The Planetary Society of Japan

東大新報 - 惑星科学のすすめ

Modified : January 09, 2017 - 太陽系惑星科学の勧め

『東大新報』1998 掲載

廣井孝弘
ブラウン大学 地球・環境・惑星科学科上席研究員
 

3 章. 1969年:惑星科学の夜明け

1969年には今日の惑星科学を一大学問に成らしめたとも言える重大事件が起こった。そこでは我が国日本とアメリカが大きな貢献をしている。
 

3 - 1. 炭素質コンドライトの大量落下

前回も紹介したように、炭素質コンドライトというのは太陽系において非常に原始的であると考えられているが、研究用に入手できる量は非常に少なかった。最も原始的といわれていた CI コンドライトは現在でも非常に希少だが、CM および CV といわれる炭素質コンドライトは、1969年に落ちた二つの隕石のおかげもあって、現在多くの研究者に供している。ちなみに、C は炭素質(Carbonaceous)の略で、M とか V はおのおののグループ内の代表的な隕石名の頭文字を取っただけである。更に岩石の変成度を記載するために 1 から 6 までの番号がつけられ、3 が最も変成度が少なく、3 から 2, 1 と減るにつれて水質変成度が増し、4, 5, 6 と増えるにつれて熱変成度が増していく。

一つはメキシコのアエンデという村に02月08日に落ちた CV3 コンドライトで、地名を取ってアエンデ隕石と呼ばれている。この隕石は巨大なもので、回収された重量だけでも 2 トン以上ある。このアエンデ隕石にはコントリュールとマトリックス以外に、白い含有物があり、Ca と Al に富んだ高温鉱物が多く含まれているので CAI (Ca-Al-rich Inclusion)と呼ばれている。以下に述べるように、この CAI は太陽系物質の起源を考える上で非常に大きな貢献をした。

前回述べたように、太陽系は塵とガスの混合体が回転しながら凝縮してできたと考えられている。宇宙が始まった頃の古くから存在する水素ガス以外のガスや固体は高圧下、すなわち恒星の内部でないと出来ないので、自然とその塵も他の恒星内部で出来て、その恒星が爆発したから飛び散ったと考えられる。アエンデ隕石中の CAI に含まれる酸素同位体の質量数 17 と 18 のものが最も豊富な 16 に対してどれだけ存在するかを測ってみると、地球のものとは全く違う事が分かった。地球の物質の酸素同位対比を、平均的な海水の値とのずれで測り、酸素 17 のずれを縦軸に、酸素 18 のずれを横軸にとると、地球の物質の酸素同位体値は傾きが約 0.5 の直線に乗る。それは、酸素が異なる相の間で動く時に質量の違いが動きやすさに影響するからである。ところが、アエンデの中のいろいろな CAI の酸素同位体を測ると、傾き 0.5 の直線上に乗らないばかりか、傾きが約 1.0 の直線に乗るのである。このことは、それらの CAI が同一天体で共に生成されたのではなく、太陽系星雲の別々の場所で固まったもので、塵が元々作られた恒星が異なるために酸素同位対比が違うと考えられる。傾きが 1 の直線に乗るのは、二つの恒星から来た2種類の酸素同位対比が存在して、それらがある比で混ざった時にそのような直線に乗る同位対比を持つ物質がいろいろ出来るという説明がもっともらしい。

同じ1969年の09月28日に、オーストラリアのマーチソンという所に 100 kg という比較的大きな隕石が落ちた。このマーチソン隕石は CM2 コンドライトと呼ばれ、その 2 という数字から分かるように水質変成を受けて出来た鉱物、特に層状珪酸塩が多く含有されている。そのような加水鉱物は、加熱するとだんだん水分を失って別の鉱物に変わっていくが、大部分の元素は不揮発性なので残る。マーチソンの酸素同位体は地球のものとはもちろん違うが他の CM2 隕石と共に 0.5 の傾きの直線に乗る。それは CM2 コンドライトが同一の母天体または母天体集団から来た事を示唆する。ところが、マーチソンを加熱するとその値がずれて、その直線から外れてしまう。このことは、マーチソンの母天体でマーチソンを水質変成させた氷か水は、他の鉱物とは異なる酸素同位対比を持っていた事を示唆する。

このように太陽系の太古の詳細な情報を秘めた炭素質隕石が大量に落ちて来た事で、より物質に根付いた惑星科学への移行の契機になり、隕石学者や鉱物学者が惑星科学に貢献できる大きな機会が出来た。
 

3 - 2. 南極隕石の発見:やまと隕石

上記のように、新鮮な隕石を集めるには、ある時にある所に落ちてくるのを待たねばならないが、既に過去に落ちているものを拾う事も出来る。ところが、隕石の外のこげた黒い部分がはがれると、鉄隕石以外の多くの隕石は一見したところ普通の石と変わらない。ところが、それでも隕石を比較的簡単に見つけられる場所があった。

日本の国立極地研究所からの南極越冬隊が南極のやまと山脈のふもとを探検していると、いくつかの黒い石が散らばっているのを見つけた。それらは隕石である事が分かり、Yamato-69 隕石として知られている。南極の氷はこの山のふもとで気化してしまうので、力学的平衡を保つためにその山のふもとへよそから氷が移動してくる。それと同時に、南極各地に落下して氷に埋まった隕石も集まって来たというわけである。その後、主に日本とアメリカのチームが隕石探査を何度も行い、現在ではおそらく 2 万個以上の隕石が南極から回収されている。

この大量の隕石試料は、それまで入手しにくかった珍しい種類の隕石をも多く含み、隕石に基づく惑星科学者にとっての宝庫となった。火星生命の可能性で有名になった ALH84001 も1984年にアメリカ隊が南極のアラン・ヒルズという丘で見つけたものだし、月からの隕石や、C 型小惑星から来たと思われる熱変成を受けた CM コンドライトなどに関しては、日本の極地研究所の探検隊が多大な貢献をしている。
 

3 - 3. アポロ11号の月着陸・月試料回収

1969年で何といっても有名なのは、7月20日にアポロ11号が月に着陸して試料を持ち帰った事である。それ以前は月の高地と海がどのような物質で出来ていてどのくらい古いのかなども確かではなかった。アポロ11号以降は、物質および年代が分かっただけでなく、年代とクレーターの数から隕石衝突率の変化や、酸素同位体組成が地球と同じである事などが分かった。それらの結果は、月の起源に関して現在最も有力な説である、「火星ぐらいの大きさの天体が地球に衝突して月が出来た」という考えをサポートする事となった。アポロ11~17号が持ち帰った試料は未だに科学者の手によって研究され、新しい成果をあげている。
 

3 - 4. その他

1969年は、その他にも Safronov 博士の太陽系生成論の著書の英語版が出たり、小惑星の観測と隕石との関連がついてきたり、大陸移動説(大洋底拡大説)などが確認される前夜でもあった。日本としては、1969年は隕石惑星科学にとっても夜明けであったが、日本の惑星科学全体としては現在が夜明けに近い。上記の3項目から分かるように、月・小惑星・火星などが最も身近な惑星科学の対象であるが、日本は今、SELENE、Planet-A、MUSES-C、Planet-B などのミッションによって独自の惑星科学技術とデータを獲得しようとしている。過去の 30 年間は惑星科学の飛躍的発展の時代であったが、今後の 30 年間はそれ以上の変化を見るであろう。
 

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CATEGORY: 次世代太陽系探査

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