The Planetary Society of Japan

The Planetary Report

Archive 1998

 

マーズ・グローバル・サーベイヤーと太陽電池パドルについて

惑星間ミッションに完全無欠のものはない。つまらない誤りで無為となるミッションもあれば、大変な苦境の壁に阻まれるミッションもある。また、なかには問題を抱えながらも、目標を達成するミッションも存在する。マーズ・グローバル・サーベイヤー・ミッションは、この中の最後のカテゴリーに入る。その理由は、この一年間その太陽電池パドルの欠陥問題に突き当たり、ミッションが不能に陥る危険に付き纏われたが、ミッション・チームの知識、技術そして創意工夫を結集して、火星の地形図作成のために探査機の打ち上げに成功したからである。本文は、このミッションのプロジェクトの責任者が語る苦闘物語である。筆者は、ジェット推進研究所のマーズ・グローバル・サーベイヤー・ミッションのプロジェクト主幹である。[ 1998年03月/04月 ]

Glenn E. Cunningham(MGS Project Manager)

 

火星軌道を周回中のマーズ・グローバル・サーベイヤーは、現在火星全体を精査中であり、送られてくるデータは、地球を除けば、太陽系のどの惑星のデータよりも数倍も優れたものである。
 

とはいえ、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。時には、このミッションは失敗するかとも思われた。我々は、「空気制動」と呼ばれる新しい技術にすベてを委ねるこのミッションを成功に導くために、精一杯の忍耐力で限界を突き破り、持てる能力と創意のすべてを注ぎ込んだ。このミッションの探査機には、軌道修正用の必要最小限のロケット燃料しか積み込まれていないため、火星の大気圏では、空気制動により楕円軌道から円軌道に変えなければならない。空気制動とは、火星の大気が作る抵抗力を利用して探査機を制御することである。探査機が火星の大気圏を飛行し、周回軌道の最低点に達すると、大気の抵抗力のためその速度が減速される。このため、周回軌道の最高点が僅かながら下がるのである。大気の抵抗を何百回も受けるにつれて、軌道の距離が短くなり、当初の楕円軌道から円軌道に変わるのである。

探査機に装着されている太陽電池パネル(以下パネル)は、大気の抵抗をほとんど吸収する仕組みになっている。パネルがその表面に受ける大気の抵抗力を安定させるため、設計上、パネルはアクチュエータと連結され、その構造も強固にされている。パネルは蜂の巣状の高密度アルミ箔でできており、その表面はグラファイト・エポキシ樹脂でコーティングされ、両端は強力なボンドで接着されている。この材質は金属よりも遥かに軽い。火星大気の密度は、気象状況の変化に応じて変わる。それに伴って、パネルにかかる抵抗力も変わり、摩擦が増すにつれてパネルの温度も変わる。我々はパネルにかかる圧力と温度を探査機の設計限度内に止めるために、注意深く空気制動の操作をしなければならない。温度も変わってくる。予期せぬ大気の変化に備えて、探査機は周回中状況の急激な変化が発生しても、これに対して 90% は対応できるように設計されている。以上がミッションの概略である。
 

MOCの広角撮影では、火星の南極には季節的に現れる二酸化炭素の結霜層が見られる。写真の上にはマリナー渓谷が走っているのが見られる。この画像は、局地的な大砂嵐が発生してから3週間後に撮られたもので、全体的に靄がかかり、特に火星の縁にかけては大気に含まれるダストのためにぼやけて見える。右側のカラーの縁が円形になっていないのは、データの未処理とレンズの歪によるものである。
 

 

1996年11月7日(木)

マーズ・グローバル・サーベイヤーの打ち上げ当日。探査機はトラブルもなく、デルタ2型ロケットから切り離され、メインの電子装置の片側に折り畳んで格納されていたパネルはその翼を広げた。蝶つがいの部分に取り付けられているバネ仕掛けで開く仕組みになっている。Yサイドのパネル一つが、全開の約 20度角あたりで止まってしまっているのがモニターで発見された。打ち上げ後の記者会見で、私は、「Yパネルの展開の不具合が唯一のトラブルで、その原因はおそらくパネルの展開度合いをコントロールするダンパーが少し冷えすぎていたためで、太陽光で温められればおそらく全開するであろう」と発表した。この展開の不具合は僅かなもので、パネルの発電にとってはさしたる問題ではなかった。パネルと探査機を連結しているアクチュエータで、パネルが太陽光を捉える向きに調節できたからである。
 

1997年1月22日(水)

パネルを小刻みに動かすテストをして見る。打ち上げ後2ヵ月半過ぎているが、不幸にして、Yパネルは依然として全開の位置に達していなかった。テレメータの記録を詳しく分析してみると、このパネルの展開を制御するダンパーが機能したのは、最初の 43度角までであったことが分った。その後でパネルが急に勢いよく開いた。その衝撃は、探査機の飛行姿勢に影響を与える程ひどいものだった。

ロッキード・マーチン社の宇宙研究所とジェット推進研究所の探査機担当の技術者は、パネル展開中に部品が故障したためとの結論に達した。パネルが 43度角まで開いた後急に不具合を起こしたので、彼等の点検は、パネルの展開を調整するダンパーのシャフトに集中した。このシャフトは、長さ 2.2 インチのレバーアームによりパネルの端に繋がっている。まずい事に、折れたレバーアームが、内側パネルの端とパネルのヨーク(パネルとアクチュエーターの連結部分)との間に引っかかってしまったようである。つまり、折れたレバーアームの破片が蝶番のジョイントに詰まったために、パネルが全開して固定されなかったということである。

検証のために、我々はパネルを小刻みに動かすテストをしてみることにした。アクチュエータはパネルを急速に動かすことができるので、我々はパネルの動きを探査機の姿勢測定器でモニターすることができた。もし我々の推測が正しければ、パネルは挟まったダンパー・アームとこすれてスムースに外側に開かないはずである。逆に、閉じる時は、パネルは留め金で固定されず、蝶番のバネだけで支えられてその動きを邪魔するものは何もないため、回転も自由でパネルの動きははためくような動き方になるはずである。第1回のテストでは、パネルは一方向にはぎこちないが、逆方向には数度動いた後バネの働きで元の位置に戻ることが遠隔モニターでわかった。全員大満足であった。

数週間、パネルのたわみを少しずつ変えながら11回振動テストを行った。その結果、我々の推測は正しかったと思われた。我々の中には大胆にも、パネルが小刻みに振動して蝶番が開き、挟まっていたダンパーアームがうまく外れてパネルが全開し、そのまま固定されるものと思い込む者もいた。しかし悲しいかな、ダンパーアームに加わる重みや他になんの力も働かない状況では、ダンパーアームは蝶番の連結にそのまま残ってしまった。
 

マーズ・グローバル・サーベイヤーの構造を描いたもので、Yパネル(左側)の蝶番の部分が20度角に折れ曲がっているのがわかる。おそらくレバーが折れて蝶番の連結部分で引っかかったために、パネルは全開できない状態になってしまったと、プロジェクト・チームは推測した。
 

 

1997年6月12日(木)

我々はジレンマに陥った。なんとなれば、パネルは空気制動を効かすための重要な表面抵抗の働きをするからである。パネルにきちっと表面抵抗を持たせるためには、パネルはしっかりと固定されていなければならず、Yパネルのようにブラブラしていたのでは役に立たない。もし、マーズ・グローバル・サーベイヤーが、当初の予定通り空気制動を行ったならば、Yパネルは風の圧力で探査機の電子機器制御装置側へ吹きつけられ、空気力学上の安定性を欠き、空気抵抗を受ける機体面積を著しく減少させることになる。探査機の技術者は、Yパネルを裏返しにして空気制動が可能な方法を試み始めた。留め金も掛からず、他に構造的に何も固定するものがない状態では、パネルを所定の位置に収めるには電気アクチュエーターによる操作しかなかった。しかし、アクチュエーターには、風の圧力に負けずにパネルを一定の位置に保つだけの力があるだろうか。製作会社はゴーサインを出してくれた。

しかし、検討しなければならなそうな問題が別にあった。Yパネルを裏返しにすると、太陽電池が風に当って探査機が火星の大気を航行する時に摩擦が生ずる可能性が生ずることであった。そうなると、摩擦熱が生じて太陽電池、太陽電池を貼り付けている接着剤、あるいはパネルの構造が損傷を受けるのではなかろうか。我々はスペアのパネルを使って特別なテストを行った。先ず、試験室で、パネルに通常予測されるよりもはるかに強い摩擦熱を加えた。最高の加熱でも、パネルの性能は落ちることなく、このテストを乗り越えた。

特別対策会議で、3度目の周回で空気制動を行なうために必要なあらゆる操作手順と基準が検討された。あらゆる検討を勘案した結果、パネルが全開しなかった理由と、パネルを裏返しにしても余りリスクを伴わないで空気制動がうまく行く方法が分かった。ジレンマは解消。全員に自信が蘇った。
 

1997年9月1日(木)

火星周回開始。マーズ・グローバル・サーベイヤーは、主エンジンを23分間ふかしたした後、時速2183マイルまで減速し、火星重力の影響下に入り、遂にその衛星となった。
 

1997年9月16日(火)

空気制動進行中。マーズ・グローバル・サーベイヤーは火星大気への最初の小さな一歩を踏み出した。特に問題もなく、既に12回空気制動を利用して航行を終えていた。2回の周回で、力学的に空気抵抗が最大になり、なんとYパネルが全開の位置まで動いた。恐らく挟まっていたダンパーアームが、何かの拍子で、パネルの基板の方にねじ込まれたのに間違いないと、誰もが思った。
 

降下している探査機の図。左側が、展開が不完全(20度角)のYパネル。右側の正常に展開したパネルに比べて、明らかに視野面積が大きい。パネルとヨークの蝶番に注目して頂きたい。黒い部分は、ダンパーアームが潰されてパネルの底に押し込まれいる状態で、グレーの部分は、空気の抵抗を受けてずれた状態のパネル。
 

 

1997年10月5日(日)

空気制動の操作は順調に進んでいた。この時点で、軌道周回時間は45時間から38時間に短縮されていた。フライト・チームはパネルのオーバーヒートを避けながら、探査機を大気圧回廊の中を順調に誘導していった。慎重に練り上げられた設計や計画は全て順調に進んでいるように思われた。
 

強い空気の抵で、Yパネルが全開位置からずれてしまった状態。
 

 

1997年10月6日(月)

気象は刻々と変わりつつある。地球と同じように、火星でも前線の通過に伴い、大気の濃度や圧力が変わる。今日は、15回目の周回の冒頭から最接近通過に入る日である。気圧が探査機の許容範囲を著しく超えて上昇した。火星の気象予報官でもあるわがチームの科学者によれば、次の周回でも気圧は引き続き高いだろうとのことである。

しかし、今日の問題はこれだけでは済まなかった。テレメータを見ると、前回の周回でYパネルは留め金の位置を通り越して、空気制動が作動する前とほとんど同じ位置まで戻ってしまっていた。この大きなずれと逆戻りには納得いかない、しかし、間違いなく事実なのだ。そこで、予め決めておいた方法で、探査機の小型の推進装置に点火してパネルに掛かる圧力が相当低下すると思われるところまで高度を上げた。どうしてパネルが全開位置を越えて動いてしまったのかわからなかった。この動きは蝶番の近辺で起きたものではない。それとも蝶番の連結部分が壊れてしまったのだろうか。今回の事件は、ただレバーアームが挟まっているだけの問題でないことは確かである。

空気制動の予定はかなりタイトだった。何故なら、1998年の半ばまでには、探査機の公転周期を2時間に落としておく必要があったからである。つまり、探査機の周回速度を太陽と同じに固定し、太陽との角度を午後2時と等しい角度に保ちながら、探査機が火星の赤道を通過するようにする必要があったのである。つまり太陽周期衛星の状態を実現するのである。予定では、それまでには7日間の猶予しかなかった。もう、心配の極みであったYパネルの動きは我々の予測通りにはならなかった。空気制動を続ける自信もぐらついてきた。貴重な7日間の内4日間を充てて原因を究明するよう、フライトチームに指示した。我々は、高度での空気制動を試してみた。Yパネルは依然として、蝶番からずれたままだったが、気圧が低いためずれ幅はやや狭まっていた。
 

1997年10月11日(土)

決断の日だ。しかし、我々が(Yパネルの)状態を正確に把握していないことに変わりはなかった。意見も別れた。余りにも危険すぎるので、これ以上の空気制動の継続に反対するスタッフもいた。彼等は、「今のままにしておこう」とか「探査機を失うよりは楕円軌道で科学データを収集する方がましだ」とも言った。また、このまま空気制動を続けて、既に、火星の様子を次々に明らかにしてきている科学分析を進めるべきだとするスタッフもいた。ここで止めてしまっては、全てが台無しなになってしまうというのである。更に、ダメージを受ける危険性があるかもしれないが、このまま空気制動を続けて、パネルの異常な振る舞いの原因の情報を得るべきだと主張するスタッフもいた。

私は、科学者、技術者及び管理部門のスタッフなどこのプロジェクトに携わっている関係者全員を電話会議招集した。会議は午後遅くまで延々と続いた。全員発言した。出席者は全員、会議の結論が過去10年来大勢の人達が携わってきたこのミッションに重大な影響を及ぼすことはわかっていた。成功の一縷の望さえ、断ち切られてしまう気がした。

マーズ・グローバル・サーベイヤーはミッションの目標以外に、1999年末に火星到着予定のマーズ・サーベイヤー'98ミッションのランダーと小型探査機の無線中継極の役割を果たすことになっていた。従って、マーズ・サーベイヤー'98が火星に到着する時には、マーズ・グローバル・サーベイヤーは、それまでには正しい軌道に乗っていなければならなかった。決断の時だった。私は、空気制動を少なくとも2週間中断するよう指示した。フライト・チームには、Yパネルの振る舞いを調べ、パネルの展開不良の原因に関するこれまでの考え方を修正し、正常に作動させるために納得のいく説明が出来るよう命じた。的確な情報を得た上で、フライトチームは、パネルに大きな負担をかけずに空気制動を再する計画を立てなければならなかった。空気制動でパネルにかかる空気の最大抵抗力が分かれば、フライト・チームはマーズ・グローバル・サーベイヤーの担当科学者と協力して、最高のマッピングを決断することになる。フライトチームの課題は、何にもまして、如何に探査機を安全に保つかであり、将来の科学データを得る可能性を危うくするような危険を絶対に犯さないことであった。

夜半になって、我々は探査機の高度を上げ、火星の大気圏から脱出させた。これで空気制動は中止され、当初ミッションで計画されていた、軌道を午後2時の太陽の角度で周回する望みは事実上消えた。科学チームはがっくりしてしまった。我々自身もうまくいくと信じ込んでいたし、NASA当局に対しても、空気制動中のYパネルに異常は生じないことを請け負っていたので、彼等もこの決定には失望した。マーズ・グローバル・サーベイヤーも、前回のマーズ・オブザーバーと同じように失敗の烙印が押されてしまうのであろうか。他のミッションとの無線中継はうまく行くのだろうか。フライトチームと科学調査チームが必ずや解決策を見つけてくれると、私は確信した。
 

1997年11月5日(水)

敗退の淵から勝利へ。マーズ・グローバル・サーベイヤー・チームにとっては、恐らく今までに経験たことのない猛烈な作業の4週間が過ぎ、ミッションの残りをどうするか決断する時が来た。再びミッション関係者全員が招集された。今回は特別に空気力学と機体構造の専門家が加わった。ミッション計画の立案者や軌道の専門家で構成されるグループは、これから何が出来るのかその可能性を全て検討した。例えば、どの楕円軌道が最適か、探査機をこのままの状態で止め置くとどうなるか、残りのロケット・エンジン燃料を使えば円軌道周回はできるのか、もう少し空気制動を使えないかなど。科学者チームは、今回の科学調査で最良のデーターを得られるオプションには何があるのか検討した。

ロッキード・マーチン社のメカのチームは、スペアのパネルとヨークを使って、あらゆる角度から繰り返しテストを行ない、結果を分析した。特に、圧力については、綿密な分析を行なった。スペアのパネルとヨークは、ダンパー・レバーが折れてYパネルが弾けるように開いた時に探査機がどの位の圧力なら耐えられたのか、新しいシミュレーションテストを行なった。内側パネルとヨークで構成されるユニットの末端部に、設定以上の圧力が加わったことが彼等の分析で分かった。更にテストを行った結果、グラファイト・エポキシ樹脂でコーティングされたヨークの表面の一部にひびが入り、強度が落ちていいることが判明した。何故パネルが停止位置からずれてしまったのか、その原因がこれで分かった。

パネルは屈曲していたが、ひび割れの周囲では僅かな角度に過ぎなかった。ということは、パネル展開中に二つの故障が重なったことになる。一つはパネルが留め金に掛からなかった時点ですぐ判った。そして二つ目は、パネルが空気制動の圧力を受けるまで判らなかった。エンジニアは実験室で、フェースシートの撓みテストを何千回も行なって、空気制動がパネルとヨークのユニットにどのような影響を与えたのか、シミュレーションテストを行った。
 

上は太陽電池パネルとヨークのスペアを使って、マーズ・グローバル・サーベイヤーに起こった不具合の原因解明のために行った圧力テストの模様。下はパネルの異常な動きの原因となったと思われる破損箇所の拡大図。
 

結果は非常に良かった。ヨークは低圧力で連続的に行う空気制動に耐える力を示した。一方、ミッション・プランナーには、パネルに掛かる圧力を以前の1/3に下げて空気制動を行なうことができる代替案があった。不幸にして、当初の円軌道周回はもはや不可能だった。つまり、探査機を北から南に動かして、午後2時の角度で赤道の陽の当る側を横切ることは不可能だった。しかし、ミッション・プランナーによれば、火星年で半年(地球では1年)待てば、今度は探査機を南から北へ動かして、午後2時の角度で赤道の陽の当たる側を横切らせることが可能だということであった。新しい軌道でも、探査機や科学機器類の照明や配置は従来のままでよいことになった。この南から北の新しいコースに全員が賛成してくれた。

ここに至り私は、パネルにかかる圧力を落として空気制動を再開できる状態にあることを発表した。マーズ・グローバル・サーベイヤーの打ち上げ1周年に当たる11月7日の金曜日が、再開の予定日に決められた。遂に我々は、今回のミッションの目的を完全に果たす解決策を見つけ出した。後は詳細な探査計画の実施まで1年間待つだけだった。
 

 

この図は、新たに低圧の空気制動方式を採用したことにより、パネルの撓みが最小の状態にあることを示している。
 

 

1997年11月8日(土)

空気制動の再開。空気制動が予測通りいかない場合に備えて、パネルへの圧力を更に減らすための操作の限度基準を決めていた。ところが、空気制動は順調だった。作戦(空気制動)は続行された。この間、知識不足のままミッションの致命傷になりかねない最大の難関に直面し、これを克服したという思いがこみ上げてきた。そして、マーズ・グローバル・サーベイヤーは、「能力と奉仕」というNASAの精神を発揮したミッションチーム全員のおかげで救われたのである。

更に13回空気制動による周回が行われ、作戦は終了した。全員安堵した。しかし、それは、これでいつもの静かな作業に戻ってリラックスできるいうようなものではなく、心の底からの安堵感だった。そして丁度同じ頃、南半球で大規模な嵐が発生して火星の大気は極めて不安定になっていた。しかし、それはそれでまた別の話だ。
 

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