The Planetary Society of Japan

ブラウン惑星人の日々 April 2016

1999 JU3 宇宙風化模擬実験

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: April 23, 2016

皆様、今日は同じく日本で、正確には立川の極地研のゲストハウスでこれを書いています。遅くなりましたが、二週間があっという間に過ぎ、今日はもうアメリカに帰るという日にぎりぎりこの日本帰国回想を書いています。日本は最初寒くて寒くて、スーツの上に着る暖かいコートなど持ってこなかったので、どうしようかと思いましたが、最後の方は暑いくらいの気温になりました。

今回もいつも通り、科研費を受けた窓口としての極地研に到着し、共同研究者であり後輩の海田君とプランを相談して、阪大豊中キャンパスの佐々木晶さんの研究室へと出かけました。いつもの様に、はやぶさ2目標天体である小惑星リュウグウの組成に近いと思われる、炭素質コンドライト(CC)のチップの可視・近赤外反射スペクトルを測定するとともに、今後の予備実験として、それらのうちの一つをパルスレーザーを当てて宇宙風化させることと、ブラウン大学で NASA 研究費を申請するために X 線回折(XRD)測定をしてある CC のペレットを宇宙風化させてから、またブラウン大学で XRD 測定をするというテストを始めました。わずかな表面しか変化しない宇宙風化模擬実験なので、XRD で鉱物組成の変化が見えるかどうかがポイントです。

上画像:阪大佐伯研究室に訪れた、地球子ども村宇宙教育センターの井上さんと、コンタクトの山田さん、佐伯君、私、そして寺田さん。

今回は、それと同時に、以前から計画していた、阪大で准教授をしている後輩の佐伯君に、私が何度か講演会をした地球子ども村宇宙教育センター(SEC)の井上さん、そこに導いてくれた山田さんを紹介する機会を持てました。最初の写真は、井上さんと山田さんが来てくださって、アウトリーチに意識の高い寺田さんも呼んでいろいろ話をした後の写真です。寺田さんも、いろんなところで講演などしているようですが、井上さんがボランティアでなく仕事として成り立つ形でSECをされていることに感心していました。佐伯君の月の本も非常に評価されて、二人がいつか SEC に貢献できる機会があるのではと思います。山田さんは、娘さんが阪大に入学されたそうで、今回もそのあと会いに行かれたそうです。

上画像:4月15日の金剛学園での講演会の様子。

さて、実験などは順調に早めに終わったので、今回は最終日の午後に、大阪のコスモスクエア駅の近くにある金剛学園という小・中・高一貫性の学校で講演会をする機会をいただきました。この学校は、日本政府と韓国政府の両方から認可されている私立校で、各学級が最高 20 名くらいしか生徒がいない少人数制で、日本の義務教育内容と韓国語が学べるすごいところです。ただ、小学校四年生が一番前に座っていて、後ろの方に高校三年生がいて、明らかに前の方は話に着いて行けていないようで、とても心配しながら講演しましたが、最後はとても多くの質問が皆から出て、時間がないので打ち切らざるを得ませんでした。高校生からは、暗黒物質とか運動量の保存則の破れとか、すごい質問が出て、舌を巻いてしまいました。。。

その後は、ちょっと山口まで足を延ばして講演会をして、帰省する途中で神戸で新たに異動してきた臼井さんと AKARI 衛星の小惑星データの今後の解析の打ち合わせをしました。臼井さんと寺田さんは、年齢は違いますが、似た雰囲気です。NASA の Emerging Worlds の研究費が二度も落ちているので、今回は何としても通って共同研究を盛んにやりたいものです。実家では、父と姉とともに施設に入った母を見舞い、今後のことを話し合いました。そして日曜日には岐阜にも講演に出かけました。

そして翌月曜日は朝一番の高山線に蘇原駅から乗って、仙台に向かいました。何度も行っている東北大ですが、今回は、海田君を初めて連れて行き、中村智樹君の Bruker の FT-IR マシンで何ができるかを見てもらい、私は CI コンドライトから地球の吸着水を真空中で除きながら反射スペクトルの変化を見る実験をしました。Driss Takir がそのような実験をして数年前に論文を書いていますが、自分でやらないと信じれないし、データが手に入りません。結論として、Bruker の分光器内の低真空では十分に水が抜けないのですが、変化の方向は正しいので、計算で何とかできるのではと、学生の佐藤君には指導しておきました。Tagish Lake 隕石も残しておいたので、いつかやってくれると期待しています。

上画像:仙台で中村研の人たちと豪華野菜盛りだくさんの夕食(上)と、翌日は佐藤君と松岡さんとファミレスで夕食(下二つ)。

写真にあるように、最初の晩には豪華な野菜いっぱいの夕食をいただき、二日目の夕食は学生たち(佐藤君と松岡さん)を招いてファミレスで食事をしました。二人は私のいつもの武勇伝というか、はやぶさ・はやぶさ2の科学成果において国益を守るための私の孤独で熾烈な戦いの話を聞かされていました。まあ一年に一回くらいは良いでしょう:)

上画像:北大キャンパスのクラーク博士の銅像の前で。

さて、最後の訪問地は札幌の北大、圦本研です。圦本さんは隕石や回収試料などの酸素などの同位体測定から太陽系始原物質の起源と進化を調べる大家ですが、今回、私が札幌に行きたいと言ったら、全面的にサポートしてくださいました。写真は、到着して直後、北大キャンパスの William S. Clark 博士の銅像の前で撮った写真です。クラーク博士は、まだ明治初期の札幌農学校の一期生たちに、Boys, be ambitious! といって激励し教育し、二期生にそれが継承され、内村鑑三や新渡戸稲造が生まれたのです。私も全国を回ってクラーク博士のように将来の世界的研究者が生まれるのに貢献したいし、していると思いたいです。

この日は、その後で、札幌開成高校で講演会と、夕方にも別に講演会があり、それでスーツを着て写っているのでした。開成高校では、中一から高三まで全員が体育館に集まり、保護者も 50 人以上来られて、非常に大きな講演会となりました。5-6 限の授業をぶち抜いてやったようです。

上画像:北大の有機物合成装置の前で圦本さん、私、そして橘君。

翌日は、次の写真のように、朝から晩まで圦本さんと橘君に研究室や実験室を案内してもらい、午後にセミナーをさせてもらいました。驚くほど多くの最新の質量分析器やプローブ類があり、その規模とスタッフの充実度には驚きました。二人の研究者を大きく見直しました。はやぶさ2で試料が帰ってくれば、日本は大丈夫です。ただ、セミナーでも力説しましたが、2018年6月からのランデヴーが問題です。三か月後に迫る OSIRIS-Rex の Bennu へのランデヴーと、NASA から入って来た九人の研究者たちに負けないことが重要です。各テーマで研究者が全力を発揮しないといけません。そのために、今は若く駆け出しの学生やポスドクたちを訓練していかないと。

どうなることやら、私も全力を尽くしますので、皆様、暖かく見守るか、ぜひ全力で応援してください。
 

心機一転、はやぶさ2ブルゾンを着る!

POSTED BY: Takahiro Hiroi | DATE: April 04, 2016

とうとう四月に入り、冬の最後のあがきのような寒い日はあるものの、ボストンでさえも春の陽気がちらほらしてきました。LPSC を終えて一週間経ち、その前後にあったいろんなことを振り返って今回はご報告したいと思います。

まずは、LPSC の直前に、Hayabusa 2 Participating Scientist(H2PS)の選考結果がメールで知らされて来て、5 倍の競争の結果、Ralph と私は落ちてしまいました。それを、はやぶさ2への唯一の貢献の道として大きく期待していたがゆえに、とても落胆し、日本と JAXA とはやぶさ2プロジェクトへの思いを前回のブログに書きました。どうやらそれを読んだ人の中で最低一人、問題と感じてチームに報告したらしく、現在、その原稿は取り下げ中で、その運命は不明です。まあ、正確でない内容があったかもしれませんが、それは訂正できるので、この状況を少しでもわかってもらって将来への改善につなげてほしかったのですが。私だけの問題ではないので。

とにかく、そのように落ち込んだ状態でしたが、心機一転するつもりで、はやぶさ2ブルゾンを着てヒューストンに出かけました。ローガン空港では、同じく United の直行便で LPSC に行く人から、私のジャケットを見て、あなたも LPSC かと聞かれました。ヒューストンに着いてからも、いろんな人から、素敵なジャケットだと言われ、宣伝効果は抜群だったと思います。一緒に購入したはずの他のチーム員たちは誰も着てこなかったようですが。幸い今年のヒューストンは寒く、多くの日は昼間でもこのブルゾンがちょうどよいくらいでした。

上画像:LPSC2016Lobby_Mustard & Lucey.jpg:LPSC 会場のマリオットホテルの廊下ロビーでの光景。

詳しいことは今回も LPSC 速報で文字としてはお伝えしたので、今回は写真盛りだくさんのブログにしました。最初の写真は、会場の廊下のようなロビーの光景です。右上はブラウン大で博士号を取った天才的分光モデル研究者達である Jack Mustard と Paul Lucey。「May I take a photo of two smart scientists?」といって写真を撮らせてもらいました。左の TV 画面には #LPSC2016 の Twitter がリアルタイムで表示されていました。反対側の掲示所には、今年も宇宙研で11月に行われる Hayabusa 2016 シンポのチラシもありました。この場所は、研究者たちが出くわして、コーヒーやお茶を飲みながらいろいろな話をする社交の場所として大きく役立っています。

とにかく、日本人は毎年増えていると思われるくらい多く出くわして、ちょっと心配するくらいです。その割には、口頭発表したり、質問をしたり、座長をしたりする日本の研究者は少ないと思います。おそらく一桁台しかいないような。その辺が日本人の英語力や研究レベル又は姿勢を物語っていると思います。日本の文化として、良い研究をしていれば、向こうから気付いて目をかけて引用してくれると考えるかもしれませんが、NASA 研究費で給料まで出している研究者の多いアメリカでは死活問題である研究成果において、自己中心的にバイアスがかかることもしばしばです。私が小惑星の宇宙風化問題で経験した迫害はその一つの例です。なので、人格的良し悪しは別として、自分がした仕事とその価値は積極的に口頭発表で宣伝して、他の研究者がおかしな研究をしていたり、自分がそれに対して参考になる仕事をしていたら、勇気を出して質問なりコメントしないといけないです。

私はよく、あなたは日本人らしくない、相手が間違っていたらすぐに反論したり正直にものを言いすぎる、といわれます。確かにそうかもしれません。しかし、昔からそうだったわけではありません。幼少時、言葉を話し始めるのは遅く、小学生の時、お客さんが来ても挨拶もできない子で、よくどもっていました。しかし、成績は良かったので、小学校の児童会長になったりしました。あと、大学に入り、奨学金という名の学生ローンだけで自活するために家庭教師や塾教師のバイトをしていて、人前で教える必要がありました。また、大学院修士 1 年の時に、母校である蘇原中学校に教育実習に行き、授業を担当する必要がありました。そして、極めつけは渡米した時です。黙っていたら、マクドナルドでフレンチフライも買えないです。英語の世界に来て、私の性格は悪くなってしまったかもしれません:)とにかく、日本の若者たちよ、自分の限界を超えないといけません。

上画像:五年前に CNN から津波の映像が流されていた TV の前の席と、そこでお昼に食べた Super Sandwich。

日本の若者たちと言えば、大学の教官でない私は自分の学生を持てませんが、東大の先輩後輩たちが大学教授とかをしているので、彼らの大学院生たちの指導を兼任させてもらうことがあります。このブログでも最近登場した阪大の岡崎さんは就職してしまいましたが、同じく登場してもらった東北大の松岡さんは今回 LPSC に来ていて、Which Wich という隣のサンドイッチショップで一緒になり、次の写真の会場一階の TV のある席でお昼を食べました。この場所は、五年前に、特別セッション「Results of Hayabusa」で私が司会を務め、最高に幸せな気持ちでホテルに帰った後に起こった東日本大震災の様子を、翌朝 CNN が全ての会場の TV で、特に津波の映像を流していたので忘れられない場所です。そして、松岡さんが、仙台にある東北大学から来ているというのも意味ありげでした。お昼を食べながら、これからどういう研究をすべきか、そして、はやぶさ2にどう貢献したらよいかを話しました。お互い変わった人しかこの分野に来ないのはなぜだろう、といったら、私と一緒にされてかなりショックを受けていたかもしれません:)

速報でも書きましたが、今回の LPSC で珍しいと思ったのは、神戸大から千葉工大に移った岡本君と会えたこと。もう博士号を取ってポスドクだけれど、やっぱり衝突から分光に鞍替えしてはくれないようでした:)それと、阪大の佐々木晶さんの学生さんの西谷君が来ていたことでした。隕石の反射スペクトルを取りに行って、隣の学生部屋にコーヒーを飲みに行くとよく自分の机で勉強していたり、ソファーで寝ていたり、新聞を読んでいたりして、何度か会っていましたが、助教の谷さんの指導でメタンハイドレートの研究をしていたので、惑星とはちょっと違うかなあと思っていましたが、Ceres や Pluto は氷でいっぱいですから、なるほどでした。今回の、残りの内容は西谷君が多く登場します。

LPSC は毎年大体同じパターンですし、速報で内容は報告しているので、その後のことを主に書きますね。
今年は異例で、直後の週末がイースター(復活祭)に当たるので、飛行機の便の取りにくさとか考慮して、LPSC の方で、最終日の金曜日の午後のセッションをなくしてしまったのです。昔は確かにそうだったですが、発表が多いので全日にしたのでした。西海岸ならその後帰れるでしょうが、東海岸や日本の人たちは難しい人たちが多いでしょうし、一端飛行機やホテルを取ったのに変更するのも大変です。なので、金曜日の午後はどこかへ遠出しようということになりました。

西谷君が NASA ジョンソン宇宙センター(JSC)の Visitor Center(Space Center Houston)に行きたいというので、他の日本からのグループにそのつもりはあるかと尋ね回ったら、別の予定があるとか、もう初日に行ったとかでした。NASA 関係の人たちに聞いても、金曜日の午後に職場に戻る人はいませんでした(アメリカ的、テキサス風?)。なので、金曜日の当日の朝、最後の頼みの綱で、ロビーにいる日本人を捕まえようということで、最初のターゲットが、パソコンで仕事をしていた宇宙研の岡田さんでした。いつもの調子で、「うーん、Paul Abell と毎年昼食とか行ってるけど、約束しているわけじゃあないから。。。」というので、意図はせずとも誘導尋問的に、「じゃあお昼にいなくなってしまってもいいですよね。入場料は僕が払いますから。」ということで、西谷君と私と車で連れて行ってもらうことにしました。ということで、これ以降の写真は、全て、Space Center Houston(SCH)でのものです!

上画像:Space Center Houston でのアポロ計画時代の管制室の写真と、そこを訪れた我々。

セッションが終わってお昼ちょっと前に出たのに、割と渋滞で、途中でお昼を食べてから着いたらもう二時でした。ホテルのロビーでもらった$5の割引券を使って一人当たり $20 で入ることができ、まずはキャンパス内を見学するトラムツアーに並びました。ものすごい人混みで、待ち時間が 1 時間あるということでしたが、しょうがないので、とにかくミッションコントロールのあるブルーラインのツアーに並びました。次の写真が、アポロ計画時代の管制室の様子の白黒写真と、そこでの説明を聞く西谷君と岡田さん、そして管制室をバックに西谷君です。

私が八歳の時に深夜白黒のブラウン管を通してみていたアポロ 11 号の月着陸も、すべてここでコントロールされていたのです。私が1991年から三年間、NRC 研究員としてここ JSC に来ていた時は、歩いて見に来れましたが、その間にこの SCH が出来てからは全てコントロールされるようになりました。私が初めてここに来た時の感動を、この青年も感じてくれていたらよいですが。

その後は、トラムは人々を連れて JSC 内を回り、途中でいろんなビルの説明をします。それに入ってなかったと思いますが、私を含む惑星科学者たちが皆入っていた Building 31 が見えたので、西谷君に、あれが我々がいたビルだよ、と説明してあげました。昔は、無重力訓練のためのプールや、巨大な真空チャンバーもルートにあったと思いますが、何しろ人数が多いし、ルートは二つになったので、きっと別枠なのでしょう。

上画像:Saturn V ロケットが建物にしまわれているロケットパーク。

最後は有名なロケットパークです。次の写真にあるように、外に見えるロケットは小さい方で、横の細長い建物の中に、あのアポロ計画で使われたと同じ Saturn V ロケットが寝かされているのです。その巨大さにはびっくりしますね。昔は外で雨ざらしでしたが、今はこのように建物に入り、内部の壁にはいろんな写真や説明のポスターがあります。これは、使われませんでしたが、本物なのです。こんな風に、日本も戦艦大和が残っていたらよいのですが。ロケットパークは自由時間で、随時来るトラムで SCH のメイン会場に戻ればよいようになっていました。

戻ってからは、主会場のいろんな展示物を見ましたが、フィルムシアターが三つくらいあり、時間を調べたら、後は五時と六時からのしかなく、五時の火星ローバー Curiosity に間に合うように戻ってこようと思ったのに過ぎてしまうという羽目になりました。その間、会場に連結して外に置いてある巨大なボーイング 747 機にスペースシャトルがのっかっているという、おそらく実物大の展示を回ってみました。

上画像:SCH 内の展示物とギフトショップ。

その後は、次の写真にあるように、スペースステーションでのシャワーの仕方とかの展示や、アポロ宇宙飛行士たちが月面上で使った道具が展示されていて。それを見て、岡田さんが、これがきっと武田先生がいつも話していた特別な道具だと言っていました。そういえば、私も聞いた覚えがあります。私の指導教官でしたし。西谷君は、Space Trader というギフトショップで、自分の T シャツや研究室へのお土産を買っていたようです。

そんなわけで、ほぼ 4 時間しかなく、不十分だったかと思いますが、私も岡田さんも 10-20 年ぶりかの再訪問で、西谷君は初めてで、なかなか新鮮な体験でした。その後は LPSC 会場の近くの Woodlands Mall にある P. F. Chang で夕食を食べ、皆共通に泊まっているホテル Super 8 に戻りました。それで、部屋に戻ってよく考えてみると、皆明日は空港へ行くのだから、西谷君と私が Super Shuttle をキャンセルできれば、岡田さんに連れて行ってもらえるかもということで、調べると、Super Shuttle は二時間前までならばネットで簡単に無料でキャンセルで来て、岡田さんも二人とも連れて行ってもいいということだったので、翌朝も一緒してもらいました。

SCH で観れなかった映画の一つは、昔私が最初に行った時に観た「On Human Destiny」と同様なタイトルだったので、その昔の VHS をデジタル化したものを西谷君には阪大に行ったときに観て頂こうということになりました。私も感動したので、喜んでもらえると幸いと思っています。

LPSC に行く前に H2PS に落ちて落ち込んでいたのが、LPSC を通してまた気持ちが復活してきたと思ったのですが、その後一週間してまた残念な知らせが来ました。長女に続いてブラウン大に入ろうと応募していた次女ですが、Admission の Dean からメールが来て、残念ながら入学許可はできないとのことでした。やはり成績が足りなかったと思います。おそらく、マサチューセッツ州立大学などに行くことになると思います。残念ですが、そこには自分もわからない深い意味があると思うことにします。私が日本で大学教官として残れず、米国で競争して切磋琢磨してくるしかなかったことが、はやぶさ・かぐや・はやぶさ2にきっと大きく影響していると同じ意味においてです。

次回は4月9-23日の日本帰国中にお便りできるのではないかと期待しています。
 

PreviousNext

 

 

Creating a better future by exploring other worlds and understanding our own.