ACM 2012 新潟開催までの道のり
ACM 2012 報告記

佐々木晶(国立天文台 RISE 月惑星探査検討室/当時,大阪大学大学院理学研究科宇宙地球科学専攻/現在)

※ この遊星人記事は、日本惑星科学会遊星人編集専門委員会より許可を得て掲載しております。
 


ACM とは

Asteroids, Comets, Meteors (略称 ACM)は,その名のとおり,小惑星,彗星,流星研究者が集う国際会議で,1983年にはじまり,ほぼ 3 年に 1 度のペースで開催されている.過去には,IAU や COSPAR のサポートを受けたことがあるが,基本的には研究者集団の手作りの会議である.参加者数は,場所にもよるが,200 - 400 人である.

2012年05月16日から20日まで,新潟市の朱鷺メッセにおいて,アジアで最初の ACM が開催された.参加者は 399 名.世界の 34 カ国から 281 名の国外参加者があり,予想を超えた盛大な会議となった.DAWN 探査機による小惑星ベスタの最新の観測結果や,宇宙望遠鏡による小天体の観測など,さらに,実験や理論などを含めた,新しい研究成果が報告された.太陽系小天体について研究の議論と情報交換が行われ,参加者から高い評価が寄せられている.

この新潟 ACM 2012 の開催には,通常の国際会議には無い,長い道のりと苦労があった.ここでは,それを振り返ってみたい.
 

ACM の日本への誘致

それは,2002年の ACM ベルリン大会の少し前だったと思う.渡部潤一さんから,2005年の ACM を日本に誘致したい,という話を聞いた.MUSES-C(はやぶさの旧名)の打ち上げにともない,小惑星への関心が日本でも高くなることが予想されるので,賛成した.ところが,ベルリンでは,2005年の会議場所としてブラジル(実際にはブジオスというリオデジャネイロ郊外の街)が選ばれた.2004年の隕石学会がリオデジャネイロ開催であったので,まさか 2 年続けて近い分野の会議が開催されるとは予想していなかったため,かなり失望した.2008年は,ボルチモア(アメリカ)で開催され,そのときに,2011年の ACM は日本で開催されることが正式に決定した.

さっそく渡部さんから主だったメンバーに声がかかり,LOC(Local Organizing Committee)が作られた.北は北海道教育大の関口朋彦さんから,南は台湾中央大の阿部新助さんまで,約 25 名のメンバーである.コアとなったのは,天文台三鷹の渡部さん,古荘さん,吉田さん,寺居さんである.中規模の国際会議が開催できそうな所を渡部さんらがいろいろ当たった結果,新潟市の朱鷺メッセで,2011年の07月に開催ということになった.交通の便の良さの他に,国際会議に対する地元の補助金があることも決め手になった.さらに,LOC に多数のメンバーを送っている会津大学から近いというメリットもある.朱鷺メッセは,以前に宇宙工学関係の学会が開かれたことがあり,会場設備や信濃川河口近くという立地の良さは,記憶に残っていた.会議の基本的な情報を載せたホームページは,古荘玲子さんが製作した.

LOC と並んで重要なのが,会議のプログラムを作る,Scientific Organizing Committee(SOC)である. 私(佐々木)は委員長として,こちらを主に担当することになった.SOC は,日本からは私と渡部さん,台湾の Ip さんに副委員長をお願いした.渡部さんのコネクションをベースになるべく広い範囲の方々に SOC メンバーになっていただいた.はやぶさミッションの Co - I からも Andy Cheng(APL,前回のボルチモア会議の委員長),Mike Zolensky(NASA,ジョンソン宇宙センター)に加わってもらった.

SOC の最初の役割は,会議のトピックスを決めることである.メールで議論していくとトピックスの数はどんどん増えていく.今回の新しい点として,宇宙望遠鏡によるサーベイが新しい重要な情報を提供しはじめていることがわかってきた.

ACM の特徴として,なるべくシングルセッションで行い,異なる分野の話を聞けるようにするというポリシーがある.ベルリン,ブジオスでは全てシングルセッションであった.しかし,総講演時間が限られていると,1 講演あたりの時間が短くなる,ポスターへ回さざるを得ない講演数が多くなる,といったマイナス面がある.講演数にもよるが,午前をシングルセッション,午後をパラレルセッションで行うことを基本方針とした.また,招待レビュー講演を設けるかどうかについても SOC で議論をした.そして,それぞれの科学トピックスにおいて適当な方に 30 分のレビュー講演をお願いすることにして,SOC で人選を行った.

ACM の講演申し込み・アブストラクト投稿,プログラム作成は,2008年のボルチモア会議から,LPSC(Lunar and Planetary Science Conference:月惑星会議)を行っている LPI (Lunar and Planetary Institute:月惑星研究所)のシステムを使っている.最終的な,プログラム・索引つきの電子媒体用データを生成できる,ウェブベースのシステムである.今回の ACM では,LPI との交渉を行い,手順の確認やスケジュール調整をしたのは,会津大の平田成さんである.当初は講演申し込み〆切は2011年04月末に設定されていた.03月07日からの月惑星会議で,LPI のスタッフと最終確認をした.そして,何人かの研究者に,直接に招待講演の依頼や内容の確認を行った.そこに起きたのが,03月11日の東日本大震災である.
 

震災・原発事故による延期

日本に帰る飛行機の中では,まだ ACM を予定通りに開催できると考えていた.ところが,原発の状況は悪化して放射能汚染が現実のものになる.帰国後,交通手段が無く,水沢(岩手県)に戻れなかったので三鷹に待機していた.計画停電のため ACM の Web が使えない.そのため,停電の可能性の低い都心のサーバーに移す作業を,古荘さんらは行った.そのうち,SOC メンバーから,放射能汚染がある状況では参加は難しいという意見が来るようになる.

翌週に,COSPAR(宇宙空間研究委員会)の理事会がパリの CNES(フランス国立宇宙センター)であった.キャンセルも考えたのだが,ACM 開催に関する何らかの意見も聞けるのではと思い,行くことにした.偶然に別の会議で CNES を訪れていた Patrick Michel(コートダジュール天文台)に遭い,ヨーロッパの小天体研究者は現状では日本に行けない,ACM を来年に延期できるなら強くサポートする,時期は夏でなくても構わない,という話をきいた.また COSPAR のメンバーの意見も同様であった.渡部さんの方にも,延期を勧める意見が来ていたようだ.LOC でも議論をして,最終的には03月28日に延期の決断をした.SOC メンバー,招待講演者に連絡をして,ホームページに延期の情報を載せた.

その後,渡部さんら LOC の方々の努力により,翌年の05月なら朱鷺メッセを確保できる,ただし,16日(水)から20日(日)という変則的な日程になることがわかった.「月曜から始まらない 5 日間の国際会議」という変則的な日程は,コーネル大学での DPS で前例があるが,非常に珍しい.地球惑星科学連合大会と 1 日だけ重なるが,21日(月)の金環日食を,関東地方に移動すれば見ることのできる日程である.金環日食は,2012年になった ACM の宣伝,勧誘のためには,とてもいい材料になった.会議の運営サポートは,(惑星科学会の事務も担当している)イーサイド社にお願いしていたが,引き続き来年も継続して担当していただけることになった.

07月のある日,ふと,「ああ,地震が無ければ,今頃 ACM なんだな」と思ったことがある.まだ原発事故の先行きは不透明で,ほんとうに来年の05月に海外から多くの参加者が来るかどうか,わからなかった.実際に,06月に開催された ISTS(28th International Symposium on Space Technology and Science)は,沖縄という(被災地から)もっとも離れた場所であったにもかかわらず,海外からの参加者は減少していた.
 

旅費の支援

ACM になるべく多くの国から研究者を呼ぶために,また若い研究者を呼ぶために,旅費のサポートや登録料の免除を受け付けることになった.とはいえ,予算は限られている.そこで,新たに日本学術振興会の国際研究集会の開催補助を申請し,200 万円の予算が認められた.そのほか,(財団法人)宇宙科学振興会,(財団法人)天文学振興財団からもそれぞれ 30 万円,80 万円の支援を受けた.旅費の配分には,フルサポート,一部のサポート,登録料免除など,いくつかの段階にわけて行った.44 人の申請者のアブストラクトを SOC メンバーが読んで,推薦順位をつけた上で,最終的には,中村昭子さん(神戸大)を中心として,吉田さん,樋口さん(東工大)らが,細かい旅費の計算を行った上で,配分を決定した.総計では 25 名に旅費を支援することができた.この方々を含めて 28 名に登録料分の補助を行った.旅費の処理については,国立天文台天文情報センターの青木さんにもお世話になった.旅費は,会場で中村さんらから本人に直接渡した.全員が受け取ったという知らせをきいて,安堵した.

新潟は,日本人なら誰でも知っているが,海外の人には馴染みが低い.そのため,ホームページではアクセスやチケットについて,なるべく詳しい説明を加えることになった.個別にも,アメリカから成田に到着してその日のうちに新潟に着けるかという質問を何回か受けた.1 往復ではあるが,成田=新潟便が運航をはじめたので情報を修正したところ,実際に忙しい参加者で利用した人がいた.会議の直前の05月はじめ,JR 東日本が外国人用に 10 日間のうちの選んだ 3 日,新幹線を含めて列車乗り放題という 10,000 円のチケットが期間限定で発売しているという情報を Mike Nolan(アレシボ天文台)から得た.さっそく,WEB に掲載,参加者への連絡を行った.
 

プログラム作成

年が明けて2012年になると,動きが速くなってくる.DAWN 探査機のリーダーである Christopher Russel より,DAWN の結果を紹介するためセッションの時間を確保できないか,という申し出があった.2011年07月の段階だと,ベスタに到達したばかりなので,1 つの招待講演をベースに考えていたが,2011年末の段階で面白い観測結果は色々と出ている.SOC メンバーと相談して,DAWN に時間を割くことを受け入れた.これで ACM の柱が 1 つできることが嬉しかった.ただし,「ベスタは小天体ではなく惑星に近いけれどね」というコメントもあった.

国際会議の成否は,会議のスコープに合った講演者を集めることにかかっている.招待講演では,昨年引き受けてくれた講演者の大部分と,新たに頼んだ人の 8 割からは,承諾の返事をもらうことができた.さらに最近の話題として,彗星と小惑星の中間的な性質を有する,メインベルト彗星(活動的小惑星)を,取り上げてほしいという意見があり, 招待講演を David Jewit(t UCLA)に頼み,最終的にはセッションとした.

アブストラクト投稿の〆切は02月末であった.ところが数日前になっても,投稿数がかんばしくない.LPI に尋ねると,LPSC でも半分近くのアブストラクトは最終日に投稿される,(LPSC とは異なり) どうしても必要であれば〆切を数日延ばすことは可能である,とのことであった.緊急に LOC / SOC で相談して,〆切を 2 日間延長することにした.結果として,投稿数は大きく増加して,アブストラクト総数は 492 に達した.

投稿者の選んだトピックス・カテゴリーをチェックして分類し,セッション候補を立てる.セッションごとに担当をお願いした SOC メンバーに,アブストラクトのレビューをして,口頭,ポスターセッションのプログラムを LPI のシステムを使って組んでもらう.これだけ書くと簡単のようにみえるが,まず,500 近い投稿を 5 日間の日程に入れるために,スケジュールの見直しを行った.

議論のために,コーヒーブレークはしっかり時間を取るべきであるという意見が強かったため,午前・午後に 30 分ずつ(木曜,土曜の午後はポスター時間を兼ねて 1 時間半)確保した.午前中のシングルセッションは,招待講演(30 分)と一般講演(基本は 10 分)を組合わせ,午後のパラレルセッションは,一般講演(10 分).期間中のポスターの張り替えはしたくなかったので,口頭発表からの移動にも限界があり,朝8 時半から夜7時過ぎまで,プログラムが続くことになった.最終日(日曜)の午後も5時過ぎまでセッションを組まなければならなかった.表 1 は最終のセッションリストである.
 

表 1 : ACM 2012 のセッション.

Trans-Neptunian Objects and Centaurs
Observations of latest comets and meteor showers
Main Belt Comets ― Active Asteroids
NEO hazard and searches: Close-passing asteroids including 2005 YU55, Pan-STARRS and other new surveys
Space-borne observation of small bodies: AKARI, Herschel, WISE, HST, etc.
Dawn over Vesta
Voyage of Rosetta: Lutetia to 67P/Churyumov-Gerasimenko
103P/Hartley 2 by EPOXI and other observations
9P/Tempel 1 by Stardust-NExT and other observations
Hayabusa and Stardust: Sample return
Vesta by DAWN and other observations including HED meteorite studies
Future missions for small bodies
Recent meteorite falls including 2008 TC3 and Almahata Sitta meteorite
Meteors and dust
Dynamics of small bodies
Composition of small bodies
Internal structure of small bodies, including presence/formation of satellites
Impact processes
Surface processes and geology of small bodies
Origin of the solar system and small bodies
Water and organics in primitive bodies
Human exploration of NEOs
Photometry, lightcurve, occultation and size/shape of small bodies

 

SOC メンバーには短時間の間に,アブストラクトに目を通して,的確な判断をしていただいた.その指摘から,とても残念なことであるが,科学的な内容が全く欠如している 1 件のアブストラクトを却下した.SOC メンバーでも LPI のシステムに慣れていた人は少なかったので,結局約 8 割のセッションは,私がプログラムの入力を行った.その過程で,ほとんどのアブストラクトもチェックしたことになる.オフィスや自宅での深夜までの作業が毎日続いた.その間にも,アブストラクトを書き換えたい,投稿の変更や取り消しといった依頼が来る.旅費補助が得られなかったため,参加できないという残念な連絡もあった.

03月16日にプログラム編成終了の連絡を LPI に伝えた.03月末には,暫定版のプログラムができたが,最後は手作業の修正である.プログラムは LPI から,04月04日に公開された.その後も,口頭からポスター発表へ移されたことの再考を求めるメール,参加の取り消しの連絡などが来る.かなりの部分を寺居さん,古荘さんに対応していただき,変更・修正したものは,Errata としてホームページに掲載した.プログラムに穴をあけたくなかったので,ポスター講演者の何人かには,口頭発表を直前に要請した.
 

朱鷺メッセにて

会議が近づくにつれて,実際の参加人数の把握が重要になってくる.印刷物は少々多めに用意すればいい.LOC では,参加者に喜んでもらおうと,協賛企業の協力もあり様々な「お土産」を用意した.日食メガネ,枡,クリアファイル,ファイルケース,月齢の描かれた風呂敷,トートバッグ,そしてアブストラクトの入った USB メモリー.これらの発注数が参加者よりも多くても少なくても問題になる.アブストラクトは提出したものの未登録の人が少なくない.事前登録を促すメールを出したり,参加の意志を確認したりした.

05月16日の朝,続々と集まってくる参加者で講演会場は埋まる.Amy Mainzer(JPL)が WISE 望遠鏡衛星でのサーベイ観測について,招待講演をはじめる.宇宙望遠鏡の話は,ハーシェル,あかり,と続く.臼井さん(宇宙研)の,あかりによる小惑星サーベイの話は,新聞にとりあげられた.そして,Dan Scheeres(コロラド大)の,小惑星の形状とスピンの招待講演.彼はこの講演のあと,新潟空港から成田経由で帰国.忙しい中,かなり無理をして参加してくれた.
 

翌日はまず Hans Rickman(ウプサラ大)がオールト雲・長周期彗星について,最近の研究を含む丁寧なレビュー講演を行った.ACM 発足当初のメンバーということを聞いていたが,頭が下がる思いである.人が減ることなく,夕方のポスターセッションにも多数の人が集まり,盛り上がった.この日に撮影した集合写真が図 1 である.
 

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図 1. 集合写真.
Image : 遊星人
 

3 日目の金曜日は,古在先生に話をお願いした(図 2).今年は古在機構の提唱から 50 年になる記念の年である.そのあとは,はやぶさ,スターダストのサンプル分析の話,さらに,はやぶさ 2,OSIRIS - Rex,Marco - PoloR と日米欧小惑星サンプルリターン計画の話が並んだ.
 

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図 2. 古在先生の講演.
Image : 遊星人
 

朱鷺メッセ周辺の食事の場所が限られているため,昼食は登録料に含む形で,お弁当を用意した.LOC が強く要請して,英語でのメニュー説明付きである.ベジタリアンの方にも配慮を行い,好評であった.初日の夕方にはレセプションを,3 日目の午後にはエクスカーションとバンケット.エクスカーションは,豪農の館というところで,ゆっくり過ごしてもらった.慌ただしく数カ所を訪問するよりも,この方が海外参加者が喜ぶだろうという,渡部さんの読みは当たったと思う.バンケットでは,恒例の,小惑星への命名式.LOC メンバーを含む,小天体研究者の名前を小惑星につけることが,ACMの少し前に,IAUから認められた.私が 10 年前のベルリン大会で経験したこの栄誉あるイベントを,ぜひ若い人たちに体験してもらいたかった.名前を呼ばれて,立つ人々の顔はみな輝いていた.なお,今回は特別に,LOC から昨年に地震の被災地の名前を小惑星に命名することを提案して,青森,岩手,宮城,千葉,栃木の各県名,福島県の会津,中通り,浜通りの地方名,さらに岩手県の陸前高田市や長野県の栄村,新潟県の津南町の小惑星命名が承認された.
 

4 日目のポスターセッションも多くの人で賑わった(図 3).ここでは,3 校(福岡県立小倉高校,愛知県立一宮高校,兵庫県立三田祥雲館高校)の高校生のポスター発表(小惑星の光度曲線と掩蔽観測,小惑星の光度曲線と粘土モデルによる再現,彗星コマの可視測光観測)も行われた.もともとは,昨年天文台三鷹で開かれたライトカーブ研究会のあとの酒席からはじまった計画である.自分たちのデータを的確に解釈する発表で,高校生たちは積極的に英語で説明を行い,海外研究者の評判も良かった.この 3 校の名前も小惑星に命名され新聞などにも取り上げられて,会議の宣伝にも貢献することになった.高校生発表を行えたことは,土日を含んだ会議開催のメリットであった.
 

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図 3. ポスターセッションにて.
Image : 遊星人
 

会議中は比較的天候にも恵まれた.会場の朱鷺メッセの前には,蕩々と信濃川が流れている.のんびりと川面を眺めていたり,散歩を楽しむ参加者の姿を見かけた.参加者の多くは新潟駅近くや繁華街のホテルに宿泊していた.意外だったのは,2 キロ以上の道のりをバスに乗らず歩いて通う参加者が多かったことである.

期間中,LOC メンバーは毎日7時半に集合して,それぞれ配置について仕事をはじめた.LOC メンバーを鼓舞したのは,影の LOC 委員長と言われた古荘さんである.とくに04月から渡部さんが副台長になり忙しくなったため.古荘さんがカバーする形で,ACM の準備から本番の期間まで,一番の仕事量で皆を牽引した.会議中,LOC メンバーや学生アルバイトは,青色の法被(ハッピ)を着て,参加者に対応した.この法被が欲しいという要望があり,最終日のセッションが終わったあとに配布したところ,すぐに無くなってしまった.最終日の午後のセッションに限り,キャンセルがいくつかあったことは残念であった.
 

終わりに

ACM 2012 は終わったが,翌日の日食,地球惑星科学連合大会といった行事が続き,落ち着いて余韻に浸るような余裕はなかった.そして,プログラム委員の仕事はまだ終わっていなかった.モロッコからの参加者から,アブストラクトの図を変更したいという要請が突然やってきた.サハラ隕石に関するアブストラクトで,「地図を図に入れたところ,モロッコと(領有権が決着していない)西サハラの間に,国境があるものを使ってしまった.そのままだと,自分の研究者としての地位が危うくなる,国境の無い図を作ったので,ホームページに残るアブストラクトは差し替えてほしい.」という,要請である.ACMに国際問題がこのような形で絡んでくるとは思わなかった.これを認めてしまうと,逆に別の国からクレームが来ることは十分に考えられる.熟慮の結果,図そのものを削除するという案を作り,LPI に承諾してもらい,変更を認めることになった.
 



Akira IMOTO

Editorial Chief, Executive Director and Board of Director for The Planetary Society of Japan

Web edited : A. IMOTO TPSJ Editorial Office