火星地下圏探査の科学的意義および戦略
特集「火星圏のサイエンス」 : June 03, 2021. Published

臼井寛裕 : 宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所

この遊星人記事は、日本惑星科学会遊星人編集専門委員会より許可を得て掲載しております。
 



要旨

本論文では,汎惑星表層環境進化の解明を最終目標とした戦略的重力天体探査プログラムおよびその一翼を担う火星探査の科学的意義と推進戦略を述べる.戦略的重力天体探査プログラムでは,太陽系天体の水の起源・化学進化・分布を明らかにすることにより,各天体における水環境システムの解明を目的とする.特に,国際競争・国際協働が盛んな将来火星探査計画においては,科学的意義に加え,探査を取り巻く国内外の状況も鑑み探査戦略を策定する必要がある.そこで本論文では,表層環境進化と密接な関わりが示唆される火星浅部地下圏に対象を絞った探査を提案したい.
 

1. 背景および火星探査研究の意義

今後の惑星科学における重要な科学目標の一つが,生命の存在条件に支配的な影響を及ぼす惑星表層環境の解明である.惑星表層環境を理解するためには,固体圏と大気圏,およびその反応境界層としての表層圏を一つの惑星システムとして捉え,それらの相互関係を定量的に理解することが必要となる(図 1)[1].また,太陽光度や隕石衝突フラックスの変化といった外的要因も,表層環境に少なからぬ影響を及ぼすことが知られている.太陽系天体では,これらの内的および外的要因が異なる時間スケールにおいて相互に関連しあうことで,多様な表層環境を生み出している.本論文では,これら多様な表層環境を記述する指標を水・物質循環(水環境システム)に求め,それらを火星地下圏探査を含む戦略的な惑星探査プログラムにより解明していく道筋を提案したい.
 

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図 1. 太陽系天体の水環境システムの支配要因とその関係性を表した模式図.左側の図は [1] を一部改変.
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海をたたえる地球,海の消失により表層の乾燥化が進行した火星,氷が表層を覆う木星衛星ガニメデ・エウロパに見られるように,太陽系天体は様々な表層環境を保持している.一方,多様な表層環境を保持する太陽系天体においても,その本質は「水素の宇宙空間への散逸に伴う不可逆的な酸化過程」と,「水‐岩石反応の結果生じる還元過程」で規定される [2](図 2).これら酸化還元過程において,水は反応物・生成物としての役割に加え,化学反応の媒体であり,化学反応に伴う物質とエネルギーの循環促進剤としての役割を担う.つまり,一見すると多様な惑星表層環境の底流にある科学的本質,すなわち汎惑星表層環境進化の理解には,異なる天体における水環境システムの解明が必要不可欠であり,その解明こそが戦略的惑星探査プログラムの研究意義となる.また,水環境システムの解明は,太陽系天体の水の起源・化学進化・分布を明らかにすることと同値であり,日本の目指す戦略的惑星探査プログラムが解くべき課題となる.
 

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図 2. 太陽系天体の水環境システムの支時代進化を表した模式図.表層水の減少および,水素の選択的な散逸に伴い,表層の乾燥化・酸化が進行することを示している.様々な表層環境を保持する複数の太陽系天体を観測することで,惑星表層環境の一般化・定式化につながる物理化学データの取得が期待される.
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水環境システムの観点で太陽系天体を俯瞰し,水の起源・化学進化・分布を明らかにしようとした際,火星は戦略的惑星探査プログラムの中核をなす(表 1).
 

表 1. 水環境システムの解明に向けた各天体の探査対象項目.

◎:探査対象として有望,〇:探査対象の可能性あり,△:可能性がゼロではない

  水星 金星 地球 火星 氷衛星 彗星
水の起源
水の化学進化△◎◎◎〇    
水の分布      

 

火星は,水環境システムを安定的に保持し,水の「化学進化」および「分布」に関する情報を提供する唯一の内惑星であり,また地球との比較対象として,汎惑星表層進化解明の鍵を握る(火星の水環境および表層環境史に関しては,本特集号 [3 - 6] に詳しい).一方,水環境システムの初期条件である「水の起源」は,太陽系全体での物質循環過程の結果を反映するため,複数の太陽系天体をシステム的に探査することでのみ正確な描像を得ることが可能となる.つまり,水の“受け手”である内惑星天体(水・金・地・火・月)と,外惑星領域を起源とする水の“送り手”である小天体(小惑星・彗星)の両者からの知見を総合することが必須となる.小天体に関しては,はやぶさ,はやぶさ2,MMX,そして OKEANOS につながる強力な探査戦略が検討・実施されている [7].そこで,汎惑星表層環境進化の解明を科学目標とした戦略的な惑星探査プログラムでは,これら小天体探査と相補的なプログラムとして,火星を軸とした重力天体探査プログラムの実施が必須となる.
 

2. 海外の火星探査計画

NASA は火星探査のロードマップとして,2000年代の「水およびその痕跡の発見」,2010年代の「ハビタブル環境の理解」,そして2020年代には「生命の痕跡の発見」を提示している(図 3)[8].このロードマップに従い,火星サンプルリターン計画(MSR : Mars Sample Return)および有人火星探査計画へ向け,着々と準備が進められている.2020年には MSR 用のサンプルキャシュを搭載したキュリオシティーとほぼ同型のローバーが火星に向けて打ち上げられる予定である(Mars 2020).また,それに先立ち,2015年からは周回機メイブンによる火星大気の観測が開始され,2018年からは着陸機インサイト(InSight)による火星内部構造探査が予定されている.
 

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図 3. 将来火星探査計画(Mars Exploration Program report)の概要.第33回 MEPAG 会議 [8] より抜粋.
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2000年代初頭までほぼ米国により主導されてきた火星探査は,欧州宇宙機関(ESA)によるマーズ・エクスプレスの成功を受け,国際協調の時代に突入し,現在その流れはさらに加速しつつある(火星探査の歴史に関しては臼井・宮本(2014)[9] を参照いただきたい).地球に匹敵するほど複雑で多様な惑星である火星を理解するためには,国際的な枠組みの中で科学目標を精査し,お互いを補完し合うような総合的・相補的な探査計画を策定する必要がある.このような国際的な取り組み(MEPAG)[8] は NASA が主導する形で既に始まっており,科学測機の提供という形で現実化している.例えば,Mars 2020 のローバーには,フランスやスペインなどの科学測機が搭載されることが決定している [10].また,科学測機の提供だけでなく,Mars 2020 と競合かつ補完関係にある ESA の複合探査ミッション(ExoMars)や,MSR のプレカーサとなる日本の火星衛星サンプルリターン計画(MMX: Mar-tian Moons eXploration)が予定されている.国際的な枠組みでの実施が検討されている火星サンプルリターン・火星有人探査(2030年代以降実施)に日本が主導的な役割を果たすためには,それまでに独自の火星探査を成功させ,国際的な信頼を獲得することが必須となる.
 

3. 日本の目指すべき探査戦略および推進体制

Mars 2020 に代表されるように,MSR を共通の目標とした今後の火星着陸探査シリーズでは,着陸や試料放出の観点から,低緯度・低高度・低傾斜地に集中的に大型の着陸機を送ることとなる.しかしながら,火星は地球と比するほど地質学的多様性に富んだ惑星である [11].つまり,MSR からは,非常に精密で高精度だが,一方で極めて偏った科学情報が取得される懸念がある.この懸念は,MEPAG でも共有され,MSR とは独立かつ相補的な探査計画の必要性が認識され,小型ローバーやネットワーク型小型着陸システムによる極域・非整地への探査が提案されている [12].しかし,これらの提案は,2018年の段階において未だスタディーグループとしての検討段階にすぎず,その科学的重要性の認識とは裏腹に,具体的な探査計画へと結実しているわけではない.一方,探査機会の限られる日本において,火星の地質学的多様性のみに強く依存し,地域地質学に落とし込まれるような“ニッチ”なサイエンスを目指すべきではないことは明白である.

私は,日本の目指す戦略的惑星探査プログラムが解くべき課題として掲げる水環境システムの解明に向け,地下環境に探査対象を絞り込んだ火星探査計画を実施すべきと考えている.この火星地下圏探査は,先行する欧米の火星探査や MSR では積極的に得ることを意図していない水環境システムに関する知見を提供するという点で,日本の独自性と国際貢献の両者を担保する.また,火星地下圏探査は,日本惑星科学会が提出した RFI(Request for Information)文書 [7] においても,宇宙科学研究所(宇宙研)の中型計画案に位置付けられ,日本の目指す小天体探査プログラムとも高い親和性を有する.なお,惑星科学会 RFI 文書で提案された火星地下圏探査では,現存生命あるいは過去の生命の痕跡の探索や,生命前駆環境の理解を目指した,いわゆる生命探査が重要な科学目標のひとつとしても提案されている(火星地下環境探査の詳細は [7, 13] を参照されたい).

火星地下圏探査では,過去の地下熱水活動に関連して形成されたと考えられる炭酸塩岩や粘土鉱物を含む堆積岩が露出した地域(例えば,McLaughlin クレータや Isidis basin の南側のクレータ壁など)が具体的な探査対象候補として挙げられる [7].また,地下帯水(氷)層からの季節的な塩水の浸出で形成されたと解釈されている Recurring Slope Lineae(RSL)現象 [14] が観察される低緯度地域(マリネリス渓谷深部に位置する Melas Chasma など [15])や,地下氷(総厚 100 m 以上)の露出が確認されている中高緯度地域 [16] なども探査対象として検討されるべきである.さらに高緯度の極冠氷床の下部(深度 ~ 1.5 km)には,約 20 kmにわたり帯水層(地底湖)の存在が示唆されている [17].この現存する地底湖に直接アクセスするような探査は現時点で現実的ではないが,火星の極移動を考慮し液体水領域の痕跡を中高緯度で探索することで,地底湖と接していた地層を調査するような探査は,浅部地下探査の候補として検討すべきと考える.

我々の提案する火星地下環境探査では,重力天体への軌道投入および着陸(EDL : Entry, Decent, and Landing)を基礎技術として習得・実証することが最低限,求められる.EDL 技術は,MMX および月着陸実証探査(SLIM : Smart Lander for Investigating Moon)での習得が期待される(図 4).一方,火星探査の歴史を振り返るに [9],EDL に関しては可能な限り火星での実証試験を行うべきである.そこで,本格的な火星着陸探査のプレカーサーとして,周回機探査との組み合わせも含めた着陸技術実証が望まれる.EDL 技術実証を視野に入れた周回機探査の例として,海外では ExoMars Trace Gas Orbiter が挙げられ,国内においても火星エアロキャプチャー技術を利用した火星周回大気探査が検討されている(図 4)[7].
 

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図 4. 太陽系・系外探査プログラムの工程表 [7].
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地下水圏へのアクセスが要求される火星地下圏探査では,EDL 技術に加え,地下環境探索および掘削といった多くの新規技術を必要とする.これらの新規技術に関しては,大学や宇宙研などアカデミックに閉じた開発ではなく,民間・商業ベースの宇宙産業の一部として取り組むべきと考える.例えば,NASA 実施するの多くの惑星探査では,民間企業である Honeybee Robotics 社から,掘削や試料採集技術が提供されている(MER : Mars Exploration Rover, Phoenix, MSL な ど ). 国内においても,2014年 に JAXA 宇宙探査イノベーションハブが設立され,大学・研究機関・民間企業等との連携による地上技術と宇宙技術の開発・融合を目指した活動が進められている.ここで得られる地上および宇宙空間での探査技術の応用先は火星着陸探査にとどまらない.例えば,国際協働での検討が進められている月の極域探査・有人探査では,天体表面移動および掘削が日本の提供すべきキー技術として提案されている.月での宇宙技術実証は,自立性が必要とされる火星探査と,地球上での技術実証をつなぐという点において,高い戦略的価値を創出する.月や火星での技術実証により信頼性の担保された各要素技術は,その先にある MSR や氷衛星探査などの国際協働プロジェクトにおいて,日本のプレゼンス向上に貢献するであろう.

地質学的に多様な天体である火星への着陸探査では,着陸地点の選定が探査のサイエンス価値に直結する.小惑星リュウグウなどの小天体とは対照的に,火星に限らず多くの重力天体では,既存の表面分光観測データが充実している場合が多く,それらのデータベースを活用した着陸探査計画立案が求められる.米国と比較した際,日本の惑星探査コミュニティーは地球科学分野(地質学・火山学・水文学など)の取り込みが十分とは言えない.一方,地球科学の諸分野も,生物学などとの融合を進めつつあるが,同時に地球外にも未開拓のフロンティアを強く求めている.火星は両者の融合に最適な研究対象であり,“地球・惑星科学”を文字通り“地球惑星科学”とする可能性を秘めている.2018年度より開始された新学術領域「水惑星学の創成」では,まさに地球科学と惑星科学の真の融合を目指した研究活動が進められつつある [18].
 

謝辞

玄田英典博士には本総説を執筆する機会を与えて頂きました.また,佐々木晶博士には,本論文の執筆に際し有意義な助言・ご指摘を頂きました.本論文で提案した火星探査戦略案は,火星環境探査リサーチグループ(以下,敬称略:山岸明彦・亀田真吾・藤田和央・宮本英昭・石上玄也・寺田直樹・熊本篤志・関華奈子他),水惑星学メンバー(関根康人・玄田英典・渋谷岳造・福士圭介・渡邉誠一郎他),東工大火星チーム(黒川宏之・中田亮一・佐藤雅彦・野口里奈・石山謙・小池みずほ・森脇涼太・大学院生他),惑星科学会 RFI 作成メンバー(千秋博紀・荒川政彦・探査運営委員他),杉田精司博士,および田近英一博士との議論がもととなっている.これらの議論において,宇宙科学研究所リサーチグループ経費および日本学術振興会新学術領域研究「水惑星学の創成」(17H06459, 17H06454)のサポートを受けている.
 

参考文献

[1] Ehlmann, B. L. et al., 2016, J. Geophys. Res. 121, 1927.
[2] 関根康人ほか, 2010, 遊星人 19, 305.
[3] 黒川宏之ほか, 2018, 遊星人 27, 127.
[4] 小池みずほほか, 2018, 遊星人 27, 180.
[5] 野田夏実ほか, 2018, 遊星人 27, 138.
[6] 今村翔子ほか, 2018, 遊星人 27, 163.
[7] JAXAからの情報提供依頼(RFI)への回答文書(惑星科学会)https://www.wakusei.jp/~RFI_kaitei2017/for_all/
[8] Meyer, M., 2017, 33rd MEPAG
[9] 臼井寛裕・宮本英昭, 2014, 地球化学 48, 221.
[10] https://mars.nasa.gov/mars2020/
[11] Carr, 2007, The Surface of Mars. (Cambridge University Press).
[12] Johnson, J., 2018, 2nd MEPAG Virtual Meeting https://mepag.jpl.nasa.gov/meeting/2018-06/07_Johnson_SAGs_MEPAG_VM2_v03.pdf
[13] 臼井寛裕, 2016, 第49回月・惑星シンポジウム https://repository.exst.jaxa.jp/dspace/handle/a-is/577230
[14] Ojha, L. et al., 2015, Nature Geoscience 8, 829.
[15] 宮本英昭ほか, 2016, 地質学雑誌 125, 171.
[16] Dundas, C. M. et al., 2018, Science 359, 199.
[17] Orosei, R. et al., 2018, Science, DOI: 10.1126/science.aar7268.
[18] http://www.aquaplanetology.jp/
 


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Editor : Akira IMOTO

Editorial Chief, Executive Director and Board of Director for The Planetary Society of Japan

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