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イオと私
以下、本文の冒頭は、火山で覆われたイオの姿である。火山は、太陽系の硬い地殻を持つほとんどの天体の特徴である衝突クレーターを、あっという間に消し去ってしまう。この画像には、直径 2.5km の小さい地形が見られる。ガリレオのカメラが捉えた暗い地形は、ホットスポット(熱地域:マントルの溶岩がせり上がり、上部の地殻の温度を上げている地域)で、おそらく活火山から噴出する溶岩流であると思われる。この画像は、イオの色合いと明暗のコントラストを強調するファールスカラーで撮影されている。これは、ガリレオがイオから 48万7000km の範囲で撮影した画像で、24万5000~40万km の距離で撮られた高分解能画像と合成したたものである。筆者は、アリゾナ州フラッグスタフのローエル天文台勤務の木星系に魅了された天文学者である。[ 1997年07月/08月 ]
John R. Spencer
科学者に、幼い頃の個人的体験が生涯の研究課題に発展することがよくある。天文学者ジョン・スペンサーもそうした一つのケースで、子供の頃、自宅の裏庭で観測した木星の衛星イオの斑点に魅せられ、イオを生涯の研究テーマとした。幸運にも、望遠鏡の進歩と無人探査機の出現に由り、まさしく彼の研究テーマの解明を実現できる時代になった。
1970年の春のこと、イギリスのランカシャーに住む10代の少年だった私は、訪ねてきた天文好きの親戚を家の裏庭に連れ出し、借り物の口径3インチの望遠鏡で、木星を挟んで両側に整列して明るく輝く四つの巨大衛星の「披露」に及んでいた。1995年の春、惑星天文学者となった私は、ハワイのマウナケア山頂で、これ等の巨大衛星の中で最も不思議な火山性の衛星イオに口径 3m の赤外線望遠鏡の照準を合わせて今迄に私が見た最大の噴火を観測している。赤外線で見る噴火の明るい光芒が、イオの前面を覆っている。
毎年恒例となっているジェイソン・プロジェクトに参加した今年の参加者は、例年よりずっと多く、数千人の北米とヨーロッパの学童がこの世紀の噴火の解説に熱心に聞き入っている。この木星の衛星が彩なす見事な光景とそれを他の人達と共有するわくわくした気分は、いつもと同じであった。
なぜ私は、木星系に引き付けられるのだろうか。おそらく地球から遠く離れるものみな全てが非常に不思議に見えるようになる。木星系はそういったところに存在するからであろう。木星は地球の大気を支配できるほどの至近距離に位置し、人類が現われる以前から太陽系では馴染みの存在となっているが、現実には、最早地球の法則が及ばないほど遠く離れている。
地表の無い1個の惑星がある。ここでは、様々な色の嵐が何十年にもわたって荒れ狂い、岩石は氷で、金属は水素で、そして雪は二酸化硫黄でできており、衛星の数は1ダースにも達し、空は不思議な輝きと酸素原子と硫黄原子から成る目に見えない恐ろしいブリザードで満ち、周囲の天体を溶かし、彗星はこの惑星の引力により引き裂かれる。僅か 8億km のところで、こうした光景が設えられて我々の目を楽しませてくれる。
木星系の一つの天体、つまり奇妙な衛星イオは、常に残りの衛星以上に私の注意を引いていた。イオは木星に近いためにその引力のために歪み、内部は溶け、表面は火山活動で沸きかえっている。イオの表面を覆う火山の噴火で生まれた揮発性の高い酸素と硫黄は、木星の磁場の作用でイオから剥ぎ取られ赤熱の雲となって、木星の周囲に広がっている。
1979年に初めてボイジャーがイオの火山を発見して以来、私はイオに魅了されてきたが、イオがまさに私の終生の研究課題であることに気付くまでには、暫く時間が掛かった。学位論文では、他の三つの巨大衛星がテーマであった。1987年、博士課程終了後、研究員としてハワイ大学で仕事を始めた時、イオ観測ではベテランのビル・シントン氏と組んで仕事をする機会を得た。マウアケアで10年間、彼はイオの火山の光芒をNASAの赤外線望遠鏡で観測していた。我々二人は、イオの観測計画に少しずつ改良を加えながら観測を続けたが、2年間というもの何時望遠鏡を覗いてみてもイオは雲に閉ざされていた。
晴れ上がった時には、望遠鏡は役に立たなかった。火山の全体的な光芒は観測できても(天気も望遠鏡も状態が良好の時だけ)、個々の火山の位置を特定することはできなかったので、我々はイライラさせられたりもした。つまり、イオは非常に小さく且つ遠く離れているので、我々に出来ることは全ての火山が放つ総放射量の測定が精一杯だったからである。いつも観測できたのは最大の火山のロキだけで、それも間接的な方法でやっと識別ができた位であった。
イオの火山が噴火しているところ。6つの火山が木星の後ろから連続的に現れているのが見える。これは筆者がハワイのマウナケア火山の山頂から赤外線カメラで撮った連続画像パネルである。赤外線カメラは、イオの比較的温度の低い表面のホットスポットも捉えることができるので、イオの観測には重要な道具である。
アマチュア天文家の独創的な発想
時が過ぎ、1989年半ばには色々な事が起こった。パサデナでイオに関する小規模のセミナーが開かれた。 このアマチュア天文家のジョン・ウエストホール氏が、イオが木星の背後を通過して見えなくなる木星の掩蔽現象が起きる時に火山の場所を特定できるのではないかとの発表があった。我々学者は誰一人として考えてもみなかった事なので、この発想には驚いたが、上手く行きそうに思えた。
ほぼ同じ頃、初めて赤外線カメラが使えるようになった。このカメラは天体の総放射量を測定するだけではなく、赤外線で実際に天体を撮影することができた。このカメラを使ってマウナケアの望遠鏡でイオを撮影した人達から、そのちっぽけな円板状に見えるイオの細部までも分かるほど鮮明な画像が撮れたとの報告が入ってきた。
この新しい撮影技術とウエストフォール氏の発想を組み合わせることにより、個々の火山の位置を確認し、木星の掩蔽時に詳細な撮影ができるのではなかろうか。ともかく、実行してみる価値はあると思った。1990年早々、ビルと私はNASAの赤外線カメラによる観測を提案した。結果は予想以上に速く出た。
話しは溯るが、1989年12月、ちょうどマーク・シュア氏が率いる新カメラの開発班がこの赤外線望遠鏡で新しい赤外線カメラのテストランの準備をしていた頃、同僚のアイオファイル.J.ゴーガンと私はそれぞれ、イオは(テストランには)恰好の対象だと触れ回った。テストランの三日目の夜にはイオが木星の後ろに隠れる予定なので、木星の掩蔽を利用した撮影ができるはずである。そこでこの夜ハワイ島へ飛び、木星の隠蔽の間撮影を手伝うことにした。
テストラン最初の夜のこと、ちょうど私が寝入ろうとしていた時に電話が鳴った。マウナケアのマーク・シュア氏からの電話だった。「ロキが見える」と、マーク・シュア氏が興奮して叫んでいる声が聞こえた。幸運にも、マーク班は噴火で眩いほど輝く火山を捉えることに成功したのだ。画像はまさに鮮明そのもので、円板状のイオで光の点として明るく輝く火山を直接見ることができた。
望遠鏡がイオに向けられた。鮮やかな円板状のイオが見えた。イオの北東部ではロキが光芒を放っていた。緩やかな大気が漂うお誂え向きのマウナケアの夜、ボイジャー以来誰も見たことのないほどはっきりとイオが見えた。イオはまさに予定通り、木星の影の中に滑り込んでいった。円板は闇に紛れて見えなくなったが、ロキは輝く明るい星のような光の点として、未だ闇の中に残っていた。ロキの輝きはイオが更に運行を続けて木星の裏側に差し掛かるまで見え、そして突然消えた。
ジョン・ウエストフォール氏の木星の掩蔽説は、見事に証明された。我々は天にも昇る嬉しさで、クリスマスイブの薄明の中を下っていった。この夜は天体観測で未だかつて誰も経験したことがない、貴重で魅惑的な夜だった。我々は木星の背後に没してゆく火山を目撃してきたのである。
1989年のクリスマスイブ、筆者が行った木星の掩蔽を利用し、ロキ・パテラの位置に絞り込んだ観測が功を奏した画像。イオは火山活動が活発だったので、写りはいつも良好で、観測には恰好のパートナーだった。しかし、1996年6月27日、ガリレオがロキ・パテラを観測した時には、この火山は珍しく活動を停止していた。ボイジャーがイオに遭遇した時には、濃い噴煙が裂け目から立ち昇って北東の方向に広がり、周囲の地表のほとんどを見えなくしていた。ガリレオの画像には、この活動の形跡は全く見られない。この画像は、幅 894km の領域を撮ったものである。
新発見のスリル
お楽しみはこれでお終いという事にはならなかった。ホノルルで新年を迎えてから毎週土曜日の午後はほとんど、どうにも上手く行きそうにもない研究プロジェクトに時間を取られていらいらしていた。気分転換に、イオの画像を詳しく調べ直してみることにした。一連の画像パネルを何回か見ていると、ロキの隣りにかき消されそうなかすかな光の点があるように思えた。 他の研究仲間も見てもらった。 そして誰もがそれを確認した。それは、未だ見たことのない火山だった。木星の掩蔽時の画像とこの画像を照合し、新しい火山の正確な位置を確定することができた。私はこの新しく発見された火山に、ケネヘキリというハワイの雷神の名前を付けた。
イオの火山の研究に関しては、私は新しい二つの強力な技術で「装備」されている。つまり、私には火山を直接見られる赤外線カメラがあり、素晴らしく安定したマウナケアの大気を利用することができるのである。この二つの武器で、イオが木星の背後に隠れるタイミングで火山の位置を確認できるのである。遂に、私にぴったりのテーマが見つかった。こうして私なりの方法で、好きな天体イオの研究に微力ながらお役に立てることになった。そして一人前の科学者になるために、こうした研究テーマが必要であった。しかし、順風満帆というわけには行かなかった。残念ながら、ハワイ大学での任期が終りに近づいていた。
私はNASAの望遠鏡を使って、できる限り頻繁にイオの赤外線画像を撮る計画を立てた。そしてイオの研究を続けるために、NASAの研究助成金を得た。それ以来、同僚と協力してマウナケアと私の新しい勤務先のアリゾナ州フラグスタフのローエル天文台の両方で、100以上のイオの掩蔽記録を撮った。時折ローエル天文台を訪れた私の親戚が、観測の手助けをしてくれるようになった。1970年以来、この支援は慣例となって現在も続いている。
イオは常に変化しているので、観測する度に、研究テーマがまた増える。赤外線カメラで見ると、カネヘキリとロキが常に摂氏 538℃ 前後の高温で輝いて見える。しかし、ロキの明るさは劇的に変化する。例えば、ある時のロキの輝きは、2~3日または2~3ヵ月続く噴火でイオの他の地域の明るさを圧倒する。こうした時の噴火は、温度が摂氏 1230℃ に達するほど非常に熱く、おそらく溶けた岩石が煮えたぎる「火の泉」と化しているだろう。
18年前、イオの接近通過の際、2機のボイジャーはこのオレンジ色をした衛星イオが、太陽系で最も活発な火山活動をしている天体であることを発見した。それ以来、筆者をはじめ多くの天文学者がイオを観測してきた。ボイジャーが送ってきたこの画像パネルには、ラ・パテラ(火山)の変化の様子が示されている。1979年以来、黒い物質が頂上のカルデラの壁面を乗り越えて流れ込み、南や南東方向に移動していった様子を注目してください。この画像は幅 953km の領域を撮影したものである。ガリレオの画像は、1996年6月27日に、ガリレオが初めてガニメデを接近通過した時に、ガニメデからイオまでを見ながら撮影したものである。
木星系の観測の枠組み
でこぼこした数km の高さの山々、物質が幾層にも堆積した絵に描いたような台地、変化を添える低く横たわる火山のカルデラ。かくのごとくイオの光景は、最初は魅力的だった。しかし、実際のイオは、木星から注ぐ極めて有害な放射能は申すに及ばず、表面に見える黒っぽい流路のような地形は地表から噴き出る溶岩で、明るい領域はおそらく堆積した二酸化硫黄の霜だったらどうなのか、考えてみてください。この天体では火山の噴火がとても頻繁に起こるので、ほとんどの衛星に見られる支配的な地形である衝突クレーター は、イオの内部から噴き出る溶解物質により消し去られてしまう。この画像は幅約 2000km の地域を撮ったもので、地形の分解能は 2.5km である。1996年11月6日、ガリレオはイオから 24万5719km の距離からこの画像を撮った。
我々だけがイオの観測者などということは、先ず有り得ない。ビル・シントン氏は引退したが、他のグループがそれぞれ独自のテーマでイオの火山を研究している。また、イオの表面の組成、薄い二酸化硫黄でできた雲、イオから逃げ出していく硫黄、酸素およびナトリウムで構成された輝く雲、あるいは木星系のダイナミックな様相の観測に工夫を凝らす天文学者も他にいる。
我々は「国際木星観測」と呼ばれる非公式のネットワークを通して調査データを分ち合い、統合的な観測ができるようにしている。例えば、火山活動による様々な変化が、イオの他の現象の変化を誘発する原因となるのか、その解明のためにデータを共用するといったようなことである。この点については、今のところはっきりした因果関係を見られないが、我々がこのように研究を続けることにより、相互のプラスとなる面が多々出てくるものと思われる。
木星系を周回するガリレオが送ってくる詳しい画像やデータと我々の観測結果とを比較検討することができるようになり、地球上の観測ほど頻度ではないが、遥かに詳しいイオの観測が可能になった。我々の地球上の観測がガリレオの観測計画の役に立つこともあるし、またその逆もある。
休火山であるマウナケアの山頂に、地球以外の火山の観測基地が存在することに私は嬉しさを感じる。夕刻、イオの火山の観測を終えて暮れなずむハワイの最高峰の頂上から車で下っていく時、このハワイ島の南西の彼方に世界で最も活発な活動を続けているキラウニア火山の溶岩の輝きを見ることがしばしばある。地球以外の天体でも、これと同じ現象が起こっている。太陽系の天体間の類似性をつくづくと感じさせられる。
1995年早々、我々が続けているイオの火山の研究とキラウエア火山の溶岩の研究を続けている地球火山学者の研究を特集するテレビのシリーズ番組に参加する機会を得た。 このテレビ番組はジイソン・プロジェクトの一環で、海洋学者のロバート・バラード氏が発案したものだった。学童のために毎年、生でしかも双方向性のあるショウ番組を放送することにしており、特殊な地域で研究を行なっている科学者―この番組のテーマはハワイ島だったが―を紹介する。
2週間、天候が許せば毎朝、妻のジェインと私は望遠鏡技師のデイブ・グリープ氏と同乗で、高さ 2700m 辺りの宿舎から、イオの観測でNASAの赤外線望遠鏡天文台まで登っていった。私は一時間毎に観測の様子を報告するレポーター役を仰せつかった。放送の4日目、幸運の女神が微笑んだ。 噴火が、それもこれまでで最大の噴火が起こった。(この日はたまたま私の誕生日に当たり、最高の誕生日のプレゼントになった。)私はこの素晴らしさを学童達に伝えることができ、また、彼等が実地学習に触れることで、科学のスリルを分ってくれればと願った。
拙文を執筆している今現在、木星とイオが太陽の背後から現れて我々の視界に入ってきつつある。1997年のイオ観測シーズンの幕開けである。木星6周目のガリレオは、イオの観測の次の段階の準備をしている。1997年、イオは我々にどのような驚きをプレゼントしてくれるのか。それは神のみぞ知るであるが、待ちどうしい限りである。
降り注ぐ太陽光を受けて、イオのプロメテウス火山から噴き出る噴煙が見える。これの画像は、ガリレオが木星の影の中を通過する際に撮ったものである。火山はイオの縁の向こう側で、ガリレオの視界から一寸外れている。しかし、長さが 100km にも及ぶ噴煙は太陽光を捉え、その反射光をガリレオのカメラに散乱させた。太陽光はほとんど絶え間ない噴火により、宇宙空間に飛び散るイオ周囲の窒素原子の雲も明るく照らしている。この画像は、1996年11月9日、ガリレオがイオから 230万km の距離から撮影したものである。
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