The Planetary Society of Japan

The Planetary Report

Archive 1997

 

科学者としてのカール・セーガン

[ 1997年05月/06月 セーガン追悼号 ]

Frank Drake(全米学術研究会議物理学・天文学委員会委員長、アレシボ天文台所長などを歴任)

 

カール・セーガンは、科学的理解と研究手法において科学論文に著しい影響を与えた。カールは、科学的理解の本質を普通の科学者よりはるかに多くの論文を発表したばかりでなく、彼の論文は、真の科学的理解のための選択すべきテーマに関する良き指針となった。

1957年、カールは、大学時代の研究テーマをベースに、遺伝学に関する論文を発表した。1960年には、1年に14の割合で独創性に富んだ立派な論文を発表した。1年に20以上発表した年もあった。1980年、彼がコスモスのテレビシリーズに関わっていた時は、さすがに数は減ったが、それでも4つの論文を発表した。彼の出版目録によれば、彼が重い病と戦っていた1996年にも16の論文を発表している。その中には未発表の、非常に興味をそそる未発表の論文が含まれている。

カールは天文学者として広く知られているが、彼が早くから生命とその起源の化学的側面に非常に興味を持っていたことはあまり知られていない。大学時代に、ノーベル賞受賞者であるH.J.ミュラーのもとで遺伝学を勉強した。彼は博士過程終了後も然るべき職を得た後も遺伝学の自己研鑚に多くの時間を割き、充実した研究と資料分析を行える水準まで自己を高める努力を重ねた。様々な科学分野の垣根を取り払う努力を、カールはその生涯を通じて実行した。

カールには、3つの大きな研究テーマがあった。 最大のテーマは、惑星の大気の性質と歴史の研究である。これは、まさに時機を得ていたテーマであった。何故なら、探査機による太陽系の探査の開始と時を同じくしていたからである。太陽系の探査は、カールのキャリアの始まりのようなものであった。事実、彼は重要な惑星ミッションのすべてに科学チームのメンバーとして参加した。

二番目のテーマは、現在も進行中の生命起源の前駆となる化学過程の研究である。 その中では、特に太陽系の主な惑星が今日の状態に至った過程に重点が置かれている。

三番目のテーマは、地球外の生命、特に知的生命の理論的確立とその探査であった。地球外の生命探査は困難で、おそらく人知の及ばないことかもしれないとは分かっていながらも、発見された場合の大きな意義と重要性に駆られて、その成就のために生涯を捧げた。

重要なことは、カールの論文の根幹をなすコンセプトは彼のオリジナルになるもので、ほとんどは、彼が一人で書き上げた論文に示されている。しかし、彼の論文の大多数は、他の人達との共同で出来上ったものである。この面においては、カールは良心的なパートナーであった。彼はその論文に実質的な貢献をしなければ、著者として名を連ねなかった。論文の共著の結果は素晴らしいもので、共同執筆者を専門的に向上させる良い指導者となった。常にテーマを吟味し、論文は得心するまで改めた。共同執筆者の選択も巧みだった。実際、共同執筆者は誰も高い評価を得る科学者となった。

例えば、故ジェイムズ・ポラックがそうである。彼は金星に関してカールとの共同執筆者であった。ジョゼフ・ヴェヴェルカは多くの惑星の現象について共同執筆した。また、ビシュム・ハーレはカールと共著で、前生物化学の論文を発表した。晩年には、リード・トンプソンとクリス・チャイバとしばしば共同で論文を発表した。彼は又、デービッド・モスリン、スティーブン・スキューア、クリス・チャイバのような多くの有能な博士課程の学生と共同執筆で論文を著した。
 

金星はカール・セーガンの提唱により行われたミッションの最大の成功例である。地球と双子の惑星と信じられていた金星は、実は、温度が摂氏 480℃ もある灼熱の惑星であることがわかった。
 

彼の初期の研究は、金星の大気の性質に絞られていた。この研究は、金星から発せられる驚くほど高い電波の放出が観測された時に始まった。観測データは、金星の表面温度が750ケルビン(摂氏480℃)という非常に高いことを示唆していた。カールはこの高温の原因を解説する大気モデル―例えば、熱くて厚い電離層―などいろいろなアイディアを考え出した。もっとも、いずれもうまくいかなかったが。

金星の表面が本当にそれ程熱いなら、どうしてこの高温が生ずるのか。後に、カールは一連の論文の中で、金星表面の高温は、多量の二酸化炭素で出来た大気と非常に強力な温室効果の結果生ずる放射が原因という最高の推論を提起した。彼の推論は、金星探査機のオービターとランダーの観測により裏付けられた。大いなるカール理論の勝利であった。

彼は、金星の表面は熱い雲の下の約 50km にあると推定した。金星大気の対流はほとんど均衡した状態にあることと断熱曲線の低減率が純粋な二酸化炭素とほとんど同じであることをふまえて、雲の最上層の温度から地表まで高度が下がるにつれて温度が上昇することをコンピューターにより試算した。温室効果について詳細な説明は必要としなかった。同様の推論で、カールは他の惑星のほとんどが、金星と同じ温室効果を持つことを発見した。といっても、金星ほど深刻でなかったけれども。

彼のもう一つの重要な研究分野は、火星の季節変動の解明であった。火星のある地域は、春と夏には暗くなることが観測されていた。この現象については、植生のせいだとする論いが盛んになされていた。後に誤りであるとわかったが、有機物質と一致するスペクトルさえ観測された。感情的には地球上の誰よりも、カールはこの火星の季節変動に関してこの説明が真実正しいことを望んだ。火星は、地球以外で彼が最も好きな天体であった。カールは、1960年代と1970年代の火星探査機によりもたらされたデータをきびしく分析した。そして、季節変動は、風に運ばれた塵によるものであることを発見した。かくして、彼が最も興味を感じていた太陽系探査のテーマは、むしろ面白くもない結果になってしまった。これには、カールはがっかりしたに違いない。カールの最も重要な発見のうちの2つが、カールが願っていた太陽系における生命の存在とは対極的な方向に働いてしまったのである。皮肉といえば皮肉な結果であった。
 

土星系には、衛星タイタンのように太陽系で素晴らしい天体が存在する。太陽系の衛星の中で、タイタンは濃い窒素の大気をもつというユニークな天体である。タイタンの大気は、含まれる炭化水素分子のために赤い錆色をしている。炭化水素分子の存在は、地球の場合は生命の先駆となった。カール・セーガンは、探査の対象としてタイタンに非常な興味を抱いていた。(生命が)住んでいるかもしれない。
 

 

衛星イヤペトウスは、もう一つの不可思議な天体である。この衛星は凍った天体ではあるが、表面の大部分は、炭素分子が沈殿した結果生ずるタールのような黒い物質でおおわれている。
 

 

前生物化学の研究は、コーネル大学で続けられた。これについては、ビシュウム・ハーレが非常に活躍した。この研究は、木星型惑星や土星の衛星タイタンで起こったに相違ない前生命の過程の再現に集中された。これは大変うまくいった。これ等の天体の原始大気のシミュレーションに電弧を採り入れることにより、高分子量の有機分子(ケローゲンなど)を大量に作り出せることが明らかになった。カールはこれらの物質をソリン(tholins)と名付けた。最も印象的なのは、このソリンの色が、木星、タイタン、それにほんの少しだけ土星の派手で神秘的な配色とそっくりな茶色とオレンジ色を示していたことであった。この研究は、タイタンの大気の構造に関する一連の論文として結実した。まもなく土星と衛星タイタンへ打ち上げられるカッシーニ・ホイヘンス・ミッションがこれらの実験と分析の正当性を確認してくれるであろう。

カールの最も重要な貢献のひとつは、非常に有能な4人との共著による核戦争の恐るべき結果に関する研究論文である。有名なTTAPS研究(TTAPSは共同著者Turco、Toon、Ackerman、Pollaok、Sagenの頭文字をとったもの)論文では、爆発と放射性降下物も危険であるが、無数の出火こそが脅威であると結論を下している。火災により生じた煙が、柩の掛布のように地球をおおい気温を破滅的に低下させる。論文によれば、地球は数ヵ月にわたり煙の雲に包み込まれ、その結果、光合成は行われず、食物連鎖が破壊されて、全ての生き物が死に絶えるほどの低温になることを示唆した。おそろしい「核の冬」が地球をおそい、生命は終焉を迎える。

これが発表された当時は、都市の火災で生じる煙の推定量が悲観的過ぎるという批判が多くあった。この報告は核の冬の深刻さを過大評価しているというのが、世論のコンセンサスとなった。しかし、核の大虐殺による破滅的な核の冬がやってくるという結論は、是とされた。最も重要なことは、核の冬が米ソ間の核兵器削減に向けた合意を進展させ、全人類への脅威を減じたことであった。

地球外の生命探査は、カールの科学研究の最優先課題であった。彼は生涯、地球外の生命の存在と、特にそれを探知する方法に興味を持ち、この分野の世界的な指導者の一人となった。地球外の知的生命探査(SETI)にカールが充てられた時間はほんのわずかに過ぎなかったが、与えた影響は絶大であった。最初のそして記念すべき重要な貢献は、優れたソ連の理論家I.S.シコロフスキーによる「宇宙における知的生命」の増補改訂版を、彼と共同で出版したことである。1966年に出版されたこの本は、SETIに関する緻密な理論的説明を展開し、科学的根拠を確立した。これにより、科学界及び政治機関の双方にSETIの科学的現実性を知らしめ、同時に、研究の資金援助を引き出した。また、科学者達のSETIへの参画を促した。

カールは、SETIの国際協力の進展に指導的役割を果たした。国際協力のハイライトは、1971年にアルメニアのビュラカンで開催された米ソサエティー合同会議である。きら星のごとき参加者による会議の報告書を作成で、カールは原稿の収集とその編集のために忙しく立ち働いた。この報告書の内容は、今日のSETIの活動の根幹を成すものとなっている。

カールは、SETIへの支援を促すために、資金を握る役所と科学界の両方に積極的に働きかけた。彼は、探査機パイオニア10と11号および探査機ボイジャーに搭載される星間の知的生命へのメッセージを刻んだ記念銘板作製の音頭をとった。こうした地球文明のメッセージを他の文明が捉えることは先ずないだろうということは分かっていた。むしろ、おそらくそれは人類へのメッセージだと考えられるべきで、恒星間コミュニケーションは可能であり、それを追及すべきであるという彼のメッセージなのであろう。

惑星協会に寄せられた寄付金により、カールはハーバード大学が行なう大SETI計画、BETAプロジェクトを支援した。資金の獲得や支援活動を通して、彼は15年間このプロジェクトを支えた。惑星協会によるハーバード・プロジェクトの支援は、現在アルゼンチンで稼働しているMETE-11につながり、そしてプエルトリコのアレシボ(Arecibo)電波望遠鏡によるSERENDIPプロジェクトに結びついた。カールはSETI活動の鍵となる多くのアイディアや理論を開発して、SETI計画の意義の量的分析をした数少ない科学者の一人である。

今まで述べたことは、カールが出版した著作をもとに彼の科学的業績の要約に過ぎない。彼の著作目録だけでは決して分からない、膨大な影響を及ぼしてのである。カールは、同僚、一般大衆、官庁の役人達の間に科学への情熱を生ぜしめた。そしてこれはよく知られている。しかし、彼が出席した科学会議で披瀝されたカールの学殖は、その出席者の間でしか知られていない。大小様々な科学会議で、カールが登場すると、突然、会場は感動的な静けさで満ち満ちたものである。議論のレベルが高まり、 そして何か本当にすばらしい洞察を、カール・セーガンから期待できることを参加者が知っていたからである。36年以上、カールは彼独特のスタイルで、科学文化の高揚に貢献した。それは、公的にも私的にも、カール故の重要で忘れ難い貢献であった。

筆者は、カリフォルニア大学サンタクルズ校の天文学と天文物理学教授である。SETIを科学的に確立するのに役立った地球外の知的生命の存在の可能性に関する多数の論文を発表し、科学としてのSETIの確立に貢献した。惑星協会の審議委員としても活躍している。
 

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