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フランスで生活する楽しさとちょっとの苦労
フランスで生活する楽しさとちょっとの苦労
遊星人の海外研究記 その 3 : January 14, 2021 Published
原文 - 日本惑星科学会誌「遊・星・人」第29巻(2020)3号 - PDF
小玉貴則
Laboratoire d'astrophysique de Bordeaux, Universite de Bordeaux, CNRS
この遊星人記事は、日本惑星科学会遊星人編集専門委員会より許可を得て掲載しております。
1. 興味と決意
私は, 2019年01月から現在までフランスのボルドー大学にて,ポスドク研究員として系外惑星大気に関する研究に従事してきました.この体験記は,海外での研究に興味があるがなかなか動き出せない後輩たちを勇気付ける例になればと思い,筆をとりました.なぜならば,英語力がかなり低かった数年前の自分にとって,海外での研究生活は全く想像できないものだったからです.なぜそんな私が海外に来たのかを説明するために,少し私の研究生活の思い出話をしたいと思います.
私は学生時代に大きな影響を様々な教員から受け,多くの国際学会に参加する機会を与えていただきました.英語を用いた研究発表が苦手な私も,徐々に慣れ,楽しめるものになっていきましたが,海外に対する漠然とした憧れを持つだけでした.そんなある日,指導教官である阿部豊先生との雑談の中で,惑星大気循環に関する近年のフランスの研究グループ動向の話をしました.雑談の中ではあるものの,生き生きと,そして嬉しそうに彼らの研究の話をしていた阿部先生の顔を今でも覚えています.そして,『小玉は,彼らのような研究ができるようになるといいな』と僕に言っていました.その時から,私は彼らのグループの研究を必死にフォローするようになり,いずれ海外に行って研究したいと思うようになりました.
学位取得後,東京大学大気海洋研究所にてポスドクになり一年が過ぎた頃,私にとって大きな転機となる,憧れのフランス パリ大学 Laboratoire de Mete orologie Dynamique ( LMD) での滞在の機会が巡ってきました.JSPS Core-to - core Program ' International Net work of Pla netary Sciences'に滞在をサポートしていただきました. 渡仏直前に,指導教官であった阿部先生が亡くなられ,僕の飛行機が先生のお葬式の日でした.機内で,『絶対に成長するぞ』と誓ったことを覚えています.パリに2ヶ月滞在し,系外惑星大気循環についての共同研究をしました.意気込みに反して,十分な交流や意見交換ができたとは言えるものではなく,毎日悔しい思いをしていたことを覚えています.しかし,苦悩した分だけ,なんとかなるという根拠のない自信もつき,真剣に海外での研究を考えるようになりました.
その後,AAS Job Register などで海外でのポスドク公募を習慣的に見るようになり,現在のポストの公募を見つけました.その時は震えました.なぜならば,阿部先生との雑談で話をしていた研究者(現在の私の上司の Jeremy Leconte 博士)がポスドクの募集をかけていたからです.そこから応募書を作成, 応募, そして運良く面接 (Skype) に進みました.面接の内容は,これまでの研究,これからのプロジェクト内容など,よくある面接でした.面接から一週間後, 採用の通知をいただきました. 憧れだったフランスチームに入ること,海外での研究,阿部先生との議論した日々,すべてのことに対して,楽しみな気持ちと不安な気持ちが混ざって,数日はなにもできなかったです. 阿部先生のお葬式とはじめてのパリ留学からちょうど一年後,ボルドー大学での研究が始まりました.
2. ボルドーでの生活
ボルドーの説明を簡単にすると,フランスで 6 番目に人口の多い街で,ワインと観光が有名です.別名『月の港』と呼ばれ,2007年に街全体がユネスコ世界文化遺産に登録されています ( 図 1).
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図 1. 夜のブルス広場と水鏡.
Credit : 遊星人
海外での生活で最初の関門はビザでしょう.フランスの場合,研究者は,研究者ビザという種類のビザを発行してもらう必要があります.フランス大使館にて,事前予約し, 受け入れ機関が発行したコンバンション・ダキュイ(受け入れ協定書)と必要書類を提出し,申請します.研究者ビザのビザ申請は出国予定の三週間前に行うことが必要でしたが,必ず提出しなければならないコンバンション・ダキュイがボルドー大学からなかなか貰えないかつ海外郵便で郵送だったため,かなりギリギリになっていまいました.この時点で発行される研究者ビザは三ヶ月の期限付きであるため,フランスに到着後,滞在許可書を正式に取りなおすことになります.
私の場合は,出発前にすでに家を決めていたため,到着後すぐに入居しました.知り合いの中には,ボルドーに来てから賃貸を探す人もいましたが,ボルドーはこの五年で急激に地価があがっており,あまりお勧めはできません.なので,長期滞在をする際には,可能ならば,その街の開発などの動向を知っておくとスムーズになります.もちろん,内見をせずに賃貸契約をすることは,ギャンブルの要素を含みますが….ここまで,私のケースでは大きな問題はありませんでした.
到着後,滞在許可書を三ヶ月以内にゲットするというミッションがあります.しかし,私は,『三ヶ月以内』という言葉に甘え,銀行口座の開設や電気の契約などに加え,新しい研究環境や生活の整備などにかまけて後回しにしてしまいました.今思うと,役所での事務手続きを日本的な感覚で捉えてしまっていたのだと思います.申請期限の一ヶ月前に県庁に予約をとり,滞在許可書発行手続きに出向きました.しかし,そこには心を折るのに十分な長さの行列がありました.二時間ほど並んだあとでしょうか,申請窓口が所々カーテンを閉めはじめ,最終的にすべての窓口が閉まってしまいました.そうです,申請時間が終わったのです.日本では考えられない対応に,苛立ちと自分の甘さを痛感しました.もう一度予約を取り直し,今度は時間を守らずに,窓口が開く時間に並びました.やっとの思いで手続きをしようとした矢先,担当者から滞在許可書の発行が期日までに間に合わないと知らされました.臨時の滞在許可書を発行してもらうことになり事なきを得ましたが,発行までの数日は長く感じました.同時のタイミングで,健康保険の申請もしたのですが,保健カードを受け取るまでに1年もかかるとは,その時は予想をしていませんでした.そんな感じで,多少の苛立ちと苦労の末に滞在許可書をはじめ,生活に必要な準備を進めていきました.やはり直面したのが文化の違いでした.これはフランスに限ったことではないと思いますが,『日本での当然のサービスは,こちらでいうやりすぎ』,『最低限のことしか期待しない』,『まあそんなもんだろ,と開き直る』の三つを早めに理解すると,海外での長期滞在がグッと楽になると思います.
到着後すぐに感じた文化の違いの中で強く印象に残っていることの1つに, デモ活動があります.一般的に,ヨーロッパの国では労働者の権利を守るために多くのデモ活動が行われています.私がフランスに到着した時期では,『黄色いベスト運動』が盛んに行われていました.ボルドー市民はフランスの中でも活発な方で,到着した翌週に,市役所前で市民 vs 警察(+放水車)があり,車が暴徒により燃やされていて,衝撃を受けました(現在では落ちつています) (図 2).
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図 2. 家の前を通る黄色いベストたち.
Credit : 遊星人
これまでのこの海外研究記の著者はアメリカだったのに対し,私はフランスですが,初期手続きの際,私は英語で対応しました.ボルドーは観光地で,多くの旅行者が頻繁に訪れる街なので,ほとんどのレストランや小売店で英語が通じます.とは言うものの,英語が使えずフランス語が必要になるケースも多くあります.ボルドー大学では,海外からの学生と研究者のために,レベル別のフランス語の授業を提供しており,私はその授業を受けました.週に 1 回 2 時間というものでしたが,最低限のフランス語は学ぶことができました.
ボルドーの生活の中で欠かすことのできないものとして,ワインがあります.読者のみなさんの中でも『ボルドー=ワイン』と認識されている方が多くいると思います.ボルドーは,世界的にも有名なワインの産地で,人々の生活に深く根付いています.毎回ではありませんが,セミナー中にワインを飲んでいたり,ワインとチーズを持って外で論文を読んだりすることも珍しくありません.ボルドーワインと言っても,その中には産地に基づいて 60 の分類があります.有名なものでは,Medoc (メドック) や Graves (グラーヴ) のような力強く余韻の長い赤ワイン, Sain-Emillion (サン・テミリオン) のまろやかなワインなどがあります.ボルドーワインの場合,生産する際にいくつかの厳しい条件があり,その中で土壌に手を加えてはいけないというものがあります.よって,その年の気候と土壌の状況により,ワインは大きく影響を受けます.また,年によって異なるぶどうの出来により,混ぜる品種と割合を変え,それぞれの産地・シャトーの個性を出しています.ワインを勉強するために日本人も多く滞在しており,比較的大きな日本人コミュニティがあります.これ以上ワインのことを書くと,ワインを勉強しに来ているみたいになってしまうので,もっとボルドーでのワイン生活について興味がある方は,直接私に声をかけてください.(図 3).
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図 3. ワイン博物館.
Credit : 遊星人
3. フランスの大学って
私は,気候シミュレーションを用いた系外惑星大気の特徴付けと惑星のハビタビリティに関する研究を行っています.パソコン 1 台(とネット環境)あればどこでもできる研究なので,日本にいた時と研究環境自体は大きく変化していません.強いて言うなら,気候モデルをフランスの LMD GCM に変え,その開発をしているくらいです.大型のモデル開発の場合は,そのモデルの裏に隠されているフィロソフィーや展望をより密に議論する必要があり,開発グループに近い場所にいることで議論も容易にでき,よりスムーズに研究が遂行できているとうメリットがあります.私が所属している研究グループは,教員 5 名,ポスドク 2 名,博士課程学生 2 名,エンジニア 2 名の比較的小さなグループですが,惑星形成.大気の物理・化学進化まで広く扱っているグループです.エンジニアがいることもあり,かなり分業が進んでいます.グループミーティングは2週間に 1 回程度あり,ゲストを招待するセミナーは月に 1 回あります.言語は基本的には英語です.フランスの地方大学なのですが,小さなミーティングであっても,英語で議論するようにと言う教育方針があり,少し驚きました.また,驚いた点の一つに,休憩時間の長さがあります.典型的な一日の例を挙げると,朝09時頃に大学に到着し,10時半から 30 分雑談をしながらコーヒーを飲みます.その後,12時くらいから昼食を食べ,だいたい14時まではお昼休憩です.そして,04時から 1 時間コーヒーを飲みます.帰宅時間は個人差がありますが,基本的に18時には誰もいなくなります.日本でこんな生活をしていたら怒られそうな気がしますが,びっくりするくらいオフィスにいません.その上,有給が多く(僕の場合で年間 60 日くらい. 全てを使いきれなくて,事務の方に怒られています),バケーションをしっかりとります.最初の頃は,こんな研究スタイルでなぜ高い生産性を維持できているかわかりませんでした.今でも完全に理解したわけではありませんが,わかったこととしては,『研究に対するハードルの低さ』があると思っています.我々日本人はじっくりと検討し実行するのに対し,ちゃんとやり直すのですが,品質が悪くてもいいからまずやってみるというスタイルを多くの研究者がとっていると感じました.長い休憩の時間でお互いのことをよく知り,コラボレーションの障壁を下げ,まずなにかやってみるという流れを多く見た気がします.このスタイルがすべて日本人に合うとは思いませんが,今後の私の研究に対し,良い経験になったと感じています.
4. コロナ禍に飲み込まれる
私が経験した,この時期に書かねばならないことに『コロナによる生活の変化』があります.日本でも大きな問題として毎日のようにニュースで取り上げられていますが,フランスでも同様に大きな影響を及ぼしています.日本と同様に,フランスも03月16日の夜,非常事態宣言・外出禁止令が発令されました.楽天的なフランス人にとって,ショックだったものだったそうです.この外出禁止令も日本での『~要請』とは全く異なるもので,罰金 (135 € ~)という,強いものであったのにかかわらず,発令当時,このショック療法はうまく機能していなかったように見えました.加えて,バケーション文化がより悪い状況を引き起こしました.在宅勤務ができる職種以外の人たちが公園に溢れ,大きなクラスターを形成し,瞬く間に歯止めが効かない状況になりました(二週間で国内感染者約 5 万 7 千人, 35 万件以上の違反行為).フランスの文化としてマスクをしないという習慣があります.フランスの文化では,マスクは体調が悪い時にするものなので,マスクや手を洗うという日本で当たり前の習慣がありませんでした.そのため,このコロナの状況でもマスクを買うことができませんでした.日本でもマスクが小売店から消えたと聞いていますが,そもそもマスク自体の生産数が低かったフランスでは絶望的でした.私は日本人なので,もともとある程度の枚数のマスクを持っていたので,この状況を乗り越えられました.マスクが手に入らなくて困っていた同僚にマスクをあげた時,宝物のように扱っていました (彼は大事な時にマスクをすると言って,綺麗にたたみ,リュックに入れました).研究生活も大きな影響を受け,自宅勤務をすることになりました.しかしながら,前述したように,インターネットとパソコンがあれば研究を行えるため,家から出られないこと以外は,特に問題はありませんでした.05月11日以降,段階的に解除が始まり,現在 (07月),レストランやカフェなどは再開し,徐々に通常の活動を取り戻しています.大学は,日本の大学と同じように,リモートで授業を行なっていますが,博士課程学生とスタッフは大学で研究することが可能になりました.もちろん,大学での研究を強いているわけでなく,自宅勤務も認められています.私は週に 3 回程度大学に来て研究をしている状況です.
コロナに関連して,残念なこともわかってしまいました.それは人種差別です.多少の文化の差異から生じる不便などを感じていましたが,フランスの文化を含め,フランスでの研究生活が気に入っていました.しかし,コロナ下での緊迫した状況で,人々にも心に余裕がなくなり,アジア人への差別がフランス国内で始まりました.まさか日本人が差別されるなんて想像もしていなかった私には衝撃でした.私の周りではあまり被害はなかったのですが,トラムでの暴言やスーパーで避けられる感じは私も経験しました.差別はとても根深い問題ですし,私がどうこうできる問題ではありませんが,悲しい側面を垣間見てしまった気がします.これからの通常をどう定義するのかわかりませんが,(これまでの) 通常の海外滞在では,こんな経験をすることはないと思います.これから海外に渡航し,研究をしようと考えている人になにを伝えたらいいか正直わかりませんが,そのような悲しいことがあることも理解しておいた方がいいと思います.
5. まとめ
日本に一時帰国した際に,顔色がよくなったとよく言われます.目まぐるしく変化する環境に対応するだけで精一杯の自分では認識できませんでしたが,そのくらいにはフランスでの生活があっているのだと思います.この研究生活で出会った研究者,特に同世代の仲間と頻繁に議論でき,一緒に開発・研究できたことは,私のこれからの研究において宝物になると思います.海外に行くべきだと言う強い意見を言うつもりはありません.日本にいても着実にいい研究ができると思います.しかし,私の場合,この海外経験は私の研究スタイルを変え,これから中堅・シニアになる上でのビジョンを与えてくれたとてもいい経験でした.英語が全くできなかった自分ですが,情熱を持って一直線に進むことでなんとか乗り越えられてきた気がします.背中を押してくださった,指導教員であった阿部先生, 田近先生, 玄田先生, 生駒先生に,この場を借りて感謝したいと思います.少し困難の面を書きすぎた気がしますが,これから海外を目指す(目指そうとしている) 皆さんにとって,この海外研究記が皆さんの背中を少しでも押すことのできるものになると嬉しいです.ここで書けなかったネタがまだまだあるので,学会などで見かけた際に聞いてください.また皆さんと議論できることを楽しみにしています.
Akira IMOTO
Editorial Chief, Executive Director and Board of Director for The Planetary Society of Japan