幻の作品「ニュークリアス」
「コスモス日本語版」朝日放送制作総責任者、高岸敏雄元協会専務理事
 

1. 「ニュークリアス」一つのテレビジョン・イベント

1981年秋。「コスモス」第 13 話にとりあげられた「Nuclear Winter(核の冬)」を発展させた企画として、科学ドキュメンタリー・TV シリーズ「NUCLEUS : ニュークリアス」共同制作の提案があった。

「1985年は、核兵器がはじめて使用された広島の原爆投下から数えて、40 周年に当る。今日世界には 5 万発の核兵器が存在する。それらの爆発力を統合すると、100 万の広島がこの世から抹殺される。」と書きはじめ、人類絶滅の危機は目前にある、との認識から、しかし人間の智恵を信じ、それには「問題」を正確に理解する必要があると、広島・長崎の40周年を機会に、日米共同で制作し、世界同時放送したい、と提案された。

いまさらながら、カール・セーガンの着眼の鋭さに驚くと同時に、「コスモス」のあとに続くこの企画の重要性と、これが放送された時の社会的インパクトを考えると、背筋に緊張感が走る思いだった。

同時に、問題もあった。結果は宇宙へのロマンを語った「コスモス」に比べると、今度の番組の影響は直接的で、大きい。人類絶滅の正確な危機認識と的確な対応を、という提案には何の異論もないが、日米で感じる核アレルギーへの差など微妙な問題が多く、マスコミとしてどこまでとりあげていけるものなのか、考えなければならない問題は多くあった。

しかし、カール・セーガンの計画はすべてを包含しており、「ニュークリアス」はそういった問題点をすべてとりあげ、可能な解決法を科学、医学、軍事に関する専門家の視点から描き、あくまでも科学的事実を、そして政治的、心理的な面までも含めて、わかり易く明確にしようとしていた。タイトルも、当初の「Nuclear Age」から「Nucleus」になる。
 


 

2. 1982年 - 83年の進展

アメリカの制作は、コロンビア映画社。「クレイマー・クレイマー」を制作したフランク・プライス社長が引き受けたということで、「コスモス」とは桁の違った制作体制となった。放送も、米 ABC のニュース部門が、初めて外部プロダクションの制作を認め、プライムタイムで全米放送する。そのため、当初6時間で考えられていたのを4時間のシリーズに凝縮することになる。

日本は、「コスモス」についで大阪の朝日放送で、広島の再現シーンをはじめ、いくつか制作協力することになった。さらに制作財政への出資も行うことになる。

第一話:火と氷
ありうべき人間未来の叙事詩風のドラマダイゼーション。
核戦争による地球上の長い期間にわたる影響。

第二話:連鎖反応
1913年 SF 作家が描いた悪夢から、1945年08月06日まで。
原子と原子核の性質。発明、政治、そして原爆の最初の使用。

第三話:発明家と将軍
サーベルからスターウォーズ(宇宙戦争)まで。核軍備競争の歴史。

第四話:解放された世界
人類は果たして安全になりうるだろうか。核兵器の未来。

総制作費は 600 万ドル(約 15 億円)、朝日放送の出資は 180 万ドル(約 4.5 億円)。放送を核として、事前にカール・セーガンの著書出版を行うなど諸権利のすべてを共有し、後刻利益配分する方式で話し合った。

この面でのアメリカ側の担当は、コロンビア映画の副社長アーノルド・メッサー氏で、日米間を往復しながらの交渉の中で、コロンビア映画が他社と共同でやったことはない、制作的にも資金的にもその必要はないからだ。今回のはカール・セーガンの強い要請によるもので、何故日本の、それも大阪の、一民放局と組むのか、理解できかねる、といった風だったが、大阪を、京都を訪ねるとともに、すっかり当方のファンになっていただいた。まもなく同氏は、コロンビア映画から移籍され、トライスター映画社(コロンビア、CBS、HBO 三社で設立)の副社長、そして社長になられた。

完成目標を85年とするがその後、アメリカ側は、スピルバーグ、ポール・ニューマン、カーク・ダグラスの協力をとりつけ、ソ連からも参加することになる。日本側にも黒沢明、三船敏郎らへの交渉依頼があり、ローマ法王や天皇へのインタビューも話題になった。アイゼンハウアー大統領当時の科学顧問で 82 才のキスチアコウスキー氏の貴重な証言インタビューも採録したとの報告もあった。

こうして制作スケジュールが立てられる中で、アメリカとしてはレーガン大統領再選選挙のある84年11月目標の放送にしたいとの案が浮上し、それに向っての検討も行われた。

一方日本は、日本における放送料、放送権利料、委託制作料、吹替料、宣伝・催事費用に関して営業的に、富士ゼロックスと京セラの二社と、実に理解のあるスポンサー契約を行った。富士ゼロックスの小林陽太郎社長は、ニューヨークでカール・セーガンと会談までされている。
 

3. 「The Day After」のもたらしたもの

1983年11月20日(日)、午後8時から2時間半、映画「The Day After(その翌日)」が全米にネットワーク放送され、その反響がすさまじかった。当時の日本の新聞記事を以下に掲載する。朝日新聞の11月21日から22日の三つの記事だけでも反響の大きさは十分推察できるだろう。制作・放送は、米 ABC。

アメリカの地方都市への核攻撃と被爆市民の悲惨な実態を描いたもの。放映の数ヶ月前からの動きもあって、米 ABC では放送後に約 1 時間半、テッド・コッペル司会の視聴者参加討論会も準備されていた。

これにはシュルツ国務長官も出席し、討論会にキッシンジャー国務長官、マクナマラ国防長官、スコークロフト大統領補佐官といった元政府高官のほか、哲学者ウィーゼル、科学者カール・セーガンらが出席。日本でも NHK から放送されている。

そしてセーガンは、この時期、核に関する諸会議に出席し、話題になる重要な発言を行っている。日本の新聞が報じただけでも、

10月30日、11月01日両日
ワシントンでシンポジウム「核戦争後の世界」についての国際会議

11月01日
ワシントン・モスクワを結ぶ TV 衛星中継で「核戦争による地球環境への影響」についてデータ交換の討論会

前者には世界から原子物理学、天文学、生物学などの専門家 3,600 人が参加、後者ではワシントン会場に約 300 人、モスクワ会場に約 30 人の科学者が集まったと。さらに、30日発売の米週刊誌「パレード」への寄稿で、限定核戦争による放射能汚染の警告を発するなど、かなり精力的に活動されている。

これらの動きに対して、実際に原爆を経験していないアメリカ市民らの恐怖の反響の大きさはすさまじいものがあり、なかでもカール・セーガンの発言のもつ影響力には、誰もが注目するところがあったに違いないと推測できた。

その人が、さらに満を持して本を書き、ドキュメンタリー・シリーズを制作し、大統領選挙にぶつけて放送する計画らしい、タイトルは「ニュークリアス(核)」。

となると・・・・・どうなるか?社会的反響に決して強くないマスコミや、新しい政権にとって、“すさまじい社会的制約”になることを考えると、それは何としても避けたい、と考えたに違いない。... ... 状況が変わった!

この年の12月、“諸般の事情により…”まず米 ABC から放送を見合わせたい、と申し入れがあった。次いで NBC、CBS、そして PBS、CNN までが、放送受入れを断ってくる ... ... 。万事休す。
 

4. 再起を期して

カール・セーガンの目は、「地球環境」問題へ。そして映画「コンタクト」へ移っていく……それが、どこでどう間違われたのか、急に方向転換し、死の世界への幕を自らの手で引いてしまわれた ... ... われわれ以上に、本人その人が最も意外だったのではなかっただろうか。... ... 合掌。
 

「The Day After」放送後のアメリカでの反響

朝日新聞1983年11月21日夕刊
核攻撃の TV 映画「その翌日」全米に衝撃!視聴率40%以上か、「飛躍台に」と反核運動団体

米国で放映前からレーガン政権も巻き込んで「史上最高の注目」を集めていたテレビ映画「ザ・デイ・アフター(その翌日)」が、21日夜08時(日本時間21日午前10時)から全国ネットの ABC 放送で放映された。

米国の地理的中心地カンザスシチーがソ連の核爆弾で全滅するというショッキングなストーリーをめぐって、放映の数ヶ月前から、反核団体などが「全国民が見る運動」を展開し、右翼団体は「ソ連を利する政治宣伝」と激しく批判、ついにレーガン政権もたまらず、軍縮政策の PR 冊子を発表し、国民の反応がレーガン批判にならないよう、予防策に乗り出したほどだった。

ABC が三年と16億余円をかけて制作したこの映画は、ジェイソン・ロバーズ主演で、2 時間 15 分。平均的な米国の中流家庭が、欧州での局地核攻撃のニュースを聞き流すうち、ある日、カンザスシチーがせん光とキノコ雲に覆われる。僅かに避難所で生き延びた人たちも、やがて放射能におかされ、死滅していく…。

ABC は「議論の出発点となる現実を描いただけ」と言うが、愉快な題材でないだけに、商業的には苦しかったようだ。ABC は日本企業を含めて懸命のスポンサー探しを続けたが、結局 30 秒スポット 13 万 5000 ドルを 10 万ドル(約 2300 万円)に値下げし、やっと 25 スポットを埋めたという。それも、核爆弾が落ちる上映45分後までに集中し、その後はスポットなし。人間が死滅していく場面で、ゴキブリ退治の薬などを宣伝する意味はない、というわけだ。

政治的議論の集中と、経営上の赤字を予見しながら、なぜ ABC が制作・放映に踏み切ったのか。テレビ関係者は「政治的、社会的な影響の大きさで、歴史に残る大事件になる。それを ABC がやった、という名声は長い目で見て大きなプラスだ」と言う。それに、視聴率 40 % 以上と予想される記録的数字は、強力なライバル番組、CBS 放送の「ケネディ」を吹き飛ばすに十分でもある。

ヒロシマ、ナガサキの記録フィルムは珍しくないが、核戦争で死滅していく一般米国民の姿がリアルに描かれ、しかも全国ネットで茶の間に持ち込まれたのは、これが初めてだ。米上院による「核凍結決議案」否決で頓挫した反核運動団体は「最高の大衆へのアピールであり、これを新たな飛躍台にしよう」と、映画をめぐる討論会、パンフレット配布などを各地で計画している。映画が、核時代に生きる市民の無力感を拡大させるのか、新たな行動にかきたてるのかは、まだ予測できない。
 

朝日新聞1983年11月22日朝刊
「その翌日」早くも反響 - 米国 -「核の脅威」TV で論争、弾む反核団体・政府反論

核爆弾による米国都市の全滅をリアルに描いたテレビ映画「その翌日」は日曜日の20日夜(日本時間21日午前)、ABC ネットワークで放送され、全米数百万の家庭で、教会、講堂、集会所で視聴者を引きつけた。反核・平和団体は今後各地で討論会、講演会を開き、一方の右翼団体は番組スポンサーのボイコット運動を計画。レーガン政権はマスコミでの積極的な反論を開始するなど、「ザ・デイ・アフター」をめぐり、早くも大きな反響が出始めた。

番組の視聴率は21日夕(日本時間22日朝)まで出ないが、映画を放映した ABC によると、番組終了後に千余人から電話があり、63 % が支持、37 % が反対の意思表示をした。被爆後生存者が死滅していく舞台として描かれた、カンザスシティー郊外のローレンス市では放送終了後、反核派の住民がろうそくを手に集まり、そのそばで「自由のための米国青年」グループが集会を開くという形で、核兵器をめぐる米国民の亀裂を見せつけた。また21日朝には、右翼グループがニューヨークの ABC 本社周辺で抗議デモを行った。

他のテレビ局も映画への反応を無視できず、核の脅威をどう見るかをめぐり、さまざまな討論、特集番組などを予定している。ABC は20日夜の映画終了後、直ちに討論番組を行い、シュルツ国務長官をはじめキッシンジャー、マクナマラ、科学者のカール・セーガン各氏らが出席。視聴者百余人もスタジオに参加して生の討論を伝えた。

シュルツ国務長官は「映画が描いたものは米国の将来の姿ではない。強力な核抑止力に基づくソ連との交渉こそ、核戦争を避ける正しい道だ」と、レーガン政権の立場を主張。セーガン氏は「実際の核戦争の被害は、画面の悲惨さをはるかに上回る」と指摘。元国防長官のマクナマラ氏は核軍縮のためのソ連との真剣な対話を求めた。

視聴者の一人は「大韓航空機を撃ち落とすソ連を相手に、信用して交渉できるはずがないではないか」と質問。レーガン政権首脳は「米国の強力な核こそ軍縮交渉の前提」と語り、司会者テッド・コペル氏が「最大の逆説」と呼んだ、核増強が先か交渉が先かをめぐる激しい論争が展開された。

視聴者の反応は「核が平和を守る、という私の意見は変わらない」というものから、「映画が描いた現実を回避する努力をせねば」という人までさまざまだ。しかし、映画を見た小学生が心理的原因で耳が一時的に遠くなるなど、映画のメッセージが非常に強力であり、一般市民も核の問題を避けて生きてはいけない、という現実を広く認識させたことは間違いない。
 

朝日新聞1983年11月22日夕刊
その後レーガン支持上昇、米史上三位、1億人が見た

核戦争の恐怖をテーマに、米 ABC テレビが日曜夜、全米に放映したテレビ映画「ザ・デー・アフター(その翌日)」の視聴率は、米視聴率調査機関ニールセン社の調査によると、全国民の約 40 % に上った。同社の使うテレビ時間占拠率(シェア)では 70 % という数字で、これは人数にすると約 1 億人に達するという。今年02月末の戦争喜劇「マッシュ・最終回」(1 億 2500 万人)と同01月末の米フットボール王座決定戦(1 億 1150 万人)に次いで、米国のテレビ史上、第三位の高率だ。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど主要紙の多くは21日、一面で放映とシュルツ国務長官の論評などを報じた。また、放映前より放映後の方がレーガン米大統領の支持率は高くなったという、予測を裏切る調査結果も発表された。

ニールセン社の調査はニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなど米国六大都市で行われ、日曜夜にテレビを見ていた家庭の 70 % が、ABC にチャンネルを合わせたという。

映画が、国民のレーガン観にどう影響したかも注目されている。21日明らかにされた米ジョージ・ワシントン大教授の電話による世論調査によると、放映前にはレーガン大統領は民主党のモンデール候補(前米副大統領)に 11 % の差をつけていたが、放映後にその差は 17 % に広がったという。調査の範囲、対象数などは明らかではない。

同映画については、巡航ミサイル搬入に対する抗議行動が続く英国でも、12月10日に英民放協会(IBA)が放映することを決めた。ABC では、さらに世界各国のテレビ会社や劇場への販売の努力中という。
 

その翌日、核戦争の米 TV 放映、その時停電パニックに

米マサチューセッツ州グロスターで21日夜、ABC テレビの「ザ・デー・アフター(その翌日)」の放送中、市内の変圧器の故障から停電になり、恐怖にかられた市民約400人が一斉に屋外に飛び出した。

同市警察が21日発表したところでは、停電が起きたのは、同番組中でちょうどソ連の核ミサイルがカンザス州カンザスシチーを直撃した直後。停電は約 45 分間で回復したが、この間に市民から「何かの工事のためか。テレビ映画とは関係ないのか」との問い合わせの電話が300本以上も同警察にかかってきたという。

マイク・ラング警察署長は「タイミングが悪かった。市民は本当に恐ろしそうな様子だった。映画の恐怖度がこんなに高いとは信じられない」と話す。
 

参考資料

「ニュークリアス」放送予定の約一ヶ月前にセーガン博士等が行なった「核戦争後の世界」をテーマにしたシンポジウムに関する記事が以下。
 

朝日新聞1983年11月01日朝刊
もし核戦争が起きたら地球は数ヶ月氷の世界.北半球では穀物や家畜が全滅~米の学者らの報告~

核戦争が起きれば地球は数ヶ月にわたって氷点下の極寒の世界となり、北半球では穀物や家畜動物は全滅する―――米国の有名な天文学者カール・セーガン博士らは、核戦争が全地球の大気に及ぼす影響を予測した報告書をまとめ、31日、01日の両日、ワシントンで開かれるシンポジウムで発表する。

地球環境に及ぼす核戦争の影響については、米下院科学技術委員会もこのほど報告書を発表したが、セーガン博士たちは、米航空宇宙局(NASA)の無人惑星探査機マリナー9号が観測した火星の巨大な砂あらしなどのデータをもとに、特に気候への影響について詳しく分析した。

それによると、米ソの全面核戦争で、両国の保有する核兵器の 5 分の 1 に当たる約 5000 メガトン分が北半球の都市や工業地帯で爆発した場合、大気中に巻き上げられる粉じんで、地上に届く太陽光線は普通の数パーセントに減少、昼間でも曇りの日よりはるかに暗く、植物は光合成が出来なくなって枯死する。北半球ではこの暗黒は数週間は続く。

核戦争がたとえ夏に起きたとしても、気温は海岸沿いの地域以外では零下 25℃ まで低下、数ヶ月間は氷点下が続く。水は熱を逃がしにくいので、地球の約7割を占める海洋が熱の“貯蔵庫”の役目を果たし、氷河期が到来するといった事態は避けられる。しかし、北半球では穀物や家畜動物は全滅し、生き残った人類も飢えに苦しむことになる。

放射性降下物も予想以上に多い。これまでの研究は、爆発後すぐ、爆発地点の風下に降下する大きな粉じんや、成層圏まで噴き上げられて、長期間地上に降りてこない細かな粉じんに焦点をあてていた。しかし、成層圏までは届かなくても、比較的早く降下してくる粉じんの影響も無視できない。北半球の中緯度地域の約 30% では 250 ラド以上、約 50% では 100 ラド以上の放射線が照射される。人間は、400 ラド以上の放射線を浴びるとほとんど死ぬといわれている。

火星の砂あらしの観測をもとにすると、北半球中緯度地域で巻き上げられた粉じんは、やがて赤道を越えて南半球に達し、南半球の大部分が北半球と同様、暗黒と極寒の世界になる。オゾン層は破壊され、地上に降り注ぐ有害な紫外線の量も多くなる。人々は病気の大流行、医薬品の不足で大量に死ぬ。

セーガン博士らは今回の予測について、ソ連を含む 100 人以上の科学者に意見を聞いたが、全体的にはどの学者も賛意を表したという。セーガン博士は「核戦争を避けること以上に緊急の問題はない。まだ地球の文明を救うのには遅すぎるということはない」と、核戦争回避を訴えている。
 

朝日新聞1983年11月02日夕刊
「核戦争が起きれば人類破滅」米ソ科学者が連帯~衛星中継でテレビ討論~

核戦争の回避を願う米ソの著名な科学者同士が、核戦争による地球環境への壊滅的な影響についてデータを交換し合う討論会が01日、ワシントンとモスクワを結ぶテレビの衛星生中継を通じて行われた。

討論は10月31日、11月01日の両日、ワシントンで「核戦争後の世界」をテーマにしたシンポジウムが開かれたのを機に、両国の科学者の交流を図ろうと企画されたもので、米側はコーネル大のカール・セーガン教授ら二人、ソ連側は科学アカデミーのユーリー・イズラエル博士ら四人が研究結果を発表。ワシントンの会場には約 300 人、モスクワの会場には約 30 人の科学者が参加して、スクリーンに映し出される相手の表情やスライドのデータを見ながら熱心に耳を傾けた。

まずセーガン教授がシンポジウムで発表した報告内容を要約し、米ソの全面核戦争が起きた場合、大気中に巻き上げられる粉じんで太陽光線が遮られ、地上は数ヶ月間、零下の極寒の世界が続くこと、この影響は南半球でも深刻なこと、放射性降下物による放射線の量は従来の予測より10倍も多く人の致死量に近いこと、などを説明した。

これに対し、イズラエル博士も核爆発による地球の寒冷化と大気汚染による生態系を完全に破壊し尽くすという予測を発表。ニコライ・ボチコフ博士は、たとえ人類が生き残ったとしても、放射線による影響で正常な出産は望めず、生まれてくる赤ん坊も染色体異常などで育つことが出来ないため、全滅につながる恐れがあると遺伝学的な立場から危機を強調した。

討論では「米ソの科学者が独自に行った予測が同じだというのは重要なことだ。この結果を世界中のなるべく多くの人々に知らせようではないか」「核戦争が人類の終えんにつながることが確認できた。核戦争は絶対に起こしてはならない」といった意見が双方から出され、そのたびに両会場には大きな拍手がわいた。そして司会役の米コロラド大のウォルター・ロバーツ教授が「地球という惑星と人類の永続のために、今日の成果を世界の指導者たちに訴えるよう力を合わせよう」と米ソの科学者の連帯を誓って、一時間半の討論を終えた。
 

編集にあたって

高岸元専務理事とは、直接または電話等の間接的な取材(懇談)が、すでに二桁回に及んでおります。お忙しいなか、怪訝さを微塵も見せずに井本の相手をしてくださいました。今後もお願いできればと願っております。
記しましたとおり、関西での TV 文化黎明期からその第一線で活躍された方であり、語られるお話も井本自身が経験した現実を遥かに凌駕しており、総てが未知のもので新鮮でした。

御年齢を考えると、今はただただ、「ご健勝であられますように」との気持ちでいっぱいです。

March 31, 2015
日本惑星協会代表理事 - 井本昭