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米国大学の “台所事情”
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遊星人の海外研究記 その 1 : March 15, 2020 Published
原文 - 日本惑星科学会誌「遊・星・人」第28巻(2019)1号 - PDF
中島美紀
Department of Earth and Environmental Sciences, University of Rochester.
この遊星人記事は、日本惑星科学会遊星人編集専門委員会より許可を得て掲載しております。
私がいつ留学を考え始めたのか詳しくは覚えておりませんが,高校生くらいの頃から興味があったことを覚えています.東京工業大学入学後,留学生と一緒の授業を取ったり,国際交流イベントに参加したりしていました.学部三年時に,AEARU(The Association of east Asian ResearchUniversities)という団体が主催していた香港でのサマーキャンプに参加しました.そのキャンプは他の東アジア人学生とともに一週間東アジアの将来を議論するというもので,色々なアクティビティを共にする中で今でも連絡を取り合うような友人を作ることができました.それから一年ほどたった後,キャンプで出会った友人からスタンフォードなどのアメリカの大学に入学許可されたという連絡がありました.その際に学位留学というものをもう少し身近なものとして感じ,また,生き生きと将来の夢を語る友人に憧れを頂いたことを覚えています.
東工大で4年生に進級した時,幸いにも第一志望の井田研究室に所属することができ,惑星に関する研究を始めることになりました.実は学部生の頃は地球温暖化に興味があり,地球大気のモデリングをしたいと考えていました.しかしながら,当時の東工大ではそのような研究をしている研究室がなく,井田先生と当時助教であった生駒先生と自分の希望する研究について議論をしたところ,系外惑星の大気について研究してはどうかとご提案を頂き,卒論は系外惑星の射出限界について取り組むことにしました.射出限界とは,海を持つ湿潤な惑星大気の放射には上限値があり,それを超える太陽放射が入射すると惑星の表面温度が上昇し海水が干上がってしまうというモデルです.指導教官の先生方から非常に手厚くご指導を頂く中で,惑星研究の面白さに魅了され,将来的にも惑星科学の研究を続けて行きたいと思うようになりました.
東工大で修士課程へと進んだ後,修士一年の秋から二年の夏までの約一年間,University of California, Santa Cruz(UCSC)で交換留学を行い,授業を受けながら Douglas Lin 教授と Erik Asphaug 教授と一緒に研究をしました.渡米する前は自分の英語力にはそれなりに自信があったのですが,行ってから実は全く話せないことに気づきました.授業についていくことは実はそこまで苦労しなかったのですが,パーティーに行くのが一番苦痛でした.みんなが楽しそうにしている中で,話に全くついていけずとりあえず愛想笑いをする日々が続きました.友達と話していても,“Huh?” と聞き返されることが多く(日本語のハァ?に近い音です),かなり自信をなくしたのを覚えています.三ヶ月ほどたった後,次第に周りの言うことも理解できるようになり,少しずつ意思疎通が可能になっていきました.研究に関してはまだ自分が研究者として独立していないような段階だったので,苦労することが多かったのですが,留学先の皆さんには大変よくして頂き,良い経験を積むことができました.帰国後は,井田先生,そして当時東工大の助教であった玄田先生のご指導の下,Smoothed Particle Hydrodyna-mics(SPH)法を学び,氷惑星の合体条件に関する研究を行いました.
修士論文を執筆する一方で,散々苦労したにも関わらずやはりアメリカにまた挑戦してみたいという気持ちがふつふつと湧いてきていました.論文執筆の傍ら,アメリカの大学三校の PhD プログラムに出願したのですが,残念ながらどの大学からもアクセプトされませんでした.何がいけなかったのだろうと思い出願先の教授にメールで話を聞いてみたところ,「あなたを雇いたいけどお金がない」と返事が来ました.今考えてみると,これは所謂 “sugar-coating” で(言いづらいことを優しい言葉で覆い隠すこと),私のアプリケーションがアクセプトするほど良くなかったと言うことだと今なら分かるのですが,当時の自分はその言葉を真に受けてしまい,お金さえあれば受け入れてもらえるのだなと考えいくつかの奨学金にアプライすることに決めました.その年の後半,幸いにも村田奨学会様からご支援を頂けることが決まり,留学中の最初の二年間の生活費をカバーして頂けることになりました.そして再度アメリカの大学に出願した所,今度はほぼ全ての大学からアクセプトされました.その時「結局世の中はお金か...」と思ったことを覚えています.というのは半分冗談ですが,やはり奨学金を取ると合格の可能性が格段に上がります.何故なら,自分が競争を勝ち抜く能力があるということを証明できますし,また教授側からすれば“安上がり”な学生であり,非常に魅力的に見えるものです.留学を考えている方々には,是非奨学金へ応募することを検討して頂きたいと思います.
大学側からの結果通知があるのは大体01-02月頃で,03月頃に学生が大学訪問をし,どの大学に進学するかを決定します.アメリカでは複数の大学に出願が可能なので,大学側も優秀な学生を取るために売り込みをかけます.私はいくつかの大学を訪問し,最終的に California Institute of Technology(Caltech)という大学に進学することに決めました.この時点で私は日本博士課程の二年目を迎えていたのですが,Caltech では一年生から(日本の修士課程一年に相当します)やり直すことが決まっていました.長い学生期間を経ることになるのは分かっていましたが,自分の実力不足は痛感していたので,授業をしっかり受けるのも良いことかもしれないと考えていました.そして,2010年09月にアメリカへ渡りました.
Caltech での授業は正直言ってかなり大変でした.授業内容は実はそれほど難しくはなかったのですが(学部生の頃に受けた物理の授業の方がよっぽど大変でした),同時に三つほどの授業を受けており,毎週宿題は出るし,同じクラスの授業が毎週二~三回あるし,しかも研究もしなくてはいけないし...と一年目は忙しい日が続きました.また二年目の初めに qualifyingexam があり,それに通らないと PhD program の在籍が危うくなるということもあり,一年目の夏は必死に勉強及び研究をしていました.大変な毎日でしたが,クラスメイトの皆と一緒に頑張っていたので,結構楽しい日々を過ごしておりました.試験が無事終わった後は,研究に専念しつつ,学科外の授業も受け続け,Computer Science and Engineeringのminor も取得しました.将来アカデミアの仕事に就かないことにしたら,このような minor があれば武器になるかもしれないという安易な考えのもとの行動だったのですが,AI について勉強できたりしたので結果的には良い寄り道だったと感じています.
色々苦労はしましたが,自分の PhD 過程は非常に幸運なことにかなりスムーズだったと思います.私の指導教官は Dave Stevenson という超大御所で,何でも知っている方だったので最初はかなり恐れおののいていました.時間とともに慣れて行きつつも,彼と議論する前は何回か深呼吸をして自分を落ち着かせて彼のオフィスに入っていったのを覚えています.また,指導教官が非常に有名だったお陰で,いろいろな人が駆け出しである自分を助けてくださったり,研究に興味を持って下さったりしたのはとても幸いでした.また,大学に世界各国から有名な研究者が訪問にくることが多かったので,ネットワーク作りをするのも苦労はしませんでした.本当に恵まれた環境にいたなと今でも思います.
PhD の終わりが見えてきた頃に,ポスドクへのアプリケーションを始めたのですが,その時は精神的にかなり追い詰められました.ポスドクの仕事が取れなかったらビザが切れてしまい,アメリカ滞在ができなくなってしまう...という不安にかられ,ポスドクの応募書類を書かねばならないのに焦ってしまい,数日間仕事に手がつかなかったことを覚えています.結局はやるしかないと覚悟を決めて応募したのですが,留学生にとっては仕事がないということはアメリカにはいられないことを意味することが多く,おそらく多くの学生がこのような恐怖を味わいます.幸いにも,Department of Terrestrial Magnetism, Carnegie Institution for Science から Postdoctoral Fellowship のオファーがあり,その後安心して PhD の thesis defense(発表会)を迎えることができました.博士論文のタイトルは “Origin of the Earth and Moon” というもので,academic advisor であった Andy Ingersoll が,「今まで見た博士論文のタイトルの中で一番 outrageous なものだ」と言って笑っていました.博士課程では,SPH 計算などの計算手法を用いて(図 1),地球の内部が月形成の衝突によってどれほど攪拌されるか,また衝突時に月形成円盤からどれほど揮発性元素が抜けるか,などについて研究をしました.
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図 1. 火星サイズの天体と地球のSPH 衝突計算.赤―オレンジ色はマントルのエントロピーを,灰色は鉄を表現しています.(Nakajima & Stevenson, 2014, 2015)
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アメリカの大学の thesis defense は実際のところお祭りのようなもので,友達や家族を呼んでお祝いするのが常です.私の家族も thesis defense と graduation ceremony (図 2)に来てくれました.
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図 2. graduation ceremony の時に撮った指導教官 Dave Steven-son との写真.
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その後,Carnegie でポスドクを始めるにあたり Washington DC に異動しました(図 3).
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図 3. 春の Carnegie Instition for Science の様子.
Image : 遊星人
指導教官がいない中で研究をする,ということに不安がありましたが,時間を経るにつれて少しずつ新しい環境に慣れていきました.Carnegie では研究分野,及びコラボレーションを広げることにして,ドイツの研究グループと共同研究したり,月形成論のフロントランナーの一人である Robin Canup と仕事を始めたり,Peter van Keken というマントルダイナミクスの第一人者の一人とマントル対流の計算を始めたりしました.今では少々手を広げすぎたと反省しており,当時始めた仕事を終えようと現在必死に論文を書いています.しかしながら,一人の自立した研究者として様々な人と一緒に研究する中で,非常に多くのことを学びました.また,Carnegie には,天文学,地球物理学,地球化学などの第一人者が集まっており,議論をしたり一緒に論文を読んだりする中で,自分の視野を広げることができました.
そのような最高な環境下に居たのですが,ポスドク時代は精神的に追い込まれることが少なからずありました.特にポスドク一年目が終わった頃が一番大変でした.Faculty application は PhD 取得目前くらいから開始し,幸いにもいくつかの大学からインタビューに呼んで頂いておりました.一番最初のインタビューを受けた時,私はまだ学生であったこともあり,faculty candidate としての自信が全くなかったのですが,自信があるふりをしてインタビューに臨みました.しかしながら,自分自身を説得していない状態で他人を説得するのは無理な話です.見事に惨敗し,インタビューが終わってカリフォルニアに帰ったその日はベッドから出られませんでした.その反省を生かし,その後のインタビューは割と自信を持って自分らしくできたと思います.アプリケーションはアメリカ,ヨーロッパ,また日本の大学に出しました.インタビューに呼ばれたことは非常に有難いことなのですが,最終的にオファーを頂けない時は結構落ち込みました.インタビューを終え,「来週には連絡するよ」と言われたものの,待てど暮らせど返事がない....風の便りで自分以外の誰かがオファーを受けた,と聞くのは悲しいものです.大学側も,top candidate がネゴシエーションを終えるまで他の candidates に連絡をしないのが常なので,最終的な結果が出るまで数ヶ月かかるのはよくあることです.オファーが貰えなかった際に,周りからは「あなたのアプリケーションが悪いとかではなく,学科の求めていた研究の方向性と Miki の方向性が違ったのだと思うよ」などと慰めの言葉を頂きましたが,理由は何であれやはり reject されるのは悲しいものです.一つの faculty position に数百通の応募があるのはよくあることで,その中で job を勝ち取る為にはかなりの幸運に恵まれる必要があります.もう自分は faculty position には着けないのではないか,academia 以外にも目を向けることも考えなくてはいけないかもしれないと感じていました.また,先述の通り,留学生にはビザの問題もあるので,この先果たして自分はどこへ行くのだろう...という不安にも苛まれました.そんな不安を抱えながらとりあえず嵐の中を進む中,幸いにもロチェスター大学からオファーを頂くことができました.インタビューを受けた時から非常に印象の良い大学で,オファーを頂いたらアクセプトをするだろうな,と感じていました.オファー頂いた後は,研究室のセッティング,給料,スタートアップなどについて当時の Department Chair であった paleomagnetism の第一人者の John Tarudno 教授と一ヶ月ほど交渉を重ねた後にオファーをアクセプトしました.尚,スタートアップは大学や研究分野によりますが大体数千万円規模の研究室の立ち上げ資金です.アメリカでは教授が学生の生活費や学費などをサポートするので,このような立ち上げ資金が非常に重要な戦力になります.
2018年07月から,Assistant Professor としてロチェスターに異動しました(図 4).
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図 4. ロチェスター大学の写真(Rochester.edu)
Image : 遊星人
12月末までは授業をせず,論文執筆やプロポーザル執筆に力を注いでいました.2019年01月から授業が始まり,「これが本当の Assistant Professor の “忙しさ” か...」と実感するようになりました.授業は週に二回あり,授業準備をしたり,宿題をデザインしたりしていると気がついたら何時間も過ぎています.周りからは授業の準備に時間をかけるな,論文やプロポーザルを書くほうが重要だと言われるのですが,ひどい授業をする勇気が出ず,ついつい授業準備に時間をかけてしまっています.タイムマネジメントがいまの自分の大きな課題です.
大学にもよりますが,Assistant Professor は大体六年目頃に大学からレビューを受け,それまでの研究業績,グラントの資金,他の研究者からの推薦状などが総合的に評価されます.そこで無事テニュア(終身雇用)が取れればいいのですが,取れない場合はまた何処か他の場所に移らなければいけません.このプレッシャーが所謂 “テニュアクロック” で,AssistantProfessor の頭のバックグランドにはこの時計のチクタク音が響いています.私は07月から既にプレッシャーを感じていましたが,昨年12月に幸いにも PI(principal investigator)として書いたグラントが通り,NASA から研究資金を頂けることになりました.嬉しいというよりもホッとしたことを覚えています.しかしながら,これからも引き続きグラントを獲得しないといけないので,のんびりはしていられません.私は主に数値計算をするからまだ「安く」つくのですが,実験系の研究者は機器を買うために大きなグラントを書かないといけないこともあり,大変だと伺っています.
また教授として時間を過ごす中で,少しずつ大学の裏側についても理解が進んできました.今度は faculty candidates をインタビューする側に周り,アプリケーションを読むようになりました.本当に素晴らしい CV を持った応募者ばかりなのですが,やはり学科の求めているものと,アプリケーションのマッチングがうまくいかない場合は雇えない,ということを身を以て感じるようになりました.また,新しく雇う faculty とは今後一生の付き合いになる可能性があるので,研究,人間性を含めこちらもかなり真剣に審査します.また,学生の獲得も真剣勝負です.自分が学生を募集していることを広く周りに伝えて,学生さんに応募を促します.PhD 課程の学生の費用はこちらが負担しますし,特に駆け出しの Assistant Professor にとっては優秀な学生を雇うことは自分の研究を進める上で非常に重要です.また,先述の通り優秀な学生は他の大学との取り合いになるので,こちらも学生に魅力的に映るように売り出す必要があります.自分がアメリカに来たのもそんなに昔ではない気がするのですが,逆側の立場に立って同じイベントを経験するのは中々面白いものです.学科の Chair が,“Now you see how the sausage is made” と言っていたのが印象的です(ソーセージが作られる過程は多くの人の目に触れないものですが,いろいろなことが裏で行われているということです).
アメリカに来てから,毎日が挑戦ではありますが,充実した日々を過ごして居ます.アメリカに来て一番良かったと思うのは,自信がついたこと,そして今までは当たり前だと思っていたことが別に当たり前ではないのだな,ということに気づいたことなどです.例えば,日本に居たときは夜も週末も仕事をすることが当たり前だと思っていたのですが,アメリカでは夜や週末は personal life を楽しむという方が多いことに気がつきました.今は,少なくとも週に一回は仕事をしない日を作り,リフレッシュをしています.なるべく定期的に運動をするようにも心掛けています.また,年を重ねるにつれて肉体的,精神的な健康により気を配るようになってきました.睡眠も8時間ほど,最低でも7時間はキープしようとしています.サイエンティストとしてはとにかく楽しく研究することが成功への一番の近道だと思うので,プレッシャーに押しつぶされず,とにかく心身ともに健康でいることが重要であると感じています.
また,最後になりますが,現在もロチェスター大学で PhD 学生を募集しているので,興味のある学生さんには是非積極的にコンタクトをして頂ければと思います.留学に興味がある人方には(ロチェスターに限らず)ぜひ挑戦して頂きたいと思います.勿論博士号取得後に海外に出ることも大きなメリットがあるのですが,長期的にアメリカでポジションを取りたいと思う方は,学生時代から行くことをオススメします.なぜなら,アメリカで faculty のポジションを取る際には,publication は重要ですがコネクションや推薦状も重要な要素だからです.
日本から離れて久しく,日本の惑星科学会の皆さまに中々会う機会が残念ながら少ないですが,今後色々な面で是非一緒にお仕事をさせて頂きたいと思っております.幸いにも,JAXA の Martian Moons eXplora-tion(MMX)にも参加させて頂く機会を頂いたので,今後議論や研究をさせて頂けるのを心より楽しみにしております.
Akira IMOTO
Editorial Chief, Executive Director and Board of Director for The Planetary Society of Japan