The Planetary Society of Japan

The Planetary Report

Archive 1998

 

日本の火星探査機プラネットB、打ち上げ成功後「のぞみ」と改名

日本が地球以外の惑星に初めて探査機を打ち上げた。名前は「のぞみ」(英語ではHope)である。本文は、鹿児島宇宙空間観測所での「のぞみ」の打ち上げを目の当たりにした、惑星協会審議委員長のジョン・ログドソン氏からのレポートである。筆者は、ジョージ・ワシントン大学エリオット校の国際問題研究所宇宙政策研究所所長の要職にある。[ 1998年11月/12月 ]

John M. Logsdon

 

1998年7月5日午前3時12分(現地時間)、M - 5型ロケットに搭載された「のぞみ」が火星に向けて打ち上げられた「のぞみ」は2年間、軌道から火星を探査する。
 

 

1997年7月4日は、アメリカの歴史上重要な日であるが、火星探査の面でも画期的な日となった。探査機マーズ・パスファインダーが赤い惑星にバウンドして着地したのは、1997年のこの日であった。記憶力のいい人は、探査機バイキングの史上初の火星着陸目標日が1976年の7月4日であったことを覚えておられるであろう(実際の着陸は、1976年7月20日となった)。そして今年の7月4日早朝、日本列島の最南端にある鹿児島宇宙空間観測所から火星に向けてプラネットBミッションが打ち上げられた。これで、日本は惑星へ探査機を打ち上げた3番目の国となった。

固体燃料使用のM - 5型ロケットで打ち上げられたプラネットBミッションは、私が今まで見た中で最大規模の7月4日(独立記念日)の「花火」となった。私は惑星協会の審査委員としてこの時現場にいた。打ち上げに先立つ数時間前、私は日本及び世界中から集まった人々を前に挨拶をした。プラネットBミッションは、後に「のぞみ」と改名されたが、このミッションこそ、惑星協会の設立の旨として推進すべき活動である事を実感した。このミッションは、重要な科学的疑問に対する挑戦である。日本以外にも四カ国から搭載機器を調達しているように、このミッションの性格は国際的である。また、一般国民も参画しており、27万人もの市民の署名を火星の軌道に運ぶのである。惑星協会が、日本の友人達と共に、日本にも志を同じくする組織の設立を検討していることは、真に時宜を得たものである。惑星探査に日本が参画した今、そのために幸先のよい時期と言えよう。

「のぞみ」は宇宙科学研究所(ISAS)のミッションである。しかし、ISASを宇宙機関と呼ぶのはいささか認識不足かもしれない。資金は国の予算で賄われるが、ISASは大規模な大学の調査研究所の運営スタイルをとっている。にも拘わらず、なんと自前のロケットと打ち上げ施設をも持っている。114人の教授陣が324人のスタッフを率いており、174人の博士課程を修了したスタッフと大学院生が活動のあらゆる面に参画している。今年度の予算規模は297億円である。これと比較して、もう一つの宇宙組織である日本開発事業団(NASDA)の予算は、1兆7788億円である。(NASDAが技術開発に携わっているのに対し、ISASは宇宙科学に焦点を絞っている。)

ISASは、少ない予算で自前の探査機の設計、資材の調達、打ち上げ及び運用をこなしている。平均して1年に1回、質の高い科学ミッションを打ち上げている。「のぞみ」が長い旅に出発した数時間後、打ち上げセンターを見学している間に気付いたことだが、ISASのオペレーションには無駄は全く見られなかった。ISASは間違いなく、「より速く、より良く、より安く」の本家本元である。

「のぞみ」ミッションの主たる科学上の目的は、火星の赤道上を様々な高度(最接近距離は 150km)で飛翔して、火星大気の上層部と太陽風との相互作用を観測することである。この相互作用がが分かれば、遠い未来に起こり得る、なぜ火星が自前の水のほとんどを失ったのか、そのメカニズムを知る糸口が得られるかもしれない。総重量 540kg の探査機は15基の機器を搭載しているが、その中の10基が日本、2基がアメリカ、残りは1基ずつ、スウェーデン、カナダ、ドイツからの調達されたものである。

「のぞみ」はM - 5型ロケットの2度目の打ち上げで、火星への壮途についた。この4段階式ロケットは、ISASがそれまでよりも重い探査機を必要とするもっと野心的な科学ミッションを行なえるよう特に開発されたものである。このロケットを以ってしても、「のぞみ」は、複雑な引力を利用する軌道をとり、12月20日に地球スウィングバイで加速して、最終的に火星に向かう前に2回の月スウィングバイを行なわなければならなかった。「のぞみ」は1999年10月に火星軌道に乗り、2年間のミッションを開始する予定である。

1986年に、ISASの2機の探査機がハレー彗星のコマと尾を観測してはいるが、「のぞみ」は、日本が別の惑星へ打ち上げる初のミッションである。さらに、新たなミッションがこれに続く。1999年に打ち上げ予定のルナーAは、月の軌道に入り、ペネトレータを月の地表に打ち込んで、月震の測定を行なう。2002年に予定されるミューゼズCは、小惑星のサンプル・リターン(回収)の技術を披露することになろう。2003年には、ISASとNASDAの協力による、野心的な月探査のセレーヌが計画されている。

ISASとNASDAの監督官庁は2000年に統合されるが、日本の宇宙開発計画に何が待ち受けるのか、現時点では分からない。ISASとしては、その独立性と運営方式を守りたいと願っている。

日本には、打ち上げ成功すると探査機の名前を変える伝統がある。プラネットBが希望を意味する「のぞみ」と改名されたのは、非常に適切な措置である。何故かと言えば、今回のミッションには日本の宇宙科学者の希望だけではなく、太陽系探査への日本の参入に大いなる成功がもたらされることを願っている世界中の宇宙開発を啓蒙する人達の希望も運んでいるからである。ISASの詳細については下記のWEBサイトで入手できる。
” ISAS/JAXA 宇宙科学研究所 ”
 

「のぞみ」打ち上げの数時間前の、筆者とISASの鹿児島宇宙空間観測所長の的川泰宣(まとがわ やすのり)教授。
 

 

M - 5型ロケットに積み込まれた「のぞみ」には、海外から調達された科学機器が搭載されている。
 

 

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