1950年代以降 NASA の顧問やコンサルタントを務め、アポロ計画では月に飛び立つ前の宇宙飛行士の指導者であり、マリナー(水星、金星、火星)、バイキング(火星)、ボイジャー(木星、土星、天王星、海王星)およびガリレオ(木星系)の惑星探査計画の実施に関わりました。 また、金星の高温(圧倒的な温室効果)、火星の季節の変化(風に吹き飛ばされるダスト)や土星の衛星タイタンの赤味を帯びた靄(複雑な有機分子)の謎の解明に貢献しました。

これらの業績により、NASA アポロ計画達成賞(NASA Apollo Achievement Award )をはじめ、NASA メダルを 4 回受賞しています。また「小惑星 2909 Sagan」は、彼に因んで命名されています。


 

セーガン博士はアメリカ宇宙飛行協会からジョン・F・ケネディー宇宙飛行賞、エクスプローラー・クラブ第75周年賞、ソ連宇宙飛行連合からコンスタンチン・ツイオルコフスキー・メダルを与えられました。

アメリカ天文学協会からは、マスールスキー(Masursky)賞を受賞しています。そしてその感謝状には以下の文章が添えられています。

「セーガン博士の惑星科学に対する貢献を称えてこの賞を贈る。天文学と生物学の両分野で研鑚を積んだセーガン博士は、惑星大気、惑星表面、地球の歴史および宇宙生物学の研究で多大の貢献を成した。現在最も成果を挙げている惑星科学者の多くはセーガン博士の教えを受けた者であり、そして同僚である。セーガン博士はまた、科学の公共福祉への適用に関する優れた貢献に対する米国科学アカデミーの最高の栄誉である公共福祉メダルの1994年度受賞者である。科学の驚異と重要性の伝達に比類ない成功を収めた博士の、限りなく豊富な想像力と難しい考えを理解し易い言葉で説明する能力は、偉大な業績である」

セーガン博士は、米国天文学協会の惑星科学部門、米国地質連合学会の惑星部門および、米国科学推進協会の天文学部門長の要職に就いています。 また、惑星調査の専門誌、「イカロス」の編集長を 12 年間務めています。 更に米国惑星協会の創設者の一人にして初代会長であり、カリフォルニア工科大学ジェット推進研究所の優れた客員教授でもありました。

ピューリッツア賞受賞者でもあるセーガン博士は、数々のベストセラーの著者であり、その中には英語で出版された科学書で最高の作品である「コスモス」があります。 エミー賞とピーボディー賞を受賞した「コスモス」のテレビシリーズは、64 ケ国で放送されました。 その他、科学、文学、教育および環境保護に対する功績により、アメリカの大学から 20 の名誉博士号を授与されています。

1996年12月20日逝去の時点では、コーネル大学の天文学と宇宙科学のデーヴィッド・ダンカン(David Duncan)教授であり、コーネル大学惑星研究所の所長でした。

暗黒時代の「明かり」としての科学の役割を述べた著作「悪霊に呪われた世界」(Demn-Haunted World)は、1996年3月にランダムハウスから出版されています。「ビリオンズ オブ ビリオンズ」というタイトルの著述集は、博士の死後出版されました。また、唯一の小説「コンタクト」のワーナーブラザーズによる映画化に際しては、共同プロデューサーを務め、シナリオを共同執筆しています。

ニューヨークタイムズは博士の死の 3 年後に「カール・セーガンは死してなお宇宙規模の影響力を持つ」という記事を掲載しました。

1997年7月4日、アメリカ独立記念日の日に、「マーズ・パスファインダー」は無事火星の表面に軟着陸しました。全世界が見守る中を NASA のダン・ゴルディン長官は「ソジャーナー」という名のランダーが着陸した地点を「カール・セーガン・メモリアル・ステーション」(記念基地)と正式に命名して火星の研究に一生を捧げたカール・セーガン博士を讃えました。
 

事務局から

日本惑星協会は、米国惑星協会が掲げる理念を共有し、次世代の太陽系探査を国内、または国際協力によって、探査継続への寄与を果たすための活動に重点を置きます。以下のページで、日本惑星協会設立趣旨・経緯等をご説明させて頂いております。

TPSJ 日本惑星協会について - 日本惑星協会推進事務局