The Planetary Society of Japan

次世代太陽系探査

月隕石研究による最新の月の描像

Updated : October 31, 2016 - 月科学・探査

日本惑星科学会誌「遊星人」 Vol. 20, No.1, 2011 掲載

荒井朋子(千葉工業大学惑星探査研究センター)

この原稿元ファイル:[ 日本惑星科学会誌「遊・星・人」第20巻(2011)1号 - PDF ]
 

要旨

アポロ・ルナ探査により持ち帰られた月の岩石試料は,月の成り立ち及び太陽系の固体天体の起源や進化を理解するための礎となっている.月は,火山活動が形成初期に限られ,地球ほど岩石種や組成が複雑でないと想定されていたため,アポロ・ルナ試料の分析により,月の成り立ちはおおむね理解できたと考えられてきた.しかし,その後の月隕石の発見や月周回衛星による全球探査により,アポロ・ルナ試料が,多様な組成を持つ月表層の限られた地域を代表するにすぎないことがわかった.月隕石は,月面の無作為な地点への隕石衝突により,地球にもたらされた月試料であり,月全球の物質を理解する重要な手掛かりである.本稿では,月隕石研究によりアポロ時代の定説がいかに修正されているかを示し,最新の月の描像を紹介する.
 

1. はじめに

“地球以外に生命を宿している天体は存在するのか”という問いに答えることは,人類の知的好奇心の究極に位置する科学的命題であり,21 世紀の惑星探査における大目標の一つである.近年のカッシーニ探査により,土星衛星エンセラダスの南極付近の割れ目から噴出する,水蒸気や氷微粒子からなるプリュームの存在が明らかになったこと[1] は,上記の大目標に迫りうる惑星探査上の大きな発見であろう.2008 年に行われた最接近フライバイにより,プリューム中には水分子の他に,塩化物や炭酸塩,ケイ酸塩鉱物,多様な有機分子も含まれていることが判明し,内部に岩石成分と相互作用を行う液体が存在することが強く示唆された[2, 3].木星衛星エウロパに代表されるように,太陽系内の生命生存可能性に対する氷衛星の重要性はこれまでも広く認識されていた.しかしエウロパの内部海は厚い氷地殻に覆われているため,内部海の海水や海中の揮発性成分や固体成分の直接サンプリングは技術的に非常に困難と考えられていた.この意味で,内部海の海水を宇宙空間に放出しているエンセラダス・プリュームの発見は,これまで理論研究の世界に留まっていた氷衛星の内部海の地質・地球化学や,想像に過ぎなかった地球外生命の存在を,実証的物質・生命科学の範疇に組み込むことを可能にし,さらに有機地球化学や極限環境生物学が外側太陽系において本格的に展開できる可能性を示した極めて大きいブレイクスルーであるといえる.実際,海水と岩石成分の熱水反応によって生成する H2 を利用した,地球上のメタン生成菌や硫酸還元菌に類似した生命を一次生産者とするような生態系が,エンセラダスにおいても存在する可能性も議論されており[4],このような背景から,エンセラダスは国際的にも火星に並ぶ生命探査の重要候補天体に数えられるようになっている.

1960年代から70年代にかけて,米国のアポロの有人探査及び旧ソ連のルナの無人探査により,月試料が持ち帰られた.アポロは計 6 回の探査(アポロ 11, 12, 14, 15, 16, 17 号)で 382 kg,ルナ(ルナ 16, 20, 24 号)は計 3 回の探査で 326 g の試料を採集した.アポロ探査では,各岩石試料が月面のどの地点の,どのような地形に,どのような産状で存在していたかが,宇宙飛行士によって詳細に記録されている.試料に付随する採集地点情報は,試料分析で得られた物質科学データから,月の地質や地史を解読する上で極めて重要である.この点において,月物質科学は,母天体が不明の隕石学とは一線を画す.

アポロ・ルナの試料分析の結果,月の起源や形成過程に係る我々の理解は格段に進んだ.アポロ・ルナ試料研究の最も重要な成果は,月の起源と進化に係る二つの仮説が提唱されたことである.一つは,「マグマオーシャン説」であり,月高地から発見された斜長石に著しく富む岩石の起源を説明するために提唱された.もう一つは,「ジャイアントインパクト説」で,初期地球に火星サイズの天体が衝突し,地球と衝突天体の一部から月が形成したとする仮説である.この説の主な根拠は,アポロ・ルナの月試料が地球試料と同等の酸素同位体比を持つこと,及びこれらの月試料の化学組成から推定される月のバルク(全体)組成が地球と比較して揮発性元素(ナトリウムやカリウム)が乏しく,難揮発性元素(カルシウム,アルミニウム,トリウムなど)に富むことである.

一方,これらの試料の採集地点は月の表側の赤道付近に集中しており,月面の 10 % に満たない地域しか網羅していない [1].また,1990年代の月周回衛星クレメンタイン及びルナプロスペクタの月面分光観測や元素分布調査の結果,大部分のアポロ着陸地点が微量元素に濃集する地域(月面の約 15 % 相当)に含まれることが明らかになった [2].なお,ルナの着陸地点は月表側東半球縁であるため,微量元素濃集地域には含まれない.従って,月全球の地質や地史を理解するためには,アポロやルナ試料だけでは不十分であり,大部分の未探査地域の試料が必要だという認識に至った.
 

図 1. 月隕石の(a)個数と(b)質量(kg)(2010年11月時点).(a)の個数は,地球落下後に割れた複数の破片はまとめて一つと数えたもの.
 

月隕石は,1979年に日本の南極調査隊が南極のやまと山脈で発見して以来,南極及び砂漠で次々と発見されている.2010年11月時点で約 130 個が見つかっており,月面の 65 か所の異なる地域から飛来したことがわかっている[3] (図 1).現時点で,月隕石の総重量は約 50 kg で,アポロとルナが持ち帰った岩石試料の約 13 % に相当する.アポロ・ルナ試料との岩石鉱物学的類似性,化学組成,同位体組成,同位体年代の類似性,宇宙線照射履歴からわかる地球までの到達時間が他の隕石に比べ短いことなどから,月由来であることを特定できる.

月隕石は月面の無作為な地点への隕石衝突により,月表層の岩石が月面を飛び出し,地球に落下したものであるため,月裏側を含む月全球の地質や地史の貴重な情報源である.月隕石の分析により,月の全体像が徐々に明らかになり,アポロ試料に基づく月の成り立ちの描像が徐々に修正されてきた.本稿では,アポロ試料と月隕石の違いを示すと共に,最新の月隕石の岩石・鉱物学的研究成果に基づく新たな月の描像を紹介する.同位体年代学の研究成果については,[4]を参照していただきたい.
 

2. アポロ・ルナ試料分析からわかったこと及びそれらに基づく定説

地球から月を肉眼で眺めると,白く明るく見える部分と黒っぽく見える部分がある.前者は「高地」と呼ばれ,地殻に相当する地域で,カルシウムやアルミニウムを含む斜長石を主に含む斜長岩質岩石が存在する.一方,後者は「海」と呼ばれ,鉄やマグネシウムを含む輝石やかんらん石,鉄とチタンを含むチタン鉄鉱などから成る玄武岩という岩石が分布する.「海」は,玄武岩が地殻を覆っている地域で,直径数 100 km の巨大クレータ(ベースンと呼ばれる)の中を埋めるように分布するものが多い.

アポロ 11 号,12 号,15 号,17 号は海に,アポロ 16 号は高地に,アポロ 14 号は海に隣接する高地にそれぞれ着陸し,様々な岩石種を持ち帰った [5, 6]. それらの試料の岩石鉱物組成分析及び同位体組成・年代分析に基づき,大まかな月の形成史が理解された(図 2a).以下に,アポロ試料分析からわかったことをまとめる.引用文献は,個別に引いているもの以外は,文献[5, 6]を参照のこと.
 

図 2. 月史の概要 (a)アポロ時代の理解,(b)月隕石研究による理解.
 

 

海の玄武岩

(1)地球の火山岩は SiO2 濃度の違いから, 玄武岩(45 wt % < SiO2 < 52 wt %),安山岩(52 wt % < SiO2 < 66 wt %),流紋岩(66 wt % < SiO2)の三種類に分類される.海に分布する火山岩は SiO2 に乏しく,鉄に富む玄武岩質.含水鉱物は稀.

(2)地球の玄武岩(TiO2 < 1 - 2 wt %)に比べ,海の玄武岩は鉄とチタンに富む.チタン濃度の高い玄武岩(高チタン玄武岩,TiO2 > 10 wt %)は,アポロ 11 号と 17 号地点から,チタン濃度の低い玄武岩(低チタン玄武岩,TiO2 = 2 - 5 wt %)はアポロ 12 号と 15 号地点から,極めてチタン濃度が低い玄武岩(極低チタン玄武岩 TiO2 < 1 wt %)はアポロ 17 号とルナ 24 号地点から極少量採集された [7].

(3)海の玄武岩の主要鉱物は,輝石(主に高 Ca 輝石),斜長石,かんらん石.その他に,チタン鉄鉱,クロム鉄鉱,ウルボスピネル,シリカ鉱物,トロイライト(FeS),金属鉄などを含む.チタン濃度の違いにより,含まれるチタン酸化物は異なる.例えば,高チタン玄武岩には,アーマルコライトという月固有の鉱物が含まれる[e.g. 5].

(4)各着陸地点では,玄武岩とともに火山ガラスも採集された.着陸地点により,火山ガラスのチタン濃度は異なり,チタン濃度分布は,同じ時点で採集された玄武岩と同様である.例えば,アポロ 11 号及び 17 号地点では,チタン濃度の高い(TiO2 > 10 wt %)ブラックガラス,オレンジガラスが,アポロ 12 号,15 号地点では,チタン濃度の低い(TiO2 = 2-5 wt %)グリーングラス,イエローガラスが採集された [8].

(5)海の玄武岩の希土類元素パターン(CI コンドライトで規格化したもの)は,負のユーロピウム異常を示す.火山ガラスには負のユーロピウム異常はほとんど見られない.

(6)海の玄武岩の同位体年代は約 32 - 38 億年前 [9].古いものほどチタンに富む [7].

(7)アポロ玄武岩のソース(本源)マントルの 238U / 204Pb(= μ)は高い(100 - 500) [10].ルナ 24 号玄武岩は,例学的にソースマントルの μ 値が低い(μ = 12 - 15)[11].
 

高地の岩石

(8)アポロ 16 号地点とそれ以外の地点から採取された「海の玄武岩でない」岩石試料では,岩石種,化学組成,同位体年代・組成ともに全く異なる.

(9)アポロ 16 号地点では斜長岩質岩石が採集された.カルシウムに富む(An 値[ = 100 x Ca /(Ca + Na)] > 95)斜長石と, 鉄に富む(mg # [ = 100 x Mg /(Mg + Fe)] = 40 - 60)低カルシウム輝石を少量(主に10 vol % 以下)含むため,Ferroan anorthosite(FAN)と呼ばれた.

(10)FAN の同位体年代(Sm - Nd 系列)は,約 44 - 45 億年前 [9].

(11)アポロ 14 号,15 号,17 号地点からは,マグネシウムに富む岩石(ここでは高 Mg 岩石と呼ぶ)が採集された.主な岩石種はノライト(斜長石 + 低カルシウム輝石)とトロクトライト(斜長石 + かんらん石)で,ダナイト(主にかんらん石),ガブロノライト(斜長石 + 低カルシウム輝石 + 高カルシウム輝石),スピネルトロクトライトも少量あり.

(12)高 Mg 岩石の同位体年代(Sm - Nd 系列)は,約 42 - 44 億年前 [9].

(13)高 Mg 岩石の希土類元素濃度は,CI コンドライトの数 10 - 100 倍と高い [6].

(14)アポロ 14 号地点から,ややナトリウムに富む斜長石(An 値 = 70 - 90)を含む岩石片やシリカに富む岩石片も少量発見された.

(15)アポロ 15 号と 17 号地点から,微量元素に富む玄武岩(カリウム,希土類元素,リンなどに富むことから “ KREEP ” 玄武岩と呼ばれる)が見つかった[12-13].アポロ 14 号地点からは,KREEP 成分に富むインパクトメルト角レキ岩が多く見つかった [14].これらの微量元素濃度は CI コンドライトの数 100 倍から 1000 倍で,CI コンドライトで規格化したパターンは,軽希土類元素に富む.

(16)インパクトメルトの多くが共通して約 39 億年前の Ar - Ar 年代を持つ[9].上記のアポロ試料の研究成果から,下記の定説と月史(図 2a)が推定された.引用文献は,個別に引いているもの以外は,文献[15, 16]を参照のこと.
 

定説

① 海の玄武岩がマントル部分溶融によると考えると,月マントルは鉄とチタンに富む.[ 根拠(1-2, 4)]

② 実験岩石学的制約から,海の玄武岩及び火山ガラスのソースマントル(部分溶融が生じたマントル)の深さは 200 - 500 km [e.g. 17-18].従って,マグマオーシャンの深さは少なくとも 200 - 500 km である.[ 根拠(3, 4)]

③ 海の玄武岩のソースマントルは,マグマオーシャンが斜長石を結晶化した時期,あるいはその後に固化した部分に相当する.一方,火山ガラスは,マグマオーシャンが斜長石を結晶化する前に固化した(より始原的な)部分に由来する.[ 根拠(5)]

④ 海の玄武岩の結晶化年代から,海の火山活動期間は約 32 - 38 億年前.[ 根拠(6)]

⑤ 海の火山活動では,チタンに富むマントルから部分溶融が始まり,時間が経つにつれ,チタンに乏しいマントルが部分溶融した [19].チタンに富む分化度の高い層はマントル上部にあると考えられるため,部分溶融深度は,時間が経つにつれ深くなっていった.マントル組成は,水平方向には均質であり,マグマオーシャン分化の結果,深さ方向にのみ組成多様性が生じ,チタン濃度幅が生じた. [ 根拠(6)]

⑥ 海の火山活動の熱源は,放射性同位元素の壊変熱である.高い μ 値は放射性熱源が濃集するマグマオーシャン残渣(KREEP 物質)の関与による.[ 根拠(7)]

⑦ FAN の結晶化年代(約 44 - 45 億年前)はマグマオーシャンの結晶化年代を示す一方,高Mg岩石の結晶化年代(約 42 - 44 億年前)はマグマオーシャン固化後の二次的マグマ活動を示す.[ 根拠(10), (12)]

⑧ 高地に分布する地殻は鉄に富む斜長岩(FAN)質であり,大部分の地殻は均質に FAN で構成されている.FANは結晶化が進んだ鉄に富むマグマオーシャン(約 70 % 結晶化)から,密度の軽い斜長石が結晶化・浮上してできた初期地殻である [20-21].[ 根拠(9)]

⑨ 表側高地で,東半球と西半球では化学組成や地殻形成史に違いがある.[ 根拠(8 - 14)]

⑩マグマオーシャンは,かんらん石 → 低 Ca 輝石 → 斜長石の順序で結晶化した.マントルは結晶化前半,FAN 地殻は結晶化後半の産物である[22-23]. [ 根拠(6)]

⑪ Mg に富む岩石(分化度が低い)が高い微量元素濃度を示すことは,結晶分化の観点から矛盾する.この矛盾は,高 Mg 岩石を生じたマグマ活動が,KREEP 物質との同化作用や交代作用に起因する.[ 根拠(13)]

⑫ 高濃度の微量元素を含む KREEP 物質はマグマオーシャン結晶化の最終残渣(95 % 以上結晶化)に由来する可能性が高い.結晶化年代の若い KREEP 玄武岩は,二次的なマグマ活動時に何らかのプロセスにより KREEP 物質が混入してできた.[ 根拠(15)]

⑬ 表側の巨大クレータ(ベースンと呼ぶ)は,約 39 億年前に集中して形成された(隕石重爆撃期).[ 根拠(16)]

⑭ 月バルク組成は難揮発性元素(Ca, Al ,Ti, U など)に富む.[ 根拠(2)(4)(9)(15)]

⑮ 月のマグマ活動や本源マグマには水の関与はない(“ Born dry ”).[ 根拠(1)]

⑯ 月史は「マグマオーシャン結晶化」,「高地の火山活動」,「海の火山活動」の三つのステージに分けられ,高地の火山活動の終焉と海の火山活動の開始に隕石重爆撃が関わりを持つ( 図 2a).
 

3. 月隕石研究により修正されたアポロ時代の定説とその根拠

月隕石研究により,2 章で挙げたアポロ試料研究に基づく定説の多くは修正されている.ここでは,修正された定説,新たな理解と仮説,及びその根拠となる月隕石研究成果を紹介する.
 

定説 ① の修正

月隕石として発見された玄武岩には,高チタン玄武岩はない.すべて低チタン玄武岩あるいは極低チタン玄武岩である [e.g. 24-27].これは,チタンに富むソースマントルが PKT 固有であること及び,マントル組成が水平方向に不均質であることを示している.また,アポロの結晶質玄武岩に比べ,月隕石中の玄武岩質角レキ岩は,高い mg # を持つ [e.g. 25, 26, 28].マグマ噴出後,月表層で冷却固化する際に,厚さ数 10 メートルの溶岩流内で分化が起こると,初期に結晶化したMgに富む箇所は溶岩流の下部に集積することが想定される.アポロ試料で多く採集された結晶質の玄武岩は,相対的に鉄に富む,溶岩流の比較的上部を代表していた可能性が高い.それに対し,隕石衝突による衝撃・破砕により,溶岩流の垂直方向成分が混合した角レキ岩の場合,溶岩流内の組成幅や冷却速度幅をより正確に網羅する.アポロ玄武岩試料は,玄武岩流内で分化度の高い,鉄に富む箇所を代表する傾向にあることが指摘されている[28].
 

定説 ③ の修正

負のユーロピウム異常に乏しい月隕石が発見されたことにより(例えば YAMM 隕石 [29]),海の玄武岩のソースマントルが斜長石晶出前に結晶化した,より始原的な物質由来である場合もあることがわかった.
 

定説 ④ の修正

月隕石玄武岩の同位体年代は,43.5 憶年前 [30]から 28.7 憶年前 [31] に及ぶ.アポロ・ルナ試料の同位体年代(約 32 - 38 億年前)から推定されていたよりも,約 10 億年も長く月の火山活動が続いたことがわかった.
 

定説 ⑤ の修正

チタン濃度の低い玄武岩で,古い同位体年代を持つ(43.5 憶年前 Karahali 009 [30]),38.7 憶年前 YAMM 玄武岩 [32-33]ものが発見されたため,結晶化年代とチタン濃度の相関関係は見かけ上のものであったことが判明した.
 

定説 ⑥ の修正

月隕石玄武岩の中で,希土類元素濃度が低く,非常に低い μ 値を持つソースマントル起源のものが発見された(Asuka 881757, Yamato 793169: μ ≅ 10)[32-33].この μ 値は,ルナ 24 号玄武岩のソースマントルと同等に低い.アポロ玄武岩とルナ 24 号・月隕石玄武岩の μ 値の違いは,マグマ活動の熱源に KREEP 物質が関与する度合の地域差(PKT の内部と外部)によるものか,あるいは放射壊変熱以外の熱源(隕石衝突による外部熱源や上昇プルーム [34] など)によるものか,月の火山活動の熱源を説明する新たな仮説が必要になってきた [28].
 

定説 ⑧ の修正

斜長石に富む月隕石 Dhofar 489 から,マグネシウムに富むかんらん石を少量含む斜長岩片(MAN)が発見され [35],FAN だけが地殻岩石でないことがわかった.また,この隕石の微量元素濃度がすべての斜長石に富む岩石の中で最も低いことから(Th < 0.1 ppm),この隕石は裏側地殻起源である可能性が非常に高い[35].アポロ 16 号が採取した表側地殻が,鉄に富む低 Ca 輝石と斜長石からなるのに対し,裏側地殻起源である Dhofar 489 隕石がマグネシウムに富むかんらん石と斜長石からなる事実を考慮すると,地殻組成が表側と裏側で異なる可能性がある [36].表裏地殻組成の二分性の原因としては,現状複数の可能性が考えられる.同一のマグマからの結晶化を仮定すると,マグネシウムに富み,かんらん石が多いことは,結晶分化の初期(より始原的な)段階を示す.一方,鉄に富み,輝石が多いことは,後期(より分化的な)結晶分化段階を意味する.表側裏側の地殻が全球マグマオーシャンから結晶化した場合,裏側地殻は表側地殻に比べ,マグマオーシャン結晶化のより初期段階の産物であることになる.初期に結晶化した岩石がなんらかの要因で選択的に裏側に集積したのか,あるいは裏側に比べ,表側に熱源が多いため,表側がより長期にわたり結晶分化が継続した結果として,より分化的な組成を示すことになったのかもしれない [36].もう一つの可能性としては,表側地殻と裏側地殻が異なるマグマ起源であることが考えられる.裏側地殻がマグマオーシャンの結晶化による初期地殻であるのに対し,表側地殻は大規模な隕石衝突により,初期地殻が溶融・固化あるいは変成した二次地殻なのかもしれない [36].トロクトライト中のかんらん石が二次的に部分溶融し,低カルシウム輝石に置き換わることが月隕石研究から報告されている[37].初期地殻の二次溶融・変成が月地殻の鉱物分布の差異を生じた可能性もある.
 

定説 ⑩ の修正

斜長石に富む月隕石には,斜長石とかんらん石からなるトロクトライト岩石片が普遍的に存在する [35, 38 - 39].また,Dhofar 489 中には,トロクトライトと MAN の岩石片が共存することから,これらの岩石は,かんらん石 → 斜長石という結晶化過程で生成したと考えられる.従って,FAN とは異なり,低 Ca 輝石に飽和しない組成のマグマからも地殻が形成された可能性が高い.地殻の母マグマ組成が異なる要因については,[ 定説 ⑧ の修正 ] で述べたいくつかの仮説を参照のこと.
 

定説 ⑨ ⑪ の修正

高 Mg 岩石の岩石成因説は,月隕石研究による修正は今のところない.ただし,クレメンタイン及びルナプロスペクタによるリモートセンシング探査により,アポロ 12, 14, 15 号地点は Th などの微量元素に富む地域(Procellarum KREEP Terrane, 略して PKT)であることが判明した [2].このため,これらの地点で採集された KREEP 成分に富む高 Mg 岩石は,PKT 固有のマグマ活動の産物だと現在は理解されている(図 2b).
 

定説 ⑬ の修正

月隕石由来のインパクトメルト岩石の Ar - Ar 年代が,39 億年前に集中することから[40],39 億年前の隕石重爆撃期は現状も支持されている.一方,裏側起源のインパクトメルト角レキ岩試料では,Ar - Ar 年代が 39 億年前より古いものが発見されたり,(Dhofar 489:42.3 億年前 [35]),アポロ試料でも古い Ar - Ar 年代を持つものもあるため,隕石重爆撃説に異論を唱える研究者もおり,決着はついていない.
 

定説 ⑭ の修正

月隕石からは高チタン玄武岩が見つかっていないこと,及び月リモートセンシング研究から高チタン玄武岩の存在度が低いことがわかったことから [41],月のチタン存在度はアポロ時代の見積もりより低いと考えられている.一方,月地殻岩石として,月隕石からトロクトライトが多く見つかっていることは,マグマオーシャン組成が従来想定されていた地球マントル組成やコンドライト組成(Al2O3 = 2.5 _ 4.6 wt %)よりはるかに高いアルミニウム濃度(Al2O3 > 10 wt %)を持つことを示唆する [e.g. 23].従って,現時点では,月が地球と比べ,難揮発性元素に富むか否かは議論が続いている.
 

定説 ⑮ の修正

最近のアポロの火山ガラスの分析結果より,月マントルが数 100 ppm の水を含む可能性が示されている[42].
 

定説 ⑯ の修正

39 億年前以前の玄武岩が見つかっていることから[30],海の火山活動は 39 億年前以前も活動していたことがわかった.従って,海の火山活動の開始時期と隕石重爆撃期の一致は,不十分なサンプリングによる見かけのものであったと理解されている.
また,月隕石中の KREEP に富む角レキ岩の年代分析から,KREEP 組成を持つマグマ活動は 39.3 - 43.5 億年前まで続いたことがわかり,アポロ研究結果と調和的である [43-44].39 億年前以降の KREEP 玄武岩が見つかっていないことと,隕石重爆撃が関係するか否かはまだよくわからない.
 

4. 月隕石が示す月の新たな描像

月隕石分析により,アポロ時代の定説が塗り替えられ,新たな月の描像が示されつつある.月バルク組成,マグマオーシャン組成,地殻形成過程や機構,月の火山活動史や熱源,隕石衝突が月形成史に与える影響など,月の起源と進化の本質に関わる理解が,大幅に修正されていることがわかる.以下に,新たな理解と仮説をまとめる.また,最新理解に基づく月史を図 2b に示す.

・高チタン玄武岩は PKT 固有であり,月の玄武岩のチタン濃度は地球の玄武岩と概ね同等である.
・アポロの玄武岩は,玄武岩流の中で分化度が高い,鉄に富む組成を代表する傾向にある.
・玄武岩のソースマントルの主要・微量元素組成,同位体組成は,水平方向に不均質であり,特に PKT 内外での違いは顕著である.
・海の火山活動期間は従来考えられていたよりも長い(43.5 - 28.7 億年前).
・月の火山活動の熱源は,放射壊変熱以外の可能性もあり.
・マグネシウムと微量元素に富む高地の火山活動は,PKT 固有のものである.
・表側と裏側の斜長岩質地殻は,鉱物分布と化学組成(mg#)が異なる可能性があり,マグマオーシャンからの全球一様な結晶化では,地殻成因が説明できない.
・初期地殻が斜長石とかんらん石からなるとすると,マグマオーシャン組成は従来の見積もりより数倍アルミニウムに富む可能性あり.
・月は “Born dry” ではない可能性あり.
・隕石重爆撃期と海の火山活動の開始時期は関連がない.
・隕石重爆撃期は依然賛否両論あり.
 

5. さいごに

本稿では,アポロ時代の定説と比較しながら,月隕石研究に基づく最新の月の描像を説明したが,月の本質的理解にはまだまだ至っていない.月の起源と進化を正しく理解するためには,月の形成年代,マグマオーシャン固化年代,月バルク組成,月の内部構造と組成,月の熱史,月の火山活動の熱源,月の現在の活動状態,隕石重爆撃の有無など,いまだによくわかっていない課題を解決する必要がある.

月は,地球へのジャイアントインパクトにより生まれ,マグマオーシャンを経て天体規模の分化を経験しつつ,隕石衝突の歴史を克明に記録する,太陽系固体天体の中でも稀有な存在である.月科学研究は,1 AU での地球形成に付随する大規模衝突現象とその産物を理解するという視点と,溶融分化を経た小惑星との共通点・相違点を理解するという二つの視点から,太陽系における地球―月系の成り立ちを明らかにする学問に他ならない.そのためには,最新仮説の実証を目指し,かぐや探査で得られた全球表層の物理・化学データの解析,月隕石とアポロ・ルナ試料の継続的分析(地球岩石や分化隕石との比較研究を含む),実験や理論研究を戦略的に進めるとともに,本質的課題解決に有効な地点への着陸探査やサンプルリターン探査を計画することが重要である.これらの多角的な研究が有機的に融合し,月の理解がさらに一層進むことを心より期待する.
 

謝辞

有益なコメントをしてくださった匿名の査読者の方に深く感謝いたします.
 

参考文献

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CATEGORY: 次世代太陽系探査

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