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火星圏のサイエンス
火星衛星探査計画 MMX その 2「火星の月の攻略法」
May 15, 2024 Published
火星衛星探査計画 MMX その 2「火星の月の攻略法」
特集「もう一つの月世界へ : 火星衛星探査計画 MMX」
原文 - 日本惑星科学会誌「遊・星・人」第32巻(2023)3号 - PDF
中村智樹(東北大学)
竹尾洋介,池田人(宇宙航空研究開発機構).MMX ミッションオペレーションワーキングチーム.
この遊星人記事は、日本惑星科学会遊星人編集専門委員会より許可を得て掲載しております。
要旨
MMX では約3 年に及ぶ長期の観測を火星衛星二つに対して行う.フォボスの二年半のリモセン観測と 2 回のサンプル採取,デイモスの半年弱のリモセン観測,これらリモセン観測とサンプル分析の合わせ技で火星衛星の起源に迫る.本稿ではフォボス,ダイモスの観測計画とその目標について概説する.
隕石の研究を始めた学部生のころから,宇宙の物質は 130 億年以上かけてどのように変 遷してきたのか知りたいと思っている.太陽系の始まりを記憶する未分化な始原隕石や小惑星,彗星などの太陽系小天体に対する興味は尽きない.一方,以前から火星の衛星は気になっていた.なぜなら昔の文献に,地球の月と異なり,火星の月は暗く小惑星かもしれない,と書いてあったからだ.MMX 計画が立ち上がり始めた当初,参画を声がけいただいた際,火星衛星は小惑星と思い込んでいた私は,二つ返事で飛び乗った.日本で 3 回目の小惑星サンプルリターンミッションだと意気込んだ.
その後,同じく当初から参画していた東工大の玄田さんに,いやいや火星衛星は小惑星ではなく,火星に小惑星のような天体が衝突して,上空に舞い上がった破片が火星の周りに塵円盤を作り,その中でいくつかの小天体が集積し,そのうち二つがフォボスとダイモスとして今も残っているのだ,と教わった.確かに,二つの月がほぼ同じ軌道面にあることや,似たような暗い色(スペクトル)をしていること(図 1)をうまく説明できる.2016年だったと思う.
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図 1. Mars Reconnaissance Orbiter 探査機に搭載された CRISM 分光計で取得されたフォボスの青領域,赤領域,およびデイモスの反射スペクトル([ 2 ] を改変).図下部の帯は,MMX に搭載されるマルチバンドカメラ(OROCHI)と近赤外分光計(MIRS)の観測可能範囲.
Image Credit : 遊星人
その後,過去のフォボス,ダイモスの観測データを勉強し,C 型小惑星リュウグウのリモセン結果やサンプル分析結果 [ 1 ] を理解するに至ると,私にはフォボスやデイモスの反射スペクトル(図 1)は,やはり小惑星のスペクトルに思えてくる.したがって,私はフォボスから回収したサンプルがリュウグウに似た小惑星物質であっても驚かない.一方,フォボスが巨大衝突の高温高圧および混合を経てできた物質だとすると,どうして小惑星に似た暗い色になったのか,実に興味深い.火星は始原的小惑星に比べると圧倒的に明るい.どうして,衝突で火星物質が混ざっても暗いのか,ぜひ理解したい.
MMX ミッションは「はやぶさ」,「はやぶさ2」に続く,日本の三度目のサンプルリターンミッションである.しかし先例二つと大きな違いが二つある.一つ目は,MMX はフォボス,ダイモスを訪れた最初の探査機ではない,ということである.火星衛星に特化した観測ではないが,複数の欧米の火星探査機が,特にフォボスは画像,分光データ(UV, 可視,近赤外,中間赤外:可視と近赤外は図 1)のデータを多数取得している(例えば,[ 2 ]).したがって,「はやぶさ」,「はやぶさ2」がイトカワとリュウグウに訪れた最初の 探査機であったのと異なり,MMX ミッションでは単にフォボスの画像を取得したり,スペクトルを取るだけでは新規の発見にならない(し,論文も書けない).したがって,過去のミッションで達成できなかった空間解像度や SN で画像や分光データを取得したり,過去のミッションで得られなかった種類のデータを得なければならない.二つ目は,惑星間空間に単体で存在する小惑星とは異なり、火星の月は火星の重力の影響を受けて火星を周回しているということである.したがって、火星の月を近傍から定常的に観測するためには,探査機も火星の月と同じような軌道で火星を周回しなければならない.特に火星の月への接近観測では、火星と月の両方の重力の影響を考慮する必要がある.
MMX 探査機は火星圏に到着後,フォボスの共軌道(フォボスと離れてフォボスと同じ軌道にいること)を経由し,最終接近のためのフェージング運用を経て,Quasi- Satellite Orbit(QSO)に遷移する.様々な高度の QSO 軌道(図 2A)に,着陸運用期間を除いて,約 2 年半滞在する.QSO は擬周回軌道(直訳は擬衛星軌道だけど)と呼ばれ,枝葉を切り取った単純な理解として,フォボスの火星周回軌道の直径と周期はそのままにして少しだけずらした軌道と理解することができる.探査機はフォボスとともに火星を周回する.フォボスは火星に潮汐ロックされているので,探査機からフォボスを見ると自転しているように見える.したがって,この軌道にいれば,探査機はフォボスの全球を火星まわり 1 周回で観測できることになる.実際の軌道は探査機がフォボスにかなり近づくため,探査機をフォボスに落下させないためにフォボスを周回させる必要があり,単純ではない.フォボスと火星の位置を固定した座標系で見ると(図 2A),各高度の擬周回軌道を平易に理解することができる.
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図 2. フォボスの QSO 観測軌道([ 4 ] を一部壊変).(A) フォボス-火星方向が固定された座標系.高度の異なる五つの QSO が,フォボスを中心として描かれており,x 軸負の方向は火星への方向,xy 平面はフォボス軌道面である.潮汐ロックされているので,図の中でフォボスは回転しない.(B) ダイモス観測のためのフライバイ軌道.3 : 5 共鳴軌道と 1 : 1 共鳴軌道を示す.中心に固定された火星に対して,太陽は反時計回りに,探査機は時計回りに自転する.
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一方,フォボス - 太陽方向を固定した,いわゆる慣性系の座標で表 現したのが図 3 である.この場合,探査機は図中心のフォボスの自転方向と反対側にフォボスを円運動しながら周回するように描かれる.MMX では以下の異なる軌道半径の四つの QSO を使う.周期は慣性座標系(図 3)における周期である.
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図 3. フォボスを中心とした慣性座標系における探査機,地球(青),火星(赤)の位置 [ 4 ].フォボス-太陽方向は固定.
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QSO - H(半径 100 x 198 km):
フォボスの周りを1周するのに約32日
QSO - M(半径 50 x 94 km):
フォボス 1 周約 4.3 日
QSO - LA(半径 33 x 56 km):
フォボス 1 周約 30.6 時間
QSO - LC(半径 20 x 27 km):
フォボス 1 周約 9.3 時間
例えば QSO - H では,探査機は 16 日連続でフォボスの昼 側に滞在し,次の 16 日間は夜側に滞在する.昼の間,探査機は自転するフォボスを観測できる.したがって,基本的には昼側で観測に集中し,夜側でデータを地球に転送する.リュウグウ(直径約 1 km)と比較すると,フォボスは直径が約 20 倍,表面積が約 400 倍である.したがって,はやぶさ2に比べ,リモセンのデータは爆発的に増える.海外局も併用し,効率的に観測データを地球に転送する綿密な計画を立てている.
太陽系で地球は火星の内側にあるので,図 3 において地球の方向はある範囲に限られる.探査機は基本的にはフォボスを指向し,地球上の日本が可視の時間帯に地球を向きデータを転送し,一方,フォボスの夜側の時間帯には,可能な範囲で火星の観測も行う.巨大な火星と近接したフォボスの周りを周回するため,探査機は周期的に火星やフォボスの陰に入る(蝕).この時間が長いと探査機の太陽電池パドルでの発電量に影響があるため,日陰発生時間が短い高高度の周回軌道に退 避しなければならない.また,探査機と地球の間に火星・フォボスが来る「掩蔽」や,探査機と地球の間に太陽が来る「合」で観測が制限されることも考慮する.このように,さまざまな障害となる条件を考慮し,ミッション全期間(約 3 年)での長中期計画を策 定した(図 4).ミッションオペレーションワーキングチーム(私が主査で池田さん,竹尾さんが副査)の 40 名程度の国際チームが 6 年間 70 回以上の会合を重ねて作ったものである.計画はかなりフレキシブルに設定した.着陸運用が不調のケースなど,対応を決めている.
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図 4. フォボス(フェイズ 1~4)とダイモス(フェイズ 5)の現在の科学運用計画.フェイズ 3 では 2 回のタッチダウンが計画されているが,時間と場所は暫定.火星観測は,フォボスとダイモスの観測とともに主にフェイズ 4 とフェイズ 5 で行われる.上図は,火星(オレンジ)とフォボス(青)による蝕の継続時間(縦軸)を示している.蝕の継続時間の推定には,QSO - LA 軌道を仮定した.下段には,観測フェイズと対応する期間の探査機の軌道(QSO の種類:H,M,LA,LC,3DM)が記述されている.略語 CO : フォボス共軌道,H: QSO - H,M: QSO - M,LA:QSO - LA, TR: transition from LA to LC, LC: QSO-LC,3D-M:3D-QSO,LSS:着陸地点選択期間,LD:着陸運用,R:着陸リハーサル,Sci Obs:フォボスの科学観測,DM フライバイ:ダイモスのフライバイ観測.
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この図から,探査機はどの期間にどの軌道にいるのか,地球との片道通信時間はどの程度か,蝕,合,掩蔽の影響を一目で理解することができる.詳細な説明は省くが,ミッション全期間を六つのフェイズに分けた.
Phase 0 :
火星圏到着,火星軌道投入,フォボス共軌道
主な観測:デイモスフライバイ観測,共軌道からの火星,フォボス観測.
Pha se 1 :
フォボス擬周回軌道 QSO - H , M
主な観測:形状モデル作成のための観測,着陸候補 50 地点観測.
Pha se 2 :
フォボス擬周回軌道 QSO - M , LA , LC
主な観測:着陸地点の決定のための着陸候補地点の詳細観測.フォボスの詳細科学観測(地形,分光,化学組成).
Pha se 3 :
フォボス擬周回軌道 QSO - M , LA および着陸運用 2 回
主な観測:着陸地点への降下中,着陸中,および上昇中観測.ローバーによるフォボス表面観測.
Pha se 4 :
フォボス擬周回軌道 QSO - M , LA
主な観測:フォボス科学観測,可能であれば QSO 軌道面を傾けた極地観測.
Pha se 5 :
デイモスフライバイ軌道
主な観測:共鳴軌道からのデイモス観測(10周回以上).
Phase 5 ではフォボスの共軌道から探査機の軌道長半径を拡大し,デイモス軌道に近づける.デイモスの火星公転周期と探査機の公転周期を整数倍にする(共鳴軌道)ことで,周期的に探査機とデイモスが会合するように設定した.図 2B はデイモス周期:探査機周期 = 1 : 1 および 3 : 5 の共鳴軌道を示している.1 : 1 では約 30 時間ごと,3 : 5 では約 90 時間ごとに探査機とデイモスは会合する.軌道半径が大きい方が,会合時の探査機とデイモスとの相対速度が大きくなる.そのほか,デイモスの観測可能領域の広さや観測太陽条件などを考慮して,最適な共鳴軌道を選択する.デイモスへの最近接距離は 100 - 200 km を想定しており,この高度から観測できると,フォボスの QSO - H(軌道半径 100 x 200 km)からの観測と空間分 解能が同等になり,二つの月を詳細に比較検討できる.本当にフォボスとダイモスは同じ物質できているのか,が知りたいところである.
図 1 は今までで得られたフォボスとダイモスのベストの反射スペクトルデータ [ 2 ] である.スペクトルは単調で赤く,層状ケイ酸塩の OH 吸収(2.7 ミクロン)が少しありそうであるが,肝心の吸収の一番深いところが観測できていない.また,唯一,特徴のある 0.65 ミクロン吸収も,データが割れていて,詳細にはわからない.MMX では,より赤外側に広げて有機物の吸収(~3.5 ミクロン)を含む広い波長範囲をカバーできるマルチバンドカメラと赤外分光計を搭 載する(OROCHI , MIRS : [ 3 ] で紹介).両者は観測可能波長範囲が約 1 ミクロンで重なっており,データをつなげることができる.また,1 ピクセル当たりの空間解像度もほぼ一緒であり,効率的な解析をすることができる.さらに,空間解像度も QSO - LC において,過去のデータの一桁以上よいデータが取得できる.これにより,これまでに発見されていない物質が特定される可能性がある.
加えて,フォボスの全球の元素存在度のデータを中性子,ガンマ線分光計(MEGANE [ 3 ])や質量分析計(MSA [ 3 ])で推定することができる.元素組成を調べることができるのが,はやぶさ2と大きく違う.これら 2 年半に及ぶ観測により,詳細な地形,スペクトル,さらに元素存在度を推定することで,フォボスの成因に大きな制約を与えることができる.特に元素組成はフォボスが未分化な物質でできているのか,分化した(火星のような)物資を含んでいるのか,判断するための重要なデータである.当然,最終的な決め手は回収サンプルの詳細分析である.このようにして,火星の月の起源を MMX で一発で仕留めたい.それに向けて,今後は遅滞なく,確実に準備を進めていきたい.
本稿に概説した MMX の科学観測計画の詳細は専門誌に公表済みである [ 4 ] . MMX の観測計画をミッションオペレーションワーキングチームで考え始めた2016年当時,私は探査機の運用や観測計画策定に関して完全な素人であった.それから 7 年たち,池田さんや竹尾さん,他のメンバーから助けてもらい,毎日のように MMX の観測運用を考えているので,さすがにもう素人ではないと思う.フォボスとダイモスは,大気のない大きな岩石の塊である.それを探査機からどう観察し,どう分析すればよいか,を考えることは,リュウグウのサンプルを電子顕微鏡に入れて,どこをどのモードで観察し,元素分析すればよいのか,を考えるのに似ている[ 1 ].物質科学を知らないと,岩石天体のどこをどう観測すればよいのか,優先順位をつけるのは難しい.その意味で,将来の岩石天体の観測やサンプルリターンミッションでは,物質科学の素地がある若手が,臆せずリモセン観測に参画すれば,能力を発揮し大きく貢献できると思っている.
中村智樹さんの TPSJ 掲載論文・記事
火の鳥「はやぶさ」未来編 その10「地球からの小惑星物質回収」
参考文献
[1] 中村智樹ほか,2023,遊星人 32, 226(本誌).
[2] Fraeman, A. A. et al., 2012, GRL:Planets 117,E00J15.
[3] 倉本圭,2023,遊星人 32, 123.
[4] Nakamura, T. et al., 2021, Earth, Planets and Space 73, 227.
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Editor : Akira IMOTO
Editorial Chief, Executive Director and Board of Director for The Planetary Society of Japan