昨年、安倍晋三前総理は、辞任する直前に新型コロナの指定感染症の分類の見直しをする方針を述べていました。現状、5段階のうち2番目に危険とされる2類相当になっているが、死亡率などから考えると5類にしていいのではないか、ということです。 私はこの方針変更はとても意味があると考えていました。それだけでも、かなり現場の負担が軽減される、ということを選挙区の病院などから聞いていたからです。 ところが、この見直し方針はその後、否定されてしまいました。 指定感染症の分類は、それによって行政や病院ができることが変わるので、現状できる対応はそのままにしたいという行政側の思いは分からないでもありません。しかし、それによってやらなくてもいい措置まで要求している面があるのであれば、この新型コロナウイルスに合わせた対応を可能とすべきですし、それは特措法によって規定できたのではないかと思っています。 感染拡大当初はともかくとして、1年も経過して、死亡率、重症化率、ある程度の治療法もわかってきたのですから、いつまでも「新型インフルエンザ等対策特別措置法」のままで適切だとは私には思えません。報道で「新型コロナ特措法」と言われるので、そういう特別な法律が作られたのだ、と思われている方も多いのではないかと思うのですが、実は何度か改正しているのは「新型インフルエンザ等対策特別措置法」なのです。 そもそも疑問に思うのは、政策目標として感染者の数を減少させることを重視しているのか、医療崩壊を起こさず、重症者に対応できる医療を維持し、他の病気の治療にも影響を与えないようにすることを重視しているのか、がもはや明確ではなくなっていることです。 私は、新型コロナウイルスに対して弱者である基礎疾患保有者や高齢者などを重点的な対象とし、重症者や死亡者をいかに減らすか、日本医療の抱える根本的な問題とも言える水平的・垂直的な機動性・弾力性の欠如をどう克服するか、が解決すべき最優先の課題であると思います。 仮に感染者数を減少させることを重視するのなら、無作為に大量の検査を実施し、無症状の感染者の方を一定期間隔離する、という方策を取らなければならないはずです。これは私の知る限り、国として採られている対策ではありません。 そうした課題についての対策や議論よりも、相変わらず国民に自粛要請などの負担をお願いすべきとの論調が主流であることに違和感がある旨は、前回も述べました。 ワクチンが普及するまでの間は、人々の自然免疫力を維持・向上させることが重要なはずです。 この点、過度の行動抑制は逆効果を生むことになりかねません。「敵」の本質を見ないままに危機を強調し、国民の団結心と協調心を鼓舞し、異論を封殺・排除するような風潮があるとすれば、それはかつて戦争に突入した時とあまり変わりがない、という批判を免れないのではないでしょうか。 もう1年が経つ中で、メディアは何に効果があって、何になかったのか、科学的に効果的な行動変容とは何か、こういったことを検証するべきです。緊急事態宣言によって何にどの程度効果があったのか、わからないままに多大なご負担を「お願い」し続けるのであれば、国民の生活、特にその経済活動を軽視している、と受け取られても仕方ありません。 昨年の感染流行初期には、専門家とされる方々は「外で散歩している時、広いところで運動している時などはマスクをしなくても構いません」と仰っていたはずです。 ところが、いつからか一歩外に出たら、マスクをつけなくてはいけないという空気になりました。人のいないところでの散歩やジョギング中にまでマスクをつけなくてはならないという「雰囲気」は、いったいどこからきたのでしょうか。 政府の日々の情報の発信についても、ある程度の工夫が必要なように思います。比較する上で確実性のない陽性者数や感染者数を、現実と時間的に差がある「報告日ベース」によって発表するのではなく、発症者・重症者・死亡者の人数を「発生日ベース」によって発表する方が、国民に正しく現状を把握してもらえるのではないかと思います。 テレビを中心としたメディアでは、日々発表される都道府県の検査陽性者数のみを大きく取り上げ、「専門家」が登場してこれを論評する、ということを繰り返しています。街頭インタビューで紹介されるのは市民の「怖い」という声ばかりです。これで不安が広がらないはずはありません。 一方でテレビではまた、コロナの影響で営業自粛を続けている飲食店の苦境、仕事がなくなったエンターテイメントビジネス関係者の声などを取り上げます。このような人々は、ある意味で不安をあおる報道の犠牲者でもあるという意識は、メディアの方々にはないのでしょうか。 新型コロナウイルスについて、次のようなことがどれだけ伝えられてきたのでしょうか。 ・この1年でこのウイルスに関する解明が進み、治療法がある程度確立したこと、それにより重篤化や死に至る危険性は当初に比べて相当程度減少したこと ・重篤化が顕著にみられるのは自然免疫が低くなっている方(放射線治療を受けるなど)、高血圧、高脂血症、糖尿病などの方であること ・人口当たりの死亡率はアメリカの30分の1であること ・死亡者数は季節性インフルエンザの半分、ガンの100分の1程度であること ・欧米各国では年間の死亡者数も増えたのに対して、日本では2020年の死亡者数は前年よりも減少したこと 変異株の登場によって、ある程度変わるところもあるかもしれません。 が、少なくとも今までの報道を見る限り、こうした指摘をする医師や学者はメディアではほとんど見かけません。実際にはこうした指摘をしている専門家も存在しているのですが、あまり起用されないのかもしれません。 少なくともさまざまなデータを冷静に比較して出すべきです。 万が一にも不安を煽ることが視聴率のアップに繋がるなどと考えているような人たちがいるなどとは思いたくもありませんが、メディアにはいろいろな意見や情報、事実を公平に報道する姿勢を強く望みます。 新型コロナウイルスを決して侮ることなく、「正しく知り、正しく恐れる」ことが必要です。これが当初、メディアでも言われていたことのはずです。今は「正しく恐れる」状況から逸脱してはいないでしょうか。 ありとあらゆるエネルギーが新型コロナ対策に費やされ、まるでその他の懸案は無いかのようなことになっています。その他の問題について口にすると、「それどころではない」と批判されかねない雰囲気もあります。 しかし、その他の問題がコロナ禍の終息を待ってくれているわけではないのです。 この新型コロナ禍以前には、少子高齢化こそが国家の最重要課題であり、最大の危機であると言われていました。私はいまでもそうだと考えています。 この問題はコロナで消えたわけではありません。それどころか、この1年で少子高齢化は10年進んだと言われているのです。空前の産み控えが進んで、2021年の出産数は年間80万人を切るという予測が出ています。 新型コロナ対策の自粛の影響により、うつ、糖尿病、認知症が増えたとも言われています。外出制限による運動不足などにより免疫力が下がっていることも指摘されています。精神的、経済的に追い詰められたことで自殺者も増えています。がん検診も減っており、早期発見数が減って、がんによる死者が増えるのではないかという危惧を口にする人もいます。 こうしたことをすべて後回しにして、政治のエネルギーや、国民の力のほとんどを新型コロナ対策に注ぎ込み続けていいとは、私には思えません。 こうした疑問を口にすると「コロナ対策をないがしろにするのか」と批判されます。それが嫌だから皆が口をつぐんでいるのでしょうか。 「ゼロコロナにして、その他のことはそのあとで取り返せばいいじゃないか」 そのような考えを述べる方がいます。しかし、そうした方は、もしもゼロにできなかった時にどうするのか、またゼロにするのに何年もかかったらどうするのかについては答えてくれません。それに、その他の問題は、本当に終息した後で取り返せることばかりなのでしょうか。 私はむしろウィズコロナの時代は当分続くという前提で考えなくてはならないと思っています。その前提に立てば、この1年間、放っておいた問題にも戻って考えなければなりません。 その意味では、小林よしのり氏とウイルス学者の宮沢孝幸・京都大学准教授の対談集『コロナ脳 日本人はデマに殺される』(小学館新書)は内容が濃く、多くの疑問への答えを示唆するものでした。新型コロナウイルスを侮るのではなく「正しく恐れる」というのはどういうことなのか、何故リスクの相対化ができないのか、メディアリテラシーの低さは何によるものなのか等々、考える材料を提示しています。 内政のみならず、外交や安全保障面においても中国や北朝鮮など、幾多の懸念が存在しますが、これらも「正しく恐れ」なければ日本は重大な結果に直面することになるのではないでしょうか。