ボイジャー探査機「45年前、ボイジャー2号は外惑星とその彼方への壮大な旅に出発」

原文 : August 19, 2022 - 45 Years Ago: Voyager 2 Begins Its Epic Journey to the Outer Planets and Beyond


この野心的なミッションは、太陽圏を脱出して星間空間への扉を開けるために、外惑星の軌道位置を利用した。
 

1971年に中止された「熱電型外惑星探査機グランドツアー」の軌道案。
Image credit: NASA
 

45年前、ボイジャー2号は地球を離れ、現在も続く壮大な旅を始めた。ボイジャー2号は、1977年08月20日に打ち上げられた双子の宇宙機のうちの一機だ。南カリフォルニアにあるNASA ジェット推進研究所(JPL)は、外惑星とその向こう側を探査するボイジャー・ミッションの探査機航行を管理している。ボイジャーは、ひとつの惑星重力を利用して次の惑星に向かわせるという珍しい惑星配置を利用して航行を続け、当初は木星と土星だけを観測のターゲットにしていたが、ボイジャー2号は併せて天王星と海王星も探査した。ボイジャーは、外惑星を詳細に探査するための高性能な観測機器を搭載していた。両機は太陽圏を飛び出し、星間空間に突入した現在もデータを返し続けている。

1960年代、JPL のミッション設計者は、175年に一度しか起こらない外惑星直列が1970年代後半に起こることに着目した。技術は十分に進歩しており、この珍しい並びを利用して木星を通過し、その重力で軌道を曲げて土星を訪問し、さらにそれを繰り返して天王星、海王星、冥王星を訪問することが可能であった。それぞれの惑星を個別に訪問するために何度もミッションを打ち上げるとなると、時間も費用もかなりかかる。当初、二対の熱電式外惑星探査機(Thermoelectric Outer Planet Spacecraft)をこれらのグランドツアーに送るという計画は、コストがかかりすぎることが判明し、1971年に中止が決まった。翌年、NASA はこの計画の縮小版を承認し、1977年にマリナー級宇宙機のペアを打ち上げて、木星と土星だけを探査することにした。1977年03月07日、NASA 長官の James C. Fletcher(ジェームズ・C・フレッチャー)は、このマリナー型木星・土星探査機をボイジャー1号・2号と改名することを発表した。科学者たちは、このうちの一機が最終的に天王星と海王星を訪れ、当初のグランドツアーの目的のほとんどを達成することに期待を寄せていた。しかし、冥王星の訪問については以後の話である。
 

左から:マリナー木星/土星1977年ミッションの1975年のイラスト、ボイジャー探査機の模型、1977年8月20日、フロリダ州ケープカナベラルでのボイジャー2号の打ち上げの様子。
Image credit: NASA
 

二機のボイジャーは、それぞれが惑星フライバイ時にその天体を観測し、太陽系の火星以遠にある惑星間空間についてより深く知るために、以下のような 11 の機器一式を搭載していた。

惑星とその衛星を撮影するための、狭角と広角のカメラで構成された画像科学システム。
惑星の物理的な性質を調べる電波科学装置。
赤外線干渉計を搭載し、惑星全体のエネルギーバランスと大気組成を調べる。
大気の状態を測定する紫外線分光計。
惑星の磁場や太陽風との相互作用を解析する磁力計。
プラズマイオンの微視的な性質を調べるプラズマ分光計。
イオンのフラックスや分布を測定する低エネルギー荷電粒子計測装置。
宇宙線の起源と挙動を解明する宇宙線検出装置。
木星からの電波を研究する惑星電波天文調査。
惑星表面の組成を測定する光偏光計。
木星の磁気圏を研究するプラズマ波動装置
 

左から:科学実験を示すボイジャー探査機の模式図、ボイジャーの太陽系内の軌道。
Image credit: NASA
 

ボイジャー2号は1977年08月20日、フロリダ州ケープカナベラル空軍基地(現ケープカナベラル宇宙空軍基地)の発射場 41 からタイタン IIIE ケンタウルス・ロケットで打ち上げられ、最初に地球を離れた。ボイジャー1号は、その二週間後に打ち上げられたが、より速い軌道を進み、2号機よりも四ヵ月早く木星に到着した。ボイジャー2号は1977年12月10日から1978年10月21日の間に小惑星帯の横断に成功した。1978年04月、主電波受信機が故障し、それ以来バックアップ受信機で運用されている。
 

ボイジャー2号が撮影した木星(左)と土星とその環および衛星の画像。
Image credit: NASA
 

ボイジャー2号は1979年04月24日から08月05日にかけて木星を観測し、07月09日に木星の雲頂から 35 万マイルまで最接近した。この探査機は、木星とその衛星の多くについて 17,000 枚の撮像を行い、ボイジャー1号で発見された木星を囲む薄い輪を再確認した。また、ボイジャー1号が発見した木星を取り囲む細い輪も再確認された。その他の観測装置からは、木星の大気や磁場に関する情報が得られ、その後、木星の巨大な重力場によって探査機の軌道を曲げ、土星に向かって加速させた。

ボイジャー2号は1981年06月05日に環状惑星土星の長距離観測を開始し、08月26日に惑星の雲頂から 26,000 マイル付近を通過し、09月04日に観測を終了した。探査機は土星とその環、そして既知の衛星の多くについて 16,000 枚の写真を撮影した。また、いくつかの新しい衛星を発見し、観測機器から土星の大気に関するデータを得た。土星の重力により、ボイジャー2号は次の目標である天王星へと向かった。
 

ボイジャー2号が撮影した天王星(左)と海王星の画像。
Image credit: NASA
 

ボイジャー2号は1985年11月04日から1986年02月25日にかけて天王星を初めてフライバイ観測し、1986年01月24日に天王星の雲頂から 50,700 マイルまで最接近した。天王星とその環、月について 7,000 枚以上の写真を撮影し、二つの新しい環と 11 の新しい衛星を発見した。ボイジャー2号の観測機器は、惑星の大気や、自転軸に対して 59 度傾き、惑星の中心から半径の約 3分の1 ずれた珍しい磁場に関するデータを提供した。

ボイジャー2号は天王星の重力を利用して、最後の目標である海王星へと向かった。1989年06月05日から10月02日にかけて、この第八惑星を初めてフライバイ観測し、08月25日には海王星の北極からわずか 3,408 マイル上空を接近フライバイし、1977年に地球を出発してから最も接近した惑星とした。この軌道により、ボイジャー2号は海王星の大きな衛星トリトンを観測することができ、これはボイジャーが探査した最後のオブジェクトであった。ボイジャーは海王星とその大気、暗黒環、衛星について 9,000 枚以上の画像を撮影し、新たに六つの衛星を発見した。天王星と同様、ボイジャー2号の観測装置は、自転軸から 47 度傾き、中心から大きくずれた異常な磁場を有していることを明らかにした。
 

ボイジャー1号・2号が太陽圏の外側に位置することを示すイラスト(太陽圏とは、海王星の軌道をはるかに越えて広がる、太陽が作り出す保護的な泡のこと:ヘリオスフィア)。
Image credit: NASA/JPL-Caltech
 

ボイジャー2号は海王星観測の後、延長ミッションを開始し、星間空間航行の現在に至っている。1998年の撮像装置を皮切りに、長年にわたって電力節約のためにいくつかの観測装置の電源が切られてきたが、宇宙線や太陽風に関するデータなどは継続して観測している。2018年11月05日、ボイジャー2号は太陽圏(太陽磁気、粒子が届く範囲の空間)と星間物質の境界であるヘリオポーズを越えた。現在、ボイジャー2号は地球から 120 億マイル以上離れた場所でミッションを続けており、探査機と地球の通信時間が片道 18 時間掛かるほど途轍もなく遠くを旅している。エンジニアは、ボイジャー2号が2025年頃までデータを返し続けるだろうと予想している。そして、いつか異星の生命体が宇宙機を発見したときのために、ボイジャー2号は1号と同様に、地球の音や音楽、55 の言語による挨拶の録音など、母星である地球に関する情報を記録した金メッキのレコードを搭載している。

ボイジャーの詳細は以下からご覧頂きたい。

https://voyager.jpl.nasa.gov/
 



Akira IMOTO

Editorial Chief, Executive Director and Board of Director for The Planetary Society of Japan

Japanese Translation : A. IMOTO TPSJ Editorial Office