粒子では長い間ヘリウムを維持できないというのが通説である。ところが、私の測定では、ヘリウム3が堆積層の中で何百万年もの間存在し続けたことが証明された。かくして、思いがけないきっかけで、(地球の)外に目を向けて、堆積層に含まれるヘリウム3のレベルの上がり下がりを測定するように、宇宙塵の消長の研究は始められた。そして、今度はこの研究で、3500万年前、つまり始新世後期に、地球が雨霰と降り注ぐ彗星の攻撃に晒されたことを裏付ける証拠を得ることとなった。

ジーン・シューメーカーは、直ちにヘリウム3の発見手法の適用性に気がつき、彗星の衝突と宇宙塵との関連を追及するよう勧めてくれた。彼は、イタリア北東部のアペニン山脈に露出している、海底が隆起した堆積層の共同調査を提案してきた。この堆積層には、イリジウムや衝突でできた鉱物の微塵が大変豊富な始新生後期を含む、異常なほど完璧な記録が留められている。1997年春、シューメーカーの死のわずか数ヵ月前、彼の妻のキャロラインとイタリア人の協力者、アレサンドロ・モンタナリと私で、始新世紀後期の岩石のサンプルを収集すべく現地で調査を行なった。この調査の結果(科学誌「サイエンス」の最近号に掲載されているが)では、堆積層には、始新世後期と期を同じくする宇宙塵の増加が認められた。

この発見で、地球の衝突とその衝突物体の性質に関する数多くの疑問に対する解決が一歩前進した。衝突物体はどこからやってくるのか。主に小惑星なのかそれとも彗星なのか。もし彗星だとしたら、単独なのか、それとも稀だが、シャワーのように猛烈に降り注ぐのだろうか。天体望遠鏡による観察や太陽系の理論的考察あるいはクレーターそのものの直接研究等を長年続けてきても、これらの疑問に答えることは出来なかった。今回のヘリュウム3を宇宙塵のトレーサーとして利用すれば、今まで科学者達がいろいろな方法で研究して集めた観察結果と相まって今後の研究の一助となろう。
 

宇宙塵トレーサーの解明

先ず、年間 4000万kg の割合で絶え間なく地球に降り注ぐ、地球外の細かい粒の宇宙塵のことから始めよう。この宇宙塵は、小惑星帯に存在する小惑星のぶつかり合いか彗星から作られる。

太古の堆積層で宇宙外物質の破片を見つけ出すには、地球の表層物質よりも小惑星や彗星に豊富に含まれているトレーサーと呼ばれるある種の化学成分が必要である。太陽系に属する物体は、全て同じ太陽系星雲から誕生しているので、その化学組成は同じである。地球外物質を見分けるポイントは、地球は地質学的に非常に活動が活発であったので、化学成分の多様な分化が繰返しなされてきたことである。現在地球には、鉄金属の中心核、マントルと、岩石質の地殻、および窒素、酸素、その他のガスから成る大気が存在する。そしてこの構成物質の配分が安定していることから、地球の地表は地球外物質とは化学的に異なっており、少なくともある特定の成分については明らかな相違が見られる。

例えば、イリジウムいう成分は地球外の降下物質のトレーサーとして広く利用されるが、鉄との親和性が余りにも強すぎるために、地表での存在量は非常に低い。つまり、親鉄性のあるイリジュウムは、鉄分が全地球的に沈降して中心核が形成されつつあった歴史の初期に、地球の岩石層から効率的に抜き取られたのである。その結果、地球が誕生時に持っていたイリジウムは、現在ではそのほとんどが中心核に存在している。ということは、現在地球の地表に見られるイリジウムは、宇宙から降下してきたことになる。

同じ理由で、ヘリウム3は宇宙塵を見出す指標となる。地質年代を通して、火山活動により地球内部からガスが効率的に抽出されて大気が生まれた。他のガスと異なり、ヘリウムは地球の重力で維持するにはあまりにも軽過ぎるので、急速に宇宙空間に漂い出て消滅してしまう。ヘリウムにはヘリウム3とヘリュウム4の2種類の同位元素がある。ヘリウム4は、放射の自然崩解で作られるので、地球における存在量もかなり多い。しかし、ヘリウム3はイリジウムと同じく、地球では極めて希である。
 

どのようにしてヘリウムは地球に降ってきたか

対照的に、地球外物質にはヘリウム3が非常に豊富に含まれている。宇宙空間の地球外物質は絶えず太陽風(太陽から放出されるヘリウム3を多量に含むイオンの流れ)の攻撃に晒される。宇宙塵の粒子は、太陽風を受ける面が広いため、ヘリウム3が留まる量は、通常の地球物質の数百万倍以上になる。地球の堆積岩石に含まれるほんの僅かな地球外物質の僅かな破片(10億個に数個の割合)でも、カリフォルニア工科大学にある私の研究室の原子分光計を使へば発見できる。

地球に衝突する物体の速度は、小さな塵の粒子でも大きさが数km の物体でも、地球と比べると、高速で宇宙空間を飛んでいる。一般的には、秒速数万km の速度である。このような物体が地球と衝突すると、熱に変換された運動エネルギーで、物体は融けてしまうか、蒸発してしまうことさえある。このような物体のヘリウムは、高熱に晒されて大気中に蒸発し、最終的に再び宇宙に戻ってしまうので、地球上の地表岩石に記録を留めることはない。かなり大量に且つ温度もヘリウムを維持できる低温で地球の表面に運ばれる地球外物質の破片だけが、微小の宇宙塵として残る。このように、ヘリウム3は小さな宇宙塵のトレーサーであり、直径は通常約 30ミクロン(約 0.001インチ)以下である。

地質年代の宇宙塵の降着率がどのように変化してきたか、今迄は地層の記録を調べることで決められてきた。始新世後期には、宇宙塵の降下量がかなり長期間に亘って増加し、チェサピーク湾とポピガイ・クレーターを作った大衝突の 50万年前からおよそ 200万年後まで続いた。これは、非常に活発な彗星の活動が激発した時期、言い換えれば、コメット・シャワーの時期に、何が起ったはずであるかを推定した1980年代の理論的考察と見事に一致している。
 

コメット・シャワー

我々のイタリアでの調査で、始新世後期の頃の衝突で宇宙塵の地球への流失がおよそ5倍も高かったことが明らかになった。最大の流入は、衝突(の回数)とほぼ正確に一致する(グラフ参照)。しかし、増加は衝突の 50万年前に始まり、衝突後 200万年の間に徐々に収まっていった。

この特殊な流入パターンといくつかの大規模衝突との関連性は、コメット・シャワーを想定することで説明が付く。約 3600万年前の宇宙塵流入の増加は、初めて彗星が内部太陽系に到着、その結果塵が持ち込まれたものと、我々は推定した。次の 50万年ほどの間、太陽系内部の彗星の数は増えてその中の少なくとも二つの彗星が地球と衝突して、ポピガイとチェサピーク湾のクレーターを作った。この衝突の後、宇宙塵の流入は徐々に下降して最低限度に向かい、彗星の活動も終焉に近づいていった。地球に降下する宇宙塵の増加は、高熱のためにヘリウムの放出を招く衝突の結果ではなく、彗星の数が増え太陽系内部に宇宙塵をまき散らした結果であることを銘記していただきたい。

どのようにしてコメット・シャワーは起こったのだろうか。コメット・シャワーは、氷の物体が集まった太陽系の一番外側の広大な領域、オールトの雲の引力摂動によるものである。太陽系の近くを通り過ぎる星は、数多くの長周期彗星を、オールトの雲から太陽に向けて推し進める。このような引力の摂動は、比較的頻繁(平均約 4000万年毎に)に起こると考えられている。

このコメット・シャワー説は、複数の大クレーターが短期間に出現したことの端的な証明となり、始新世後期の衝突層と関連付けられる彗星の分子と思われる最近の観測結果とも合致する。我々はこの仮説の独自性、つまりコメット・シャワーは始新世後期のデータと合致する唯一の信頼に足る説であることを確定するために、更に探求を続けなければならない。また、コメット・シャワーが地球の巨大衝突クレーターの形成に共通する要因であるかどうかを確定しなければならない。

ヘリウムが堆積層に数億年もの間存在し続けてきたことから、地球の歴史の可成の部分を通した宇宙塵の流入図を作成することができるであろう。研究者のチームが、現在この壮大な作業にに取りかかっている。うまく行けば、彗星が太陽系の歴史の中で果した役割を更に詳しく理解できることになろう。ただ、私が唯一残念に思うことは、この計画を軌道に乗せ、自らもこの成果に燃えるような関心を抱いていたジーン・シューメーカーが、この仕事を最後まで見届けられなかったことである。
 

地球から 10万AU(天文単位。太陽-地球間の平均距離のことで、約1億5000万km)離れたところに、太陽を取り囲んでいる広大な彗星の群集まったオールトの雲がある。オールトの雲の近くを通り過ぎる星の影響で、この中の彗星のいくつかが軌道から外れて、内部太陽系の中心部へはじき飛ばされたかもしれない。始新世後期のクレーターは、このようなコメット・シャワーの彗星が残した傷跡かもしれない。
 

 

この画像は、エドウイン・フォーンが描いたオールトの雲の内部から見た太陽系の想像図である。下は、ドン・デーヴィスの、オールトの雲のかなり外側の地点から見た太陽系の想像図である。
 

 

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